第一章 十二節 対立
「分かりません、何も」
「ふう……悲鳴をあげたいのはこっち」
静かに吐き出された言葉に対し彼女は頭を抱えたが、それはこっちも同感だった。状況が全然分からない。
「一応状況を言うけど、いきなりこれが現れて儀式邪魔されて、鏡取られて逃げたら目の前に彼が現れて、ああ駄目だと思ったらいきなりその鏡が光って彼はお寝んね」
分かった? と投げやりな視線を受け止め、フェイトは信じられない、といった顔をする。
「逃げた? 彼から?」
「ええ、何かおかしい?」
「いえ、よく瞬殺されなかったなあって」
彼に狙われて一度は逃げ出すことのできたその度胸に改めてフェイトは感服する。自分なら例え力があったとしても逃げる事もできずに破壊されてお終いだろう。
「さっき、シンって言ってたでしょ」
「はい? ええ」
「その子が助けてくれた。どういうこと? 彼もあなたの味方? だったらどうして私達を助けるの? 一緒になって殺しても可笑しくはなさそうだけど?」
「助けた!?」
フェイトはさっきからジェットコースター張りの急展開に頭が追いつかない。
「本当に、何も知らないのね?」
「すみません」
何だか申し訳なくなり、彼女は頭を下げた。それを見た彼女は少しだけ微笑んで、自分の名前を告げた。
「涼宮沙耶香。私も全然状況が分からないから、協力しましょ? まだ死にたくないしね」
強いな、とフェイトは思った。どこかかつての兄と共通した物かもれない。少しその彼の事を思い出して心を落ち着けてからゆっくりと手を差し出した。
「フェイトといいます。せめて今だけは共闘を」
「よろしく」
「どうなってる?」
カインは島の上空を飛びながら首を傾げた。飛び立ったたはいいものの、どこにも人影が見当たらないのだ。何かの建物の周りに遺体は多数見つけたが、生きている人間がどこにも見当たらない。
「これは……カノンか?」
その切断された切り口を見てカインは推測を立てる。シンの能力では人体の切断は難しいだろうしそれは自分も同様。ルナはそもそもこんな所に来ていないだろうから残る可能性は二つ。どっちでも構わなかったが、ルークがこんなことしてたら嫌だな、とは思った。
他に得る物も無いと判断した彼は獲物を求めて飛び立つ。そのまま海沿いを進んで行けば何かあるかもしれないと思ったのと、記憶に残るフェイトの場所がこの近くだった事を思い出したためだった。
「あれは?」
上空からフェイトの人影を探す事数分、一つだけぽかんと建っている建物を見つけた彼はその前に降り立つ。ここなら容易には見つからないし、現に自分は手間取った。人もかなりの人数が逃げ込めそうだ。
カインは念のため相手が武装している事も考えて、力を展開したままその扉を開いた。
「どうするの? このままじゃ全滅なんでしょ?」
沙耶香の言葉にフェイトは必死で考えをまとめる。どうすればこの作戦を止められるか、カノンがここにいる今、最大の脅威は翼を持つ四名。話を聞く限りシンは既に組織を裏切っているらしいから残るは三名に減る。シンが誰かを相手してくれていれば助かるが、それは期待しないほうが良かった。まともな考えの持ち主なら、彼女の妹とやらを連れて、とっくの昔にどこかへ逃げているだろう。
「一番確かな方法はカインを味方につけることです」
彼の戦闘能力を持ってすれば鎮圧も可能なはずだった。ただ問題なのは、彼は恐らく命令に従っているという事。フェイトの言葉になら耳を傾けるかもしれないが、今どこにいるかは彼女にも分からなかった。
「打つ手無しって事?」
フェイトの考えをそこまで聞いてから沙耶香は座り込んだ。完全に憔悴し切っている状態だ。フェイトも諦めの境地に達しかけて、同じように座り込んだ。せめてカノンを味方につけられたら最高なのだが、起きる気配も無かった。
「ねえ」
突然、沙耶香が緊張した面持ちでフェイトに声をかけた。何だろう? と疑問に思うまでも無くフェイトは扉の方を見る。誰かの気配があった。その足音はゆっくりとこちらに近づいてきて、その扉を開けた。
カインは最初、自分の目に映る光景が信じられなかった。寝ているカノンの右にフェイト、左には知らない女性が一人立っている。
「…………」
三人の空間にただ沈黙が訪れる中、最初に口を開いたのはカインだった。
「誰?」
「え? えっと」
問いかけられたフェイトはまだ動揺していた。いきなり現れたカインに対しどう反応すればいいか分からないまま助けを求めるように彼女は沙耶香の方を見た。
「涼宮沙耶香。あなたは?」
「カイン・クラウディス」
「外人さん?」
名前を聞いた沙耶香が意外そうに目を開く。外見は大して自分達と変わらなく見えたが、名前は西洋風だった。言われた当人はただ首を振る。親の名前も知らないし、興味も無かった。
「分からない」
「何でここに!?」
横からフェイトが口を挟む。
「命令が出た。殺せと」
「やっぱり」
「私の事も、殺すの?」
落胆するフェイトと、挑戦的な視線をカインに向ける沙耶香。両者の視線を受け止めたカインはフェイトの方に視線を向けた。
「どうする?」
「は?」
「殺したほうがいい?」
彼の問いは純粋なものだ。フェイトの答え次第ですぐにも彼は動き出す、という確信をこちらに持たせる、そんな問い。
「駄目」
「分かった」
言うやいなや彼は出ていった。
「どうしたの? あの子?」
「大丈夫ですよ。言ったらやる人ですから」
一連の流れを呆気に取られて見ていた沙耶香が口を開く。大してフェイトは安心していた。彼が動き出したならもう大丈夫だ。すぐにここの混乱も止むだろう。その後の事は、今は考えない事にした。
「ああ、カインか。順調かい?」
「邪魔だ」
「え?」
上空からルークを見つけたカインは、彼の眼前に降り立つ。両翼と片翼の決定的な違い、それは飛行能力の有無だ。戦えば恐らく自分は負けない、その自信を持って彼はルークに戦いを挑んだ。
「カイン?」
低空で飛行し、すれ違い様にツイントライデントで貫く、はずだった。
「それがお前の能力か?」
「いきなり、とはひどいね。カイン」
右腕を包むようにして盾が形成されていた。その先端は鋭くとがり、攻防一体の武器である事を容易に連想させる。
「何故僕に武器を向けるんだい?」
その武器の先端をカインに向けながらルークは冷たく言い放つ。その先端は翼と同じく月明かりに照らされ水色に輝いた。
「力は敵に使うものだろう?」
カインはこの状況においてなお冷静だった。
「僕は君の敵? 何故?」
「フェイトがそう決めた」
「君は彼女の言いなりなの? 情けないね」
哀れなものを見る様にルークは嘲笑を彼に送った。カインはただ心のままを彼に語る。
「言いなりになる事しか俺は知らないし。今も正直どうでもいいとは思ってる」
「だったら僕らの側に」
ルークの声を遮って、彼はルークに全てのトライデントの刃先を向ける。
「でも、誰かの言いなりにしかなれないなら、俺は彼女の言いなりで構わない」
「決別、だね」
「残念だな」
「僕もだよ」
その瞬間ルークが真っ直ぐこちらに飛んできた。何の工夫も無いただの一撃。ひらりと交わして上空に彼は舞う。上からの一撃で彼の右肩目掛けてトライデントを落す。
「そのパターンは知ってる」
ルークは盾の部分を拡大しトライデンを受け止める。凄まじい衝撃が彼を襲うはずだったが、彼の表情は余裕そのものだった。
「衝撃吸収?」
「さすが、戦闘のプロだね」
人目で能力を見抜かれルークは感嘆の声を彼に送った。そのまま周囲に落下するトライデントを再び自身の周囲に呼び寄せた後、ルークの前に降り立ち最初の状況に戻る。
「終わりだ」
「何が、まだ何も始まってないじゃないか?」
「殺すなって言われたんだ」
「え?」
「だから戦わない。君と戦えば、殺してしまうから」
「どういう事? 僕は敵なんだろう?」
「適当に足止めする程度に傷つけられるならそれでもいい。けれど、君に勝つには殺すしか方法が思いつかない」
「舐められてるね、僕は!」
先ほどと同じ突進だった。相手の攻撃を誘い、受け止めた後すぐさま反撃するのが彼のパターンなのだろう。
一本目で彼の刺突を受け止め、二本目を彼の右側に旋回させ受け止めさせる。その衝撃は彼には伝わらないが、三本目は既に彼の背後に回っていた。
「受け止めるのは勝手」
「僕の盾は360℃カバーできる。いくら君でも勝ち目は無いよ」
八本のトライデントを周囲に囲まれた彼は地面を除いた全てを盾で取り囲んでいた。
「じゃあ、そのまま自分を包めばいい」
「絶対防御だよ、ここからどうする?」
「お前のは絶対でも何でもない」
カインは既に彼の上空に必殺の矛を用意していた。
「一式 天の深羅矛」
カインが持つ最強の矛、その威力は呆気なく彼の盾を吹き飛ばした。
「なっ……」
「頼むからここにいてくれ。そうすれば何もしないから」
カインはそれだけ言い置いてそこから飛び去った。後はルナを探し出して止めるだけだ。