NO. 49 神話の災厄
風が吹き荒れる。
上空八千メートルの高み、そこにあるのは雲の城塞。風速五百メートル、地上に顕現すれば文明そのものを吹き飛ばすであろうそれは、この一帯のみに顕現した奇蹟。神話に語られるような風の災厄だ。
一つの世界すらも切裂くようなその地獄の中心にあるのは二隻の船。本来ならば高高度航行を難なくこなす輸送機が、いまや舞い上がる木の葉のように弄ばれている。自由を失い、舞い上げられ、宙におぼれるのみ。墜落することはなくとも、成す術などありはしない。風に引き裂かれ、雷に打たれ、終わりを待つのみだ。
此処に在るのは神話の地獄。如何に最新の科学で作られた機械の鳥といえども耐えられようはずもない。人の作り出した文明など所詮は数千年のときを経れば塵と消え行くもの。自然の顕現、神話の時代の脅威の具現の前では抵抗すらもできはしない。
そう、人では自然に抗うことはできない。ただ怯え、耐え忍ぶしかない。人であればそうするしかないのが摂理というもの。ただの人間であれば抗うことなど、ましてや戦うことなど到底不可能だ。
よしんば立ち向かったとして蟻が恐竜に挑むようなもの、あるいは風車と騎士の逸話の如く、瞬く間に打ち砕かれるのが道理。無謀を通り越してただの愚者に過ぎない。
しかし、例外は常に存在している。世界を幾度となく救った機械の英雄、その二人がここにいる。かつて神を殺し、人類という種を守った英雄たち。その彼らがここにいる、それだけで運命は覆る。
飛び出したるは二筋の光、白と緑、絡み合いながら決して交わることのない二つの閃光は風を割いて推し進む。
襲い掛かる風も、絶え間なく降り注ぐ稲妻も障害にすらならない。触れる先から消え失せて、霧散するだけ。例え神の力を持ってしても触れることは適わない、それが彼等だ。
それはまるで星の宙をいく流れ星。嵐すらも引き裂いたそれらは輸送機の周囲を旋回して、力場を作り出す。一つならば破壊にしか使えないただの欠陥品だが、二つならば話は違う。元来永久炉心とは、膨大な出力を誇る永久機関だ。そのエネルギーを正しく用いることができれば物理法則を歪めることすら容易い。荒れ狂う風、太陽風にも等しい魔の突風ですらもこの光の壁は越えられない。彼と同じく、神の力を受け継いだ存在、それが彼等、ゼロシリーズサイボーグといわれる機械の戦士達。”組織”の最大の敵対者、人類の守護者、最強と謳われる二体のサイボーグだ。
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何をするべきかはハッキリしている。問題はそれをどうやって成すか、ただそれだけだ。
どうにか輸送機を脱出したものの、それで終わりではない。脊髄コネクタを通じて繋がったシームルグに凄まじいまでの抵抗を感じる。まるで深海を手探りで進むよう、三百六十度からの風、その衝撃たるやまるで隕石の激突にも等しい。最高水準の推力と限定的な慣性制御を可能としたシームルグさえ飛んでいるのが精一杯。これでは戦闘機や輸送機では一溜まりもない。
『――雪那!』
『――っわかってる!!』
どうにか雪那に声を掛けるも、長く言葉は交わせない。そんな余裕はありはしないし、この状況ではそもそも不可能だ。
荒れ狂う雷と風に脳波通信でさえもかき乱される。ただこの中に立っているだけで生体装甲すらも引き裂かれるような感覚を覚える。環境の厳しさで語るのなら、この嵐は紅也の能力にも匹敵する、いや、自由が効かないという意味ではこの空間のほうが遥かに恐ろしい。
「メーデー! メーデー! コントロールできな――!?」
「――っ」
だというのに、断末魔の声だけは脳裏によく響く。風に煽られ、引き裂かれ、バラバラになっていく護衛機。これでは脱出したところでただ死ぬだけ。万に一つも助かる見込みなどありはしない。
俺達二人でカバーできるのはどれだけ力を尽くしても輸送機だけ。もし護衛機まで守ろうとしていれば全てを失っていた。戦術的な判断を下したといえば聞こえはいいが、俺たちは彼らを切り捨てたのだ。守る必要はないと、彼らの命はこの二機の輸送機に比べて軽いものだと優劣をつけたのだ。
あまりの傲慢さに自分を殺したくなる。生きている実感すらない半端者が人の生き死にを定めるなんて、許されることじゃない。言い訳は幾らでも用意できるが、どれだけ言い繕っても所詮は人殺し。俺はいつまでもそれ以上にはなれない。
だからこそ、決して忘れない。彼らの死を、彼らの最期を、彼らの無念を。脳裏に刻むのはただそれだけ、彼の分まで俺が戦う。償いにもならないが、それだけが俺にできることだ。
『――輸送機を安全な場所へ! 頼んだぞ、雪那!!」
『で、でも、兄さん一人じゃ』
『――任せたぞ』
『ッ了解、直ぐ戻るから!」
我ながら卑怯だが、長々言葉を交わしてる暇はない。何かを守るのなら俺よりも雪那が適任。何かをぶっ壊す、何かを殺すことならオレのほうが得意だ。今回は殺すわけにはいかないが、それでもオレの得意分野だ。命を獲れないのなら、それ以外を全て貰い受けるまで。
「…………流石にこれは初めてだな」
目の前には遥か聳える雲の城、その威容には息を呑むほかない。人の手では決して築きようのないであろうそれは正しく神の御技。
雷と風に守られたそれは相対するものにある種の絶望すらも抱かせるものだ。それが自然というもの、この世界には決し抗いようのないものが確かに存在している。
だが、それでも恐れるには足りない。例え相手が神であろうとも俺たちは引かない、ただ滅ぼすだけの神などこの手で打ち倒すまでだ。
「――いくぞ」
迫る嵐を踏み越えながら一気呵成に押し進む。圧力を増していく風を翼と光で引き裂いて、一直線に。目指すはこの嵐の中心、確かにセンサーに感じている生体反応だけが灯火だ。
「――っ!」
襲い来るのは風だけではない。走る稲光、本来ならばただ地上へと落ちるだけのそれが確かな意思を持って集い来る。
一億ボルトの電流、下手なミサイルよりも威力も速度も上等。俺には大した脅威ではなくとも、一度シームルグが姿勢を崩せば、それでお終い。この風の中を俺だけでは進めない、08ならばどうにかなるのだろうが、生憎と俺はそこまで器用じゃない。何時ものとおり、正面から真っ直ぐ行かせてもらう。
「邪魔だ!!」
降り注ぐ神の怒りを右の一振りで捻じ伏せる。この手にある光は破壊の先触れ、神と謳われた存在を打ち砕いた最強の矛だ。今更雷など恐れはしない。
しかし、敵もさるもの。降り注ぐ雷の数は一瞬毎に増えていき、身をかわす隙間すら見付からない。雷の牢獄、そう呼んでしかるべき現象が目の前にはある。
「チィッ!」
吹き付ける風はもはや突風と呼ぶことすらも相応しくはない。巨大な城壁を力任せに叩き付けられるような衝撃。嵐の中心まではまだ遠い、だというのにただ接近することすらも難しい。シームルグの推力、脊髄コネクタの操縦精度をもってしてもただ浮いているだけで精一杯。これ以上進むにはどうやっても手が足りない。
唯一成果があるとしたら、雪那と輸送機は確実に後退しつつあるという事。センサーすらも途切れ途切れ、レーダーに至っては何の役にも立ちはしないが、それでも脳波は確かに感じている。彼らが退けば、俺にもやりようがある。どれだけ守りが強固でも方法がないわけではない。雲の城に篭るなら、城ごと吹き飛ばすまでの話だ。
「――幻出」
迫る全てを退けながら、嵐の中を飛び回る。圧力を増していく風も、密度を増していく雷も障害にはなりえない。重要なのはただ此処にある己だけ。より鋭く、より鮮烈に、より強く、そんな思考を形にするようにただ光を練り上げる。この力は本来の役割ではない、与えられた力だけでは決して練り上げることは適わない。
もし彼女が俺に望んでいるものがあるのなら、これだ。例え武器であっても何かを生み出すこと、殺すだけではなく、何かを守り通すこと。例え成し遂げることができなかったとしても、彼女の望みに寄り添うことが、オレを愛してくれた彼女へできる唯一の手向けだ。
「――フッ!」
急旋回、嵐の中でバレルロールを踊って、ほんの一瞬風と雷を置き去る。その刹那に、最後の欠片を練り上げる。
「顕現――!」
創り上げるのは両の掌に具現するのは光の弓と一本の矢。番える弦も鏃もありはしないが、それでも弓でなければならない。銃の複雑さは俺では再現できない、だが、槍や剣ではいけない。見えない敵を何かを打ち貫くならばそれに相応しい武器でなくてはならない。
重要なのは思考と意思。この光を間違いなく敵へと届かせるための軌跡、威力、速度。何一つ欠けてもいけない、これより見舞う一撃は正しく全身全霊。この雲の城壁を貫くためにはただの一撃では足りない。
「……捕捉ッ」
ゆっくり、静かに矢を番える。数瞬の静止、こうして止っているだけなら、思考を裂く必要はない。この身を打ち据える風も、降り注ぐ雷でさえも意に介さない。
痛みも、衝撃も、彼岸の彼方。ただ此処にあるのは矢と弓とその射手のみ。他には何も必要ない、この身はただの刃であり、嵐を穿つ鏃だ。
「射出――!!」
刹那、呼吸すらも消え失せる。静寂の中、引き絞った弦を離し、矢を放つ。光さえも置き去るその速度は例え神の怒りといえども相手にはならない。
吹き荒ぶ豪風もなんのその、放たれた矢はただ真っ直ぐに敵の下へと。無論、標的に中ることなど最初から期待はしていない。オレには船の上の扇を射抜くような神業は到底不可能、ましてやこの巨大な城劇の中の敵を的確に射抜こうなどとは微塵も思っちゃいない。
だが、届かせることなら十分に可能。射抜けないなら乗っている船ごと吹き飛ばすのが俺のやり方だ。
「――っ!!」
接触と同時に世界を光が染め上げる。具現化したそれは原子すらも焼き尽くす破壊の嵐。増大していく質量と力は風も雷も呑み込んで、雲の城砦を瞬く間に打ち崩していく。何人であってもその渦中で生き残るものはいない。この光の本質は絶対不可逆の破壊。例え神でもその例外ではない。
だが、これでは足りない。そんな予感がオレを突き動かす。一瞬できた風と稲妻の隙間に向かって一直線に飛ぶ。それは即ち、あの光の中に突っ込むという事。恐れなどない、むしろ慣れたもの。こんな無茶は何度でもこなしてきた日常に過ぎない。
収束し始めた光が装甲を焼く。生体装甲といえども長くは耐えられるものじゃない、それは百も承知。レーダーもセンサーもいかれて、視界はあいも変わらずゼロ。それでも構わず押し進む。この命は所詮、最初に掛けるチップに過ぎない。どんなときでもそれが俺のやり方、迷いなく真っ直ぐに光の如く一直線に。
「っ!」
光が晴れるその瞬間、雲の中でそれを目視する。渦巻く風の中心、降り注ぐ雷の化身、天を覆う雲の城砦の主がそこにいた。
雷を形にしたような装甲に、雨雲のように形を変える暗いマント、アタマから生えた二本の角は風の如く流麗。端的に言えば美しい、俺達のような戦うための存在としての機能美とも、サーペントのような完成された美しさともまた違うが、確かに美しい。ただそこにあるだけで何もかもを圧倒するような力の具現としての美、巨大な山脈や果てのない大海を目の前にしたような感覚、そんな威厳と荘厳さを目の前の人型は宿している。
瞬間、生け捕りという前提は俺の頭から消え失せていた。そんなことをいっている余裕などどこにもない、現実を目にした瞬間に理解してしまった。
全身に震えが走り、僅かに残された人間性が竦み上がる。この敵は決して侮ってはならないと、本能と経験が最大限の警報を鳴らす。この感覚には覚えがある、この感覚は幾度か味わったことがある。何時だ、一体何時……。
「――ッおおおおおおおおお!!」
だが、そんなことは今はどうだっていい。シームルグの出力を最大に、永久炉からの光をもって全身を包み込む。一撃ですべてを決せられるだけの威力が必要だ。
重要なのは今此処でこいつを打ち倒さなければならないという事。油断ならない大敵だと理解しているからこそ、脅威として認識しているからこそ迷わず打ち倒さなければならない。ここでこいつを仕留めなければ雪那達が危ない、いや、それだけで済む筈がない。こいつを決して陸に上げてはならない。そんな強迫観念にも似た確信が俺の体を突き動かしていた。
無論、敵も木石の類じゃない。迎撃を命じるように、人型が腕を上げる。瞬間、雷が三百六十度を埋め尽くし、収束。中心点にある以上は避けようもなければ、当たればそれでお終いだ。俺は飛べない、翼を失ってしまえばもう役割は果たせない。
だが、跳べる。脊髄からの神経コネクトを解除、最大出力の光と共に宙を跳ぶ。雷を防ぐような余分はいらない。
例え翼を失ったとしても、ここでこいつを仕留められるのならそれでいい。後先を考えている余裕などどこにもありはしない。
「――獲ったぞ!!」
雷を抜けて宙へ。
力の全てを一点へと集約する。右脚の一撃。幾度となく敵を屠ってきたそれに全幅の信頼を置く。正体がなんであれ、此処で終わりだ。
一撃決殺、いつもの如くただの一撃で仕留める。それがオレのすべきこと、例えそれが間違っていたとしても、戦うこと、殺すことがオレにできる唯一のことだ。その結果として、誰かを守れるなら、それだけでいい。ただそれだけでいい。
迷いなく力を振るう。刹那、世界を光で染め上げた。




