NO. 30 最初の一歩
碧く、深遠な大海の真ん中にその場所は浮かんでいる。世界最高峰と謳われる科学技術を誇るUAFの最前線をいくその場所はこの世界で最も未来へと進んだ場所といってもいい。
だが、それでもこの場所を去るものは、この場所を訪れるものよりも多い。昼夜問わず鳴り響く金属音と飛び交い続ける怒号とサイレン、一日数回も行われる厳重なセキリティチェック、加えて数日に一度は避難勧告が発令され、命の危険に晒される羽目になる。まともな神経を持つ人間なら一ヶ月ともたない。 この施設の重要さを鑑ればそれも当然ではあるものの、ここ一二週間の警戒は異常なほど。おかげで最高クラスのセキリティクリアランスをもつ彼女でもここにたどり着くまで一日を費やすことになった。
けれど、此処の住人たちはそんな事を気にしてもないし、気にするような余裕もない。各々が文字通り寝る間も惜しんで研究に勤しみ、爆音どころか外で戦争が勃発したとしても気付きはしないだろう。彼等にとっては場所自体がまさしく戦場。創り、壊し、また創る。その過程がたった一日の間に目まぐるしく繰り替えされ、行き過ぎた探究心からの暴走と類稀なる使命感で様々な物品を創り上げていく。この場所が技術者たちの戦場と呼ばれる所以がそれだ。
UAF管轄第二研究ギガフロート、鉄火島と呼ばれるその場所に滝原一菜はいた。
「――それで! 主任は!! どこにいるのかしら!!」
あらん限りの大声を上げ、目の前を歩いている技術士官に呼びかける。轟音には慣れているが、それでも鼓膜がおかしくなりそうなくらいに煩い、頭がどうにかなりそうだった。目の前の士官も何か言っているようだがほとんど聞き取れない。そもそも、こちらの質問があちらに届いているかさえ分からなかった。
ここに来てまだ五分と経っていないが、もうすで十回は此処に来た事を後悔している。事を最大限内密に進めるためには、安易に人を使うわけにも行かず自ら足を運んだのだが、その決意さえも挫けてしまいそうだった。
周囲では用途の分からない様々な機械が組み上げられ、起動し、その機能を実践している。それと同時に解体され、壊され、溶解されていく様々な兵器たちがある。創造と破壊は表裏一体というが、ここではそれが同時に行われているのだ。
「――では! 主任のほうから!! 説明があると思いますんで!!」
「――そ、そう! ありがとう!!」
極力ストレス要因を遮断しつつ歩いていると、いつの間にか目当ての場所に辿り着いていた。視線を上げると、巨大な一対の翼のようなものが宙に浮かんでいる。その機械の翼の周りでは幾つかのロボットアームがせわしなく動き続け、一秒ごとにパーツが接続されては取り外され、空中投影のディスプレイがそれに合わせて次々変動していく。
その一連の作業を監督している人物こそ彼女がわざわざ訪ねにきた人物だ。オイルで汚れた白衣を着て、冴えない特徴のない顔立ちの眼鏡をかけた中年男。痩せかけたその相貌には不釣合いなほどに眼鏡の奥から覗く眼光だけが鋭く輝いていた。
「――主任! 極東支部の滝原だけど! 聞こえてるかしら!?」
「――ちがう!! そうじゃない!! 何度言えばわかるんだ!! そこはもっと角度をつけろ!!」
大声を張り上げても、聞こえていないのか、それとも無視しているのかはわからないが主任は一菜のほうに振り返ることもせず、彼女以上の大声で指示を飛ばし続けている。用件を果たそうにもこれではどうしようもない。
「ちょっと! 話聞いてくれない!? 少しでいいから作業を中断して!!」
「――煩い!! 耳元で怒鳴るんじゃない!! 集中できないだろうが!! 」
力一杯怒鳴り声のように声を掛けると、ようやく主任が怒鳴り返してきた。会話というには、あまりにお粗末だが、無視されるよりはいい。
「私よ!! 滝原よ!! 昨日連絡したでしょう?!」
「ん、ああ!! 君か、もう来たのか!? 約束は十五日じゃなかったのか?!」
「今日が十五日よ!! 」
そう一菜が怒鳴り返すと、気付かなかったなどと言いつつ、主任は白髪混じりの頭を掻く。何日も寝ていないのか、目の下の隈がいやでも目に付いた。どうやら一菜が連絡を取ってから五日、一睡もせずに作業に取り組んでいたらしい。
「まあ、細かいことだ、気にするようなことじゃない! それで、統括官殿が此処までなんのようだね!? また滅茶苦茶な注文付けに来たのかね!?」
怒鳴りながらも楽しくてしかたがないといわんばかりに、主任はそういった。彼にとっての唯一の娯楽はこうして難題に取り組むこと、一菜からの無茶な注文も彼にとっては最高のおもちゃだった。
「ええ! 追加の要望があるからきたの!! これよ!」
データの入ったUSBを直接手渡す。あくまで部隊からの要望と作戦に必要とされるであろう数値を纏めたもので、実用的なデータではないが、それでも見るものが見れば何をしようとしているか程度は予想できる。そんなものを不用意に送るわけにはいかない、どこに裏切り者が潜んでいるか分からない以上はこれ以外の方法などなかった。
「……なんだねこれは! 推力二倍にして、旋回速度も上げて、神経接続コネクタをつけろなんて冗談にしても質が悪い!! しかも、二機、それを一週間足らずで用意しろとは……」
「――でも、できないなんて言わないでしょう?」
「当たり前だ! むしろ、最高だ!!」
新たな無理難題を前にして、落ち込むどころか余計張り切った様子で主任はてきぱき指示を飛ばしていく。この場所にいるのは変人ばかりだが、この男はその中でも最悪の部類だ。開発した兵器は高性能だがあまりにもコストが掛かる上に使用用途の限定されたものばかり、既存の兵器の改装案をださせれば原型を留めぬ魔改造。優秀ではあるものの極めて扱いづらい、この鉄火島有数の異端者だ。
しかし、腕は確か。それは五年前の戦いでいやと言うほど思い知っている。
「君が私を頼るとはね!! 業が深い!!」
「――”組織”を裏切って今はUAFで働いてるアンタに言われたくないわ」
「私は私の頭脳を最大限活用できる環境で働きたい、それだけだよ!」
五年前の決戦の寸前、この男は”組織”を裏切り、UAF側に亡命した。しかも”組織”の内部情報を手土産にだ。その情報がなければ、今の世界はなかったかもしれない。
それゆえに、この男はほかの”組織”の大多数とは違い、檻に入れられてもなければ土の下に埋められてもいない。しかも、その知識と頭脳を有効活用するためにこうして最大最高の研究施設に地位を用意され、日々趣味のついでに世界平和に貢献している。
そして、数少ない裏切り者の一派に組していないと言い切れる人物の一人でもある。この男は”組織”残党から01やサーペントに匹敵するほど憎まれている。その上、今は主任自身が”組織”を毛嫌いしている。そんな男がいまさら裏切り者に手を貸すとは考えられない。
個人的な感情を抜きにすれば、この男以上の協力者など何処にも存在していなかった。
「で、この私謹製の作品を使うのは彼なのだろうね!? というか彼以外ではこのじゃじゃ馬は扱えまい!!」
「……ええ、そうよ! だから、搭乗者の負担無視で、好きにいじくっても構わないわ!」
「それは楽しそうだ! 予算のほうも好きにして構わないんだろうね!?」
「どうせだめだっていっても好きにやるんでしょうが……とにかく最高のものを用意して!!」
「当たり前だ! 常に私は最高を追い求める、妥協など誰に頼まれてもするものか!!」
そう一際大きな声で答えると、新しく設計図を起こし始める。データを見た段階でもうすでに頭の中で設計図が出来上がっていたようで、凄まじい速度で数値を入力していく。
「いや、それにしても此処でも強襲するつもりかね、君たちは! しかもこの戦法、また愉快な事を思いつく!!」
「――やっぱりアンタ、何か知ってるんじゃないの?」
「そう疑ってくれるな! そもそも私の知ってることはすべて五年前に話した! そもそも一技術者だった私にたいした情報が知らされるわけないじゃないか!!」
極めて胡散臭いが、嘘は言ってはいないだろう。この男には”組織”側につくメリットがない。不気味なまでの察しの良さも、データという根拠のある予測にすぎない。そもそもこの男にとって大義や思想など精々、ステーキの添え物程度の価値しかない。興味があるのは自分の作った作品を誰が一番活用できるか、ただそれだけだ。
「しかし、その反応!! 当たっていたか! 今度は身内と殺し合いでもするのかね!! まさしく死神だな、君達は。いやあ、こっち側について正解だったよ!!」
「……死神、ね」
当たらずとも遠からず。五年前、ようやく戦いが終わったはずだった、しかし、現実はどうだ。この五年間、休みなく戦い続けてきた。小規模な”組織”残党、TCS技術をもった新興のテロ組織、敵は様々だったが、どの戦いの中心にはいつも自分たちがいた。死神といわれても否定はできない。
「――でもね、死神だからできることもあるのよ。れにどこかの誰かに全部放り投げられるくらい器用な性格してないの、私も彼もね」
その言葉を聴くと、主任は一際上機嫌に大きく笑った。死神と呼ばれようが、疫病神と罵られようが、やるべき事を放り出すよりは良い。その矜持だけは何時だって持ち続けてきた。見ている事しかできない自分でも、できうる全てをもって彼らの戦いを援ける、それが彼女が選んだ生き方だった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「うおっ!?」
「きゃっ!」
「またかよ!」
目の前では各支部でも選りすぐりの精鋭たちが立ち上がりは転び、時には勢い余って壁に激突していく。なんとも奇妙な光景だ。これが自分の部下達でなければ、笑いこけていたくらいだ。
飛蝗のように飛び跳ねたかと思えば、生まれたての子馬のような足取りでグルグルと同じ箇所歩き回る。本来は持久走のはずが、これでは老人会の障害物競走以下だ。完全装備の最精鋭のH.E.R.Oがこの様では笑い話にもならない、それこそマスコミにでも見られればなんと書かれたものか分かったもんじゃない。
「――あんたら一月後までよたよた歩いてるつもり!? とっとと立ち上がりなさい!!」
俺の隣でそう声を上げる新教官に視線を向ける。最初は嫌がっていたが、なかなかに様になっている。少しは鬱憤を晴らせればいいかと思っていたが、やはり任せて正解だった。俺に欠けていたもの、教官としての資質を我が妹は持ち合わせている……だが、その竹刀はやりすぎたと思うぞ、雪那。
「は、はい! 教官殿!!」
新教官殿の怒鳴り声に背中を押されながら、新米たちは一歩一歩慎重に踏み出す。重要なのは最初の数歩だ。一度リズムに乗りさえすれば、後はそのペースを維持していけばいい。一定のリズムを崩されなければ、目標の十週もすぐだ。まあ、それが問題なのだが。
「後六週! こんなペースじゃ小学生にも勝てないわよ!!」
俺に教官を任された雪那の課した課題は極シンプルなもの。オートバランサーを外した機械化装甲服で訓練所を十週すること。鼻で笑うようなその訓練の難度は傍から見る以上に凄まじい。
UAF製の機械化装甲服、UAFの象徴であるそれらには装着者を保護するリミッターと装着者を補助するオートバランサーが必ず組み込まれている。俺達の基礎能力を参考に大幅に性能を落として設計されているとはいえ、最大出力で稼動した場合の負荷に生身の人間は耐えられないからだ。
結局のところスーツほど人間は頑丈じゃない、問題はそこにある。その頑丈じゃない人間を守るためにはリミッターが不可欠。こいつを外してしまえば、戦う前に戦えなくなってしまう。
だが、もう一方はそうでもない。動作の補助のオートバランサーは外しても戦える、いや、外さなければ戦えない。
「その状態で自由に動けないなら、あんた達何時までたっても半人前未満のままよ!! 死ぬのは勝手だけどスーツは高いんだから、せめて脱いでから死になさい!!」
「む、無茶苦茶言いやがるぜ」
「こんなのまともに動けるわけ……」
「無駄口を叩いてる暇があるなら、動きなさい!!」
「は、はい!」
再びの雪那の怒号にへたり込んでいた隊員が再び走り出す。迫力だけで言うなら、雪那のそれは俺とは比べ物にならない。人にも他人にも厳しい雪那だが、その性格が教官という役目に見事にかみ合っていた。
オートバランサーを解除した状態での訓練、そんなもの、ここにいる全員が初体験だ。最初はただ立っていることすら困難だったのだから、一週間足らずで曲がりなりにも動けるようになっただけまだいいほうだろう。
この無意味にしか思えないその訓練を行う理由はただ一つ。その方が迅く動ける、ただそれだけの事だ。
本来スーツは脳から発した脳波を読み取り、体の動きに先んじて、装甲内のカーボン筋繊維が駆動することで圧倒的な機動性と戦車を上回るパワーを両立させる。そのための出力計算、バランス調整、重心制御、感性負荷の軽減を搭載されたAIが肩代わりをする、というのが オートバランサーの簡単な概要だ。これがなければ今のように、ただ走ることすら絶妙な力加減と出力調整が必要になる。
オートバランサー、機械化装甲服を支える二本の柱の一つにして、最大の弱点。スーツが脳波を感知し、動作を補正するほんのわずかな時間、0,1秒にも満たないその瞬間が大きな隙となる。彼等が俺達に勝てない最大の理由がそれだ。
補助を外し、スーツを自分の脳と身体で理解して、力そのものを支配する。そうしてようやく、俺達の速度域へと到達できる。単純に動作までの行程を一段階減らすだけではなく、スーツを己の体の延長上として理解する。それがなによりも重要だった。
この訓練はその第一歩。走れるようになれば、跳べるようになり、いずれは戦えるようになる。考えるまでもなく自然とスーツを動かせるようになるのだ。
オートバランサーに頼っているうちは俺達とは同じ土俵には立てない。彼等が俺達と共に戦おうというなら、この領域は越えてしかるべきものだ。
「――雪那」
「なに、兄さん?」
「ありがとうな」
俺が素直にそう礼を言うと、雪那は恥ずかしそうに顔を逸らした。本心から雪那には感謝している。俺一人ではこのやり方は思いつかなかっただろう。人間だったからころから血みどろの努力を重ねてきた雪那にしかこの方法は思いつかない。与えられただけの俺では決して何が必要なのか答えは出せなかった。
確かにこの訓練は厳しく、難しく、無意味にも思えるものだ。だが、決して不可能ではない。重要なのはそれだけ、この訓練を実践し、実際に俺達に追いついて見せた第一号がここにいるのだから。
そう、この方法、俺達に追いつくためのこの特訓を最初に考え出し、それを実現したのが雪那だ。今のものよりも遥かに劣悪で欠陥だらけの機械化装甲服で雪那は俺についてきてみせた。そのことのなんて難しく、また尊いことか。
だからこそ、同じ事を俺は彼等にも求めなければならない。敵は”組織”、生半な覚悟では戦うことはできない。彼等の精鋭としての誇り、人類の盾となるという誓い、その全てに懸けて、彼には強くなってもらわなければならない。例え泥の中を這うことになっても、彼等には――。




