第三章 第一節 季節は移り変わって
「ただいま」
「お帰りなさい。どうでしたか?」
夏から秋へと差し掛かり始めた九月。沙耶香は新しい制服に身を包み、学校に通い始めていた。ここに来た当初はまだ精神面に不安が見えた事もあって、白谷達も特に何も言いはしなかったが、彼女が自分から言い出したのだ。
「まあまあかな」
真新しいセーラー服に身を包んだ彼女は一旦そう言って二階へと上がって行った。カノンや白谷、麻衣は外出している事が多く、結局フェイトは家事の一切を引き受ける事になっていた。
フェイトも一緒に登校しないかと彼女に誘われもしたのだが、フェイトはその誘いを断っていた。
「私はいいです。元々この世界の人間でもありませんから」
もちろん、通うにはいくつか越えなければならないハードルはあったが、そんなものは白谷達に協力を要請すればどうにかなる話ではあるだろう。それでも断ったのは、単純に彼女の心の問題であった。人間でもなく、機械とも言えない彼女の体。そんな中途半端な形で生まれてきてしまった事に対する恨みはとうに捨てたが、時々どうしようもなく鬱になるのもまた事実だった。
「あーあ、何だかなあ」
鼻歌交じりで降りてきた沙耶香の姿を見ながら、彼女は気分を切り替えるように窓を思いっきり開けた。
「夕飯はどうする? 私作ろうか?」
冷蔵庫に何も入っていないのを確認してから、彼女はコップに水を入れてぐいと飲み干す。ここ最近自分は学校だった為、フェイトに家事を任せきりにしている少しの後ろめたさもあった。
「宿題してください。受験生なんですよね?」
「あ、あはははは」
「そんな風に笑っても駄目です」
誤魔化すように笑う彼女にフェイトは釘を刺すように指を立てた。
「私は大丈夫ですよ」
「本当なら、あなたも私と一緒に通えるのに」
彼女の外見年齢は沙耶香とそう変わらないし、実際何の調整も受けていない今とあっては、実際年齢も同じだったりする。
「でも、私は今の生活も好きですし」
「本当に?」
「しつこいですよ。ああそうだ、何なら今から一緒に買い物行きません?」
何度となく繰り返された会話は、フェイトのとっさの思いつきでまたもやうやむやのまま終わった。何となく腑に落ちない顔をしながらも、彼女は適当に敬礼のポーズを取った。
「りょーかい」
「カノン、もういい」
「はい」
白谷が戦況を見てカインに作戦の終了を命じた。いつもの様に真っ直ぐな声が聞こえてきたかと思うと、空高くに白き翼が舞うのが見えた。
「どうだ?」
「まあ、順調ではありますね」
麻衣がまた一つ任務の終了を依頼主に対し、今日の活動の終了を報告した。自分達の組織の再建に必要な物は数多い。とりあえず今は政府の要請に対して、国内で起こる小競り合いの鎮圧が主な活動だった。
「二ヶ月か」
「まだまだですね」
「驚いているだろう?」
「はい。まさかこんなにも反発が」
「ま、分かってくれるだけお前はましだよ」
慰めるように彼の手が麻衣の頬に触れた瞬間、カノンが彼らの傍に現れた。
「戻りました。一応、できるだけの事はしてきました」
ここで言うカノンの出来るだけの事とは、何も鎮圧に手こずったとかそう言う意味合いではなく、単純に無駄な被害をできるだけ出さなかった、という意味である。
「死者は?」
「相手の数ははっきり数えたわけじゃないんですけど、多分二百人位かと」
白谷の問いにあっさりと返事をするカノンを見て麻衣は顔を曇らせた。推定されているテロ集団の人員は二百数十人。つまりほとんどが彼によって殺されていると言う事だ。
「政府への反逆計画もすぐに自白しましたし、これでもう大丈夫ですね」
おそらくカノンはいきなり自分の力を彼らに見せつけたのだろう。圧倒的な力を前にして、最初は勇敢に戦う者も、最後はその力の前に屈服せざるを得なくなる。政府が大いに頼りにし、またそれに応えて戦果を挙げるカノンは、まさにこの国の希望となれる存在だった。
「また、頼む」
「はい」
素直に返事をする彼に、麻衣は白谷と顔を見合わせる。ハムレスへの反抗を企てる者は未だ多く、その矛先は彼らに従う各国の政府にまで向けられているのが現状だった。
ハムレスは基本そんな細かい事は相手にしていなかったし、わざわざ他国にそんな援助をしよう等と考える奇特な機関も存在しない。自衛が全ての現状では、カノン頼りになるのも致し方ない事ではあったが、日増しに自らの力に対し自身を深めていく彼に、どうしても彼らは不安感を拭いきれずにいた。
「今日は、家に帰れそうですね」
「ああ、三日振りだな」
車の中でカノンが息を弾ませる。彼が目覚めてから早二ヶ月、各地で目覚しい活躍を見せる彼に対して、静かにその動向を見つめる一つの視線がある事に気付くのは、もう少し後の話になる。
「今日もいい天気ですね」
「ええ……」
カインは例の如く、中庭でマリアと共に日の光を浴びていた。以前は完全なローテーションによって回されていたはずの彼女の警護は、今となっては彼専用の任務となっていた。重要かつ危険な任務が入ったとき以外、カインの居場所は彼女と共にある。
「今日は、何をお話しましょう?」
彼女が自分に向けている感情について、ようやく彼は一定の推測を建てられるまでには彼女の事を理解するようになっていた。
「来週は祭典がありますね」
「ああ、そうですね! カインも出席なさる予定ですか?」
「と、言われています」
花のように笑う彼女の顔を見ながら、カインは自分の中にも同じような感情が生まれ初めている事に気付く。
同族意識、彼らの感情はこの一言で全ての説明がつく。一方はその力により蔑まれ、他方はその力により敬われる。どっちにしろ普通とは違う何かのレッテルを貼られ、こんな所に幼いころから閉じ込められている彼女にとって、もしかしたらカインは初めて気軽に話せる『友達』、なのかもしれない。
「楽しみです。昨年もたくさんの方が来て下さって」
フェイニータル独自の教義に基づく行事は数あれど、来週予定されている祭典は別格だった。世界各国の要人が集うこの祭典は、純粋に世界の平和を祈る事と共に、フェイニータルと主要参加国との重要な会議の場でもあった。マリアが人前に姿を見せる行事の一つでもあるため、訪れる人の数は、数ある世界の行事の中でもトップを誇る。
それだけにロイヤルナイツも気合が入るはずの警備任務だったのだが、そこでもレイブンは一言彼らに告げたのだ。
「マリアの護衛はカインに任せる」
そう言われては立つ瀬のない隊員の一部が直訴したと言う話もあったが、結局カインはこの少女に、その日は付きっきりで警護する事が決定した。未だに複雑な感情を向ける隊員も存在する中、唯一アーバンはこう言ったものだ。
「何、いずれお前のポジションに俺が座ってやるよ」
これが終わったら、たまにはこちらから会いに行ってもいいかもしれない。珍しくそんな事を考えながら、彼の意識は途切れた。
「ん」
「気付かれましたか?」
「え」
今まで出した事もないような間抜けな声を出して彼は飛び起きた。
「お疲れなんですね」
どうやらこの陽気に負けて眠ってしまったらしい。マリアに何の危険もない事をいい事に木々に寄りかかっていたのが間違いだったらしい。
「いや、ですが」
「はい?」
「ひ、膝?」
「ご迷惑でしたか?」
眠っていた場所が大問題だった。彼女の膝の上で眠る、知られただけで数千回は楽に死ねそうな事実にカインはため息をついた。
「今後気をつけます」
「いえ、楽になさって下さい。これからも」
彼女の力の危険性は分かっているつもりだった。それでも、彼は今は彼女に忠誠を誓う事を決めていた。今後もし敵対する事があっても、自分の意思で行動する事を硬く心に誓った。
「時間ですね」
午後の勤務の終了を知らせるチャイムが館内に響き、彼女専用の扉が開錠される。このまま彼女は夕飯を取り、一通りの儀式と祈りを捧げた後、眠りにつく。彼女の背中を見送った彼は、眠る前に考えていた気紛れを行動に移すべく、隊員専用の出口を颯爽と駆け抜けた。