NO. 8 この手の届く限りは
臨時司令室は極短時間で事態を掌握していた。襲撃されるという前提で計画を立案していたことに加え、統括官であり現場における最高責任者でもある滝原一菜の対応の早さもその一因だ。既に、会場のVIPの避難は完了し、市民の安全確保も滞りなく進行している。あとは戦うのみ、敵の殲滅が目下の最優先だ。
今状況をにぎっているのは襲撃者達ではなくUAF。各部隊の連携は充分、近辺の支部からの増援もこちらに向かっている。
戦況はこちらに優位。大量のレギオンも、既にその三分の一近くが01によって殲滅され、残すは半数。勝敗は既に決したと言ってもいい。
襲撃を許したことそのものは失態ではあるもの、それ以上に状況掌握までの手際のよさは賞賛すべきものがある。他の指揮官ではこうはいかない。極東の才媛といわれるだけの才覚を確かに滝原は備えていた。そう、余人ならば彼女の手腕を讃え、そっと胸を撫で下ろしていただろう。
「――索敵どうか?」
「敵残数変化なし、増援の反応も感知できません」
増援は無し。本来ならば安堵すべきその事実が、彼女をどうしようもなく警戒させる。これで終わりのはずがない。そも03を襲撃した五体の敵は未だ確認されず、敵が投入したのは通常戦力のみ。これで終わりのはずがない、経験と直感がそう告げていた。ありえないとしても、敵の増援は想定しておかなければならない。
それにありえないというなら式典会場周辺に幾重にも張り巡らされた警戒網、その全てを潜り抜け、あれほどの物量を送り込むことなどできない。九基の永久炉心の内、六基が失われた今、空間転移は不可能。もし敵の用いた手段が空間転移なら、永久炉心が新たに製造されたということにほかならない。それこそ不可能だ、永久炉心の技術は永遠に失われてしまった。
しかし、今の状況はありえないことばかり。何もかもを疑わなくてはならない。
今回の敵は全てが不可解かつ未知数だ。式典会場に何の前触れも無く出現した大量のレギオン、少なくともゼロシリーズと渡り合うだけの力を秘めたの五体のサイボーグ。使用されている技術といい、物量といいこの五年間戦ってきた残党や新興勢力とは一線を隔している。そうまるで、五年前のような、人類を絶滅の淵まで追い込んだ人類戦役のように、どんな事態でもありえる。
「――第二分隊と第三分隊、避難誘導終わってるわね?」
「はい、両隊とも他部隊の救援に回っています。なにか指示を?」
「司令部に戻るように通信して、それと警戒態勢はレッドを継続。各員警戒を怠らないように」
確信を疑念を鬩ぎ合わせながら指示を飛ばし、司令部の守りを強化する。敵の狙いは分からずとも敵の取リうる戦術ならば絞り込める。この状況を一瞬で、なおかつ決定的に打ち崩すならば、取りうる選択肢は一つ。司令部への奇襲、情報網と指揮系統を寸断しての確固撃破、彼女自身何度もそんな作戦を敢行してきた。だからこそ、確信できる。敵の狙いはこの司令部しかありえない。
「――今度はやらせない」
人類戦役終結および”組織”壊滅から五年、一度たりとてあの日を忘れたことはない。
失くした左目が火照るのように痛む、あの日の熱を再び刻み込むように。五年前、左目を失ったその日こそ、彼女の最大の失態、償いようのない痛みの記憶だ。
二度と同じ轍は踏まない。どんな手を使っても勝利する。そのために、彼を呼び戻しさえした。もう二度と誰かの犠牲を容認することはない。それが彼女の誓いだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
拭いきれない違和感は一撃ごとに強まっていく。戦い始めてから感じていたそれは既に確信に近い。誰かに、何かに見られている、それも複数、俺の周囲に纏わり付くように確かに存在している。
「――!」
思考を巡らせつつも、確実かつ迅速にレギオンどもを始末していく。中型も大型も諸共に粉砕し、飛行型を叩き落とす。視界にはいる敵は悉くを破壊して、瓦礫と残骸の道を築く。
見られているのは確かだが、それに構っているような暇はない。先ずは目の前の敵が最優先、正体を探るのはそのあとで十分だ。
「――01、次のポイントを送信するわ。次で最後よ」
戦闘開始から三十分、大半の敵は始末した。他の場所でも味方が持ち直してきている。各隊の活躍もあって、民間人の犠牲は最低限に抑えられた、味方の犠牲も同じくだ。数字の上で見ればこの戦闘は既に終結している、こちらの勝ちだ。
疲労は一切無い。身体の感覚ももうほとんど取り戻した。やはり実戦の息吹は忘れていた感覚を蘇らせくれる。五年間の倦怠は、欠片も残さず消えていた。
「……滝原」
「――どうかした?」
目の前の敵を粉砕しながら、滝原へと回線を繋ぐ。もうこのレギオンどもの動きは識っている。鎮圧だけならそれほど時間は食わないだろう。
問題はそこじゃない。こんな雑魚共はそもそも問題ではないのだ。
「……分かってるわ、連中の動きが妙だっていうんでしょ?」
滝原のほうも同じ違和感を抱えていたようだ。何かあるという点においても考えが一致している、だが、俺も滝原もその正体が掴めない。
漠然とした不安と違和感だけが増大していく。何かが起きる、それは分かっている。まるで答えのない問題を解いているような、そんな不快感だけが脳裏で反芻されていた。まるで、あの時のような――。
「とにかくここを片付け次第、司令部に戻る。お前が心配だ」
後手に回るしかないのは癪だが情報が少なすぎる。考えうる可能性を虱潰しにして、最悪の結果を避ける。この場所で、五年前の再現をするつもりは毛頭ない。
「そ、そうね、直衛は厚くしてるけど………北東は別部隊を回すから、司令部の――ッ!?」
「――ッ滝原!」
瞬間、目の前の中型を足蹴に空中で反転、最高速まで加速した。考えるよりも早く身体が反応していた。勢いを味方につけ、地面を踏みしめる。司令部はそう遠くない、間に合わせてみせる。
一瞬送れて、警告が鳴り響く。司令部が急襲されたという旨の通信が味方全体へと伝播された。通信越しにさえ動揺と混乱が感じられる。
この際周囲の被害を鑑みている余裕など一切無い。事態の把握など後回しだ。出力のリミッターを一つ解除、あふれ出したエネルギーの大半を脚部へと集中し、爆ぜるように地を駆ける。身を引き裂くような空気抵抗を押し破り、衝撃波を引き連れて、真っ直ぐに指令部へと跳ぶ。
敵も味方も置き去りに走り抜ける。コンマ一秒ですら惜しい、今度こそ、今度こそ間に合わなくては。
「滝原! 滝原!! 返事をしろ!!」
通信の呼びかけにも、返事は無い。返ってくるのは爆音と鳴り止まない警告音ばかりで、息遣い一つ感じられない。
頭の中で最悪の可能性が何度も何度も蘇る。降り注ぐ黒い雨と、崩れ去った瓦礫の中煌々と燃える紅蓮の炎、耳にこびり付いた無数の断末魔と怨嗟の声、そして少しずつ失われていく彼女の温かさ。その感覚までもが両腕に蘇っていく。
一瞬、光の消えた彼女の瞳が滝原の瞳へと変わる。ひどく冷たい虚ろな隻眼が俺の顔を見詰めている。その瞳を覗き込んだ瞬間の、足元から崩れ落ちるような錯覚さえも感じられる。喪失感は無い、あの時はなにかを感じることさえできなかった。
「……頼む!」
自然、縋るようなその言葉が漏れていた。あの日と同じにはさせない、決して。
五年前、俺の手は届かなかった。そして、今も俺の手は届かないかもしれない。その事実がどんなことよりも恐ろしい。
壊れそうな心とは裏腹に身体は最適の動きを選択する。臨時司令部はもう目の前だ。もう手が届く。まだ戦っている、間に合うはずだ。いや、今度こそ間に合わせてみせる。それだけが今まだ、俺が此処にいる、唯一の意味だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
奇襲の瞬間、彼女は死を覚悟した。幾重にも敷かれた陣も、精鋭を揃いの護衛も意味がない。敵の顕現を感知した瞬間には、攻撃を受けていた。
「――っぐ!?」
爆発の衝撃は強固な装甲に守られた指揮車をいとも容易く横転させる。そのまま天地が二回引っ繰り返り、背中を壁に強かに打ちつけられることになった。
どうにか受身は取ったものの、左肩が酷く痛む。けれども、その痛みのおかげで彼女は意識を保っていられた。
「――だれか、誰か無事? 直ぐに復旧を……」
傷の痛みを堪えながら立ち上がり、指示を出そうとしてようやく、状況を認識した。彼女、滝原以外に意識を保っているものはいない。運のいいものは気絶しているだけだが、運の悪いものが大半。これでは指揮能力の回復どころではない。
「――全隊、今すぐ司令部に……駄目か」
通信を使って助けを求めようにも、妨害されていて使い物にならない。辛うじて早期警戒は間に合ったが、これでは詳しい状況を伝えようがない。大人しく助けが来るのを待つしかない、状況としては最悪だった。
それでも、まだ落ち着いていられるのは指揮車の外ではまだ戦闘が続いているからだ。事前に配置していた護衛部隊が、敵と抗戦しているのだ。敵の奇襲を許しはしたものの、むざむざと全滅はしないとしてはいない。
そう例え敵が失われた空間転移を用いていたとしても、時間を稼ぐことはできる。あとは時間だけ、彼が間に合うかどうかに全てが掛かっている。
「とりあえず、外に出ないと……」
なんにせよ、この指揮車の中に留まることは得策とはいえない。強固な装甲はミサイルでもものともしないが、サイボーグが相手では心もとない。危険を犯してでも、この場所から離れ、味方と合流すべきだ。オペレーターたちを見捨てるわけではないが、自身の役割と価値を見誤るほど愚かではない。滝原一菜が、指揮官たる彼女が此処で死ぬわけにはいかないのだ。
「こ、の、開け!!」
故障した扉を手動に切り替え、体当たりをするように押し開く。後ろ髪を引くように、左肩が痛んだ。
扉の向こうにはあるのは炎と瓦礫と、戦い。視界の中、何処に目を向けても戦火が交えられている。戦況は不明、少なくともこちらに有利とは言い難い。
「――っ!」
自身の失態を目の当たりにしながらも、一菜は自分のすべき事を理解していた。感傷も、後悔も、ここを切り抜けてから。犠牲も、献身も決して無駄にはしない。今できることはそう誓うことだけだ。
転移回廊を開き転移してきたのはただのレギオンなどではない。おそらくは、いや確実に03を襲撃したサイボーグたちだ。そう、敵はやはり転移した。それが問題なのだ。これほど技術が進歩し、サイバネティクスや超物理学が技術革新を迎えても、空間転移を可能にしたのはある技術だけ。今は失われた永久機関の技術だけだ。
故に、敵が転移したという事実はある推測を導き出す。今までは決してありえなかったその事実を明確に証明した。
永久炉が建設された、それも敵の手で。その最悪の可能性が実現したのだ。
敵が永久炉を搭載しているとすれば、対抗できるのは同じく永久炉を搭載したサイボーグだけ。今戦っている部隊は勝ち目のない戦いを強いられている、命をかけて時間を稼ぐために。それもこれも、すべて自分の責任、彼らの死は滝原一菜が背負うべきものだ。
だからこそ、生き延びなければ、そうでなければ、あの日の意味すらも消えてしまう。
「――見ぃつけたぁ!!」
歓喜と諧謔を隠そうともしない声が響いたのはその時だった。子供の声、そう思考するより、先に恐怖が先んじた。
「――!」
体が反応するよりも早く、目の前には敵がいた。
乳白のような色の装甲を纏ったサイボーグ、間違いない雪那の映像記録にあった敵の一体だ。
「お姉さん、滝原って人だよね? 片目だし」
「ッ下がりなさい!」
一瞬遅れて、―大よそ数度殺されていた時間―を経てようやく銃を構える。装填されているのはサイボーグの装甲でも打ちぬける特殊弾頭。殺しはできずとも時間は稼げる。もっとも、敵が銃弾に当たるほどのろまであればという前提が必要だが。
「無駄無駄、生身の人間が僕らに敵うわけないじゃん。大体何それ? 拳銃? 利くと思ってんの? まさかそんな――」
無呼吸の三連射。胸部に火線を集中した。それと同時に地面を蹴ってその場から退避、弾着からコンマ一秒足らず。対サイボーグ戦の教科書に載ってもいいような見事な立ち回りだった。
それでも遅い。コンマ一秒だろうが、その十分の一だろうが、遥かに遅い。
「――痛ッ!?」
蛇のように延長された右腕が一菜の身体を打ち据える、それこそ一瞬、撃たれたと気付いたときには瓦礫に叩きつけられていた。彼にとっては、触れるような、傷つける意図のない接触だったのだが、それでも威力は充分。触れられた一菜の右腕は無残にも砕けて、骨が肉を突き破り、その白を外気に晒していた。
「お姉さんさ、偉い人なんでしょ? 偉い人がいきなり撃っていいの? まあ、無駄だったんだけどさ」
今にも笑い出しそうな調子でサイボーグはそういった。命中した特殊弾頭のダメージなど皆無らしく、胸部の装甲には染み一つない。避けなかったのではなく避ける必要がなかった、ただそれだけのこと。それは同時に、もはや死を待つ以外に選択肢がないことを意味していた。
「いいね! その眼! まだ諦めてないって感じでそそるよ、お姉さん!」
それでも、痛みで口がきけなくとも、その瞳がなによりも彼女の意思を物語っている。この程度幾度なく経験してきた。特殊弾頭が利かずとも、右腕が千切れて落ちようとも、残る右目が光を失ったとしても諦める理由にはならない。少なくとも、この命尽きるまでは決して抗うことはやめない。五年前に誓ったあの言葉を決して無駄にはしない。
「うんうん、ただ殺すんじゃもったいないから、少し遊んじゃおうかな。そうだ、お姉さん、命乞いしてみてよ! 僕そういう無駄なこと好きなんだ」
楽しくて仕方がない、戯れに昆虫を引き裂く子供のように彼は嗤った。抵抗の意思も、決死の覚悟も、これほど力の差があれば平等に無価値だと彼は理解している。目の前の彼女はリストの名前の一つ、それが偶さか遊べる玩具だったというだけ。それ以上の意味などない。そう確かに、この時までは確かにそうだった。
「……そう。じゃあ、一言だけいいかしら?」
故に、その変化に気付けなかった。苦痛に呻くだけだった端正な顔に牙を剥くような笑みがあることに、その意味に、終ぞ気付くことはなかった。
「いいよ! ああ、でも、思いっきり無様で長いのにして欲しいな! あとで映像記録で再生するからさ!」
「……後ろ、キチンと注意したほうがいいわよ」
「…………へ? それが命乞い? 一体なにを――」
刹那、彼の世界は超音速で吹き飛んでいた。
理解できない。衝撃を吸収し、エネルギーへと返還するはずの体が、宙を切っている。地面に直撃するその瞬間まで、彼には誰に何をされたのか、皆目理解できなかった。ただ漠然と、蹴られたのだという事実だけが彼の脳裏にはあった。
「――待たせた。まだ生きてるな、滝原」
「あたりまえでしょ。ピンピンしてるわ」
血で霞んだ視界には、白銀の背中だけ。耳に響くのは懐かしく頼もしいその声。
傷の痛みですら忘れてしまいそうだった。その姿をずっと待ち望んできたのだと確信できる。だからこそ、許せない。
その背中がどれほど傷だらけか知っているからこそ、彼を戦いから遠ざけたのではないかと、静かな声が責め立てる。お前は罪深い女だと、罵る声すら聞こえてくる。背負った業の重さは誰よりも彼女自身が理解していた。
だがいまは、それでも、それでもその業に縋るしかない。五年前と同じように、あの日と同じように。
「今度は必ず守る。安心して眠ってろ」
「うん、任せた。必ず勝ってね、――」
彼の名は言葉にはならなかった。それでも彼は進む、背負ったもののため、名もない彼が自身の存在を証明するために。
01は、彼女の英雄は、まだそこにいる。五年前から何一つ変わってはいない、あの日のまま、彼はまだ、そこにいた。