NO. 42 此処に二人
彼は生れ落ちたその時から力を手に入れていた。父も、母も、兄弟達も、他のどんな人々も持ち合わせない力。それは遥か古く、この星に生命が誕生する黎明よりも遠い過去から受け継いだもの。万物を支配する境界線の向こう側の理を彼は確かに宿していた。
自身と他者との隔絶を認識したのは、物心がついたそのころだった。誰にでも訪れる自我の芽生え、他者と自身を分ける境界線、それを理解した瞬間に、彼は人である事をやめた。いや、正確にはその選択肢を放棄した。確かに、この時点では選ぶことはできた、選択権は紛れもなく彼にあったのだ。
だが、それを放棄した。その瞬間に運命は決した、結末は確定し、過程は意味を持たず、全てが転がり始めた。そのことを後悔したことはない。既にそんな人間らしさは跡形も残らずに消失していたのだから。
”彼等”が彼の元を訪れたのは十台へと差し掛かるころだった。思うように力を振るい、命のない機械を完璧に支配し、街一つを居心地の良い庭に変えたころ、ようやく”彼等”はやってきた。
まさしく”衝撃”のような邂逅。勧誘を断ったその瞬間、彼は散々に打ちのめされた。力の一切が通用せず、造り替えた下僕達も鉄槌の一振りで押し潰された。
もし、彼に人間らしさの最後の一握りがあったとしたら、その時に抱いた感情のみ。圧倒的な、おぞましいほどの圧倒的なその力にただ憧れた。純粋に、ひたすらに一途に、彼は力に焦がれた。
そのために全てを受け入れた。全身を機械に置き換えられ、脳以外の全てを力のために失った。それでも増していく力と大きくなっていく権能がくれる喜びに比べれば何のことはない。苦痛や喪失を悼む人間らしさはとうの昔になくしてしまっていた。
そうして、その日がやってくる。新暦百十三十八年、冬のジブラルタル。初の実戦投入、もはやあの男、鉄槌の裁定者ですらも自分は越えたのだと、その確信があった。だからこその叛逆、”彼ら”さえも蹂躙し、現われたUAFをも打倒し、自身こそが遥か遠き父祖に成り代わるものだと証明する。彼はそのために全てを受け入れてきたのだから。
それを打ち砕いたのは二筋の光。白と黒。美しいほどに輝くおぞましいほどの力の具現。世界すらも揺るがすそれは木っ端微塵に彼を蹂躙した。
腕も、足も、力でさえも奪われ、狭い檻の中に封じ込められた。手にしたはずの全て、それを砕かれ、奪われ、ただの機械として扱われた。
屈辱、そんな言葉では済まされない。復讐、そんな行為では済まされない。何もかもを奪った彼らから何もかもを奪う、それが彼に残された唯一の人間らしさだった。
そして、今こそ八年ぶりの復讐のときだ。目の前には許し難い怨敵が、あの01がいるのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
船が、いや、大気が揺れている。これから出現するそれに世界そのものが怯えているかのような、そんな錯覚さえ抱く。恐れは感じない、それでも脅威を感じることはできる。この船の船倉に眠っているものは先ほどのサイボーグどもとは比べ物にはならない。
この場所が、人どころか、魚すらも寄り付かないこの場所が交渉場所に選ばれたのは不幸中の幸いだった。此処がどこかの大陸の近くだったら、最悪大陸ごと吹き飛ばす覚悟をしておかなければならなかったところだ。
「ヒィィィィィヤァアアアアアアアア!!」
副支部長の悲鳴と前後して、巨大なタンカーがより一層揺れる。横からではなく船の下から突き上げるような衝撃。一度、二度、三度、幾度か続くその突き上げは少しずつ大きく、力を増してゆく。
その衝撃が最大へと達したその瞬間、甲板が真っ二つに割れた。環境から貨物まであらゆるものが宙へと吹き飛ばされ、瓦礫の雨となって振りそそぐ。
「くっ――!」
「――アアアアアアアア!!」
瓦礫が全てを押し潰すよりも早く、駆ける。腰を抜かした副支部長を引っ掴み、甲板を思い切り蹴って宙へと。空中で身を翻し、こちらへと向かってくる瓦礫を叩き落としながら、氷の大地へと着地を試みる。
速度を維持したまま、着氷。分厚い氷を削岩機のように削りながら、勢いを殺す。海に落ちても俺は平気だが、抱えたお荷物はそうはいかない。こいつを生かして連れ帰るのが俺の仕事だ。
「おい、怪我はないか?」
「…………」
「気絶したか、こっちのが楽でいいがな」
ふと気付けば抱えていたそれはすっかり大人しくなっている。どうやらさっきの衝撃で気を失ったらしい。正直なところ助かった、これから戦う相手の事を考えれば動く足手纏いよりも、動かない足手纏いのほうがいくらかましだ。
「――問題はこっちだな」
荷物を適当なところに投げ捨て、船へと、いや、タンカー船と生体潜水艇だったものへと距離を詰める。目の前にあるのは鈍く光る銀色の塊、生きた機械の集合体と化したそれ。何もかもが一つに溶け、継ぎ目一つすらないそれはある種美しくさえある。
だが、それがどれだけ恐ろしいか、あれが真にどういうものか。俺は良く知っている。微塵たりとも油断はできない。
数秒の後、空間すらも揺るがしながら、巨大な繭が破けるように、銀色の塊が内側から割れていく。蝶の羽、あるいは天使の翼のように広げられた一対の生体機械群、その中心にあるのは奇妙な人形。銀色ののっぺらぼう、その存在しないはずの瞳がこちらを見詰めていた。
『――01』
「久しぶりだな、クレタス」
機械の天使、おぞましいほどの力を持ったそれが発する声は音ではなく波長、機械化された聴覚を通り越し、脳へと響いてくる。如何なる力か宙に浮いたままのそれは、俺の目の前、百メートル先へと降り立つ。
間合いの内だ。この程度なら一度の踏み込みで距離を詰めることができる。だが、この百メートルがどれだけ遠いか、それを考えれば不用意には踏み込めない。
『この時をどれだけ待ちわびたか。あれから八年、貴様が今だ死していないことを天に感謝しよう』
「そりゃどうも。そっちこそ長いこと寝てた割には元気そうでなによりだ」
言葉をかわすその瞬間、一見無防備にも思えるが、そうはいかない。踏み込むのならもっと間合いが近付き、奴の力が追いつけない速度でだ。一撃で決めなければ厄介なことになる。
『貴様に破れ、あの小さな箱に押し込められたから八年もの間、私は人間どもに身体を引き裂かれ、削られ、砕かれ、全てを奪われた。その代償、貴様に払ってもらう』
「そうかい……じゃあ、やってみろよ」
間合いを計り、右脚に力を溜める。手加減する必要はない、あの副支部長を巻き込む可能性はあるが、此処でこいつを倒さなきゃどちらにせよ死ぬんだ。背後を気にする意味はない。
「――いいだろう。今回は貴様一人、今度こそ我が一部にしてくれよう!」
言葉よりも早く、機械の翼が鉄槌となって振り下ろされる。液体状になり、広がったそれは空を埋め尽くし、逃げ場などどこにもない。一滴でも身体に触れればそれで終わり、強固な生体装甲も意味を成さない。
これを待っていた。
「――シッ!」
数千年をかけて積み上げられた氷の大地、それをふみ割って最大速度へ。狙いは最初からのこの瞬間、此方から仕掛ければあの銀の翼に阻まれていた。
だが今は、今ならばヤツを守るものはどこにもない。刻まれた刹那の中、最大出力を右手に。一撃で諸共に吹き飛ばさなければ、こっちがやられる。勝負は一瞬だ。
「なにっ!?」
「オオオオオオ!!」
ヤツが反応するころには全てが遅い。左の踏み込みに拳を合わせる。一撃必殺、その威力は充分にある。
八年前と同じと思ったのが間違いだ。速度も威力もあのころから遥かに増している。この間合い、この威力なら一撃で屠れる。
そうして拳を振り下ろす、その刹那、己の失態を悟った。
「――ッ!?」
『おのれッ!』
必殺を放つその直前、真下からの不意打ちが目の前を横切る。咄嗟に突き出した右腕、その光が銀色の柱と激突し、互いを喰らい合う。瞬く線香花火、消滅と侵食を繰り返し、周囲の全てを巻き込んでいく。
痛み分け、そう呼ぶにはあまりにこちらが不利。この一撃を潰された以上は、もう後が続かない。
咄嗟に地面を蹴って距離を離す。此処はまずい、此処では殺されるだけだ。
脱兎の如く氷の大地を駆ける、銀色の雨に追いつかれないように。それでも銀の腕、天を覆うように振り翳されたそれが進路には立ち塞がる。
「――っ吹き飛べ!!」
瞬間充填、永久炉からの光を右の足へ。身体を翻し、蹴りの一撃と共に血路を開く。分厚い銀の壁に空いた小さな穴、唯一の道を全速力で突き抜けた。
「――相変わらず厄介な……!」
銀の腕を振り切ると同時に、背後の惨状へ振り返る。そこに広がっているのは正しく、異界の風景。本来あったはずのもの、氷に覆われた太古の世界はどこにも残されていなかった。
機械の肉海、そうとしか形容できないもの。降り注いだ雨、ヤツの”力”に汚染されたものは全て生体機械に創り代えられる。蠢き、増殖し、広がっていくこれらは全てクレタスの身体のそのもの。自在に操るのも、分解する事も、再構成さえも自由。正しく神の領域と言ってもいいその力は、生物も機械をも際限なく呑み込む。一度は、国一つを飲み込みかけたその脅威はあの時よりもなお凄まじい。
見誤ったのは此方も同じ。八年もの間、身動き一つできなかったというのにやつの力は増している。あの流体の速度は八年前とは比べ物にならない。
『貴様ああああああ!! よくも我に傷を!!』
「喧しいやつだ……」
脳に直接響くこの声が煩わしい。どうやらさっきの一撃、その余波で受けたダメージがよほど気に食わないらしい。手応えはなかった以上、掠り傷程度だろうが収穫だ。力を増してはいるが、まだ俺だけで殺せる可能性は充分にある。
問題はどうやって接近するか。やつの力の大将には液体さえも含まれている。この侵食速度と攻撃の手数の多さ、これをどうにかしなければ蹴りの一つも叩き込めない。
さて、俺一人でどこまでやれるか、試してみるとしよう。
全身に漲る力はより強く、より激しく、より鋭く。人工筋肉を猛らせ、意識すらも収束し、瞬間を刻む。この感覚、この感触、この痛みこそが生きている証拠。今こそがオレにとっての存在証明、それだけは八年前と何一つ変わっていない。
『死ねぇぇぇぇ!!』
怒りと共に振るわれるのはこの氷の大地そのもの。天地が引っ繰り返った以上、逃げ場などどこにもない。
だが、それでこそだ。元より逃げるつもりなど毛頭ない。絶対の死地、そうでなければ此処にいる意味すらもない。
「――フッ!」
天を裂く雷光の如く、暗闇を照らす一条の流星の如くに。世界すらも縮めて、一直線に突き進む。
降り注ぐ大地でさえも、世界を侵す力でさえも、何もかもを置き去りにする。刹那でさえもこの雲耀には届かない。
『落ちろ!』
迎撃すべく、無数の棘が槍のように射出される。超音速、生体装甲をも貫くであろうそれを逸らし、砕き、弾く。
この程度では届かない。今の俺には蝿が止る。もう一度踏み込み、これで間合いは極まった。
『――二度も同じ手が』
「――!」
『通じると思うな!』
刻まれた時間の中、目の前に巨大な城壁が出現する。大きさにして百メートル、厚さにして十数メートル。氷の大地から変換され、作り上げられたそれは即席というにはあまりにも強固なもの。これを破るのは至難の技。破れないわけじゃないが、時間をかけてはいられない。
この程度、最初から織り込み済みだ。
「ハッ!!」
跳躍。右脚に込めた力を氷を叩き付け、遥か上空、壁の上の場所へと。
身を翻し、光を一点に。熱が神経を焼き、肉を焦がし、痛みすらも焼却していく。今まで葬ってきた幾多の敵と同じようにように、この一撃で仕留める。八年前からの因縁も此処で終わりだ。
「ッオオオオオオ!!!」
全身のスラスター、その全てを全開に吹かし、再び雲耀の速さに。之ならば届く、その確信があった。
「――ッ!」
俺の落下に合わせて、壁が折り重なり、盾を形成していく。遅い。どれほど堅固であったとしてその合間を抜けてしまえば存在しないも同然だ。
我が身は地を穿つ楔、天より来る稀人。今だけは、この瞬間は何者にも縛られはしない。
「―――ッ!?」
激突というにはあまりにもあっけない交差。光を帯びた右脚は銀色の人型をあまりにも容易く貫いた。
必殺の感触、この一撃は確かにヤツの命に届いた。八年前のような半端はしない。今度こそ、此処で完全にこいつを殺しきる。
「――っと」
着地というにはあまりにも大仰。殺しきれなかった速度はそのまま力となって地面に伝播し、壊滅的な破壊を齎す。具体的にはこの足場、一帯の大地そのものが砕け散り、周囲の氷が熱で蒸発していた。
さらに頭上では白色の太陽が原子すらも焼いている。周辺の影響は深刻だろうが、この際構っていられない。口やかましい環境学者達も蠢く機械の肉と今後百年は近づけないエネルギー汚染じゃ甲乙付けがたいだろう。
「…………」
周囲には依然、銀の壁が立ちはだかっている。だが、宿主を失った以上、これらはただの無害な液体金属とナノマシンの群に過ぎない。主が消えれば結局は何もできないただの残骸だ。
八年前の事件、ジブラルタルでの戦い。あの時に比べれば上手くやれたほうだろう。二人掛かりで戦い続けること半日、結果として都市一つを犠牲にしてようやく封じることができたのだ。それを考えれば、俺も少しはマシになってきたらしい。
そうだ、あの時はあいつと一緒だった。一人でなく二人、互いに背中を預けあい、命すらも共有した。 02、一条隼陽。最初の兄弟、俺の次に造られた最初のゼロシリーズサイボーグ。俺の力不足により生まれた最初の同胞だ。
今は安らかなる我が友。その姿がここにないことが少しだけ寂しかった。
背筋を悪寒が駆けたのはその瞬間だった。
「…………っ!?」
四方を囲む壁、それが一内側へと崩れ落ちる。偶然などではない。降り注ぐ銀の濁流が目指すのは俺ただ一人。隙間なく視界を埋め尽くした、それには明確な殺意を宿している。
瞬間、己の迂闊さを理解した。確かに砕いた、奴の身体、力の媒介たる人型は破壊した。原子すらも残さずに、八年前よりも完璧に倒した。
そうだ、確かに倒した。だが、八年間で変わったのは俺だけじゃない。奴もまたこの八年間で力を蓄え続けた。それを先程痛感したはず、だというのにこの油断、この慢心、それこそ万死にも値する。ここで死んだとしても文句の言いようのない間抜けさだ。
あの人型は寄り代、この銀色の海そのものが奴自身なのだと。なぜ気が付かなかった。
「――グゥッ!?」
数千トンの重量、意志を持ったそれらが全身に圧し掛かる。膝を屈して、地面に縫い付けられた。蟻どころか、水を漏らす隙間は存在しない、咄嗟に全身に光を纏ったがそれも長くはもたないだろう。
必殺の確信、その瞬間を突く。自分の常套手段に引っかかるなんて間抜けもいいところ。自分でなければ殺してやりたいくらいだ。
それでも怒りに燃える理性に対して身体はついてきてくれない。全身に隈なく奴が纏わりつき、一瞬ごとに重さを増して俺を深くへと引きずりこんでいく。痛いというよりはひたすらに重たい。あの10との戦いで経験した超重力でさえもここまでではなかった。
少しずつ意識すらも消えていく。呼吸すらもできず溺れるように、潰される。ここは深海よりもなお深い奴という存在の底の底。息が尽きればそのままお陀仏だ。
「――っまだ……!」
諦めるわけにはいかない。まだ義務を果たしていない、まだ償いをしていない。こんな場所でこんな敵に打ち負かされるわけにはいかない。五年前のあの日、彼女の言葉をもう一度確かめるまで戦い続けることが俺にできる唯一のことなのだから。
全身の出力を最大に。後のことなど考えていられない、全身の回路と神経を焼いてでもここを抜け出す必要がある。
『――紅蓮舞踏、起動ッ!!』
『――――!」
最後の力を振り絞ろうとしたその直前、力強い一声が暗闇を引き裂いた。
深く底のすらない銀の海の底、差し込んだ光は良く見知ったるもの。紅の閃光、愛おしいその力が瞬く間に銀色を蹴散らしていく。
重圧がわずかに緩む、その瞬間に出力を最大に。纏わりつくすべてを残らず一息に吹き飛ばす。
「――ったく情けない。何時からそんなに情けなくなったのかしら?」
「……来るのを待ってたんだ。独り占めしちゃ悪いしな」
目の前の背中、愛おしい妹の小さな背中がこの上なく頼もしい。これが俺の妹だと世界の全てに誇ってやりたいくらいだ。
やつの、クレタスの驚く顔が目に浮かぶよう。風見原雪那、ゼロシリーズサイボーグ№.03、今俺の隣に立つのは奴の知らない俺の妹。ここにいるのは俺たち二人、あの時とは違っても負ける気などさらさらしない。今度こそケリをつけてやるまでだ。




