NO. 54 鏡像
交差、激突、衝撃。その度に肉が裂け、骨が軋み、命が削れて行く。襲来する光はあまりにも早くあまりにも正確。十分に俺を殺せるだけの速度は維持している。一秒間に数百回、依然速いなんでもんじゃない。
だが、それだけ。何を思う意味もなく、戦うことすらも意味はない。いや、戦いですらない、こんなものは戦いとは言わない。この敵は戦場に相応しくない、ここにいることすら間違いだ。そんな輩と命のやり取りをする気は毛頭ない。
”――クソッ! どんだけHP多いんだよ!”
「――遊び感覚か」
響き渡るのは癇癪を起こした子供の声。あの時のように素体が幼いわけではない、目の前にいるのは正真正銘の子供。見た目だけではない、その行動も精神も丸っきり子供のままで、こうして向かい合っていることに強烈な違和感を覚える。ここは戦場、殺し合いをする場所だ、例え敵とはいえ子供がいるべき場所ではない。
目の前に浮いた青色の似姿、滑らかな生体装甲に永久炉の光。そして、それ矛盾する生体反応。この敵は機械じゃない、生きた生身の肉体を持つ存在だ。
”――喰らえ!!”
「無駄な事を……」
正面からの攻撃を紙一重で躱す。これだけ見ればいい加減慣れてくる。考え無しの直線、いい加減手の内を晒しすぎだ。今の身体でも十分躱せる。
相変わらず殺気はないが、それも当然。子供に殺意が抱けるはずもない、精々が敵意だ。この敵、この子供は殺意を抱けるほどに人間を理解してない。戦士でないどころか、大人ですらない。戦場に立つにはあまりにも未熟だ。
だが、こっちには好都合だ。
”またかよ! またかわしやがって!! お前、無礼だ! 僕は神の子だぞ!!”
「マイソロジア?」
子供というのは一々何を喋って良いか悪いかなんて判断しない。尋問をする必要もない、質問をするだけで聞きたい事を答えてくれる。
確かに能力は凄まじいが、中身がこれでは意味がない。神話とは大層な名称だが、見掛け倒しだ。
”そうだ! 僕達は総統の子供! 神の血を受け継ぐもの! お前のような機械の作り物と違うのさ!!”
「へえ、あの雲の化け物もお前の仲間ってわけか」
”は! 察しがいいじゃないか! あいつの名前はアステリオ、まあ、強いけど、僕ほどじゃないな!”
アステリオ、おそらくはギリシャ語だろうが、生憎と何か手掛かりを見出せるほど学があるわけじゃない。だが、聞き出せただけで充分。後で俺の記憶を参照すれば専門家が何か答えを導き出すはずだ。
俺のやるべきことは一つ、だがまだ、それをするわけにはいかない。引き出せる情報を全て引き出してからだ。
「……派手にやってるな」
奥底に感じる震えるようなこの感覚はまさしく永久炉心の空間波動。雪那(03)とジョー(07)の全力、永久炉心の完全解放の波長だ。あの二人が全力で戦ってる。しかも、永久炉の共振まで感じるという事は、ジョーか雪那が切り札を使ったという事だ。
ならば、任せる。口惜しいが、あの雲の化け物は二人に任せるべきだと、理性は判断している。二人ならば絶対に勝つ、そう信じるからこそ俺はここで成すべき事を成す。
子供の遊びに付き合う程度、なんのことはない。
「そりゃ怖いな。お前みたいなのが何人もいるなんて」
”――は! そうだろう! そうだろう! 僕達十二人が揃えばお前らなんか軽く滅ぼせるんだ、今のうちに降伏したほうがいいぞ!”
「そいつは無理な相談だな。こっちにも意地がある」
こうして勝手に喋ってくれるのだから、こっちとしても楽だ。得られた情報は楽観できるものではないが、それでも何も情報がないよりはマシだ。少なくとも戦う相手の正体が分かっていれば、無駄労力は少しは減る。
しかし、こいつを含めて十二人か。となれば、あの雲の化け物も含めて後住人はこういう化け物が存在しているという事になる。単純に脅威というにはあまりにも正体が掴めないが、厄介この上ない相手であることには違いがない。
覚悟もなければ、殺意もない子供でこれなのだ。能力だけで見ても今までの敵の中でも指折りの強敵、簡単に勝てる相手じゃないことは骨身に染みて理解している。あのクレタスか、あるいはそれこそあの総統のような――。
「…………そういうことか」
そこまで考えたところで、ようやく答えへと辿り着く。こんな簡単なことも思いつかないなんて、自分の巡りの悪さに嫌気が差すくらいだ。
こいつの言葉の通り、こいつらはあの総統の後継者なのだ。だからこそこの力、物理法則もあったもんじゃない権能行使もあの化け物の系譜に連なるものだとすれば頷ける。
まさしく神そのもの。あの力の前では不可能など存在せず、俺達でさえ塵に同じだった。正直なところ、六年前何故勝利できたのか、俺自身も良く分かってないくらいだ。
先ずはこれだけ。残りは後で聞かせてもらうとしよう。まずは――、
”はは! 強がってるのが丸分かりだ! 僕達に怖気づいたんだろ!?”
「――さあ、そいつは」
殺気を殺して地面を蹴る。踏み込んだつま先で地面を砕き、瞬間で最高速へ。数百メートルはあった間合いが一瞬で消える。目の前には驚きに満ちた瞳、奇襲は成功だ。
「自分で確かめろ!!」
”――っ!?”
拳を振るう。軽い感触、当たりはしたがたいしたダメージはないだろう。精々が表面を砕く程度、これでは命をとるには遥かに足りない。
それも当然。空中では踏み込めず、威力も相応。だが、重要なのは一撃当てることで始末することじゃない。だからこれでいい、こいつにはこれが正解だ。こっちも命を取る気なんぞ毛頭ないのだから。
”――この!!”
当然次の瞬間には反撃が飛んでくる。迫る光は速度に相応しい衝撃と質量を持ち合わせている。
速度は負傷前よりは落ちるものの、それでも速い。真正面からでは些か分が悪い。無論正面からはやりあわない。大人らしく遠慮なく姑息な手を使わせてもらうとしよう。
「――喰らえ!」
瞬間、右腕にエネルギーを充填して、即解放。当然威力など期待できないが、それで充分。こんなものは所詮、囮に過ぎない。
視界を光で染まる。エネルギーの余波でセンサー類が麻痺して、意識から世界が消えた。あるのはオレと踏みしめた地面だけ。これでいい、この条件ならばやれる、ありとあらゆる全てがオレの味方。どれだけの能力を持っていようが、この差はこいつには埋められない。
”っ目が!? どこに!?”
「――後ろだ」
勘と経験を頼りに、背後を取る。目が見えず、センサーが使えずとも、敵の位置と自分の位置を間違うような馬鹿じゃない。必要なのは敵の戦意を砕く手だけだ。
どれだけ速かろうが、反応速度だけに限るなら俺の方が早い。ほんの一瞬でもオレの前で隙を晒したその時点で決着は着いていた。
必要だったのはこの刹那。これまでの攻防も、追走劇もすべてはこのためにあった。今こそ、本来の任務を果たす時、即ち敵戦力の鹵獲だ。
”――なにをッ!?”
「付き合ってもらうぞ!」
そのまま右脚をとり、地面に向かって加速する。スラスターを全開にして、最大速へ。それでもこいつの速度に比べたら地を這うようなものだが、地面に辿り着くならそれでいい。
叩きつける様に着地、見た目は派手だが、ダメージは期待できない。精々がこけおどし、問題はこの先だ。
”――おま、なにを――!?”
「まずは一本」
刹那、意識が追いつくよりも早く、大腿骨を極める。無論それで終わりじゃない。装甲の厚み、堅さ、撓り、そのすべてをねじ伏せて、一方向に力をかける。
”――!!”
バキリという乾いた音が響いて、声にならない悲鳴がそれに続いた。文字通り戦意をへし折るにはこれが最適だ。
頑丈とはいえ、この体勢で一方的に力をかけられれば骨をへし折るのはそう難しくない。神の子だろうがなんだろうが、関節の位置は人間とは変わらないし、構造も大して違いはない。人間が数千年間積み重ねた人体を壊す技術は今なお有効だ。
”あああああああああ!!”
「脚を圧し折った。動けるようなら動いてみろ」
絶叫。骨の砕ける痛みは俺も良く知っている。ましてや、生身といってもいいこいつにとっては、痛みのほどは地獄そのものに等しいはず。俺達のような半人半機械のサイボーグとの違いがそこにある、俺達はいざとなれば痛覚そのものをシャットダウンできるが、生身の人間はそうはいかない。
重要なのはその違い。ましてや戦士でもない、こんな餓鬼が痛みを制御できようはずもない。いや、よしんば制御できたとしても、先手を取るのはこっちだ。
”――クッソオオオオオ!!”
「なんだ意外と根性あるんじゃないか」
”――っ!?”
それでも逃げようとするのを、足を掴んで、引き摺り下ろす。ついでに折れた足を軽く捻ってやる。痛みに力の制御が乱れてか、まるで蜻蛉のように地面に落ちる。こいつは確かにとんでもなく速いが、初速ならばオレでも十分に制圧できる。
いまやこいつは籠の中の鳥、どういたぶるかはこっちの自由だ。
「――もう一本、と」
”――づっ!?”
すかさずの追撃。倒れた背中に足を掛けて、左の肩甲骨を一息にふみ砕く。事前に感じていた通り、光さえ剥ぎ取ってしまえば、こいつらそのものの強度はそこまでじゃない。制圧するのに特別な道具は必要ない、適切な位置に、適切な力を加えてやればそれで充分だ。
まだ動けるとは意外だったが、これでお終い。圧し折ったのは僅か二本だが、それでも身動きは取れない。右脚と左手、その二つがまともに動かなければ戦うどころか、立ち上がるのも無理だ。
オレの経験上、ここまで追い詰められた奴が取る選択は三つ。どうにか立ち上がって立ち向かうか、自決するか、降伏か。だが、今回の場合、前者二つはありえない。こいつは戦士でもないし、ましてや迷いもなく自決を選べるような機械じみた精神性も持ち合わせていない。どこまでいっても、どれだけの力を持とうが人間に過ぎない、であれば、戦意を折るのはそう難しくはない。やり方をきちんと理解していればだが。
「――さて、どうする? 降伏するなら、首は圧し折らないでおくが?」
”――っあ、ああ”
返ってくるのは返事ではなく、苦しそうな呻き声。かろうじて気絶はしてない、そのほうが楽だろうに。根性だけは見事なものだと認めてやってもいい。
目を凝らせばへし折った部位では再生が始まってる。当然といえば当然の機能。だが、所詮は再生、復元ほどには早くない。そこが致命的だ
「とりあえず寝てろ」
"がっ!?"
顎に一撃、再生よりも早く意識を刈り取る。神の子がだかなんだか知らないが、人体構造ををそのまま残したのが失敗だ。実体があり、人の形をしていればこっちの領分だ。
「……どうにか片付いたか」
膝をつきたくなるのを我慢して、空を見上げる。戦いの余波は未だに感じられるが、とりあえず向こうも決着はついたらしい。
目の前には雲ひとつない晴天。空を覆っていた暗雲はいつの間にか消えている、天を衝く城塞も同じく消え失せた。考えるまでもない、あの二人が、妹と弟がやってくれたのだ。
こと火力という点に限れば、兄妹達の中でもあの二人は飛び抜けている。それぞれ特質は異なるものの、だからこそ、組んだ時の爆発力も凄まじい。俺があれだけ苦戦したあの雲の化け物が跡形残さず吹き飛んでいる。やはり判断は間違ってなかった、オレではこんな芸当は到底無理だ。
「しかし、どうしたもんか、迎えは期待できそうにないし……」
事態は片付いたが、まだ通信は回復していない。おそらくは永久炉の最大出力と空間振動が原因だろうが、俺一人でどうにかできるようなものでもない。待つしかないのが歯痒いところだ。
此方の状況を報告し、向こうの現状を確認しようにも、通信が使えなければどうしようもない。生憎とあくまで兵器、万能じゃないのはご愛嬌。
向こうが無事だという確信はあるが、こっちだけでは動きようが無いのは確か。先ほどの戦闘で捕獲用装備の大半は喪失し、いつまでこいつが気絶してるともわからない。確実に先手は取れるが、それ以上の利点はなし。今はこっちが勝ってるが、あくまで今は、だ。すこしでも事態が動けば、それで一寸先は闇。
戦場というのは常にそういうもの。全てが上手くいくことは絶対ありえない。想定すべきは常に最悪、それでも時には予想を上回るものが降ってくる。
「――次から次へと……」
瞬間、背筋に走る悪寒。空間が怯えるように揺れている、この係数は間違えようがない。独特の波形と特有の痛み、転移回廊が開くその前兆。
NEOHのものとはまた違う。もっと大きく巨大なものの転移、感じているエネルギーの総量だけで計ればあの三人の護衛軍や俺達にも匹敵する力の具現が直ぐそこまで来ている。次から次へと、まるでゴキブリか、カビだ。しつこいにもほどがある。
「――!」
見上げる空が割れ、漆黒が覗く。果てのない虚数空間の闇から一つの影が姿を現す。ほんの一瞬、その何かに思考を奪われる。産み落とされたそれは静かに地へと落ち、影が這う。無様なことに、その様に見惚れて何をすることもできなかった。
本来ならばもっとは早く、敵が体勢を整える前に始末すべきだ。だというのに、ただ見ていただけ。何をすることもできずにただ俺は立ち尽くしていた。何たる怠慢、許しがたいほどの愚かさだ。
だが、それでも、あまりにも――、
「――似てる、いや、だが、違う、あいつじゃない」
影がゆっくりと立ち上がる。現れたのは一つの鏡像、俺が良く知るものに何もかもが似通ったそれ。だというのに、全てが正反対。本来あるべき黒は冒涜的なまでの白に食い尽くされ、元の印象は何もかもが汚されている。
それでもなお、美しい。銀は金に、金は銀に、すべてが変わってもなお、あの女は美しい。
「――初めまして、01。ようやくお会いできましたね」
「一体なんだ、お前」
そうして声さえも、あの女と同じで何もかもが間逆に位置している。
目の前にあるのは俺の宿敵の似姿、美しき白い魔女。完璧を体現する美しさがそこにはあった。




