第二章 第十一節 拳
カインは早くも指定された場所のすぐ傍まで近づいていた。辺りは山間地帯で人が住んでいる様な痕跡は見つけられない。
「どこだ?」
こんな山の中で人を一人見つけろと言うのも酷な話だった。せめて自分を相手が見つけてくれれば楽なのだが、特に何かが彼に襲い掛かってくるわけでもなく、時間は無為に過ぎていった。
飛んでいても体力を消耗するだけと判断した彼は着地し、辺りを見回す。特に辺りに施設も無く、自然だけが存在する殺風景な景色の中、彼は歩き出した。
「もしあいつがここに来たら」
シンの能力の詳細を彼は知らなかった。どんなに低く彼の能力を見積もっても、恐らくは楽な相手では無いだろう。もしかしたら今、彼は自分の様子をそっと窺っているのかもしれない。
突然爆発音が響き、木々が揺れた。
「始まったのか?」
カインはすぐにその方向へと進路を向けた。低空飛行でなるべく彼の視界に入らない様に気を配りながら、高速で向かう。と、彼の目の前にいきなり何かが飛んできたかと思うと、彼に命中して彼を遥か後方へと吹き飛ばした。
「何だ!?」
辛うじてツイントトライデントで受け止めた彼の前方に人影が現れた。
「受け止めたんだ」
「シンは?」
「人の心配してどうするの?」
あまりの衝撃に一瞬意識が飛んだカインは辛うじて立ち上がり、前を見た。藍色のストレートの髪がまず目に付いて、それから真っ直ぐこちらを見つめる意思の強そうな藍色の瞳と眼が合った。
「心配?」
彼はせせら笑うかのように、口を歪めた。
「殺しに来たのに?」
「ふうん」
意外にもさっぱりとした口調で彼女は右腕を若干前に突き出し、足も同様に右足を若干前に、左足を少し下げ、こちらに走り出そうとするかのように態勢を変えた。
「悪いね、命令なんだ」
「いや、お互い様だ」
彼女の腕の周りに輪が幾重にも重なるようにして出現し、ゆっくりと体を低く沈めていく。
「じゃあ」
猛烈な加速を見せ飛び出してきた彼女の拳を今度はかわした。上昇すると、そのままお返しと言わんばかりにトライデントを彼女の方向へ数本飛ばし、自身は彼女の後ろに回りこまんと旋回する。
「列弾」
先ほどと同じ物だ。彼女の拳から放たれたそれはトライデントを吹き飛ばした上でこちらの進路を阻むように向かってくる。下降しつつそれをかわし、トライデントを彼女の周囲に展開させる。八方向を取り囲まれた彼女は逃げ場が無いなら自分で作ればいいと言わんばかりに地面に己の拳を叩きつけた。
「激烈弾」
凄まじいい衝撃が地面から反射して上へと立ち上り、周囲に凄まじい衝撃波を発生させた。その影響でトライデントは四方八方へと飛散し、彼女は改めてカインの前に距離を持って立ちはだかった。
「強い?」
「自分が最強とでも思ってた?」
「いや、まさか」
カノンとの件でそれが違う事は分かっていたし、そもそもそんな称号に興味などは無い。ただ、これほどの力が依然としてこの世界に送り込まれている事実に、カインは疑問を持った。
「何故これほどの力を持っていながら、お前は従うんだ?」
「あなたがそれを言うの?」
「だから、聞いてみたい」
尚もどこかで爆発音は響いていた。恐らくシンと誰かが戦っているのだろう。負けるとは思っていないが、彼女をそこに参戦させるのは得策ではない。時間を稼ぐため、彼は自身の回りにトライデントを旋回させながら、ふわふわとその場に留まった。
「あるでしょ、誰にだって」
「何が?」
「守りたい物の一つや二つ」
「なるほど」
再び突進してくる彼女のスピードを完全に見切った彼は紙一重でしゃがみ、彼女の肩と右足目掛けて数発トライデントを見舞うが、金属に当たったかのような音がしてそれらは弾かれる。
「機械か」
飛んで行ったトライデントを見送りながら、彼はぽつりと呟いた。
「仲間ではあるかな」
そんな彼の反応を面白がるように見ながら、彼女は拳を繰り出す。
「サイボーグ?」
「まあ、そんな物かな!」
続けざまに繰り出される拳を時にトライデントで受け止め、時にかわしながら、彼は慎重にタイミングを計り唱えた。
「五槍」
「何? おまじない?」
「まあ、そんな物かな」
周囲で様子を窺うように停滞していたトライデントが彼女の周囲を再び取り囲む。それを見て取った彼女は再び地面に拳を叩きつけた。
「激烈―」
そこまで言って彼女は固まった。思うように動かない体を必死に動かそうとするも、地面に当たる直前で拳は止まっていた。辺りを見ると、トライデントは地面に突き刺さり、彼女の周りに八角形を形成していた。その中にいる者の動きを無条件に封じ込める
「何を、した?」
「おまじない」
トライデントが彼女の体に次々と突き刺さり、彼女の体は完全に封じ込められた。
「死にはしないんだろう?」
「まさか手加減してたの?」
先ほどよりも威力が上げられたトライデントにより勝負は付き、彼女はその場に崩れ落ちた。が、その場の光景にカインは唖然とした。
「何だそれは?」
「だから、お仲間だって」
切り取られ落ちていく腕から見えたのは、どう見ても人間の筋肉だった。血は出ていないものの、血管や骨、筋肉といった普通の人間の構造と何ら変わらない構造が彼には丸見えだった。機械とも、人間とも明らかに違う物体を前にカインは一つの推測を立てた。
「実験か?」
「さあ、どうする完全に破壊する?」
「捕縛して尋問だ。当たり前だろう?」
カインは彼女の四肢を破壊し、歩み寄る。肉弾戦タイプならこれでもう安全だった。
「連れて行っても私は何も答えないけど」
「構わない、うちには最強の催眠術師がいるから」
彼の脳裏にあの日のアーバンとの邂逅が蘇った。あんな事を思った自分に愕然としながらも、彼はようやく彼女の力に納得する事ができた。
彼が彼女に手を掛けた途端、彼女の目つきが変わった。突然戦闘的な眼が無くなり、特に何の感情も持っていないような表情に変化した。
「したいんだけどねえ」
「誰と話している?」
「やられちゃった」
カインの問いを無視して彼女の独り言は続く。その後二言三言交わした後、彼女は生気を取り戻したかのようにカインの方を向いた。
「残念、仲間が来るよ」
「通信か?」
「逃げたほうがいい、ここで派手にドンパチするのは嫌でしょ?」
確かに、表向きに彼が命令されたのはシンの始末だ。彼女との戦闘は彼にとっては予想外の出来事だったし、そもそもハムレスとフェイニータルが繋がっているなら彼女と戦う理由など端から無い。
「名と、所属を」
「リース、察しの通りハムレスだよ」
さばさばした口調だった。今の状況を完全に受け入れたかのようなさっぱりとした表情にカインは面食らった。もう少しじたばたしてくれた方が彼にとっては都合がいいのだが、そういうわけにもいかないらしい。
「何故俺に戦いを?」
「さあ、何となく。本当はシンだったんだけどね、言われてたのは」
「二対一なら勝てただろう?」
「さあ、でもあっちも終わったみたい。あーあ、負けちゃったなあ」
どこまでもあっさりとした口調に彼はそこで尋問を止めた。あからさまにこちらに敵意を持って近づいてくる気配が三つ。勝てるかどうか微妙な数だったが、もしこの戦闘が彼女の独断なら、戦わないほうが懸命だった。
「あ、そうそう」
「何だ?」
翼を開き今にも飛び立とうとしたカインの耳に彼女の声が響く。
「一応聞いて置けって言われたか―」
「何も教える気は無い」
彼女が言い終えるのを待つ事も無くカインは飛び立った。あんな所でぐずぐずしていられるほど彼にも時間があるわけでもなかった。
「聞こえますか?」
「ああ」
上空に出ると通信が入りカインは応答する。
「帰還命令が出ました」
「了解、ヘリは?」
現在位置を告げられカインはその場から離脱した。丁度それと時を同じくして、例の三つの気配は、彼女の元へと辿りついた。