第三章 第八節 動き出す世界
「異常は?」
中庭でそろそろ謁見が始まろうかという頃合になってリースが入り込んできた。既に入り口で待機していたカインはマリアの部屋へと続く扉を眺めながら端的に答える。
「無い」
「だろうね、でも凄い。ここまで影響力がある人なんてそうそういない」
「俺も初めてだ」
鐘がなり、時間が来た事を知らせる。既にエントランスでは信者がごった返している事だろう。
「来たな」
扉が開きマリアが姿を見せる。先ほどのドレスと同じ型だが、汚れも何も見えないところを見ると、恐らくは着替えたのだろう。石碑の前にちょこんと腰掛けた彼女は、カインの方を見て少しだけ笑みを見せ、手を振った。
「気に入られてるねえ」
「どこがだ」
リースの茶化す声にも動じず、彼はずっと入り口の方に注意を向けていた。ざわめく声がどんどん近くなってくるのがこちらからでも分かった。
「始まりだ」
扉が開き、ぞろぞと信者が中庭へと入ってくる。その数、ざっと二百人。広大な敷地の為それでも窮屈と言う程ではないが、カインにとってその光景は異常に異様な空間に見えた。
「何か」
信者の姿を見て、リースはあからさまに視線を落とした。これ以上見ていられないといった風に首を振る姿に、カインは何かを納得したように呟く。
「お前、やっぱり人間じゃないか」
「どういう事?」
「違和感を感じたんだろ?」
「うん、まあ。いい子だし、それは分かるんだけどね」
「それ以上の影響力を一般人は受ける。それがこの結果だし、これが無ければフェイニータルは彼女を迎え入れる事は無かっただろうな」
「これが彼女の能力?」
「いや、恐らく何らかの能力の副次的な効果だろう。何か力を使っているような気配は無い。隠していると言われれば否定は出来ないが」
彼女の他に何も映らないかのように信者達の視線は彼女の方へと向けられる。それを全く動揺する事も無く平然と受け止める彼女の姿は異様にさえ映った。
「カインも影響ある?」
「少し。あれほどではないが、レイブンの狙い通りではあるだろう」
「それでいいの?」
実情を聞いてリースはカインに本心を尋ねる。が、彼は何でも無いように淡々と答えるだけだった。
「構わない。カノンをどうにかする事以外興味も無い」
他にも隊員が入ってきた為、そこでカインは口を噤んだ。今から始まる謁見に対し、彼は十分の知識を得ているわけでもなかったが、することは有名人の握手会と大差は無い。そこに少しばかりの祈りを加えればそれで終わりだ。
「これで終わり?」
後半に差し掛かった頃、リースが口を開く。
「後は屋上から顔出して終わりだ」
「ふうん、以外にあっさり」
確かに外はそろそろ本格的に夜が訪れる頃あいだ。もう残された時間は多くない。
「それはお前がマリアにくっついていたからだ。イベントは多数ある」
「例えば?」
「……」
「知らないの?」
「興味ない」
「だろうね」
その後、何事も無く謁見は終了し、マリアは他の隊員と共に自分の部屋へと戻って行った。
「俺達はどうやら終わりらしい。帰っていいぞ」
自身の仕事の終了を悟った彼は彼女に許可を出す。いい加減自分も本格的な治療をする必要があった。
「そうしたいんだけどねえ」
「どうした?」
それに反して彼女は浮かない顔をしてカインの方を向いた。何らかの異常事態を感じ取った彼が深刻な顔をして尋ねるが、返って来た答えによって彼の心配は別の類の物へと変化する事になった。
「ここに配属になったみたい」
「不機嫌なのは仕方が無いけど」
カインの後ろをついていきながらリースが不満げに口を開いた。さきほどから黙り込んでいる彼は、あろうことか彼女の案内係に指名されていた。境遇的にも近いと言えば近い為、周りから見れば不自然でもない光景だが、いる場所が問題だった。
「ロイヤルナイツに子供が二人も同時に加入」
「まあ、不自然だよねえ」
彼女の部屋に案内した彼は、ようやく口を開いた。その口調には苦々しげな思いがありありと見て取れた。
「別に私が来たからって」
「何となく狙いが読めてきた」
ベッドに腰掛けて部屋を見渡すリースがカインの言葉に首を傾ける。
「狙いが? ハムレスの?」
「ああ」
彼は窓にもたれかかり外の気配を探る。
「世界を自分の手中に入れる為に一番手っ取り早い方法は?」
「圧倒的戦力で攻め込んじゃえば」
当たり前の様に答えるリースにカインは一応の合格点を与えた。最もポピュラーで簡単と思われるこの手法を用いて、ハムレスは圧倒的な勢力を築いてきた。
「実際そういった手法を用いて上手くいってる。だが未だにこの世界にハムレスに抵抗する勢力は多いし、実際各国の政府は手を焼いてる」
「他に何か上手い方法があるの?」
「マリアだよ」
その名前を聞いて、リースはやっと納得がいったという顔をして頷いた。
「ああ、従わせるわけね。でもあの子言う事聞くかな?」
「彼女に命令する必要性はどこにも無い。ただ民衆の前に彼女を置いて、ある程度の時間が経った時にこう言えばいい。『従わなければ殺す』」
「でも、それじゃハムレスも彼女は殺せない」
「何の為の、お前だ?」
リースの言葉にカインは彼女を強く見据えた。
「私に、その役目を?」
「別にお前である必要性は無い。他にも仲間はいるんだろう?」
「やっぱり敵かな? カイン」
諦めたようにため息をついてリースはベッドに倒れこんだ。
「だろうな」
カインも思わず天を仰いだ。彼女の能力を彼らが知った時からこうなる事は決まっていたのだろう。外でマリアを賛美する声が、彼らの耳にはただ空しく響いた。
「お帰りなさい」
「ただいま」
チャイムが鳴り、フェイトがカノン達を迎え入れる。当たり前の様に共同生活を送っていた彼らも、ようやくそれぞれが自分なりのペースを手にしていた。
「フェイト、少しいいか?」
「はい?」
帰ってくるなり白谷に自分の家へと来るように言われた彼女は面食らいながらもその後を急いで追っていく。
「何なんでしょうね?」
「さあ?」
眺めるカノンと沙耶香は理由も分からずお互い顔を見合わせる中、麻衣は少しだけ顔を曇らせながらも、明るく声を出して気持ちを切り替えた。
「さて、今日は私が作ろうかな。沙耶香ちゃん、受験でしょ?」
「でも、もう買っちゃいましたから」
本来フェイトが作る予定だった食材が玄関に置かれていた。丁度買い物から帰って来たばかりだった事もあって、まだ夕飯の支度は手付かずのままだった。
「今日は何ですか? 僕疲れちゃいまして」
カノンが袋の中を覗きこんだ。当初に比べて大分今の状況にも落ち着いて来た感のある彼は、ついでと言わんばかりに袋を台所にまで運んでいった。
「有能なんですか? 彼」
その背中を見送りながら沙耶香が麻衣に尋ねた。今までの仕事ぶりを聞いた事は無かったが、彼らの様子を察するに順調なのだろう。現に最近は出かける頻度も多くなってきている。
「まあ、それは……ね」
「早く終わればいいのに、全部」
「この国自体は、もうそんなに時間はかからないはず。後はこの国とセイバーズがどうするか」
黙りこむ沙耶香の背中を押して麻衣はダイニングへと足を運んだ。楽しそうに食材を冷蔵庫に入れていくカノンの姿を見ない様にして、沙耶香は二階へと上がっていった。
「ロイヤルナイツ……」
久しぶりに見たカインの顔をモニター越しに見てフェイトは暫し思案に耽る。正直、まさかこんな形で彼の生存を知る事になるとは彼女は全く予想していなかった。
「どう思う?」
「それは、まあ」
「だよな」
意見の一致を感じ取って白谷は苦笑する。
「不味いな」
現状を憂う彼の声に、フェイトは自分が感じた危惧そのままを言葉にしていく。
「フェイニータルとハムレスの繋がりは?」
「あるだろう。証拠なんて掴んだ時点で終わりだろうが」
状況ははっきり言って最悪だった。味方だと思い込んでいた者がいたのは、まさに敵の総本山とでも言える場所だった。
「確かここ、もうすぐ祭典があるんですよね?」
「ああ、一週間後だな」
「何か動いてくるかもしれませんね」
その間に何回もの会議が行われる事だろう。そして、世界は間違いなく動き出す。カインという矛を手に入れて、彼らが使わないわけが無い。
「それまで様子見だな。特使の報告も政府には上がるだろうし」
「それって」
「マリアに直接会わないように言ってある」
フェイトの危惧に、白谷は分かっているという風に頷いてみせる。
「彼女は何者なんですか?」
「知らん。愛されてるんだろう? 何の神様かは知らないが」
皮肉るように言った白谷の視線の先に、柔らかな笑顔を浮かべる女の子の姿が映し出される。
「この子が……」
「いつか、撃たなければいけない日が来るかもな」
それは彼らから、ハムレスへの宣戦布告だった。