第三章 第十五節 堕ちた先に
「フェイト! これって」
「いいから来て下さい」
急いで階段を駆け下りていた沙耶香は途中でフェイトと鉢合わせしあやうく転がり落ちそうになる。しっかりと彼女を支えたフェイトは急かすようにそのままUターンして階段を下りていく。
「駄目だよ。涼宮さん」
「誰ですか?」
「友達だよ。そうだよね?」
先ほどまで一緒にいたはずの彼女達も、今目の前に立つフェイトも、自分とは別の世界に住んでいるのではないかという違和感が胸を襲い沙耶香は喉を詰まらせる。
「どいて貰えませんか? 急いでいるんです」
「一緒に回ろうって言ったよ――」
階下からフェイトを見上げた彼女の額に穴が空いた。笑顔を張り付かせたまま崩れ落ちた彼女の向こう側から制服姿の若い男が姿を見せた。
「確か」
「名前、知ってた? 宮田です」
「誰ですか?」
フェイトが前への注意を払ったまま、尋ねる。彼は年不相応の落ち着きを見せたまま、沙耶香の方に視線を向けた。
「同じ学校の、生徒」
「味方、なんですか?」
彼女の説明を受けたフェイトの表情が殺意あるものへと変化していく。その視線を平然と受け止め、彼は学生服のボタンを外し、自身の正体を明かした。
「一応、警護役です」
見せたのはセイバーズに属す事を示す胸証だった。それを学生服の内側にしまい、彼は銃を構え外の方に注意を向ける。
「カノン、本当にいたんだ」
「脱出経路は?」
「白谷さんが――」
言いかけた刹那、裏口の前に見慣れた車が急停止する。運転席には、やはり彼の姿があった。
「行きましょう」
フェイトに手を引かれた沙耶課香の足が、床に貼り付けられたように動かない。どうしたの? という純粋な疑問を帯びて向けられるフェイトの視線も、銃を平然と持ち撃った彼の行動の全てが、理解できない。
「何で……そんなに簡単に撃てるの!?」
先ほど窓から見た景色は、やはり本物だったらしい。彼女の膝が震え、涙が滲む。
「何で、そんな――」
「ごめんなさい」
言いかけた刹那、フェイトの拳が彼女の腹部に撃ち込まれ、沙耶香はそれ以上何も言えず膝から崩れ落ちた。
「手伝おうか?」
差し出された手を敢えて無視してフェイトは沙耶香を抱えて立ち上がる。
「いえ、持てます。これ位なら」
「ここに来てからずっと感じてたけど、ここまで来るとカルトだね」
フェイニータルをカルト呼ばわりすると言うのは、この国では即刻の処罰を意味する。否定してはいけない、無視するのも駄目。ならば表向き装っておくのが一番賢いやり方だった。
「ああ、スパイ?」
「というか、涼宮さんの護衛だよ。この国どこに行ってもフェイニータルだらけなのは事実だしね」
肩を竦める彼の瞳には微かに恨みの意が込められていた。その視線にフェイトは少しだけ哀れみを向けた後、車に向かって走り出す。
「カノンは?」
乗り込んだ瞬間アクセルが踏み込まれ、車は急激な後進を見せ置かれているコーンやブロックを弾き飛ばす。そのまま学校前の広場から校門を潜り抜け、彼らは一応の脱出に成功していた。
「まだ交戦中だ」
「政府は?」
宮田が助手席から現状を問いただすも、白谷の歯切れはどこか鈍い。
「公式見解を出すにはまだ早い。カノンには殲滅次第本部に来るよう連絡を入れたが」
「ハムレスもどう動くか……」
「そもそもフェイニータルのやり方が」
宮田が思案に耽る中、フェイトが今一番の問題を提示する。彼女の言葉に白谷は同意を示した後、自身もこの予想外の事件に首を傾げる。
「おかしいな。何でこんな強硬にカノンに敵愾心を見せるのか」
「しかも勝てないのは分かってるはずです!」
感情を高ぶらせる宮田に、白谷は落ち着く事を自分に言い聞かせる様に返す。
「ああ、そんな事火を見るより明らかだ」
まるで自殺か、特攻か。命令があれば喜んで命を捨てるような人物には決して見えなかった彼らの、突然の暴走。
「折角政府には認められ始められてきたのに」
口惜しそうに呟く宮田の言葉にフェイトと白谷は凍りついた。
「締め出す気か?」
「やっぱり、駄目か」
白谷が苦々しげに言葉を発し、フェイトは席に背中を預けて天を見上げた。
「はい?」
一人周囲の状況が飲み込めず彼らを見つめる宮田に、白谷が彼の言葉の意味を突き付けた。
「フェイニータルはセイバーズその物の存在意義を無くしたいのさ」
「政府からどういう事かってさっきから」
「そうか。私が出よう」
駐車場に停止した車を麻衣が出迎えた。外から見ても一目で分かるように、セイバーズ内部は荒れていた。
「大半の人間が呼び出されて」
「内密に処分かな」
中の惨状を見渡して白谷が落ちていたプリントを拾い上げる。残ったのは数少ない人員だけ。以前の惨状が記憶の底から思い返され、絶望に近い感情を味わわずにはいられない。
「よお」
「谷崎」
席にもたれたまま相変わらずパソコンの画面を眺め続けている同僚の姿を見つけ、白谷は安堵したように近づいてく。
「ロイヤルナイツに動きは無い。カインは知らないだろうな」
最初にカインの所在を彼に知らせてきたのは彼だった。
「ああ、政府への対応は済ませておいたぞ。感謝しろ」
流石に両者とも疲労の色が色濃く出ていた。念の為近場に待機しておいたのが功を奏したが、ここまで露骨にされては手の内用が無かった。
「どうなった?」
「解体、解散、逮捕、拷問、切捨て。こんだけ単語並べれば分かるか?」
「俺達は、最後の単語か?」
互いに投げやりな口調になっているのが分かり、苦笑を交わす。以前からの戦友は彼の疑問に首を振った。
「いや」
他に選択肢の思いつかない彼に、谷崎は皮肉めいた口調で結果を述べた。
「引き抜き」
「まだ?」
セイバーズ内の医務室のベッドに横たえられた沙耶香の傍らに座るフェイトに、雑務を片付けてきた宮田が室内に入ってきた。陽もそろそろ沈もうかという頃になり、辺りは静けさと寂しさが折り重なったような何とも言えない空気を生み出し始めていた。
「神谷さんが今現場に行ってる。カノンもそろそろこっちに来ると思うよ」
「何で」
彼の言葉を聞いていないかの様に発せられた言葉に彼は思わず身構える。データでしか知らない人物が実際に目の前に実在している事に、彼は恐怖に近い感情を覚えた。
「何?」
「何であんな」
視線は横たわる彼女に向けられたままだ。構内での惨状を思い返して彼は俯いたまま何も言葉を発する事も出来ずにただ立ちすくんでいた。
「何で素直について来てくれなかったんだろう?」
「え?」
「何であんな」
同じ事をぶつぶつと繰り返す彼女に、流石に気味が悪くなった彼が彼女の肩に手をかける。不意に手を置かれた彼女ははっと顔を上げ、辺りを見回した。
「あ、どうでしたか?」
「え、えっと」
ようやく存在を認知して貰えた事に安堵しながらも、フェイトの視線に本物の恐怖を彼は知った。
「カノンは?」
「い、今来ます」
瞳に光が無い、表情が無い、肌の色がやけに真っ白に見えて、思わず彼は後ずさった。
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっと」
何でも無い風を装い、彼は椅子を彼女の隣に置いて腰を下ろした。
「ありがとうございました。お陰で助かりましたよ」
「何て事無いよ。自分の役目を果たしただけだから」
「でも、お陰で生きていますから。私達」
フェイトの例に軽く微笑みを返した後、彼は沈痛な面持ちで俯いた。
「涼宮さんが突然来るって言われた時点で、何となく予想はしてたんだけれど」
「今日を?」
肯定の頷きを返して、更に彼は言葉を重ねていく。
「カノンがやってる事に僕は文句言えないんだ。彼の行動は僕の望みでもあるし」
「ハムレス、嫌い?」
「父が、いたんです。セイバーズに」
「そっか。お母さんは?」
お母さん、という言葉の響きに彼女自身も痛みを感じながら彼女は尋ねた。
「いるよ。でもどこに住んでいるかはもう分からない」
「生き別れに?」
「反対されたんだ、この世界に入る事を。でも」
「貫くんだね」
「それしか、無いかなって」
少しの微笑を見せて彼は窓から空を見上げた。少しの沈黙が過ぎた後、フェイトがこれから先を憂いながらため息をついた。
「これから、どうするの?」
「フェイニータルの傘下に入る位なら、それこそ死んだほうがマシだけど、まだ分からない。形だけ解散してこの国の軍なり警察に入るというのも手だし」
実際、この程度で理念が崩れるような人間はここにはいない。どこに配属されようと臨む場所は同じはずだ。そう信じて、彼は言葉に力を込めた。
「カノンもいるしね」
「だから白谷さんや神谷さんや貴方は生かして貰える。相手にそれ相応の戦力が無いから」
政府が彼の力を過信した事もある、簡単に切り捨てられるとまでは言わないものの、実際叩きのめされた格好だ。今頃火消しに躍起になっているところが容易に想像できた。
「後はここからどうするかだよね」
「諦めるには、まだ早い」
終わりか、始まりか。全てはまだこれから次第だった。