第一章 第十三節 カウントダウン
「これで、終わりか。ここも」
白い煙が彼の口から吐き出される。白谷は夜空に輝く星を見上げながら一人呟く。
目的は半ば達成されたも同然だった。後はカノンを探して連れ帰り、それで全て終了。残りのメンバーは廃棄処分としてこの島の住民もろとも殺されるのだろう。
「カノンの居場所は?」
「まだ、すぐに見つかるとは思いますが」
黒部からの通信に彼は短く答えて切る。捜索はされていたが、中々彼の居場所は判明していなかった。神社前には今頃組織の人間が死体の処理にてんやわんやのはずだ。
「こんな所にいたんですか?」
声がかかり横手を見ると麻衣が立っていた。実の所さぼっていた白谷は罰の悪い顔をして足で煙草の火を消した。
「見ておこうともってね」
「何を?」
「巫女さんとやらの家」
彼らが立っているのは彼女達の家の前だった。今や人影も無いその家を見ながら彼らはポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「ああ、ここが」
「父親は?」
彼は一応尋ねたが、返ってくる言葉は予想が付いていた。
「すでにこの世界を発っていますよ」
「……そうか」
どうせLIGHTSか『ハムレス』の人間なのだろう。この島に送り込まれ、指令どおりに事を進めてきた男。素性は知らなかったが、自分の全てに仮面を付けて良き父をあの瞬間まで演じてきたのだろう。
「神谷、問題が発生した」
麻衣の通信機に黒部からの通信が入った。鬱屈そうな声に彼女は素早く反応する。
「どうしました?」
「シンとカノンとフェイトが指令に逆らった」
へえ、と白谷は声をあげた。まさかそんな自我を持っている者があの中にいるとは思わなかった。
「今は?」
麻衣が焦った口調で続きを促す。ルークとルナだけでは恐らく彼らは止められない。計画の存続が危ぶまれる状況に彼らは陥っていた。
「シンはルークと交戦中だが、カインは不明だ」
「どうします?」
黒部は淡々と作戦を説明していく。
「カノンの居場所は判明している。隠しカメラの一つが、神社の裏の倉庫のような建物にフェイトと住民一名、カノンが入っていくのを目撃している。お前達は彼らを回収次第その島から離脱しろ」
「その後は?」
そんな事をしてもカインとシンが後を追ってくるのは目に見えている。一歩間違えればこちらは全滅だ。
「この国の軍隊に出動要請した。後二十分もすればこの島はお終いだ。急げ、巻添えを食らうな」
そこで彼からの通信は切れた。青ざめる彼女に白谷は思いやるように言葉をかける。
「これが、平和か?」
「仕方がありません。行きましょう」
彼らは走り出した。まさかこの島の住民を全滅させるなどとは彼らは思ってもいなかった。目撃者だけを始末して後は離脱。それで良かったはずだ。
「最初からこのつもりだったんだろ?」
「そんな!」
確認ついでで発したはずの質問に返ってきたのは泣き声だった。意外に思って彼は慰めが代わりに一つネタ晴らししてやる。
「カイン、意外に頑張るじゃないか。フェイトが効いてるか?」
「貴方まさか!」
ここで彼の意図を読んだ麻衣が足を止める。
「俺は何も言ってないぞ、さあどうする麻衣。ここから」
彼は麻衣の前に立つ、付き合いは長いが、お互い本音をさらけ出した事など一度も無かった。表面だけの付き合いが、ここで終わるか、それとも始まるのか。
「どうするって……裏切る気ですか?」
組織しか知らない彼女は立ち止まったまま彼を強く見据える。
「俺は初めから仲間になった覚えは無い」
そんな彼女を前にしてどこまでも飄々とした態度を崩さない彼に、とうとう彼女は折れた。どの道こんな事になるのは前から分かりきった事だったのかもしれない。彼からすれば遊びでも、自分にとってはそうでもなかったのだから。
「分かりましたよ! 当てはあるんですか!」
「任せろ、コネならいくらでもある」
「じゃあ、急いでください! 時間はもう無いんですから」
もう時間は無い。走り出した彼女を追って彼もまた走り出す。残り時間は後十五分、それまでにカノン達とシンとカインを回収してこの島から離脱。残り時間的にギリギリだった。
「待ってるだけってのも疲れる」
「もう少しですよ」
カインがここを出て行ってから十分程が経過した倉庫内。多少は彼女達も落ち着きを取り戻していた。どの道できる事などないのだ。待つより他にする事も無かった。
「カインって子、何者?」
先ほどからの話題は主にフェイトたちの事、あまり正直に言えるわけも無いので、当たり障りの無い範囲でフェイトは答えていく。
「素直な子ですよ、勿論、他の皆も」
「でも命令には従うんだ」
どうしても沙耶香の口調は詰問じみたものになってしまう。こんな事を彼女に言ってもどうしようもないのだが、口は勝手に動いた。
「彼らにとっては…親みたいなものですから」
「言われれば何でも殺せるのね」
「そう……ですね」
このままでは場の空気が重くなるだけと思い、彼女は話題を変えた。
「あなた、親は?」
「いません」
「いない? 家族が?」
捨てられたのだろうか、と当初は思ったがどうも様子が違う。彼女の表情は月明かりだけではよく分からない。泣いているのだろうか、と思った矢先、思いのほか落ち着いた声が返ってきた。
「家族と呼べたのは、兄くらいのものでしょうかね」
「お兄さんは今どこに?」
「分かりません。生きてはいるんでしょうけど」
「行方不明ってこと?」
「まあ、そんな所です」
「会いたい?」
離れ離れになっている妹の事を思いながら沙耶香は聞く。考えてみれば、自分も状況は変わらなかった。生きてはいるのだろうが、どこにいるのかは分からない。恨まれてもいるかもしれない。
「会っても、どうしようもないですから」
「どうして?」
「恨まれてますよ、恨まれて当然の事をしましたから」
何故自分はこの記憶を保持したままこの世界に送り込まれたのか、フェイトには分からなかった。どうせなら全てを奪ってもらったほうが楽だったのに。もう何度ともしれない後悔に沈むフェイトの耳に優しい声が響く。
「それでも、会いたいんでしょう?」
「あなたも、会いたい人いるんですか?」
思えば兄も、姉もこんな声をしていた気がした。その様なカテゴリーに入る人間は、皆そういう言動を取るものなのだろうか。尋ね返された沙耶香はウインクして見せた。
「教えてあげない」
「意地悪ですね」
「そ、意地悪なの。ごめんなさいね」
少しだけ彼女達は笑いあった。本物の姉妹のようにはいかなかったが、それでも彼女達は確かに笑っていた。
足音がした。微かに聞こえてくるその音はゆっくりとこちらに近づいてくる。
「あの子?」
「ですかね?」
沙耶香とフェイトは座っていた地面から腰をあげた。これからどうするのか、彼も含めて対策を練る必要がある。
その足音は扉の前まで来ても中々開こうとはしなかった。
「どうしたんだろう?」
そう言ってフェイトが扉を開けようとした瞬間、いきなり扉が開き二人の大人が入り込んできた。
「動くな。命を奪う気は無い」
「白谷!」
突きつけられた拳銃を見て、フェイトはその男の名前を叫ぶ。どうにも掴みどころの無い飄々とした男というのが彼女の持つ印象だった。
「手をあげなくても構わないが、声もあげないでいただけると助かる」
「早く撃ってください。話す事はありませんから」
観念したフェイトはその場から逃げようとも思わなかった。見つけられたら終わる事は分かりきっていたのだ。ただ思わぬカインの出現で少しだけ希望を持った、ただそれだけの事。
「馬鹿言うな、ついてこい。時間が無い」
「はい?」
「来い」
そう言って彼はカノンを担ぎあげて彼女達に目配せしてくる。
「あなたの家の裏の海岸に船をつけていますから、そこから脱出しましょう」
「私の?」
一人状況についていけるはずもない沙耶香がぽかんとした顔をする。
「どういうことですか?」
「多分、信用はしてもらえないでしょうけど」
「俺が落としちゃってね」
顔を真っ赤にする麻衣と取り敢えずの理由を悟った彼女達はため息をついた。こんな事で一々付く側を決めていたら命がいくつあっても足りないとは思うのだが、今の彼女達に他に選択肢は無かった。
「信用はしませんが、それしかないというのなら」
「分かったら来い、後十分でここは火の海だ」
走り出した彼を追いながら、その言葉の意味するところを取って沙耶香が驚愕する。
「どうして!?」
「『平和』の為だろうさ」
「平和って」
この状況の何をもって平和だというのか。フェイトが嫌味たっぷりの皮肉を白谷に向かって浴びせる。
「彼らは平和になれる人を選ぶ権利があるみたいで」
「らしいな」
同じような口調で返した白谷にフェイトは困惑する。
「らしいって、あなたも仲間なんでしょう?」
「俺は下っ端、ていうか奴隷」
「奴隷?」
「俺ここの世界出身だから」
分かるだろ? と目線で問われフェイトは沈黙する。『ハムレス』の支配下にある世界の住人なら、待遇が良かろうはずも無い。
「いいんですか? この世界終わるかもしれませんよ」
逆らえばどうなるか、彼が知らないはずも無い。その覚悟を問うた彼女に彼は切り札の名前を口にする。
「守ってもらうさ、カインに」
「都合いいですね」
「お前と何で会わせてやったか、考えて見ろ、俺も苦労してるんだ」
その回答を予想していないわけでも無かった彼女はその事に少しの同情を感じながらも、回答はあくまで手厳しく返す。
「自業自得です」
「手厳しい」
「つべこべ言わず早く走ってください」
「はいはい」
彼の言う事が正しければもう時間は無い。残り時間はもう十分を切っていた。
「乗れ」
用意されていたのは小型のボート、モーターが唸りをあげ、彼らはそこから猛スピードで岸へと出る。
「あの子達はいいの?」
聞きたい事は山々あったが、今は取り敢えず成り行きに任せる事にした沙耶香が大声で叫ぶ。言っている間にもどんどん島は遠くなっていく。
「あいつらは自分で飛べる。やばいと判断したら勝手に逃げるさ」
白谷も怒鳴り返す。この場では自分達の命が最優先だった。
「あれ!?」
「うちの軍隊だな」
「正規軍!?」
フェイトがその艦隊を見て驚愕する。国が出てきたという事は、彼らは本気だと言う事だ。
「無くなるの? この島」
「……はい」
「そう」
近くにいる彼女達は大声を出さなくても会話が可能だった。寂しさを感じさせる声で彼女は呟く。その胸に去来するのは虚脱感か、絶望か。沙耶香の顔を見る事もできず、ただフェイトは島を見続けた。