NO. 4 背負うべきもの
拗ねたように顔を背ける彼女の横顔を何の気なしに眺める。赤みがかってはいるものの一時間前よりは、大分顔色はいい。外見だけで判断するならとても瀕死の重傷者とは思えない。人間として雪那の状態を判断するのなら健康体といってもいいだろう。
しかし、問題は外側ではなく内側だ。全身の改造部分が絶え間なく悲鳴を上げている。機械部分がオーバーヒートを起こし、生身の部分を蝕んでいるのだ。それがどれだけの苦痛を伴うか、俺は良く知っている。平気な顔をしていても、体の中では灼熱が荒れ狂っているはずだ。
改造人間ゆえの頑丈さは、繊細かつ緻密な内部構造が支えている。つまり、内部からのダメージこそが俺達の最大の弱点。最強と謳われる存在がいとも容易く崩れ去る、アキレス腱と言ってもいいだろう。
「それで? 今更どういうつもりかしら?」
怒りを滲ませた上擦った声で雪那はそういった。相変わらず俺のほうを見ようともしない。俺の顔なんて見たくもないのだろう、当然だ。
「…………すまん。重傷だって聞いてな」
消え入るような声でそう答える。まともに顔を見れないのは俺も同じだ。雪那の目を見て、面と向かって糾弾される勇気が俺には欠けていた。
「一菜から聞いたんでしょ…………余計な事を」
忌々しげに雪那はそう呟く。その声色には怒りのほかに、かすかに羞恥が滲んでいた。プライドの高い雪那のことだ、弱ってる姿を見られていること自体が彼女にとっては耐え難いことなのだろう。昔からそうだった、痛々しいまでの強がりも昔のままだ。
「――すまん」
「謝らないでよ。謝られたら私――」
続く言葉を聞き取ることはできないが、俺にはわかっている。恨み言ならいくらでも甘んじて受け入れる。
しかし、雪那がそれを口にすることは無い、それが辛い。いっそ罵り、責め立て、痛めつけてくれたほうが楽だ。お前が悪いと、全てお前のせいだと、そう責めてくれればいっそ楽になる。
だが、それを求めるのは俺のエゴだ。断罪してくれと懇願することなど、口が裂けてもできようはずがない。
「――怪我は、どうだ?」
少しの沈黙の後、俺は分かりきった事を質問していた。彼女の傷についてはもうすでに医師と滝原から説明を受けているのに、そんなありきたりな無意味な言葉を俺は口にした。ただこうして黙って向き合っているのに耐えられないから、そんな言葉を口にしていた。
「…………ご覧のとおり。無様な有様よ」
自嘲するようにそういうと、雪那はこちらへ振り向く。熱を帯びた顔には、普段の凛々しさと鋭い眼光が戻りつつある。意思の篭った鋭い視線に射抜かれ、思わずたじろいだ。
それほどまでに澄んだ美しい瞳だった。彼女は微塵も俺を憎んでいない、それがたまらなく辛かった。
「――変換機が停止している。しばらくは戦えない、私クビかしら?」
冗談を交えながら雪那は軽い調子で自分の状況を告げてみせる。軽い調子で言っているが量子変換装置、変換機の故障は俺たちにとっては命を失うにも等しい。改造部分を基礎として、生体部分を強固なバイオネティックアーマーへと再構築するための要、俺たちの根幹。強力且つエネルギーを帯びる生体装甲に高機動、高出力戦闘を支えるナノカーボンの筋繊維と骨、俺達が最強と呼ばれる所以を支える全てだ。
だが、おかしい。あれから五年たった今でも俺たちに傷を付けられるほど性能を持つ敵は少ない。ましてや、雪那に致命傷を負わせることのできる敵など上位種のNEOHか、”組織”の幹部級ぐらいのもの。その数名にしても五年前の時点では大半が牢屋の中か、地面の下だ。
もし雪那にこれほどまでの傷を負わせることができる敵がいるとすれば、それは新たな敵以外にはありえない。しかし、それは……。
「…………気付いたら胸に穴が開いてた。見えなかったわ、本当に」
俺の疑問を察したのか、雪那は悔しそうにそう答える。
雪那が見えなかったというのだから、実際に見えなかったのだろう。光学迷彩か、あるいはもっと別の何か、視界そのものを支配するような力の類。見当は付くが、それが答えかどうか決めるには性急に過ぎる。
「――状況は? 他にもいたんだろう、そいつらは」
大雑把な状況は把握しているが、当事者から聞くのと人づてに聞くのでは全く違う。戦いとは、戦う前に決着が着いているもの、僅かばかりの情報でも勝敗は容易く別たれる。
「…………私の目算では五、六体。それ以上かもね。哨戒中に突然襲ってきたわ。私が戦ったのはやたら硬い奴とバイオボーグ型のやつ、あとはそう、なんていうか軟体系なやつ。打撃は効かなかったわ。それで遠巻きに見てたのが二体、そのうち一体はリーダ格のはず、他のに指示を出してたし、後は勘ね。もう一人は良く分からなかった。とりあえず全員を巻き込むようにしたけど、どのくらいダメージを与えられたかは分からない、直ぐに――」
つらつらと話しはじめたかと思うと、雪那は不意に言葉を切った。こちらを見詰める視線には怒りが滲んでいる。ただの一過性の怒りじゃない、もっと根深い心の奥底から湧き上がるような怒りだった。
「――ねえ、どういうつもり?」
その問い掛けには今度こそ確かな憤りがこもっていた。
どういうつもり、どういうつもり…………か。その言葉に直面してようやく俺は自分の矛盾を直視した。
雪那の言う通り今更、俺はどういうつもりなのだろうか。五年間も逃げ続けた俺に、いまさら何をする資格があるというのだろう。あの日、逃げ出したあの時に、もう全てを投げ出したのではなかったのか。その俺が、今更、何もかも終わってしまったあとに、何をするつもりだというのか。
「……また、戦うつもりなんでしょ? また一人で……私を置いて、一人で…………! 五年前、居なくなったときみたいに!」
それは糾弾というよりは叫びだった。どれだけ俺が彼女に痛みを強いてきたか、たったそれだけで理解できた。自分がどれだけ罪深いかも。
「もういやなの。あの時みたいに置いていかれるのは! 見ているだけなんて! もうあんな気持ちを味わうくらいなら、私は独りでいい!!」
悲痛な訴えは五年間、孤独に耐え、抱えた痛みに耐え、戦い続けることだけで自分を保ってきた彼女の苦しみそのもの。どれほどのその五年間が辛く、苦しく、長かったなんて俺にはきっと理解してやることさえできない。それを背負わせたのはほかならぬこの俺、詫びる資格すら俺にはない。
けれど、だからこそ、今更でも俺にはやらねばならないことがある。たとえ、何を裏切っても、誰に憎まれても、せめて逃げ続けてきた五年間のケジメはつけなきゃならない。
「――雪那。俺にこんな事を言う資格はないかもしれないが、それでも…………お前は独りじゃない。少なくともこれからは違う」
詫びるように静かにそう告げた。詭弁だとしても、もし彼女の孤独に決着を付けられるものがいるとすればそれは俺だけだ。この役目は俺にのみ相応しい。
「――なにを!」
押し殺したような声、抑えこんできた感情の一部が声にならない叫びとなって木霊となって響く。それでいい、その感情も憎しみも俺が負うべきもの。今度は逃げない、こうなった以上は全て俺が引き受ける。
「もう、いいんだ。お前はもう戦わなくていい。――――あとは、俺に任せてくれ」
俺にできる唯一の事、それは雪那の代わりを務めること。いや、俺が果たすべきだった勤めと、五年前背負うべきだった責任を今から背負うことだ。それが例え、雪那の想いを踏みにじることであったとしても、俺は雪那を解放しなければならない。
例え一人でも、誰に憎まれても、誰を亡くしても戦い続ける、それが俺の担うべき新たな役割。逃げ続けるのはもう終わりだ。