第三章 第十三節 狂気へ
「はい?」
振り返ると作業服に身を包んだ二人の男が彼を睨み付けるようにして立っていた。彼が若干抵抗の意思を見せると力を込め、高圧的な口調で告げる。
「来て貰おうか」
「カノン」
腕を捕まれたまま黙って男を見つめ続けるカノンにフェイトが心配そうに声をかける。彼はそんな彼女を気にする素振りも見せず、静かに問い返した。
「フェイニータルですか?」
「教える必要は無い」
「勝てるとでも?」
あくまでも余裕なままの彼らを見るカノンの目が少しだけ細められる。いつしか異様な空気漂う中、彼らは懐に手をやった。
「ここで大量殺人でもする気か?」
「いつまでも庇って貰えると思ったら大間違いだ」
「庇う? 力の無い物が偉そうですね」
「言葉に気を付けろ」
取り出されたのは拳銃だった。場所が場所だけに人気は無く、彼らはゆっくりと標準をカノンの額に合わせた。
「銃が効くとでも?」
「調子に乗るなよ。言う事を聞け」
「ああ、分かりました」
その短い会話を終えた後、カノンは静かに息を吐いた。目を閉じ、再びその瞼が開かれた時にはす既に、人の目では無くなっていた。
「悪は殺さないと」
放たれた言葉は、死神からの宣告だった。
「馬鹿が!」
銃弾が放たれた瞬間、既に白き翼はその場には存在しない。銃弾が地面を跳躍すると同時に、彼らの背後に翼は舞い降りた。
「力も無いのに、わざわざ僕の所まで」
彼らは知らなかったのかもしれない。目前で繰り広げられる虐殺をフェイトは冷静な眼差しでただ見つめていた。力の差、理不尽さ、今まで力の傘の下で甘やかされていたのは自分達だった事に死の間際で気付けただけ、彼らはまだましだったのかもしれない。
「どうしましょうか?」
二つの命を狩り終えた後、彼はフェイトの横に舞い戻り、目の前の二つの物体から興味を無くした。
「血は浴びてない?」
「はい、大丈夫です。遅れちゃいますからね、文化祭」
「じゃあ、急ごうか?」
「あ、一応連絡しておきます。多分もうこっちに向かってるんでしょうけど」
カノンがどこかから小さな手のひらサイズの無線機を取り出して、どこかと連絡を取り始める。数秒ほどで連絡が終わったのか、彼はすぐにそれをポケットにしまい、走り出した。
「行きましょう」
「そうだね」
彼らは揃って再び歩き出した。それから現地に警察が到着し、その周囲を封鎖し始めたのは、それから間もなくの事だった。
「あーあ、間に合わないね」
「やっと動き出した」
バスがようやく動き出したのは、予定時刻を二十分も過ぎた頃だった。バスから降りて徒歩で行ったほうが早い事は一目瞭然だったが、何故かバスから生徒が降りる事は許可されなかった。
車内での雰囲気が険悪になり始めていた頃だった事もあって、担任もどこか胸を撫で下ろしているように見えた。
「何だったんだろうね?」
「事故じゃないかな、多分」
「もう、何でこんな日に」
当たり障りの無い返答をしながら、沙耶香は日程の遅れから来る現地の混乱を予期して心配になった。スケジュールどおり行われると思っている彼らは迷う事は無いだろうか? 年齢よりも遥かに大人びて見えるが、一般人と同じような生活を送ってきたようには見えないからだ。どこか常人とは違った行動を見せる彼らに沙耶香の心配は増していく。
他に頼る相手もいないからか、孤独が嫌なのか、何故こんな気持ちになるのか分からぬまま、流れる景色をただ見つめる事しかできず、彼女は窓の外の風景が流れていくのをただぼんやりと見つめていた。
「順番にゆっくりと降りるように」
滑り込むようにしてバスが公民館前に止まり、彼女達はようやく狭い空間から開放され安堵の息を漏らした。かれこれ予定から三十分が経過しており、生徒達は急かされるようにしてすぐに公民館内へと入っていった。
老朽化して所々汚れが目立つ二階建ての館内は入り口のエントランスとホール、そして事務室と倉庫から構成されている。今日はそのホールを一日貨し切っていた。
「続いては、吹奏楽部による演奏をお聞きいただきます」
結局、予定から四十分後に始まった文化祭第一日目は、淀みなく進行し、今日の最後の演目である演奏が始まった。馴染みの無いクラシックから、子供でも分かるポピュラーな曲まで多種多様な演奏が館内に響き渡る。
「へえ、こんな文化もあるんだ」
聞き鳴れない旋律とリズムにフェイトが感嘆の声を漏らす。隣で座っていたカノンはいつしか寝息を立てており、フェイトは途中で起こす事も諦めていた。アンコールも終了し、指揮者が下がった所で、司会者が今日の演目の終了を告げた。結局四十分延長して終わったのが午後四時四十分、席を立ち始める生徒達が外に出るのを待ってから、フェイトはカノンの頭を引っ叩いた。
「あれ? もう終わりですか?」
状況が分からず辺りを必死で見回す彼に取り合う事も無くフェイトは立ち上がり出口へと向かう。前の方に座る沙耶香もどうやら他の生徒達とそれなりに上手くやっているようで、フェイトはすがすがしい気持ちになりながら外へと出た。
「待ってくださいよ」
「守らなくちゃ駄目だよね、やっぱり」
「はい?」
「犠牲とか、言ってたら切り無いもん」
「フェイト?」
フェイトはある種の覚悟を決めた。平和の為には何かを犠牲にしなければならない。理解できなかった考えに、ようやく彼女も共感する事ができていた。いなくなっていた心優しき黒き翼は、フェイニータルにいた、あの彼女の下に。
「沙耶香さんがこれ以上苦しまなくてもいいように」
そして、とフェイトの表情が誰も見た事の何者へと徐々に変化して行く、誰にも悟られる事無く。
「取り戻さなきゃ、カイン。言いなりなんて、許さない」
「カイン?」
どこかで聞いた様な名前を漏れ聞いた彼が首を捻る。聞いた事がある様な、無いような、そんな何か小骨が喉に引っ掛かった感じになりながらも唸っている彼の横で、フェイトは最後にぼそりと呟いた。
「戻らないなら、壊さなきゃ」
「来てた? 分からなかったなあ」
「仕方が無いですよ。人一杯でしたし」
夕食時、昨日と同じように三人は食卓を囲んでいた。今日は茄子を入りのカレーだ。ニンジンが嫌いなカノンの為に固形物としては入れていない物の、すりおろして書くし味にしているのは内緒の話だ。
「結構人来てましたね」
終始寝ていたカノンが館内の様子を思い返す。筝曲部の演奏が行われるところまでの記憶はあるのだが、それ以降の記憶となるといささか頼りなかった。
「本当、こんな町のどこにあんなに人がいるんだろ?」
予想以上の人に面食らった沙耶香が心底不思議そうに呟く。周りの反応が彼女ほどでも無かった事を考えれば、あれ位いつもの光景なのだろう。
「近くはフェイニータルもありますし。案外ここ出身の方も多いのかも」
「そうですね、現にいましたし」
「フェイニータルが?」
フェイトとカノンの言葉に彼女は驚きを持って返した。彼女にとっては馴染みの無い名前だが、現にクラスには信者も多数存在しているし、教本やガイドブックが平然と図書室に置いてある。深くこの地域の住民に浸透しているのは間違いなさそうだった。
「ええ、軽く挨拶しておきました。親切な方が多くて」
「そうなんだ。私はまだ会ったこと無いなあ、そういう人達と」
「明日会えるかもしれませんね」
「フェイト何か知ってるの?」
「いえ、何となくそんな気がするだけです」
何故か確信を持って放たれたフェイトの言葉に彼女は訝しげな顔をして返す。そんな彼女にフェイトはさらっと告げ、皿を片付ける為に席を立った。
「カノン何か知ってる?」
「いえ、僕も何が何だか」
彼女と同じような表情で首を振る彼と共に、鼻歌交じりで皿を洗い出したフェイトを眺めながら、沙耶香は何とも言えない気持ちになった。聞いた事も無い旋律とメロディーに乗せられて流れる声が、ただ静かに室内に響いた。
「誰が始末したの?」
大半の人間が寝静まったであろう午前三時、カノンはフェイトの部屋にいた。何でも最近麻衣と白谷はセイバーズの業務に懸かりきりになっているそうで、家には戻って来れない状況が続いているそうだ。
「セイバーズでしょう。僕が全権を握ってますから」
「全権?」
予想以上の権力にフェイトは眉を潜めた。フェイトの推測は文字通り推測の域を出る物ではなかったが、何かがおかしい事は確かだった。
「はい、何であんな事してきたのか謎ですね。知らないのかなあ、僕の力」
「フェイニータル相手にした事ある?」
「いえ、ハムレスですら数えるほどです」
心外だと言わんばかりに彼が声のトーンを上げた。あらゆる危険を彼女から遠ざけたいフェイトにとって、フェイニータルもハムレスも悩みの種だった。
「僕より強い人っています?」
「多分、二人。カノンよりは劣るかもしれないけど、状況次第では」
「二人?」
「カノンと一緒、翼」
「ああ、そうなんですか」
始めは疑わしそうに彼女を見つめたカノンもその言葉に押し黙るった。シンの生存を確認したわけではないが、カインが生きている以上彼も生きていると見なすのが自然だった。
「大丈夫です。守りますから」
自信満々に胸を叩くカノンに、フェイトは笑顔で返した。胸の中にあるその感情がカノンに気付けるわけも無かった。
「うん、そうだね」
戦って戦って、そう最後には、死ねばいい。全て。