第二章 第十二節 復讐への誘惑
「どこだ?」
白谷は久しぶりに背筋が凍る感覚を味わいながら詳細を尋ねた。下手をすればここが狙われかねない。
「レイアーデラ大陸だな」
「ふむ」
「ハムレスが動いたと言っても、例の翼達の情報は無いし、何が目的かは分からんが」
情報は現地の小さなニュースからだった、午後、とある小国の海岸で大きな爆発音が響いた事が現地住民から通報されていたのだ。辺りに人もいない為、幸いにして怪我人はいなかったが、それは小さな社会記事として地元の新聞に小さく掲載されていた。
「爆発記事だけか?」
「ああ、まあ主な武装組織は揃って否定してる。無反応なのはハムレスだけ。まあ、こんな所で嘘ついてフェイニータルやハムレスに喧嘩売るような馬鹿はいない。それに加えてこの時ロイヤルナイツが本格的に動いた形跡は無し、カインやシンは爆発系の能力ではないから、消去法でな」
「その後は?」
「続報は無いな。爆発物の痕跡も今は無い、あれだけの音がしたにも関わらず痕跡が残ってないのは気にかかるが。まあ、空飛んでたところを撃ち落されたのなら分かるが」
「まず当たらん」
「だよなあ」
そもそも当たるのなら今の世界はこんな事にはなっていない。いつもの事ながら目的がさっぱり理解できなかった。住んでいる世界が文字通り違うのだから仕方が無い面もあるが、それにしても厄介には違いなかった。
「カノンの件は?」
「気付かれてるよ、もちろん」
「だよな」
大体、連絡が付かない時点で気付かれるのは当然の事だ。カノンがこちらの手にあるとアピールできたのは結構な事だが、それにしても何の関わりも無い場所でこんな事が起こるというのもまた奇妙な話だった。
「カノンは?」
「麻衣と先に帰らせた」
「まあ、大丈夫じゃないか? 誰も手は出せないだろう」
「誰も、ね」
だが今の状況では均衡にしかならない。相手をいかにこの世界から追い出すかは、色々と作戦が必要となってくる。
「カインに付きっきりだったからな」
「そんな事を言えば他の奴だって変わらん。俺もアルスに付きっきりだったしな」
「ああ、どうせ今は他の世界だろう?」
名前だけはいくらでも彼も耳にしてはいた。この世界だけで十は下らないと言われている能力者の人数。既に何人も送り込まれているとも言われている中、未だセイバーズは有効な対策を打ち出せてはいない。
「さあな、そこまでは俺にまで伝わらん」
そこで彼は立ち上がった。話は終わりと言う事だろう、白谷も今日はもう家に帰ってゆっくりしたかった。
「分かった。何かあり次第連絡する」
言われた彼は適当に手をあげ、そこで彼らは別れた。
「よお」
屋上でヘリから降り立った彼を向かえる一つの影があった。最年少で入ったとは言ってもまだまだ新米の彼は室内勤務が主だ。退屈そうに欠伸をしながらこちらに近づいてくる。
「アーバン」
日も落ちかけた中、夕日が彼らを照らす。そのまま本部内への階段を降りながらアーバンは口を開いた。
「朝からいなかったからどうだかと思ってたんだが」
「別に何もしてない」
階段を降りる足が止まった。手すりに背中をもたれさせたまま、カインはアーバンに視線だけを向けた。
「レイブン様に呼ばれたんだろう? 隊長が呼んでるぜ」
「隊長が?」
どうやら用件はそれだった様だ。カインは頭の中に熱い演説を繰り広げていた禿頭を思い浮かべた。確か彼もマリア様の熱烈な信奉者だったはずだが、自分に何の用があるのか全く想像がつかなかった。
「お前、やっぱり変だな」
「正体を知ってもまだそんな事を言うのか?」
「何か、な」
彼は曲がりなりにも自分の正体を知っているはずだ。それにも関わらず自分の事をへんだと言うのは、それ以外にも自分はどこかおかしいと思わせる部分があるという事だろうか。
「カインです」
「入れ」
例の如く鷹の紋様があしらわれた扉をノックすると、中から重厚な声が聞こえてきた。カインは若干の警戒と共に室内へ足を踏み入れる。レイブンの部屋ほどではないが、それでも一目で高価と分かる椅子にゆったりと腰掛けた男が、値踏みするかのようにカインをじっと見つめている。
「何でしょうか?」
「ああ、用と言うほどの用は無いが」
一先ず、相手に敬意を示すように若干腰を曲げ、膝を床についた。手は膝の上に軽く置き、彼の続きの言葉を待った。
「マリア様に呼ばれた、と言うのは本当か?」
「ええ、命令でしたので従いました」
「そうか」
気に入らないのならそれで構わないが、妬みなのか他に何か危惧を抱いているのか、まだ判別がつかなかった。
「その事だが……」
「何故貴方がそんな特別扱いなのか皆さん興味津々みたいで」
「アワナ」
扉が開く音がして振り向くと、眼鏡をかけた褐色の髪を後ろに束ねた女性が立っていた。年齢はカインが見るに三十代前半、やや垂れ眼のとろんとした眼がこちらを包むように向けられていた。
「まあ、そういう事だ」
「レイブン様には?」
再びカインは姿勢を正す。レイブンの意向によって自分の立場はどの様にも変化する事は今日の一件で判明していた。まだ自分は彼にとって有益なのだろうが、それがいつどう変わるかは彼には分からないのだ、あまり自分の意思で動ける状況ではない。
「一応窺ってはみたのだが、どうにも答えがな」
ロイヤルナイツ成立の建前はマリアの護衛だ。彼女の存在により成り立つこの組織がフェイニータルに対して持つ影響力は微々たる物だ。軍人上がりのこの男でさえ、レイブンについては多くを知らないだろう。
「私はレイブン様とマリア様に忠誠を誓ったもの。この答えでは、不服ですか?」
「いや、無いが。気を付ける事だ」
「分かりました」
そのまま彼は立ち上がり、一度敬礼してから彼女の横を通り過ぎ部屋から出た。
「彼は何者なんですか?」
扉が閉まる音と同時に、彼女は目の前の上司に尋ねる。直接マリア様に会える機会は隊内の人間でもそうある物ではない。
「引き続き、監視に当たってくれ。マリア様に何かあってからでは遅い」
「了解しました」
一人になった所で、深く椅子に腰掛け彼は汗を拭った。相手は自分の年齢の半分にも達していない子供、それにも関わらず、彼がカインから受けたプレッシャーは並の物ではなかった。まるで師団を小隊迎え撃つような、そんな圧倒的な戦力差をアワナは感じていないらしい。
「化け物か」
彼の頭の中にあるのはただマリアへの忠誠だけだった。妄信的とも献身的とも取れる彼の行動の基は常に彼女が念頭にある。レイブンにすら命令次第では牙を向きかねない武装組織を束ねる彼の脳内にまた一人、危険人物が加わった。
とあるハムレスの支部、その中の一室でリースはいた。
「大丈夫か? リース」
「どうって事無いって
言葉とは裏原に少しも心配しているとは思えない投げやりな口調で掛けられた言葉に、返すほうも何でもない様に答える。相手は向かいのソファに腰掛けながらヘッドフォンで音楽を聴いていた。さきほどからロック調の曲が彼女の耳にも届いていた。
突然、新しく取り付けられた四肢の動きを確認する彼女の首にシルヴァがぶら下がった。
「リースが簡単にやられるんだあ」
「相手はあの翼の内の一人だ。一対一で戦う方が悪い」
「キュラス意地悪」
その背後から部屋に入ってきた彼の言葉に男が反応した。
「そんな事言うなって。お前もやられちまったんだろ?」
「作戦通りだ。ジャスティ」
キュラスがジャスティの方を見て軽く抗議する。彼の言葉は事実だったが、ジャスティはそんな事を気にする事もなく、緑の髪を掻きあげる。
「強がり言いなさんなって。俺達だって三対一でも無理だったんだし、気にする事ないぜ」
「三対一?」
リースが口を挟んだ。この世界に来るまで彼女はとある命令により単独で動いていた。久方ぶりの仲間との再会だったが、どうやら自分の知らないうちに話は進んでいるらしい。
「俺とティスとバルダクで行ったんだが、見事に返り討ち」
「相手は?」
「ルシファ」
名前を聞いてリースも納得した。噂どおりの強さならその程度、脅威でもなかっただろう。
「ああ、死んだんだよね」
「強かったぜ。中々気持ちのいい奴だったし、惜しいな」
ジャスティが彼らしくも無く沈痛な面持ちになった。その表情を見る事もなくキュラスは一応状況をリースに簡単に説明する。
「セイバー様の命令だ。ルシファは彼女にとって不要な存在である事は、分かりきっていた事だ」
「嫌だね、人間って。欲望ばっかり」
シルヴァの言葉にリースも頷きながら、先ほどから気になっていた事をジャスティに尋ねた。
「それで、ティスとバルダクは?」
「え、ああ。ティスは、まあ別任務、バルダクは少し調整が必要だ。あいつに痛めつけられてな」
「そっか別任務なんだ」
「そ、そんな悲しい顔すんじゃねえよ。すぐに会える仲だろ?」
リースが暗い顔をするのを彼はやれやれと、今度は少しの温かみを込めて告げる。シルヴァはそんな彼女に嫉妬するように愚痴る。
「姉妹みたいだよねえ。幾ら同型とは言え」
「何であれ、任務は達成するだけだ」
「次はどうするんだよ?」
キュラスの言葉にジャスティが血気盛んに急かす。今回はバックアップだったが、彼のモチベーションはいつでも出撃できる状態にあった。
「暫く動く事はない、彼次第だ」
「はあ?」
キュラスの言葉に拍子抜けしている彼をざまあ見ろと言わんばかりに笑いながらシルヴァはキュラスに作戦の成果を問う。
「行くかなあ」
キュラスは絶対だと確信した表情で言い切った。
「それしかなければ、行くだろう」