第二章 第一節 夜明けの中で
「ここからは徒歩だ。気をつけろよ」
どこかの島か大陸かはフェイトには判別できなかったが、ともかく彼らは船を岸に着けそこから上陸を果たす。一晩中海の上を疾走し続けたため、彼らの体は疲労困憊だった。
「どこに行くんですか?」
「後で説明する」
フェイトの問いかけに彼はカノンを抱えて歩き出す。その後ろをついて行きながら、沙耶香は興味深そうに辺りを見渡す。フェイトから見れば、島との光景に対して差は無いよう見える。さびれた漁村、その言葉がぴったりと合うように感じた。
「どうしたんですか?」
「ここ静岡?」
いきなり発せられた未知の単語にフェイトはきょとんとなる。大体の地名は把握していたが、一国の中の地名までは流石に全て把握できてはいない。
「しずおか?」
「ご名答、本土は初めてかな?」
「ええ」
白谷が正解を与える。一人ここがどこなのか良く分からないフェイトも辺りを見渡す。なるほど、使われている言語は彼女の島と同一だ、確か日本語と言ったはずだが。
「だったらここは日本?」
「ええ、だけど何で」
「ここに俺の組織の日本支部がある」
その言葉に麻衣が問うように彼を見た。この国にそんなものは存在しないはずだった。ハムレスが支部を置いているのは他国だ。
「お前が考えているのとは少し違う組織だぞ」
「レジスタンス」
フェイトはあらゆる可能性の中から一番可能性の高そうなものをピックアップして彼に提示する。
「流石、勘がいいなあ」
「スパイ!?」
「何やってるんでしょうね、私は」
その意味するところに沙耶香が驚愕し、彼を部下にした張本人である麻衣は思わぬ事実に頭を抱えた。確かに雇う人間も多く、ハムレスに従う人間の十分の一がスパイだと言われている原状ではあったが、まさか身近にいようとは思っても見なかった。
「そしてここ」
「普通の家ですね」
「あっちもある」
そのまま海岸沿いの道を進む事五分少々。彼はとある一軒家の前で足を止めた。沙耶香が発した感想を受けて彼はその家から少し離れた場所にあるもう一軒の家を指差す。
「あまり変わりませんね」
フェイトはその家の均一さに驚く。ここまで同じだと設計者まで同じなのでは、と疑いたくなる程良く似ていた。
「最近の家は全部そうじゃない?」
「え、そうなの?」
沙耶香とフェイトの会話が上手く噛みあわない。笑いをこらえながら白谷は状況を説明して行く。
「ここが俺達の家だ。念のため二軒用意したが、どっちがいい?」
「どっちでも構いません」
「そうつっけんどんにするな、フェイト。男の俺はこいつと引きこもるとしようかね」
白谷が背中に背負っているカノンに視線をやりながら問いかける。
「仕事の邪魔はしませんからご心配なく」
二軒用意した理由もそんなところであろう。自分の居場所が知れても周りに影響が及ばないようにする上でも、分かれた方が好都合だった。こういう考え方をする人間の思考パターンはこんなものだろう。簡単に見ぬけてしまう自分に辟易しながらもフェイトは目の前の家の扉を開けた。
「鍵は玄関横の棚の上だ。一応二本用意して置いたが、人眠りしたら色々整えるといい」
中は玄関を通り抜けた先にリビングダイニングにキッチンが付いているタイプ。その扉の右手から上へ伸びる階段の上に三部屋が並んでいる。
「わあ、家の中に階段がある」
沙耶香が物珍しげに階段眺める。
「とりあえず休みましょう。疲れているでしょう」
麻衣が白衣を脱ぎ捨てLIGHTSの制服姿になる。日が昇ったらすぐに服を買い換える必要があった。この格好では素性が簡単にばれてしまう。
フェイトは部屋に入りそのままベッドに横になった。本当に久しぶりにまともな場所が夜を明かせる。
「大丈夫かな」
彼女はいつも隣にいた彼の事を思う。どんな思いで彼はこの夜を迎えているのだろうか。
もしかしたら置いていかれた事を怒っているかもしれない。
「大丈夫、きっと」
多分怒る事は無いだろう。けれど怒ってくれたらそれはそれで嬉しいはずだった。そんな日々が来る事を夢に思いながら、彼女はその瞼を閉じた。
「う……ん…」
綾香は目を覚ました。どうやらそのまま眠り込んでしまったようで、体のあちこちが痛んだ。
「まだ戻ってきてないんだ」
既に日は昇っている。こんな見知らぬところに女の子一人置いてきぼりにするとはやっぱり常識知らずだ、という憤りと共に寂しさが彼女を襲った。考えないようしていた姉の姿が目に浮かんだが、今はじっと彼の待つと決めて、じっと島の方向を見つめ続けた。
「朝だな」
シンは洗面台に立ち顔を洗う。我ながらひどい顔だったが、決意は変わっていなかった。
「取りあえず」
頭の中に入っている支部を周ろうか、と考えたところで幾つか重要な事をいくつも思い出して彼は唖然とする。
綾香の事もあれば、沙耶香の事を放って置いてもいる。それに―。
「きゃああ!」
「え?」
悲鳴が聞こえて彼は聞こえてきた方角を見る、とそこにはがくがくと膝を震わせている中年の女性の姿があった。
「何で生きてるんだ?」
「いや、来ないで、お願い、何でも差し出しますから」
近づいて行っても彼女は後ろに下がろうとしてとうとう倒れた。それでも何とか彼から逃れようとする。
「どうなってるんだ?」
彼はその女性を放って外へと駆け出す。外に出てみると自分を見て悲鳴をあげる者や逃げ出す者と多数の住民が目に入った。
彼は彼らの目を気にする事無く、翼を展開して空に舞い上がる。ミサイルが着弾した方角から次々と人が歩いてくるのだ、何かあるはずだった。
「あの」
彼は手近にいた子供を掴まえて事の詳細を尋ねる。こういう時は事情を半端に理解している大人よりも子供に聞いたほうが素直に答えてくれるものだ。案の定その子供は素直にシンの問いに答えて行く。
「なに?」
「夜はどこにいたの?」
「公民館」
「ずっと?」
「うん、お父さんとずっと一緒だった」
「何かあった?」
「無かったよ? でも、起きて出てみたらびっくりした」
「ああ、これね」
焼け落ちた森を見てシンは声を落とす。とはいえ、それさえも子供達にとっては関係無いようで、ところどころで遊んでいる子供達の声が聞こえてくる。
「ばいばい」
「ああ」
そう手を振ってその子は駆け出して行った。シンはその後姿を見送りながら、ここに来たもう一つの用件を遂行すべく公民館の中へと入る。
「やっぱりあった」
用具入れと睨んだロッカーの中にはスコップが入っていた。こういう公共的な場所には大概の道具が入っている。
誰もいなくなった公民館前に一人スコップを担いで彼はルナの元へと向かう。森の中に体が吹き飛び雨にぬれて見るも無残な姿になっていた。
穴を掘る音だけが響き、彼は着々と一人分の体が入る穴を掘りあげた。そこの彼女の体をゆっくりと入れ、また土を被せ簡素な墓を完成させた。手近に何も備えるものが見つからなかったので、目印に今はその上にスコップを置いた。
「ごめんな、こんなので」
すぐに彼は施設へと飛び立つ。状況を詳しく説明できる人間がどこにもいないのは痛かった。大体、住民達からしてみれば武装した素性も分からない者達に一晩監禁され、一夜明けると人口の八十パーセントが消えているのだ。遅かれ早かれパニックになるのは目に見えている。
念のため神社周辺も見て周ったが、カノンや沙耶香の姿はどこにも見当たらなかった。恐らく焼却処分されて今は土の中だろう、そう結論付けて彼は再び進路を施設方面へと修正した。