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NO. 50 雷電

「――なにっ!?」


 力を振るった瞬間、驚愕に思考が停止した。振りぬいた右脚、敵を確かに捕らえていたはずのそれが、虚しく空を切る。

 必殺の間合い、必勝のタイミング、逃すはずのない一撃は空を抉るのみ。視界が光に埋め尽くされ、右の脚が熱に焼けていても、仕留めたその刹那の感触を間違うほど耄碌はしていない。当たった筈の一撃、命を奪った筈のそれは確かに外れていた。

 なぜ、そんな疑問が頭を過る。転移ではない、その気配は感じなかった。ならば、なんだ。オレが蹴ったのは幻だとでもいうのか。いや、違う、あの瞬間まで確かに奴はそこにいた。それは間違いない、ならばどうしてーー。


「――ッ」


 慌てて体勢を立て直し、どうにか復帰したシームルグの上に着地する。ダメージはあるが、流石はあの主任の開発というだけのことはある。まだ飛べるとは、正直驚いた。

 考えるのは後。重要なのは何故かではなく、今どうするかだ。あの一撃はシームルグを失う覚悟で放ったもの、確実に仕留めるために、本来の任務すら捨てたものだった。それが外れた、その代償は当然大きい。

 脊髄コネクタから送られてくる情報は途切れ途切れ、辛うじて飛べているとこと以外はなに一つとしてわからない。これではもう一度接敵するどころか、飛び回って攻撃を回避することすら難しい。


「どこだ――?」


 それでも諦めるには足りない。雲の中、視線を走らせ敵の姿を探す。相変わらず計器(かんかく)の大半は役立たずのままだが、それでも目は動くし、捕獲用の新装備は生きている。まだ、戦えるならそれで充分だ。

 しかし、それでも視界にあるのは雷を孕んだ黒雲だけ。先程の敵の姿はどこにもない。それも当然、あの一撃は外れたが、それでもやつを殺すには充分な威力はあった。当たりさえすれば殺していた、その確信は確かにある。それは敵も同じ、ならば二度と接近を許さないであろうことは明白。少なくともオレがやつの立場ならばそうする。わざわざ正面きって俺を相手取ることなどしない、ただ隠れているだけでことは足りるのだ。

 こいつの目的は俺を倒すことじゃない、輸送機を仕留めるまでの足止めが目的だ。ならばすべきことは一つ、取り得る選択肢はただ一つだ。即ち――、


「くっ、やはり――!」


 瞬きの間に顕現したのは数百を越える雷の群。数こそ凄まじいが、大きさと帯びてるエネルギーからして大した威力はない。これでは何発当たったとしても、致命傷にはならない。そう致命傷にはならない、俺にとっては脅威ではない。


「くっ!!」


 傷だらけの怪鳥に鞭を打ち、急加速。今の状態でできる全力、掠めることすら今は許されない。雲の隙間を縫い、風の壁をかわして、なおも早く。まだ落とされるわけにはいかない、少なくとも雪那が輸送機を戦域から逃がすまではここで戦う必要がある。

 シームルグの機首を上げ、グングンと上空へ。雲の檻には果てなどないように思えるが、それでも中心点、力の源から離れれば、当然敵の力は弱まるはず。此処では戦えない、もう一枚の切り札を切るには今一度の刹那が必要だった。


「――光拡散砲リパルサー起動レディ


 音声認証と共に、装備を展開した。今回の任務のために用意された装備の一つが、差し出した右腕に篭手のように顕現する。違和感はあるが、最小限。接近戦をするには心もとないが、今はそれで充分。元よりこの装備はそのためのものではない。


「ッまだまだ……!」


 再びの雷を辛うじてかわし、勢いの増す向かい風の中を閃光のように飛び抜けた。

 それでも怪鳥は既に限界が近い、各機関部が火を噴いて、一瞬毎に機能が低下していく。脊髄コネクタから伝わる鼓動は最期の残り火、消え行くそれを吹き消すようにさらに速度を引き上げた。今更、装備の一つに干渉を抱くほど若くはないが、それでも、この残り火に応える義務がオレにはある。例え使い潰すとしても決して無駄にはしない。

 再加速。吹き荒れる風と衝撃に歯を食いしばって耐え抜く。速度は既に音を越え、光にさえも肉薄する。それでいい、この速度でなければ何もかもを振り切れない。目指すは雲の外、逃走のためではなく、勝利のため雲の外へと一気呵成に舞い上がる。


「――!!」


 眼前には幾重にも連なる雷の茨。かわすにはあまりにも多く、防ぐにはあまりも広い。ならば、正面から駆け抜けるのみ。命を懸けねば届かぬなら、喜んで懸けてやる。目指すは勝利、ただそれのみ。俺のこの身など砕け散っても本望だ。

 果たして、一瞬後に広がっていたのは見惚れるような蒼穹。どうやら賭けに勝ったのはオレらしい。遅れて脳髄に伝わる最期がその証拠、解除された脊髄コネクタからは確かな機能停止を感じた。

 役目を終えた怪鳥シームルグが静かに落ちていく。あのギガフロートでの激戦を潜り抜けた怪鳥があっけなくその機能いのちを終える。それが少しだけ羨ましかった。感傷に捕らわれている暇はない、それを分かっていても、ただ、そこに心が残った。


「――拡散バースト全力放射フルオープン!」


 その全てを振り払うように、右腕を振り上げる。リミッターを解除して、全出力を拡散砲に集約していく。体が焼けようが構うものか、今度こそ眼前の敵を排除してみせる。

 眼下にはどこまでも広がる雲の海。そこから伸びるのは四本の雲の腕。雷の指が此方を捕らえようと蠢いている。だが、遅い。遥かに遅い、この程度では決して俺は捉えられない。


解放シュート――!」


 吼えるように力を解き放つ。充填された永久炉の光が一気に増幅され、太陽の如く周囲を照らす。刹那、ありえないはずの衝撃に右腕が撓む。巨大なレンズを通して放たれたのは破壊の光、原子を焼却するそれが雲の腕を退けるて、雲の城郭を焼いていく。

 周辺の空間が歪み、右腕の装甲はだに痛みが走る。制御しきれない、その必要もない。輸送機の離脱は確認している。この場所なら一切遠慮は要らない、思い切り全力でぶちかませる。


「――おおおおおおおお!!」


 腹の底から声を搾り出すように、力を極限で振るう。あまりの出力に拡散砲が軋むのを感じる。レンズに罅が入り、回路の幾つかが焼きついた。オレ一人ではこの範囲は焼けない。元よりこういった広範囲を狙う大雑把さは俺の領分じゃない。それでも、これだけの事ができるのはこの装備があるからだ、この拡散砲が壊れてしまえばもうそれで終わり。この雲は仲間達に追いつくだろう。

 それは許せない、ただそれだけのこと。後数秒持つか知れないが、それで充分。その数秒で逃げ場すら与えず、雲の城砦を吹き飛ばせばいい。

 扉の向こう、意識すらも白く霞むその場所で、確かに自分を手繰り寄せ続ける。放射される光は全て、原子を焼く破壊の光。世界のすべてを焼き尽くして、我が敵を圧殺する


「っ!!」

 

 数秒の後、一際大きな光と共に拡散砲が弾けた。右腕が焼けて痛みが走る。しかし、これで十全。シームルグと同じく、この装備も見事役割を果たした。

 眼下にあった雲の城は大きく抉れ、そこにあるのは、巨大な空白地帯。その中心ぽつんと、敵がいる。城を吹き飛ばされ、鎧をはがされ、供回りも無く、そこにあるのは王ただ一人。今だ、今しかない。

 空中で身体を翻す。重力を味方に付けて、加速。着地のことなど考えない、今重要なのはここで仕留めうるか否か。切れる手はすべて切った、これでダメだったならなんて眼中にありはしない。

 再び右脚に最大出力を集中させる。光に空間が歪み、痛覚さえも彼岸の彼方。避けようが避けまいが、結果は同じ。周辺の空間ごとねじ切ってしまえばそれでかたはつく。

力を振るう。殺意は鋭く、躊躇も容赦もない。どんな手を使おうともここで殺す。たとえ何があろうとも。


「―――っ!?」


 刹那、何もかもが瞬く間に吹き飛んだ。


◇   ◇   ◇    ◇   ◇   ◇   ◇  ◇   ◇   ◇   ◇


 目の前では光と雷が交差している。あまりにも巨大な雲の城の内部から揺らいでいる。人の手では決して打倒しえない自然が力に蹂躙される。それはまさしく、神話の光景。あそこで行われている戦いは神と戦士の争いだ。

 だからこそ、風見原雪那は悔しさに歯噛みする。隣で戦うと誓ったというのに、今の彼女はその誓いを果たせない。義務を果たすため、任務を遂行するためといえば聞こえはいいが、結局のところ彼女にとって重要なのはただそれだけ。兄と共に戦うこと、兄の隣で背中を預けあって戦い続けること、それだけが彼女の、風見原雪那の望み。それ以外を望むことなど考えたこともないし、それ以上を望むことは禁じてきた。彼女はあくまでも彼の妹、それ以外にはなれないし、なろうと思ったこともなかった。

 だからこそ、歯痒くて仕方がない。彼がここいる、目の前で戦っているだというのに、その隣に自分がいない。それがただ悔しくて、哀しくて、許せない。今すぐにでも何もかもを差し置いてでも、兄の下へと飛んでいようはけない自分が恨めしい。

 正しい事を成す、すべき事をする、それは確かに正しい。そんなことは言われなくても知っている、ああ、百も承知だとも。だから、こうしている。兄から遠く離れ、二機の輸送機と十数人の人間を守るために全力を尽くしている。

 周辺に展開した力場、紅蓮クリムゾンの応用系の防護フィールド。その性能は折り紙つき、万能とも言えるだけの力はあるが、一つ致命的な欠点がある。

 この力を使っている間は彼女は一歩も動けない。防御に力を使っている間は攻撃に転用することはできない。攻撃だけなら幾らでも調整が利くが、防御に必要な集中力は比じゃない。それにこの風と雷、一瞬でも防御を緩めれば彼女は平気でも輸送機は瞬く間に落とされる。どうやら敵は01を相手にしながらも、此方を狙い続ける余裕があるらしい。


「――っしつこい!」


 幾度も襲い掛かる雷を振り払い、どうしようもない苛立ちを拳に込める。ゆっくりとしか進まない、輸送機が鬱陶しくて仕方がない。

 敵の勢力圏を抜けてしまえば、兄の援軍に向かえる。一分一秒が惜しいこの状況で、この速度はあまりにも致命的。輸送機を守りきっても、01を失ってしまえば、それでお終い。認めるにはあまりにも我慢ならないが、それでも一人では”組織”には対抗できない。彼女イモウトアニ、そのどちらが欠けてもUAFの負けだ。

 そして、それ以上に彼を失うことは風見原雪那には耐えられない。


『――03!』


『なに!? 今忙しいんだけど!』


 極大の雷を蹴り飛ばして、輸送機を守る。この程度ならどれだけ来たところで問題はない。百が千だろうが、一万だろうが、退けることは容易い。

それでも彼女一人では防衛が手一杯。他に対処する余裕などどこにもない。今なにを言われても、対処しようがない。

だが、通信が回復したの不幸中の幸い。敵の勢力圏から抜けつつあるということの兆しだ。あと数秒、いや、あと数分耐える、耐え難いがそうするしかない。


『本部から通信が来てます!』


『は!? そんなの後にしなさいよ!!』


 本部からの通信が内容は何であるにせよ、今は答える余裕も気もない。それに本部といえば例の"裏切り者"がいる場所だ。

 下手な情報は与えられないし、援軍を期待することもできない。言うなれば敵だ、味方じゃない。この状況で本部の横槍など邪魔以外の何もでもない。そもそもこの状況で連中に何ができるというのか、通信に応えるだけ時間の無駄でしかない。


『いや、それが、03か01を出せって煩くて……」


『私か兄さん?  一体誰!? 階級は――ッ!」


 再びの雷、空を裂くようなそれをどうにか正面から受けきる。クリムゾンを抜けた雷が僅かに装甲はだを焼く。ダメージそのものは軽微だが、集中を乱せばそれで輸送機は失墜する。一隻だけならもう少し余裕があるが、部下たちが乗っている以上は見捨てるわけにはいかない。

 後数分、敵の勢力圏を抜けるまで歯を食いしばって耐えるしかない。それが最善、それが兄の望むこと、そう信じることだけが、彼女が縋ることができる唯一のことだった。


『――官姓名は名乗ってませんが、滝原統括官の個人回線でして……』


『一菜の?』


 雪那の疑問は至極当然のもの。今回の任務においての責任者は総司令である滝原一菜ではなく、部隊長である01だ。従って、一菜はこの任務には同行していない。極東支部に留まっている以上、その個人回線が使われることはありえない。

 このあまりにも想定外な状況でさらにこれだ。いい加減叫びだしたくもなるが、そうもいかない。


「はい、あと、声にどこか聞き覚えが……」


『? どういうこと?』


 声に聞き覚え、そういわれてもますます困惑するばかり。本部の人員は大よそ把握してるが、一般の職員に声まで知れ渡っている人間などそうそういない。自惚れるつもりはないが、極東支部だけでもそんな人間は自分を含めて一人か二人。ましてや、本部など考えられる範囲には――。


『と、とにかく、通信を――ッ」


『ッ後にして!!』


 背筋を走る悪寒、痺れるようなその予感は確かなもの。何かくる、何かよくないもの、それも特大の何かが確かに迫っている。いや、以前感じたことがある。それもごく最近、彼女は同じ怖気を確かに感じていた。


「――なっ」


 視線を上げれば視線すらも焼くような強烈な光。一瞬、この暗雲に切れ目が見えたのかと誤認する。頭上にはあまりにも巨大な、太陽のような雷雲。

 威力は一目瞭然、先程までの雷などとは比べ物にはならないだろう。触れればそれでお終いだ、それだけの力があれには満ちている。

 あまりの威容にどう表すればいいのか、言葉すら見付からない。今対峙している敵は風見原雪那、03をして戦ったことのない存在だった。

 北極で戦ったあの敵、超常の極みといってもよかったあのクレタスと対峙したときに感じたあの感覚。神の前に立つようなする様な、巨大な山脈を目の前にしたような、身の竦む重さが彼女に圧し掛かる。いや、クレタスでもこんな力はなかった、これではまるで、六年前のあの時のよう。


「――上等……!」


 だからこそ、魂が滾る。むしろ相手が神ならば望むところ、五年前果たせなかった神殺しを今此処で再び成し遂げるのみ。

 兄の隣で戦う事を望んだ、あの戦いに参加できなかったからこそ、あの時全てを失った彼の隣に自分がいなかったことからこそ、ただそれだけを望んで今まで戦い続けてきた。

 神殺し。嘗て兄が成した事、嘗て兄が全てを失う原因となったもの。それを今成し遂げる、それでようやく兄と並び立つだけの資格を得る。不謹慎だが、それが嬉しくてたまらない。こうして此処にいることに感謝したいくらいだ。


「――いくわよ」


 クリムゾンを制御して、防御を前面に集中させる。この状況を切り抜けるにはそれしかない、無謀といわれようが正面から向かい撃つ。一か八か、賞賛などありはしないがそれで充分。ただの個人的心情、それでも構うものか。兄の言葉通り、輸送機も必ず守る。無論、それだけじゃない、六年間の念願を今果たさせてもらう。


紅蓮装クリムゾン・全解――」


 呼びかけるその言葉は自分自身に向けたもの。リミッターを解除するのに躊躇はいらない、この場所なら巻き添えと負荷を気にせずに力を振るうことができる。思うように力を振るって蹂躙あるのみだ。

 だが、楔を抜き、全てを振るうその直前――。


「――超雷ライトニングゥゥゥゥ!! 大放電ディスチャージ!!」


 天を裂く霹靂が雷雲すらも切り裂く。

 それはまさしく第二幕を告げる号砲。この瞬間に、世界の運命さえも雷鳴の彼方へと。残されるのは混沌のみだ。




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