最終章 第十七節 旅立ち(2)
――三人の翼の中で、君は格段に優秀だった――
穴の中に突入した瞬間、彼の耳にレイブンの声が届く。様々な異形が蠢く中を進む彼がそれらをお構い成しに飛行する中、時折それらの気配に混じって一つ異質な気配が現れては消えていく。
――計画にぜひ誘いたかったのだがね、残念だよ――
始めは彼の体よりも一回り大きいほどの穴が、今では数十メートルの巨大なトンネルに変貌していた。それに応じて穴を構成する異形の者たちの数も膨大なものとなっていき、一際それらがこの中の異質さを物語っていた。
――君に一つ頼みがあるそうだ。そのお陰で私はこんな苦労をしているのだがね――
「俺は誰の頼みも聞く気はない」
――それで私は構わないよ。寧ろ今さら誰かに従ってしまう様では困るな――
レイブンの余裕たっぷりの声は響くトンネルは、最早トンネルと認識できなくなるほどまでに巨大化していた。周囲に群がっていた物たちはとうの昔に視界から消え、今カインを取り囲む物は何もない。スピードそのままに突き進む彼に認識できる物は、消えては現れるあの気配だけだ。
――迎えの者を用意した。君の友人と縁近いものだ。楽しんでくれたまえ――
現われては消えていた気配がはっきりと形となったのは、その直後のことだった。遥か先に明らかに今までとは異質な物体が現れ、彼はその中に一つの何かを捕えていた。人型、ではあるが気配は生きているソレではない。
「マーダライクか」
友人と言えるかどうかは彼の知った事ではないが、他にこんな気配を持つものを彼は知らない。過去に会った事のある物か、それとも全く新しい新型か。誰が相手でも負けるつもりは毛頭なかった。
「暇だな」
その遥か下で、ジャスティの体は悲鳴を上げていた。派手な戦いが出来ると信じてやってきたにも関わらず、舞台が空では暴れようもない。
「どうする? 行くかい?」
車の中で運転席の座席を倒して横になっていたルークは、焦れ始めた彼に苦笑しながらエンジンの鍵を入れた。ここで立ち止まっていても仕方がないし、出来る事があるのならするに越した事はない。それでも彼らがここに留まっていたのは、リースの様子がおかしかったからだ。始めは飛び込んでいった彼を心配でもしているかと思っていたルークだったが、どうにも様子が違う。
「大丈夫か?」
「え!? ああ大丈夫」
見かねたジャスティが声をかけるも、その視線は先ほどからあの穴に固定されたままだ。
「僕らはロイヤルナイツの方を探さない? ここでぼんやりしてるのもなんだし」
「あ、うん。そうだね!」
ルークが地図を広げ一番近い町までの道のりを計算する。まだロイヤルナイツからの領域内の為、油断は出来ないが情報が今の彼らには何より必要だった。
「本当に大丈夫かよ」
車に乗り込みながらジャスティが再び声をかけ、同時にルークが広げた地図を確認する。彼が印を打った所まで、この車の速度なら三十分程度だろうか。
「一応そこまで行けば誰かはいるよな?」
「だといいんだけどね」
もし誰もいなければ、それこそこの世界から誰も彼もが消えている可能性すら出てくる。
消え行く世界の生贄にされたのであれば、確かにこの扱いにも納得がいくが。
「ま、頑張ってみましょうか。あのお嬢さんの為にもな」
「まあ、その為にも……」
ルークが視線を向ける先で、未だ彼女は空を見上げたままだった。急かすにはあまりの緊張感に彼らが押し黙る中、彼女は半信半疑といった様子で口を開いた。
「感じない?」
何をだ? と車内の二人が顔を見合わせる中、続けて彼女は髪をかき上げながら呟いた。
「あの子がいる」
「あの子って?」
それから何かを諦めたかのようにさっさと車内に乗り込んだ彼女を乗せて発進した中、ルークが遠慮がちに助手席に乗った彼女に疑問を投げかけた。あんな滅茶苦茶であろう穴の中から存在を特定できたのなら大したものだが、ジャスティが首を振る辺りまともな方法で特定したとも思えない。
「ティスって言うんだけどね。昔から一緒にいたんだ、ずっと」
「容姿はそいつを餓鬼にしたまんま」
「もっとかわいいってば」
どこかしんみりした雰囲気になる中、ジャスティが後ろから茶々を入れた。それに笑顔で返しながら、彼女は窓に頬杖をつきながら記録を辿る。
「しっかりしてる子なんだけど、どっか抜けててさ。私たちの中で一番最後にできたもんだから、何だか可愛くって」
ああ、とルークが大体の事情が分かりため息をついた。つまり、かつて仲間内だった者がカインと戦う為に送り込まれたのだろう。何人いるのか知らないが、何らおかしい事態ではない、よくある悲しい物語だ。
「ま、仕方ねえよな」
彼が諦めたように両手を開き、ルークは話に加わってもよいものか返答に困り前を見つめた。こんな日でも、空は晴れだ。
「勝てるわけないよ。あの子じゃ」
そういう心配か、とルークは内心カインに同情を向けた。そのティスとやらの人となりを彼は知らないが、それでも自然と言葉は口から出てきた。
「殺すわけないよ。彼が」
「そう、だね」
あえて殺すという単語を使ったのも、変化の始まりだったのかもしれない。少なくとも彼の自覚しないままに、彼もまた変わり始めていた。