第二章 第六章 新しい毎日
青空が広がる空の下、夏にも関わらず砂浜には彼女の姿しか無かった。遠い地平線の向こうに彼女の島はあるのか、無いのか。
「こんな所にいたんですか」
後ろからフェイトの声がかかった。何とも言えない微妙な表情をしているのはお互い様だろう。カノンが目を覚ましてから三日、記憶の全てが失われている彼もどういうわけか能力の制御は何とかなっているようで、今はレジスタンスの支部にて練習の毎日のはずだ。
その結果、今は実質フェイトと沙耶香の二人暮らしとなっている。居心地が悪いわけではないが、両者の間にはどうしようもない距離感が存在した。
「家に閉じこもっててもね」
事も無げに言う彼女にフェイトは一拍置いてから、先ほど家に入った電話の内容を彼女にも伝える。
「今日は戻ってくるみたいです、さっき連絡が入りました」
「今日?」
振り向いた彼女を慮るようにフェイトは尋ねる。彼女を殺そうとした張本人である事は間違いない。恐らく彼には自我も何も存在しなかったであろう事や、上に命令を出した指令系統が存在する事から彼が全て悪いと言い切れる訳でもなかったが、それでも彼女にとっては全てを壊した張本人だ。普通に接しろと言うほうが無理な話だった。
「はい、大丈夫ですか? 断ってもいいですけれど」
「いきなり泣き叫んでビンタでもすればいい?」
「まあ、死にはしないでしょうけど」
自分のした事に付いて彼も大体は知らされているだろうが、実感は沸いていないだろう。彼の立場に立ってみれば、いきなり自分は世界を駆け巡り数々の世界を葬ってきたと言われ、家にいるのは自分が言わば殺し損ねた相手だ。フェイトからしてみれば彼もまた被害者だった。
「彼は私に会うって?」
「そこまでは聞いてませんけど、そういう事になります」
「何て言えばいいのか、分からない」
「……こんな事言うのは卑怯なんですけど」
言葉を選ぶようにフェイトはゆっくりと話し始める。
「何?」
「白谷の言うとおり、彼は―」
「必要なんでしょ? 分かってる」
遮るように彼女は首を振った。それこそ、もう彼女自身何度も自分に言い聞かせてきた事だった。これ以上被害を出さないためにはこちらにも力がいる。そしてその力が目の前にあるのなら、使わない手は無い。
「それしか無いんでしょ」
これ以上はフェイトも何も言えなかった。
「はい」
涙も出なかった。涸れたのか、何も感じる事が出来なくなったのか。折角買ってきた真っ白なワンピースが、ただ夕日で赤く染まるばかりで。
「出ましょうか?」
「お願い」
チャイムが鳴り、フェイトが席を立った。鍵を持っているはずの彼らがわざわざチャイムを鳴らしたのはこちらへの配慮からだろう。
前回会った時は精々自己紹介しただけで、すぐに彼は支部へと向かって行った為、こうしてきちんとした形で会うのは初めてだった。
「沙耶香さんですよね? お久しぶりです。すみません遅くなりまして」
如歳無い話し方にどうにも違和感を覚えたが、彼女は何とか笑顔を作った。
「いいえ、夕ご飯は?」
「いえまだ、ご一緒させてもらおうかと」
「カノン君、行こうか」
神谷がカノンの手を取りキッチンの方へと向かう。どうにも上手く会話が出来ない事に微かな苛立ちを感じながらも、彼女は一緒に帰ってきた白谷の方を見た。
「一応教えはしたんだが、実感を持てと言うのも酷な話でね」
罰の悪そうな顔をしながら頭をぽりぽりと掻いている。確かに事実は教えたのだろうが、彼の態度からして、まだ沙耶香が何者なのかについては知らされていないらしい。
「能力は使えるんですよね?」
フェイトの興味はそこだった。重要なのは人格よりも力。この見方も彼にとっては酷だが、状況が状況だった。
「まだゲーム感覚だな。妙に言葉遣いが丁寧なのは俺も気になってるが、問題が有るわけでもないから注意するわけにもいかん」
「ゲーム」
「生まれたての子供の様なものだ。これならカインやシンの方がよっぽど使えるな」
使える、という言葉に反応したフェイトに睨まれ彼は慌てて降参のポーズを取った。
「失敬、だがやはり手っ取り早く強くさせるとなるとだな」
「実戦させるんですか?」
カインの強化方法も九割がそれに費やされた。能力自体を強化させる方法など自分達は知りはしないのだ。ならば後は戦い方を実際に身体に刻み込むしかない。
「それしか無いだろう、俺達にも一応スポンサーがいてね。依頼は引っ切り無しだ。ただあの感覚のまま連れて行ってもどうなるかは分からん」
「ただの子供なら怯えるでしょうけど」
「ただの子供には見えん。まるで子供の体にいきなり大人の心を与えたような感じだな」
「それも何の記憶も無いまっさらな心を」
「厄介なもんだ。常識とかは理解してるから尚更やりにくい」
「それでも戦わなくちゃ。そのための彼でしょう?」
沙耶香がここで口を開いた。その言葉の裏にある意味を読んだのか、白谷は言い淀む。
「まあ、確かにそうなんだが」
「子供を戦わせるってのもなあ」
「それはあなたにも私にも言う資格はありませんよ」
フェイトに突っ込まれ、彼は分かっていると言わんばかりのため息を吐いた。どの道自分達のいるところはこんな所だ。綺麗ごとだけで生きていける世界では無かった。
「そうだな」
「ご飯、持って来ました」
予め夕飯はフェイトと沙耶香が作っている。フェイトの料理の手際のよさに彼女は驚いたものだが、昔教わったものだと言う。彼女に教示して貰いたいと思うほどの腕前で、事実目の前の料理の大半はフェイト作である。
「結構何でも出来た人達でしたね。勉強も運動も、生きていく術は一通り」
「人達?」
「まあ、昔一緒に住んでた事がありまして」
料理中のひとコマである。あまりの手際の良さに沙耶香がフェイトを問い詰めたのだ。
「じゃあ、その人達もっと料理上手いの?」
「はい、懐かしいなあ」
遠い目をするフェイトを見て沙耶香は唖然としたものだが、彼女の出自は自分の様な一般的な物ではないのだ。そういう方面に特化していても不思議は無かった。
「今その人達は?」
「分かりません。多分生きているとは思いますけど」
自分と同じだ、そう彼女は思った。多分生きてはいるけれど、今は会えない人。けれどその存在が今を生きる活力となる。
「会いたい?」
「そう、願っています」
「私も会いたいなあ」
「妹さん?」
「大丈夫ですよ、この世界で二番目に強い人物がボディーガードについているんですから」
フェイトが玉ねぎを乱切りにしていく。既に自分の手伝う事は無いと悟っていた沙耶香は食器棚にもたれてその手さばきを熱心に見つめるばかりだ。
「一番は?」
「カインです、もちろん」
「信頼してるね」
「少し、雰囲気が似てるんです」
「その例の人達と?」
フェイトが少し嬉しそうな顔をする。それの乗じて包丁の音もどことなく軽くなる。
「少しだけですけど。でもそれを言ったらカノン君とも似てるような」
「ああ、何か分かってきた」
「やっぱりそう思いました?」
「何か同じ素材で二つの料理を作ったみたいな。上手く言えないけど」
「私もそんな感じがします。シンにはそうは感じなかったのになあ」
そうこうしている内に炊飯器の音が鳴り響き、彼女達は反射的に時計を見た。予定ではもう帰ってくる頃合のはずだった。
「さ、帰ってくる前に終わらせないと」
フェイトが腕まくりし、気合をいれる。その様子を見ていた沙耶香が後ろから頼もしそうに声をかけた。
「頑張れ」
「って、手伝ってくださいよ!」