最終章 第九節 絆(6)
「いない……?」
もくもくと煙が立ち込める視界の先がよく見えず、フェイトが目を細めている間、ひかりは第二射を放つべく力を込める。
「大丈夫、かな?」
言葉とは裏腹に込めた力は先ほどよりも大きく、周囲の壁を震わせる。暫くの間、両者は息を潜め周囲へ神経を研ぎ澄ませた。
「はあーーーー」
それから数分ほどして、彼女たちは顔を見合わせその緊張を解いた。
「助かった」
ひかりがいなければどうなっていたか分からない。ひかり程の火力があれば別だが、フェイトにとってあのクラスの敵と戦うのは厳しい。不幸中の幸いに安堵しつつ、フェイトはひかりと共にいるはずの二人の不在に気づいた。
「カノンさんとライトさんは?」
ひかりの問いにフェイトは黙って首を振り、これまでのいきさつをざっと説明する。
「そっか……私も何がなんだか」
「ここが、狭間なのかな」
既にひかりは力を解いている為、彼女に移るのは暗闇だけ。迷うことなく通路を走ってきたフェイトとは違い、彼女の目には便利な機能は付いていない。
「分からない。前はこんなに長い時間いなかったから」
先ほどよりも幾分か『目』は慣れてきたが、まだそれほど索敵範囲も広くは無い。先ほどひかりと合えたのも単なる偶然だ。
「どうしよう?」
彼女たちに示されている選択肢は三つ。ひかりのいた道を進むか、先ほどまでの三叉路に戻りどちらか一方の道を進むか。
「どれ位歩いてきたの?」
そもそも、フェイトとひかりの間で経過した時間が分からない。フェイトよりも前にひかりはいたのかもしれないし、その逆も有り得る。聞いたところでどうにかなる問題でもないが、今は一つでも情報が欲しかった。
「そんなに長くは無いよ。五分くらい」
「何も無かった?」
「うん。ただこっちに何かある気がしたから」
「何か?」
「そうやって歩いてたらフェイトちゃんが来て」
「私がいた方は何も無かったけど」
人間、歩いてきた道を引き返すのはどこか気が引けるもので、自然と両者の思考は同じ所に辿り着いた。
「あっち、かな」
「かなあ」
頼りなく二人の視線は、未知なる道へと向けられる。ひかりの進んできた道には何も無く、フェイトの進んできた道からは何やら不気味な何かが追ってくる。ならば、と彼女達は足を進め始めた。
「何だ?」
ひかりが消えた場所で、成す術も無く空を見上げていたアルスの視界にそれが映った。
小さかったそれは次第に影を大きくし、次第に彼の空を覆い尽くす程の大きさとなり、彼に落ちた。
「フェリアルラ!!」
直前、咄嗟に唱えた呪文により彼の姿は姿を消す。移動場所は指定出来ない為、どこにいくかは分からないがあれの下敷きになるよりはマシだ。
「で、何だ? ってうわああああ」
幸いにも、移動した先は落ちてきた物の数メートル上だった。そのままその落下物に着地した彼が見た物は、例のあれの無残な姿だった。
「あの時のあれだ」
アルスの脳裏に嫌な記憶が蘇える。あの時カノンに切り刻まれた固体をおそらく同種だろう。あの時の団子虫は体に二つの穴を開け伸びていた。
「ひかりだな」
回転している最中に直線的な攻撃を受けたのだろう。そんな攻撃が出来るのは彼の知る限り、彼女しかいない。カノンならもっとバラバラになっているだろうし、何より彼は今頃ルーデだ。もしかしたら想像以上に過酷な世界に彼女はいるのかもしれない。そう考えると彼の鼓動は早くなる。自分が行ってどうにかなるとは限らないが、ここで待ち続ける事だけは嫌だった。
「手がかりは、ある」
目の前にいる物は狭間から来た物。ならば、後は気配さえ辿ればそこに辿り着ける。
「かも」
心の内の自身に一抹の不安を付けたし、彼は周囲に例の球を展開させる。
「ライエル」
この呪文で探せるのは物だけではない。手がかり一つで気配だろうと生物だろうと探し出す九つの球は、一気に周囲へ散る。
そして数分の時間が経ち、
「よし」
世界の正確な場所を掴んだ彼は次の段階へ移動する。ひかりの存在を確認した彼は、その力の波動に自らの波動を合わせていく。少なくとも彼女は狭間にいるのだ、ならば自分も彼女なのだとその世界に認識させればいい。近い世界に二つの同一固体がある矛盾した状況はそう長くは続かず、彼の体にあの時の感覚が訪れる。
「待ってて」
脳裏にフェイトの姿が浮かぶ。どうしてあんな所にいるのか、ひかりと同じ所にいてくれればいいけど、と心配を胸に彼の姿はその世界から姿を消した。
「うーん」
歩き始めてから数十分が経過しただろうか、ひかりとフェイトは暗闇の中、変わらない状況に溜息をつきながらその歩を進めていた。歩き始めた時から覚悟はしていたが、ここまで変わらない状況は彼女たちの気を滅入らせるには十分だった。
「何も無いね」
何も見えないひかりは自然と、フェイトの後ろにつく形になる。力を使えば光は生み出せるが、気配を察知されたくはない。
「ねえ」
先ほどから口を閉じていたフェイトの口から発されたのは、周囲の状況に溶け込みそうになる程の暗いもの。
「ん?」
突然の変わり様にひかりは首を傾げる。口調だけではない、その後ろ姿が、先ほどよりも小さく見えた。
「私って、変かな? ひかりから見て」
「変?」
質問の意図が分からず、ひかりは首を傾げる。純粋に向けられた疑問に対し、フェイトは少しの間をおいて、本題に入った。
「だって、首とか取れないでしょ? 普通」
「翼も生えないよ?」
「腕も取れるし」
「杖も出るよ」
どこか噛み合わない問答を終えるべく、フェイトは彼女と最も違う部分に手を当てた。
「でも、心臓は動いてるでしょ?」
「……うん」
その間が全てだった。ようやく質問の意図を理解したひかりにフェイトは、少しだけ先ほどより柔らかな声を発した。
「気、使わなくていいよ」
「嫌? 違うの」
心なしか歩調が速くなる。何故こんな話を始めたのか、少しの後悔と共に彼女の口は開かれる。
「どうなの、かな」
生まれた時、既に意識も体もあった。成長しない体に違和感を覚えた事も無く、ただ彼女はそこにあった。そこに疑問を感じ始めたのは、いつからだろう?
「私は、嫌じゃないよ。この力」
「うん」
その言葉が本来の彼女の物なのか、それはもう誰にも分からない。消されてしまった彼女の本当の意識がもしどこかにあるなら、今の問いに何と答えるだろうか。
「フェイトちゃんは、嫌?」
「嫌じゃ、無いけど」
「けど?」
フェイト自身、よく分からないままだった。どうしてだろうか、ここにいると何処か彼女は落ち着きを無くしていた。少し気を抜いたら泣き出してしまいそうで、それでも。
「ううん。何でもない」
彼女は気を取り直すようにして声を上げた。全ての懸案事項を棚に挙げ、フェイトは今までのもやもやを胸の中にしまい込んだ。
そして、一つの扉が彼女達の前に現れた。
「大きいね」
「うん」
ひかりの漏らす言葉に、フェイトはただ頷きを返した。扉自体は、何て事は無い物だ。ただどうしてか、フェイトはその扉を開ける事を躊躇していた。何故だろう、先ほどからの動揺が、波となって押し寄せてくる。
「フェイトちゃん?」
心配げにこちらに視線を向けるひかりに大丈夫だからと、フェイトは意を決してノブに手を掛けた。開けたらもう戻れない、パンドラの箱とは知らず。
「開けるよ」
そして、扉は開く。数々の絶望と、一つの希望を秘めた箱が。
久しぶりの更新。
すみません、4月まで忙しくなりそうです。
かなり不定期になるかと思いますので、できればまったりとお待ち下さい。