第二章 第二節 ささやかな約束
「やっと来た」
「ごめん、……遅れた」
ようやく現れたシンに綾香は安心と不安が無い混ぜになった声を漏らす。それでも取りあえず生きていた事が嬉しかったが、聞きたい事も言いたい事も山ほどあった。
「それで一晩放置!?」
「ごめん」
「……何かあったの?」
どこか様子がおかしい。さっきからこちらの目を見ようともしないし、何よりこちらに時より向けられる視線がさっきから忙しなくあちらこちらへと動いている。
「あの、巫女の人」
「嫌だ」
自分でも聞きたいのか聞きたくないのかすら分からなかった。その強い拒絶にシンは一瞬怯むように一歩後ろに下がったが、意を決して見たままを話す。
「あの場所は一晩明けたら何も無かった。どうなったかは俺も知らないけど、多分」
「島の人たちは?」
「俺は、元々の人口も知らないから何とも言えない」
それでもあのパニック振りはシンには良く分かった。大体、空襲やテロが頻発するこの時代に置いて、一夜明けたら村が壊滅していたなどという話は良くある話だ。ただ、今回はその目的が不明なところが、彼の気がかりだった。
「そう……」
「それに、多分パニックになってる。いきなり人口の大半が消えているんだろうし、それに」
「それに?」
「巫女も行方不明だ」
この島の中であの儀式がどれだけ重みがあるか、あの儀式を初めて見たシンにもそれは良く分かった。
「カインもカノンもどこにいるかは知らないけど、絶対探す」
「探して、どうするの?」
ひっそりと発せられた声に、彼は決意を語る。
「殺す、あんな事させちゃ駄目だ」
武装組織を相手とするのは違う。ただの民間人を無条件に殺すメリットがどこにあるか彼には全く分からない。あの鏡に何かあるのかもしれないが、どこにあるかもさっぱりだ。
恐らく、組織の人間がどこかに持って行ってしまったのだろうと彼は推測していた。
「沙耶香さんって何か特別な力とか、持ってたりする?」
「え?」
「光ったよな、鏡」
「うん、でも……今までそんな事無かったよ」
「だったら、鏡か?」
ならば過去同じ様な事が起こっていてもおかしくは無いが、毎年大量虐殺が起きれば流石に中止されるだろう。
「組み合わせか? それとも誰かが介入した?」
シンの頭にいくつか可能性が浮かび上がるが、どれも根拠も証拠も無い机上の空論だ。
「とりあえず、綾香は島に戻れ」
島の人間はある種のパニック状態だ。これから現状が明らかになるにつれてその度合いはますます酷くなって行くだろう。今は一人でも冷静な人間があの場には必要だった。
「シンは!?」
「探すさ、あいつらを放って置けない」
「でも!」
彼女が何を言おうとしているかは何となく分かった。けれどそれはシンには受け入れられない話だった。
「頼れる人、いるだろ?」
「いるけど」
自分はあの場にはいれない、それは分かりきった事だった。一緒にいれば彼女まで関与を疑われかねない、それだけは避けたかった。
「俺がいると、迷惑だ」
「せめて、ここに住んだら?」
懇願すかのように発せられた声にシンは目を丸くする。彼女は分かっていないのだろうか? いくら命を助けたとはいえ、自分はあの島の住民からしてみれば敵なのだ。何故そんな言葉が出てくるのか、彼には理解不能だった。
「ここ?」
シンは周りを見渡す。今は誰もいなくなってしまった施設内には恐らく何も残ってはいないだろう。確かに暮らすのに不便は無かった。
「こっそり」
もしかしたらお互い寂しかったのかもしれない。お互い一夜にして全てを失った者同士。自分はそれを自ら望んだ部分もあるが、彼女は為す術も無く全てが失われたのだ。彼女が望むなら、それはそれでよかった。
「まあ、ここなら」
「じゃあ」
彼女の勢いのままに彼は頷いた。とはいえ、一日の大半はここにはいないだろうが。
「わ、分かった」
「それじゃ、よろしく」
「ああ」
何となく照れ臭くなって彼は目を逸らした。そういえば、ルナと話していた時も、時たまこんな風にまともに目を逸らしてしまっていた気がした。照れ臭くなって、彼は案内するべく歩き出して、落ちていた石に躓いた。
「そのまままっすぐ行けば島に出るから」
「分かった」
施設内にある、朝に皆で通った道の前に彼らは向かい合う。この道を行けばすぐに島に戻れるはずだ。
「シンは大丈夫?」
「ああ、心配するな」
彼女の質問の意図を汲み取って彼は答える。流石に食料や畑などは放置されているだろう。完全に機械が管理するこの島ならシン一人でも暮らせるし、場合によっては彼女の島への援助も可能かもしれない。
「じゃ」
「ああ、気をつけろ」
「分かってる」
「それと!」
「え?」
歩き始めた彼女に思わず彼は大声で呼んでいた。呼ばれた当人は初めて聞いた大声に驚いた顔をしてこちらの様子を窺っている。
「あ、えっと…」
シンは思わず言いかけた言葉を飲み込んだ。こんな事を言って半端に期待を持たせるのもどうかと思ったからだ。
「何? いいよ、覚悟はできてるから」
彼女に促され、彼は覚悟を決めて自分の推測を話し始める。
「生きてるかもしれない」
「誰が?」
「鏡と巫女は共鳴し合う関係なのかもしれない。その能力がもしあの人にあるなら、利用されている可能性もある」
考えてみれば狙いはそこにあったのかもしれない。自分達を中心にして考えすぎて、上の人間の思考回路を読んでいなかった。とはいえ、あの鏡と彼女に何のいみがあるのかまではさっぱりだったが。
「お姉ちゃんが?」
「本当にそうかは分からないけど、ここは世界最大の施設のはずなのに、こうも簡単に放棄してる事を考えると、ちょっとおかしいと思う」
「だとしたら、どこにいるの?」
微かな希望でも頼ってしまうのは人の悲しい性だが、それでも無いよりましだと、シンはそう思った。
「そこまでは分からない」
だからシンは言葉を濁した。組織に管理されている能力者がどういう末路を辿るか、彼は昨日の件で初めて思い知ったが、それをそのまま彼女に伝えられるほど彼もまた強くは無かった。
「探して……くれる?」
「ああ、心配すんな。必ず見つけてきてやるから」
「約束?」
「おう」
小さく発せられた声に、彼はできるだけ大きな声で元気良く答えた。ささやかな約束でも守れたら、きっと少しはそれが彼女への恩返しになると、信じて。
某国、某所。広い部屋の中に、大きなベッドが一つ置いてある。その中ですやすやと寝息を立てている少年を見つめる、一つの視線があった。
「この方が、世界を?」
透き通った声が、彼女の後ろにいる老人に向けられた。彼女の服は、この国のある一部の者しか着用する事を許されない鷹の刺繍が入った白いドレス。世界の象徴ともいうべき彼女の頭を撫でながら、その老人は静かに落ち着いた声を発した。
「かもしれぬし、そうでないかもしれん。ただ」
「ただ?」
「少なくとも、この子は深く関わる事になるだろう。世界と」
彼を見つめながら、彼女はついさっき知った名前を呟く。
「カイン・クラウディス」