第三章 第二節 予兆
夢から覚める時、人はどの様な感覚を覚えるものだろうか。ふわっとした何かに包まれたかと思うと、急激に下へと落ちていくような恐怖を味わい、終いには猛獣に取り囲まれ威嚇の声を聞き続けたりという奇妙な夢の果てに、シンは起床した。
「ふう」
いつもの様に施設内の一室で目を覚ましたシンはそのまま洗面所で顔を洗い、そのまま出かけるための支度にとりかかる。あれから二ヶ月、シンはあのメモに記してあった地に赴きカノンを発見していた。彼が最初にあの地で見た彼の姿は一目でこちらに戦慄を与えるものだった。
「何の力もない相手を」
思い返すたび手が震え、足は竦むが、それでも彼に怒りを与えるには十分な光景が広がっていた。躊躇いもなく掃討して行くカノンと、なす術も無く殺されていく人々。投降し用がしまいが、自分の問いに答えない者は容赦なく切り捨てるその姿に彼は確信した。
強すぎる力は戦いしか生まない。それをありありと感じ取った彼は、カノンを始末する事を心に決めた。とはいえ、相手は既にあの国では英雄視され始めてすらいるのだ。下手に戦えば一国全てを敵に回す事になる。
「シン、いる?」
扉を開く音がして綾香が入り込んできた。仮眠室に陣取って生活しているシンにとって、現在唯一気兼ねなく話せる存在が彼女だった。
「学校はどうしたんだよ?」
「今日は休みだよ」
曜日の意識も無く暮らしてきたシンは、今日が休日だと言う事を知って、とある事に気付いた。
「来週か」
「何が?」
「ほら、フェイニータルの」
「ああ、お祭り?」
「マリアとやらのお披露目パーティー」
シンは直接会った事は無かったが、流石にその存在は承知していた。カインの件もあるため独自に調査を続けてはいたが、フェイニータルは重要な行事の時期を向かえていた。
「もう、マリア様が聖地で祈るんでしょ?」
本部から車で約一時間ほど南にある、海に面した町ベロイムド。レイブンが初めてマリアを見たこの地がフェイニータルでは約束の地『聖地』として崇められている。その為、この時期にレイアード大陸の東端にあるこの国に行くには、幾重ものセキュリティチェックを受ける必要があった。多くの信者が集うこの祭典には多数の要人が集まる事も有名だったが、他にも色々と集まる物は多い。
「行った事はある」
「本当!? 何で?」
「何か、特使みたいな感じで」
シンはその時の事を思い出して拗ねたように答える。ハムレスの特使として赴いた彼だったが、レイブンの印象が気に食わなかったのだ。この時の体験が今に響いているのかもしれないと思うと、シンの心の奥底の不信感はより根強い物となっていく。
「どうだった?」
「活気はあった。けど何か怖い感じ。大勢の人達がマリア様って叫んで」
シンから見れば、彼らは自身の信ずる道が正しいと疑わないテロ集団と同じに見えた。そんな事もありマリアを見る事も無くその祭典を後にした彼だったのだが、その後酷く大人達からはお小言を頂戴したものだ。
「ルークが来るかもしれない」
「ルーク?」
シンは最後に見た時の彼を思い出して、少し心に痛みを感じた。ルナ亡き今、共に幼いころを過ごしたのは彼だけだ。このまま敵同士で終わってしまうのは嫌だった。
「仲間っていうか、友達っていうか……」
「特使として?」
綾香が先ほどのシンの言葉を思い出して尋ねる。
「他にいないし。でもカインはいるからやっぱり」
もしかしたらカインはその延長線上にある立場なのかもしれない。一応の繋がりを保ちながらも若干の距離を取ってきた両者の間に何かあったのは間違いなかった。
「行って見たら?」
「そのつもりではいるけど」
綾香の提案は先ほどからシンも考えていた。だが、カインに気付かれたらそれだけでもうアウトだ。妙なロボット集団が来ないとも限らないし、何よりカノンの事もある。ハムレスの主要な人間が来る事はまず無いが、手当たり次第に彼が襲い掛からないとも限らない。
「でも、会いたいんだよね? 大切な人に」
綾香が悩む彼の手をそっと握った。その手の暖かさを感じながら、彼は以前交わしたささやかな約束も果たせない自分を責めた。自分がもたもたしている間に、どんどん彼女は大人になっていく。
「え……ああ」
「じゃあ、会わなきゃ駄目だよ」
「そうする」
シンは背中を押してくれた少女に、感謝の思いを込めて微笑んだ。
「アルス?」
「そ、今度ロイヤルナイツに献上するんだって」
名前を聞いてジャスティはとある少年の顔を思い浮かべる。真面目という字を人にしたらこうなるだろう、というイメージを地で行く彼の事が、正直彼は苦手だった。
「献上って」
「しょうがない。あっちの資金力は結構魅力だし、って事だから」
シルヴァは手元の資料を軽く彼に放り投げた。ブリーフィングルームで次の作戦命令を受ける為集った彼らの話題は、来週に迫ったフェイニータルの祭典だった。出席するのはアルスとリース。他の者達は緊急事態に備えてバックアップに当たる予定だった。
「シンとカノン、来るかな?」
「来るなら倒す。来なければそれまでだ」
「リベンジだ」
キュラスが淡々と言葉を紡ぎ、シルヴァスは拳で強く掌を殴る。前回痛い目を見ているシルヴァスにとってシンは早くも好敵となっていた。
「リース、作法は大丈夫か?」
「え? ああ、うん大丈夫」
先ほどからマナーの概説書を熟読しながらリースが返事を返す。言葉の気さくさとは裏原に、ページを見つめる視線は真剣そのものだった。
「真面目だけど、不器用だからなあリースは」
ジャスティがそんな風に彼女を評すのにシルヴァが同意する。
「何でリースは立候補したのかなあ」
「さあな、あの戦闘以外には興味の無い武道家が」
戦闘任務では彼らの中でも華々しい活躍を見せる彼女はティスと共にエースだった。ライトとの共同任務でもひけを決して取らなかった彼女は、何故か今回の祭典の参加に最も意欲的だった。
「好きにすればいい。元々今回は誰が行っても同じだ」
既にカインを配下に納めるフェイニータルに対し、真正面から戦いを挑もうという気はこちらにはさらさら無かった。全くの予想外で翼を三人も一挙に失ったハムレスにとって、今回の式典は現在の自分達の影響力を知るいい機械だった。
キュラスがそう言って、モニターに表示したのは祭典当日の予定だった。マリアを狙って襲ってくると思われる組織のリストアップも既に完了し、後はそれらを警戒しつつ彼らは巡回。リースとアルスは祭典に出席しつつカインの動向を調べる事。これが今回の彼らの任務だった。
「独自にフェイニータルが、能力者の研究を進めていると言う情報もある」
「あ」
キュラスの言葉にジャスティが思い出したように指を立てた。
「フェイトとライトが来るんだってな」
「また?」
「改良型。性能は俺達とどっこいどっこいかな」
シルヴァの反応を面白がるように彼はにやりと笑う。続々とこの世界に送り込まれてくる、彼らの真の狙いは何か。