NO. 46 唯一の道
親指の腹を擦るのは彼女の昔からの癖だった。なにか落ち着かなかったり、イライラするようなことがあると決まって彼女はそうしていた。久しぶりに見たが、五年経ってもその癖は直ってはいなかったらしい。
そんな滝原の苛立ちが伝播したのか、一緒にこの執務室に通された雪那も態度にも落ち着きがない。どこか怒っているように見えるのはいつものことだが、妹が本当に怒っているのか怒っていないかくらいは鈍いオレにも分かる。今回ばかりは本当に怒っている、どこにもぶつけようのない憤懣が手に取るように感じられた。
それも当然のこと。俺たちは一年もの時間をかけて手に入れた唯一の手掛かりを失いかけているのだ。俺だってできることなら、今すぐに怒りを発散したいところ。ましてや、その手掛かりを失いかけている一因は俺にあるのだ。これが自分でなければ叩きのめしているところだ。
「あー、煙草でもすってくるわ」
張り詰めた空気に耐えかねたのか、エドガーが腰を上げる。流石というべきか、相変わらずというべきか、あの光景を目の前にしたエドガーだが、普段と何一つ変わったところがない。熱に浮かれた頭もそれを見ていると僅かばかり冷えていく。今は熱に浮かれていても仕方がない、重要なのは今どうするかだ。
「いやー! 遅くなって申し訳ない! 中々興味深い検体だったのでね、時間が掛かってしまった!」
エドガーが退室しようとしたその瞬間、扉を開いた人物の第一声はそんな気楽なものだった。よれよれの白衣に、ぼさぼさの髪。無精髭は伸びきって、清潔さとは対極。ただギラギラとした光を讃えるその双眸だけが彼が何者かを物語っている。
主任、名ではなく役職で呼ばれるこの男は元は俺たちの敵だった。”組織”において数多の兵器を生み出した天才、俺たちにとっては怨敵ともいえるのがこいつだ。そんな人物が今は味方、それも俺たちの部隊の技術主任。運命の皮肉というにはあまりにも出来すぎている。
だが、少なくともその技術と手腕だけは敵だったからこそ信用できる。この男の持つ才覚はあの決戦から六年の月日を経ても欠片も色褪せてはいない。故に滝原はこいつを選んだのだ。
「患者でしょうが。まだ死んでないはずよ」
「おっとこれは失礼。しかし、まあたいした違いなどないだろう」
滝原の非難もなんのその、人命なんぞ屁とも思ってないのは今も変わらないらしく、酷く楽しげに主任はそう言い切ってみせる。だが、主任にとってはどうでも良くとも、俺たちにはそうはいかない。あの副支部長の生死は俺たちの行動方針に大きく関わる。彼を失うことは、そのまま唯一の手掛かりを失うことを意味するのだから。
「それで経過は? 生きてるの?」
「うーん、まあ、定義にもよるが生きてはいるよ」
「……定義?」
生きてはいる。その言葉に思わず息を吐いた。トラウマに耐えて、あそこまでしたのだ死んでもらっては困る。俺のやったことにも確かに意味があったという事が、少しだけ嬉しい。少しだけ彼女が望んだものに近づけたようで、気分が良かった。
しかし、定義によるとは聞き流せない。どうにも嫌な予感が僅かばかりの達成感を瞬く間に洗い流していくよう、こいつがこういうときは碌でもないことに違いないのだ。
「生物学及び医学上は生きていると言えるが、宗教上では意見が分かれる状況と言うべきかな。まあ、私としては大した違いはない。必要な検査をするのに意識があろうがなかろうが手間はそう変わらないからね」
「……昏睡状態ってこと?」
「正確には植物状態状態というべきだろうね。辛うじてそこの彼のおかげで即死と脳死は避けたが、脳と身体へのダメージが大きすぎた。再生治療を行ったとしても、限界はあるからね。彼の意識はもうあの頭蓋骨の外に出ることはないよ」
生きてはいる。その言葉の意味は明確なもの。彼は、唯一の手掛かりを握った副支部長は、生きてはいる。だが、それだけ。話すことどころか、呼吸すらも自分の意思ではままならない。そんな状態にある。これでは手掛かりを得るどころじゃない。
「――ッ」
死んではいない、ただそれだけ。全くぬか喜びだ、命を助けたなどと自惚れて、結局のところなんの意味もなかった。自分の迂闊さに殺意さえ覚える。俺がもっと上手くやっていればこんなことにはならなかったかもしれない。
「……兄さん」
「大丈夫だ」
思いの篭った雪那の声に確かにそう答える。余計な言葉をかわす必要ない。後悔しているような暇はない、考えるべきはこれからのこと。これからどうするか、だ。
しかし、無い頭を捻ったところでオレに答えは出せない。所詮オレは兵士、振るわれる刃そのものに過ぎない。何を切るべきか、何を切らざるべきか、それを判断するのは俺じゃない。いつだってそれを決めてきたのは、信頼すべき司令官たちだ。
「……分かったわよ」
俺の視線を受けて、滝原がそう言葉を漏らす。いつだって彼女は俺たちを正しく導いてきた、どんな状況でも彼女やオヤジさんの命令があったからこそ、俺達は戦えたのだ。いつだって危機を乗り越えてこられたのは彼女と仲間達がいたからだ。滝原の慧眼がなければオレたちは戦ってはこられなかった。人々はオレを英雄と呼ぶが、それは違う。戦うだけのオレに道を示し、支えてきたのは滝原や名前さえも刻まれなかった彼ら。そんな彼らこそが英雄なのだ。
「……はあ」
溜息一つ、次の瞬間には彼女の意識は切り替わっている。”隻眼の麗鷹”、それが彼女の異名。言いえて妙だ、だからこそ己が失態がナイフの様に心を抉る。彼女の片目を奪ったのは俺、戦場に立つための資質を永遠に損なったのはオレの責任だった。
「敵の能力の解析の進捗は?」
「うむ。まあ、それなりといったところだろうか。サンプルがほとんど無いにしては良くやってるほうだと自負しているよ」
「具体的な報告をお願い」
静かな追求は冷ややかな切れ味を帯びている。何度も見ているが、こうなった彼女は本当に頼もしい。
「……能力の性質は01の読みどおりウイルスに近い、いや、意思を持ったガン細胞か攻撃性のナノマシンと形容するのが一番正しいかな。特定の臓器や部位に狙って転移することで、致死率や進行速度、潜伏期間に感染力までを自由に制御できる。兵器としての完成度は中々のものだね、こういう細々としたのは趣味じゃないが、完成度は高い」
なるほど。あの時感じたものは概ね間違っていなかったらしい。ウイルスのような感触と悪辣なまでの質の悪さ。だが、これだけではないはず。あの時感じたもの、両の腕を駆け抜けた痛みと確かな死の予感はそんな生易しいものじゃなかった。
「と、まあこの程度なら珍しいものじゃない。問題はこのウイルスが、サイボーグにさえ有効だということだ。01の腕の残留物質とダメージからの推測だが、あれはナノカーボンどころか最高純度の生体装甲も分解して作りかえることができる。侵食、いや、転移の速度だけならあのクレタスすらも上回っているな」
「――おいおい、また化け物かよ」
静かに息を飲む雪那や呆れたようなエドガーとは違い、オレには特段の驚きはなかった。感じていたものが確信に変わっただけ。あの時確かに感じた意思とその背後にある力はあのクレタスでさえも凌駕していた。あれほどの力を感じたのはただ一度だけ、あの六年前の決戦、そのただ一度だけだった。
「……つまり敵はこっちの状況を把握してると見ていいわね」
俺たちが三人がその力に慄く中で、滝原だけが静かに本質を見つめていた。敵の力がどうであろうとやるべきことは変わらない。その事実を滝原だけが冷静に見据えていた。
「そういうことになるね。少なくとも01が全てのウイルスを消滅させるまでは状況を把握していたはずだ。本体がどこにいたにせよ、此方が手掛かりを失ったことは筒抜けだろうね」
「……それ、間違いないわね?」
「ああ、私が保証しよう。此方の状況は彼らに伝わっている、確実にね」
「……そう」
「………ふむ」
それだけ聞くと滝原は考え込むように視線を下げる。傍で話を聞いていたエドガーも同じく、何かに気付いたらしい。俺としてはお手上げ、手掛かりを失って完全に打つ手を失ったとしかわからない。あの副支部長から情報を引き出せないなら、”組織”を追跡することも、本部に潜む裏切り者をあぶりだすことも不可能。また振り出し、一から出直しだ。
「……主任、調査に加わったのは貴方の部下だけね?」
「いや、医療班の人手も少し拝借したが……それがどうかしたかね?」
「それと救護班の連中にも根回ししとかないとな」
「後で名簿に纏めて提出して。全員に口止めしなきゃいけないから。言うまでもないと思うけど、此処にいる全員も副支部長のことは部外秘、外には絶対に漏らしちゃだめよ」
「いいけど……どうして?」
隣の雪那が困惑して聞き返す。隣で困惑している俺諸共に、察しが悪いわね、といわんばかりの視線が突き刺さる。
しかし、情けない話だが、理解できていなかったのがオレだけじゃなくて、少しだけ安心できた。正直なところ、滝原とエドガーが何を言っているのか、俺にはさっぱり理解できない。それなり以上に戦場で経験は積んできたつもりだが、何年たっても頭脳労働は全くたりとも成長しなかった。
しかし、雪那が理解してなかったというのは意外ではある。こいつは昔から俺より勘が良かった。多少直情径行で、頭に血が上ると猪突猛進になるだけで、普段は冷静に物事を見詰めている。少なくとも兄としては申し訳なくなるくらいには、雪那の直感は優れているのだ。
むしろ、この二人が鋭すぎるのだ。俺は兎も角として、雪那は悪くない。
「……もし、敵が把握しているのが01がウイルスを消滅させたところまでなら、可能性は二つ。副支部長の始末に失敗したと思ってるか、どっちなのか確信がついてないかのどちらか。これは分かるわよね?」
「……ああ、そういうこと。だから口止めしたのね」
雪那の納得に前後して、ようやく飲み込めてきた。今一確信を持てないのが残念だが、それでも何も分かってないよりは上等。もし考えが正しいなら、この状況にも希望が見えてくる。
「……………囮にするのか?」
「そういうこと。なんだわかってるじゃない」
なるほど、やはりそういうことか。考えもしなかったが、あの副支部長には喋ることができなくても利用価値がある。滝原の読みのとおりなら、敵の動きは二つに一つ。今まではとは違い、何もないゼロから敵の動きを探るわけではない。敵の取りうる可能性が限定されるならこちらも対策の取り様がある。
問題はその二つに一つがなんであるか。これもまた明白、それは――。
「連中がまだ張副支部長が生きていると思っているなら始末をつけにくるはず。もし、確証無いんだとして必ず確認しようとするはず。どっちにしてもこっちにはチャンスよ」
始末しにくるか、あるいは確認しようとするか。そのどちらであるにせよ、今度は”組織”の連中から動くことになる。それならば此方は待ち構えるまで。どんな手を使ってくるにせよ、来ると分かっていれば準備できる。
問題は、そのチャンスをどう活かすか。よもや、黒幕が直接出向くことはあるまいがそれでも誰かが動くならそれを捕らえるまで。手掛かりを失ったなら、別の手かがりを手に入れるだけだ。
「――敵がどんな手を使ってくるにせよ、その時は貴方達が頼り。任せたわよ」
「――応!」
「ああ、任せてくれ」
雪那ともに応える。どんな敵が相手でも俺たちは戦う。いつだってそうしてきた。今度はしくじらない、必ず生きた手掛かりを手に入れ、本部の裏切り者を探し出す。
そして、何れは”組織”へと。何度これを繰り返すとしても俺は敵を倒す。それが俺たちの造られた意義、彼女がそれを望まないとしても俺のなすべきは戦うことだ。それは今までも、これからも変わらない。




