NO. 31 ここに誓いを
必死で訓練所を走り回る新人たちを見ていると、昔の事が否応なく蘇る。寒さと暖かさ、出会いと別れ、痛みも喜びも全てがあった。人類戦役、戦い抜いた十年間の全てが今の風見原雪那を支えていた。
今、彼等は自分の辿った道を歩もうとしている。それは喜ばしくもあり、呪わしくもある。戦いを終わらせる、そのために彼女達は造られ、役割を全うしたはずだった。彼等のような世代に同じ決断をさせたないために戦い抜いたはずだったのに、今もまだ彼女は此処にいて、彼等は此処にいる。それが現実だった。
「――そこの子、もう休んでいいわ。シャワーを浴びて、しっかりマッサージして休みなさい」
「は、はい! ありがとうございます!」
「全員、後十分したら休憩! そのあとはフォーメンション訓練!!」
まばらな返事を聞きながら、全体を観察する。流石は各支部でも最高クラスの人材を集めたというだけはある。兄から教官を任され、オートバランサーを外しての訓練を始めて一週間と少し、三分の一近くがすでに感覚を掴みはじめている。この調子でいけば、作戦期日には全員が戦闘に耐えうるだけの習熟が得られるだろう。
才能だけで測るのなら、彼等のそれは雪那のそれを遥かに凌駕している。いや、比べる必要さえない。ほとんど適正をもたなかった彼女と厳しい適性検査をクリアしてH.E.R.Oとなった彼等ではあまりにも差がありすぎる。
そう、風見原雪那に才能などなかった。並の運動神経と並みの頭脳と並み以下の肉体しか持ち合わせないただの凡人だった。本来ならばゼロ計画に選定されるような逸材でもなかったし、それどころか装甲服を着る事のできる最低限の資質しか持ち合わせていなかった。
故に努力した、並みでしかない性能を並以上の努力と常軌を逸した執念で補った。欠陥だらけの初期型スーツ、その欠陥も利点もすべてを理解するため、誰よりも長くスーツを装着し続けた。だからこそ、オートバランサーを外すなんて無謀なことも思いつけた。
それでも、追いつけはしなかった。死に物狂いで努力しても憎み続けてきた敵すら殺せず、ただ彼の戦いを見ていることしかできなかった。それがたまらないほど悔しく、たまらないほど悲しい。無力感など、何度味わったか知れない。
それでも諦めることだけはしなかった。どれほどの敗北を重ねようと、どれほど地に這い蹲ることになろうと決して膝を屈し、自分の運命を他人に委ねることだけはしなかった。
その先に今の彼女がある。一度として、ただの一度として諦めず戦い続けた、それが彼女を支える誇りだった。
「――張り切ってるじゃないか? このまま訓練校の教官とかやってみるってのはどうだ?」
「冗談。向いてないし、そもそもそんな暇ない」
「そうかぁ? 俺は向いてると思うんだがねぇ……」
何時の間に傍に来ていたのか、からかう様なエドガーに無愛想にそう返す。隠しているつもりだったのだが、どうやら見透かされていたらしい。確かにこの状況に喜びを感じていないかといえば嘘になる。あの兄が自分を頼ってくれたこと、彼等が少しずつでも強くなっていくこと、その全てに満たされていた。
この大男はその大雑把な見た目に反して、鋭い洞察力の持ち主だ。そうでなければ、かの01特戦隊の前線指揮官など務まらない。
実際の作戦、来るべき決戦で雪那が鍛えた彼等を率いるのが彼だ。サイボーグでもなければ、H.E.R.Oでもない、ただの人間に過ぎない彼が最強の兵団を率いる。ある意味では雪那や01以上の超人といっても過言ではないだろう。
「それで、鬱憤は晴らせたのか?」
「――当たり前でしょ」
遠慮の無い問い掛けにただ一言そう返す。あのサーペント手を組む、兄を愛しているなどと嘯くあの蛇が自由の身で好き放題にしているなどおぞましくて仕方が無い。機会さえあればこの手で殺してしまいたい、その思いはまだ胸の奥で燻っている。それは消しようがないし、消すつもりも毛頭ない。
だが、ただ一言、たった一言、その言葉だけでいくらでも戦える。頼む、とただそれだけ彼が、彼女の兄が、この光を共有した家族が、そう言った。それだけでこの五年間さえ報われる。
今此処にいる理由、命を懸けて戦う理由はそれだけで充分。今度こそ最期のときまで共に戦い続ける、それだけが彼女の望みだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
この階段を上るのはそう久しぶりのことじゃない。短い階段を一段づつ踏みしめながら上っていく。一段ごとに足取りは重くなり、心はもっと重くなる。
深く呼吸を吸いながら、階段を上がる。あの日の無力さを、悲しみを、絶望をその度に胸の奥底に沈め、力に変えていく。あの瞬間を忘れない限り、俺はまだ歩き続けることができる。
そうして、夜の山のような慰霊碑が再び俺の前に現われた。
犠牲者の名の刻まれた黒い石碑、ただそれだけのものに俺はまるで子供のように怯えている。一ヶ月ほど前とは違い、供えられていた花はなく空は曇り、今にも雨が降り出しそうだった。
慰霊碑までの広間の道をゆっくりと進む。一歩ごとに無人の墓所に足音が響く。此処には彼女達と俺ただ一人。それでいい、この瞬間、この苦しさこそ俺に必要なものだ。
人類戦役戦死者慰霊碑、公園丸ごとが墓地となったその場所に俺は再び訪れていた。
「――ッ」
立ち止りそうな足を叱咤し、歩き続ける。何故此処にくるのか、考えたことはなかった。彼女に会うためか、違うだろう、彼女はもういなくなってしまった。此処にも、何処にも、もういない。では、死者を弔うためか? いいや、それも違う、逃げ出した俺にはそんな権利さえ残されてはいない。
堂々巡りの答えを出すのは俺自身ではなく、件の慰霊碑、そこに刻まれた名がすべてだった。
「――情けないな、俺は」
ようやく慰霊碑と向かい合うと、気付いてしまった。俺は期待していたのだ。この死者の名を刻まれた黒い石が俺を裁いてくれるのではないかと期待していた。
なんて浅ましい、死者に裁きと許しを求めても何も返してはくれない。俺には許しを請う資格はない、そんな事さえ忘れていた。
三日後に作戦を控えながら、ここを訪れたのも弱さゆえ。戦うこと、自分が傷つくこと、死を迎えることに恐怖はない。
だが、また失うことが恐ろしい。雪那の、滝原の、エドガーの、新人たちの、仲間たちの死を想像するだけで立っていられなくなる。だから、最後に与えられる余暇を使って此処に逃げ込んだのだ。
「――君はどうして俺を……」
続く言葉は出なかった。問いかけても答えは返ってきてはくれない。そもそも彼女はこの答えを自分で見つけて欲しいと俺に言った、此処で問うた所で答えは出ない。触れた慰霊碑はただ冷たく、降り出した雨が体を打つ。世界が、時が止ったようにさえ感じられる。それほどまでに長く、俺は此処にただ立ち尽くしていた。
「――迎えに来たのか、滝原」
「いいえ、私もお墓参りよ」
振り返ることなく背後の足音にそう声をかける。返ってくるのは快い声。居なくなってしまった彼女達と違い滝原はそこにいる。そのことがただただ嬉しかった。
「なんだ、花を買ってきたのか。それもその色……」
滝原の手には彼女の名と同じ瑠璃色の花。そういえば花を持ってこよう、なんて考え付きもしなかった。女心がわからないと叱られた事を思い出す、終ぞその分野に関しては進歩が無かった。
「嫌がるかもしれないけど、他に思いつかなくって。ほら、百合ってイメージじゃないでしょ?」
少しはにかみながらそう答えると、滝原は手にした花を慰霊碑の前の献花台に供える。滝原に言われて、自分の名前と同じこの色、この花を彼女が嫌ってた事を思いだす。なぜだったかは覚えていないが、花言葉が気に食わないとかなんとか。
「……笑ったの、久しぶりに見たかも」
そんな事を考えていると、笑みが漏れていたらしい。自分でも酷く久しぶりな気がする。何一つとして忘れていないつもりだったのに、こんな大事な事を忘れていた。それを思い出すことができた、それが堪らなく嬉しかった。苦しいだけじゃなかった。決して、それだけではなかった。今はもうそれでいい。
「――ねえ、ひとつだけ聞いてもいい?」
「なんだ?」
慰霊碑へと向き直ると、滝原が決意を込めるように静かにそういった。どんな答えでも受け入れるとそうも告げていた。
「この五年間、どこにいたの?」
「――――え?」
瞬間、思考が完全に停止した。自分が何を問われたのか一瞬理解できず、呆けた声を上げてしまう。まさか、真正面から堂々とそれを問われるとは予想だにしていなかったのだ。
「答えたくないなら……」
「いや、そういうわけじゃない。ただ、少し驚いただけだ」
悲しげな顔をする滝原にそう言い訳をして、必死で思考を巡らせる。この五年間、何処にいたのか、か。その答えは俺にもわからない、何処かにいたのか、何処にもいなかったのか、その答えはいくら考えてもでやしない。
「……最初の二年はあっちこっちと見て回ってた。ジブラルタルとか、ロンドンとか、今まで戦った場所を見てみようと思ったんだ。色々なものを見たよ、本当に沢山のものを……」
いざ話し出してみると、際限なく言葉が溢れ出した。俺がそんな事をしていられたのも滝原とおやじさんが俺の痕跡を抹消してくれたからにほかならない。滝原には知る権利が、尋ねられるなら答える義務が俺にはあった。
「……それはどうして?」
「……………答えが欲しかった。 俺が、あいつ等が、瑠璃華の守ったものが一体どんなもので、どれだけの価値があるのか、それを見つけたかった。誰かが答えをくれるかもしれないって期待していたのかもしれない」
俺の言葉を滝原は黙って聞いてくれるだけ。背中越しではどんな表情を浮かべているのか、何一つ分からない。
「結局、答えはなかった。二年間も彷徨ってわかったのはわからないってことだけ、それからは――」
その先は言葉にする必要は無い。そこから先には本当に何もなかった。俺には何も掴めなかった。それが事実。こうして戦場に戻ってみても答えの片鱗すら掴めていない。
それでも、そんな俺でも彼女が俺のために泣いてくれていることだけは分かる。俺にはそれだけで充分。答えなど無くてもそれだけで充分だった。
「――必ず勝とう、01。必ず勝って今度は雪那も一緒にまた此処に……」
「――ああ、必ず勝つ。信じてくれ、滝原」
振り返った彼女の瞳に涙はない。あるのはただ一つの覚悟、彼女はとうの昔に最後まで戦うと決めていた。
その光に胸を晴れるように、決意と共に弱さを振り払う。三日後だ、すべてはその日に決まる。滝原の作戦に疑いはない、部下たちも問題はない。勝機はある、後は俺が勝つだけだ。
四肢に漲る力は澱みなく、胸の永久炉は熱を発している。猛る体とは対称的に心は冷たく低く沈んでいく。これでいい、此処に来たこと自体はただの感傷でも、この状態へと到れたのなら此処に来たことも意味があったというわけだ。
今度の敵は俺達の映し身、俺たちの能力すべてを持ちあわせた最悪の敵。奴の相手は俺しか務めらない。万全ではない雪那では勝てない、当然他のやつらでは戦いにもならない。俺が戦うしかない、いや、俺が戦わなければならない。性能では劣っている、それがどうしたというのだ。あれが俺の影なら、あれを打ち倒すのは俺の義務だ。たとえ、頭だけになっても喉下に齧り付いてやる。
必ず勝つ、それが俺の存在意義だ。造り変えられたその時から、そうやって生きてきた。だからこそ、こんな感傷ではなく、戦い続け、勝ち続けることが俺が死者に報いる唯一許された方法だ。三日後の決戦、許されるのは勝利のみだ。
今この場所は、俺にとって五年前のあの日そのもの。降り止まぬ雨と横たわる死者たち、無力に立ち尽くす己の姿さえ、あの日と同じだ。だからこそ、此処に全部を置いていこう。悲しみも怒りもすべて此処に残す、二度とあの日を繰り返さないために。




