NO. 29 星の目
緊張に息を呑む。額に流れる汗を感じて、指先が緊張に震える。戦いでも此処まで緊張したことはない。
二年間を過ごした我が古巣はこの世界のどんな場所よりもホットな危険地帯に成り果てた。指一本でも不意に動かせば、取り返しがつかなくなる。
どうすればいい、俺の行動一つでこのマンションの住民全員の命運が決まる。下手は打てない、冷静に行動を決定せねば、それで終わり。慎重に、事態を解決しなければならない。
だが、答えが分からない。この場で動行動するのが正解なのか何一つとして俺にはわからなかった。
「――うーん、良いね、この香り、この肌触り、この距離感! 何の変哲も無い部屋でも君が住んでいるってだけで此処は最高の空間さ! まあ、邪魔者がいるのが残念だけど……」
「――そういえば、兄さん、この部屋臭うわ。なんていうの? 爬虫類臭い? ともかく鼻がひん曲がりそう。とくにそこらへんから強烈な腐臭がする」
「まったくこれだから子供は困るんだ。こういうときは気を利かせて、出て行くものだろうに……ねえ、01」
「――ああ、臭い。本当に臭い、性根から腐ってる臭いね、これは。あんまり近づくと兄さんにまで臭い付くわ。早く捨ててきて、兄さん」
「――これも俺のせいなのか……?」
皮肉というにはあまりにも直球な罵詈雑言の応酬。それだけで逃げ出したくなるほどに迫力満点だが、俺がこの場から逃げれば、それこそお終いだ。血で血を洗う決戦が始まってしまう。さすがにそこまでいかないと思いたいが、この二人なら何でもありだ。このマンションで済むのなら安い犠牲かもしれない。
「――――」
「――――ッ」
なおもにらみ合いを続ける二人を傍目に見ながら、思考を巡らせる。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。
そもそもの発端は十分前、当然ながら原因はサーペント。端末に掛かってきた見知らぬ番号からの緊急コールにでてみれば何の前置きもなく、近くに来てるから寄るよ、の一言。次の瞬間には玄関の呼び鈴が鳴っていた。気付かぬ間に監視されていたのではないかと思えるほどの余りにも狙い済ましたタイミング。断るのも、事情を聞くのも不可能、奇襲としては百点をくれてやってもいいくらいだ。
そこからはもう雪崩の如し。雪那は扉を開けて玄関に現われたサーペントを見た瞬間、生身のまま殴りかかろうとするし、サーペントはサーペントで雪那を挑発するしで、大騒ぎ。それを何とか抑え宥めていると気付いた時にはサーペントがソファーで寛いでいた。その時点でもう手遅れだ。二人を同時に面倒を見るのは俺一人では無理、せめてもう一個大隊、いや一個師団くらいの戦力は欲しい。
この世界で五本の指に入る実力者の、二人、しかも犬猿の中の二人が此処に揃っているそれだけで自体は限りなく最悪だ。
「いいわ……兄さんがやらないってんなら、私がやるだけ。部屋とはいわずこの地球から叩き出してやる」
「やってみるといい。まあ、成層圏からたたき出されるのがどっちかはハッキリしてるけどね」
「……わかった、そのままでいいから本題に入ろう」
この一触即発の空気も慣れてしまえば、どうにか耐えられる。思考を切り替え、とっととこの状況を終わらせる、それが最善手だ。戦いを止めるのではなく、忘れさせる。とっとと本題に入れば被害を出さずに済むかもしれない。
「あ、僕の用件かい? 大したことはないよ、近くにいたから定時報告ついでに寄っただけさ」
「……それならメッセージでいいだろう。それに報告は俺じゃなく滝原のほうに……」
「ああ、そっちはもうメッセージが届いてる頃さ。でも君の顔が見たかったからね。嬉しいサプライズだろう?」
「――なにがよ、クソ蛇女」
雪那の殺気も何処吹く風と、サーペントはマイペースに話し始める。何かと思えばわざわざそんな程度どのことのために此処まで来たらしい。こっちにはいい迷惑だ
我が物顔でソファに寝そべっている姿さえも、誘うような色気が漂っているのだから恐ろしい。目立たない質素な格好だが、この世のものとは思えない美貌のせいで逆に目立っている。こんなにいろんな意味で目立つ癖に、どうやって情報収集してたんだか。
「雑音は無視して続けるよ。端末があるとやりやすいんだけど……」
俺が端末を渡すと楽しくて仕方がないといった調子で端末をいじり始める。なにを企んでいるのかは知らないが、ろくでもないことであるの確か。連絡先がこいつのもの以外全て消えてるぐらいで済むならありがたいのだが……。
「――とりあえずこの十日間で分かった事を手短に」
その言葉と共に机に置かれた端末から、さまざまなデータが空中に投射される。乱雑に投射されたデータは人物についてのファイルや気象映像、温度分布、地図、そして金融相場、これらにどういうつながりがあるのか俺にはさっぱりわからなかった。
「これは……」
「人物の方は”組織”との繋がりがあるやつ、残りの奴はその繋がりや位置を追ったもの。まあ、ようは”組織”の追跡録ってとこだね。これでもまだ一部、もう少し洗えば身体も引きづり出せる」
「――白山正人、倉端隆、野村健太郎、国会議員にコンツェルンの代表……それに中華連盟と北太平洋連合の将校まで……」
「こっちに至っては現役の閣僚だ。これで氷山の一角とはな……」
雪那が読み上げたのは、そうそうたる面子。五年前と同じ、”組織”を相手にするということは一つの世界を相手にするということを、改めて思い知る。今更恐れはしないが、相手にしているものの大きさを改めて見せられると、その途方もなさに思わず溜息が漏れそうだった。
「情報はこいつらの何人かの脳から直接引き出したものだ。連中自分が仲間を売ったことさえ憶えてないさ。信憑性はかなりのものだと自負してるけど、そこは僕を信用してくれとしか言いようがないね」
「わかった、信用する。どの道それしかない」
「ふふ、ありがとう」
「―――ッ」
あてつけがましく雪那に視線をくれながら、サーペントは話を続けていく。すでに覚悟は決まっている、そんなことより一々雪那を挑発するのはやめて欲しい。隣で膨れ上げる怒気と殺気だけで部屋がぶっ壊れそうだ。
「――実行部隊の規模は無人兵器も含めて一個師団相当、あの島の防衛能力を考慮すればさらに戦力評価は跳ね上がるだろうね」
「島……?」
「それは分かってる。他には無いのか?」
改めて考えれば、凄まじい戦力差。しかし、それも慣れた事だ。万全な状態で戦えたことも、戦力的に勝った状態で戦えたことも数えるほどしかない。俺も雪那も劣勢のほうが調子が出る。元より俺たちはその劣勢を覆すために造られたのだから。
「あと、君が話したって言う男、僕のところに来た奴だね、そいつの正体もわかった。君も見覚えあると思うけど、どう?」
「……いや、見覚えはないな」
示さされた人物の名はイワン・アルダノビッチ博士。機械工学、ロボット工学、及び次元物理学の博士号を持ち、新国連所属の研究施設の元職員。研究者としてはかなりのエリートだ。しかも――。
「――0計画に参加、ゼロシリーズ一号機の素体設計、永久炉製造に貢献……その後、ルクセンブルクでの戦闘で戦死。でも、生きているとしたら……」
雪那の言葉に頷きながら、件の博士の顔をもう一度確認する。見覚えはないが、言われて見ると何か引っかかるものはある。だが、思い出そうとする行為に意味はない、消えたものはもう戻っては来ないそれが真理だ。無駄な足掻きをするつもりはない。
「彼は十年前から、いやそのもっと前から”組織”と内通していたと考えるのが自然だ。むしろ、これまで一切姿を隠してきたのは永久炉の調整があったからだろうね」
「――こいつ以外にはいないのか?」
「今のところはね。規模は大きくても、基本は無人兵器群ばかり。”組織”の戦闘員はほとんど君らに殺されてるから無理もない」
人材不足は何処も同じと言うわけだ。人を育てるのに五年という年月は長いようで短い。ましてやサーペントの言うとおり”組織”は俺たちのとの戦いで主要メンバーのほとんどが戦死した。如何に強力な後ろ盾があっても、それが現実。金は兎も角として、人はそう簡単には作れない。
「――所在は? 鯨は今何処にいる?」
「――それは残念だが分からない。少なくとも僕が引き出した連中には知らされてなかった。もしかしたら、この博士以外は誰も知らないのかもしれないね。機密保持の手段としては定石だ」
「……そこまで都合よくはいかないか」
場所さえわかれば、こちらから攻撃を仕掛けられるのだが、そこまで都合よくことは進んでくれない。あの島と、鯨と戦うのなら、こちらにも相応以上の準備が必要だ。結局は敵が動くまで待ってから対応する、結局は後手に回るしかない。歯痒いが、堪える以外の選択肢は今はない。
「――確かに今の所在は僕にも分からない。けど、一ヵ月後の居場所なら僕には分かる」
「そんな馬鹿な。矛盾してるわよ、それ。何の事を言ってるのか知らないけど、今何処にあるのか分からないものが一ヵ月後に何処にあるかなんて分かるわけないでしょ」
俺にもサーペントが何を言ってるのか、よくわからない。雪那の言うとおり、今の居場所も分からないのに、どうやったら一ヵ月後の居場所が分かるというのだろうか。
「――ふ、学の足りない妹には分からないだろうねえ。少しは無い頭を使ってみたらどうだい?」
「天才気取りの淫売よりはマシよ。いい加減、無駄な色気振りまくのやめたら? 吐き気がするわ」
「君に比べたらマシだとおもうね。何時までもウジウジと見苦しいなんてもんじゃない。見ててこっちまで伝染しそうだよ。邪魔をするならさっさと消えてくれ」
「アンタこそ早く海の底に戻ったら? アンタみたいなのは海の底で一人寂しく朽ち果てていくのがお似合いだと思うわよ。ねえ、兄さん?」
「――頼むから話を進めてくれ」
会話したと思えばこれだ。このまま放っておけば、延々この調子で罵り合ってることだろう。とっとと話を進めてくれなければ、いい加減俺も我慢の限界だ。
「……わかったよ、君が言うなら僕が我慢しよう。不愉快極まりないけどね」
「……兄さんが言うなら」
こう聞き分けがいいと逆に不気味だ。しかし、まあ、今は助かる。なんであれ聞くべき事を聞くまではここで血みどろの戦いをされるわけにはいかない。
「まあ、簡単な予測だよ。どれだけ情報を隠しても島はどうしようもなく大きい。動けばどうしようもなく周りの環境に影響を与える。ここまではわかるだろう?」
サーペントの言葉に合わせて、データが切り替わる。表示されたのは複数のグラフと海洋図、航空図、複数の海難事故や航空事故の記事。此処までくると、察しの悪い俺でもなんとなくわかってくる。
「島が完璧な自給持続が可能だとしても、数ヶ月に一度は浮上しなければいけない。船が平気でも、動かすのは人間、それに構造上、外部と連絡を取るにはそれしかない。しかし、大きさが大きさだ。おいそれと浮上すれば簡単に捕捉されてしまう。浮上する際には、その海域を封鎖しなきゃいけないし、封鎖しても海流や周囲の海洋生物にも影響を与えてしまう」
「……なるほど」
「しかも毎回場所を変えようにもそんな事をしていたら下準備だけで、とんでもない額がかかるし、言い訳をつけるの大変だ。だから浮上ヶ所は一箇所か、多くて三箇所のはず。そこまで分かれば、海洋調査の結果や海流の変化、周辺の漁獲量や航空路線の空白地を照らし合わせれば、簡単に場所を割り出せる」
言われて見れば簡単なことだが、実際やるのは至難の技。本部の量子コンピューターを使ってやるようなそれをたった一人で、この短時間でやってのけるからこいつは危険なのだ。だが今はその危険な武器こそが必要だ。武器も毒も使い方次第、手綱を握り続けるしかない。
「浮上周期は半年に一度。前回の浮上が三月の頭だから、丁度来月の頭がチャンスだ。そこを逃せば後手に回るしかない、それは好みじゃないだろう?」
「――当たり前だ。で場所は?」
悔しいが、サーペントの言うとおりだ。慣れてはいても、後手にまわるのは至極好みではない。攻撃を仕掛けるならこちらからのほうがやりやすい。
「場所は大西洋の端、北緯二十度西経六十度、その周辺海域。人を馬鹿にしてるにもほどがあると思わないかい?」
「――その場所って、まさか……」
「……?」
二人はなにやら納得してるが座標を言われても、俺には大体どこら辺ということぐらいしかわからない。どうにも分からないので助けを求めるように隣の雪那に視線を向ける。
「な、なによ、兄さん」
「結局何処なんだ? 北緯33度西経60度って? 中央アメリカあたりとしかわからん」
「あ、ああ、そういうこと」
「……他に何があるんだ?」
「――バミューダトライアングルだよ、01。聞いたたことくらいあるだろう?」
なにやらドギマギしている雪那に代わって、サーペントが答えた。なるほど、馬鹿にしてるといえば馬鹿にしている。一昔前まで、魔の海域とかいわれていた場所のはずだ。余りにもできすぎて、おちょくられているんじゃないかと疑いたくなる。それにその場所は最後の核が落ちた場所、人も生き物も寄り付かないその場所は正しくおあつらえ向きだった。
それに所以があるだけじゃない、俺達にとっては充分すぎるほど厄介な位置でもある。管轄で言えば、南アメリカ支部の管轄だが、北半分は本部の管轄だ。如何に俺たちが遊撃隊として動くとしても面倒は避けられそうにない、妨害はされないだろうが支援も期待できない。
孤軍奮闘、だが、それだけだ。戦う機会があればそれだけで充分。どんな状況だろうが、任務を完遂し、敵を倒す、それが俺達。それを俺が生まれた場所でもう一度証明する、俺のすべきことはただそれだけだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
硝子の天蓋から美しい宙を仰ぎ見る。闇に瞬く星の光はすべて、途方もない時間を行く旅人達。決して何者にも左右されず、ただ愚直なまでに輝くのみ。人の手では触れることの適わない太古の光が祝福のように降り注ぐこの場所は、彼等にとっての聖域だった。
天蓋から差し込む柔らかな明かりが部屋を照らす。広間のようなその部屋には一面に花々が咲き誇り、その中心には一つの人影がある。全身を覆う白の装束は修道服のようでもあり、まるで身じろぎさえ許さぬ拘束服のよう。静かに音一つなくただ祈り続けるその姿は殉教する聖者の姿を思わせた。
聖櫃のような静寂を破り、闇の中から一人の男が現われる。巌のようなその男はただ佇んでいるだけで、何もかもを一変させる、そこにあるという事実だけで他のすべてを圧倒していた。
「――おや、貴方がここまでいらっしゃるとは珍しい。どれほどぶりでしょうか?」
「――二百年ほどになるな、巫女殿。貴殿の祈りが変わらずある事を、私は嬉しく思う」
「ふふ、それしか取り柄がありませんので。しかし、ここにいらっしゃるとは何か問題でも?」
朗らかな声が答えた。気品と快活さを併せ持つ心地のいい声が部屋に響く。祈りを邪魔されたことに対する不快感は微塵もなく、久しぶり訪れた友人を歓待するような響きさえ感じられる。
対する男の方は、そんな声に触れても微塵も揺るがない。巨岩のような印象はそのままに神妙に口を開く。
「――蛇と彼奴等が手を組んだ。同士から情報が漏れている、いずれ此処の存在も露見するやもしれん」
「そうですか、それは困りました。どうしてあの娘はこう反抗的なんでしょう」
どこか他人事のような暢気さで、白衣の女が答えた。”組織”において残された最後の聖域である、この場所が敵に発覚するというのは即ち心臓そのものを敵に晒すということに他ならない。当然、聖域の管理者たる彼女自身も無関係ではいられない。だというのに、彼女の朗らかさは微塵も揺るがない。まるでそれ以外の感情など存在していないかのようだった。
「選別の最終段階でのイレギュラーは避けたい。ここの防備は完璧にしておいて欲しいのだ。地上の拠点も何者かから襲撃を受けている、万が一ということもあるゆえな」
「――んー大丈夫だと思いますけど、一応システムを起動しておきますね。でも、それだけで貴方が此処にくるとは思えないんですけど、どうですか?」
「その通りだ」
異質な朗らかささえも、彼にとっては瑣末なことだ。数世紀もの間で培われた険しい山岳のような人格の前ではその程度の異質さなどちりあくたのようなものだ。
「――選別が終わり次第、一度貴殿にも地上に降りて頂く。結果の如何に関わらずな」
しかし、それでもこの言葉だけには苦虫を噛み潰したような苦汁が滲んでいた。悲願の成就、五年前から、いや、その遥か以前から進めてきたそれに怨敵が選ばれることなどあってはならないのだから。
「おや、ということは貴方の目立てでは選ばれるのはあの御方ではない、そういうこともありえると?」
「可能性の話だ。如何に器が完璧といえど、相手はあの男、油断も慢心もあってはならぬ」
「――ああ、彼ですか。結局、五年前では会わずじまいでしたね」
少し残念そうに彼女はそう言った。自分たちの仇敵の話をしているというのに、まるで遠い親戚について話しているような気軽さだ。
「――あの男がおらねばこのようなことにはならかった。しかし、あの男がおらねば選別はなせぬ。因果な話よな」
「ふふ、少し楽しみです。もしかしたら、その彼と会えるかもしれないんでしょ? 是非、彼を視てみたいんです、私」
言葉の通り、機械的なまでの歓喜と共に彼女は天蓋の外に思いを馳せる。星の海の中心、碧と翠に覆われた母なる星、その星こそが彼女が稼動し続ける唯一の理由だ。課せられた義務を果たす、それだけが彼女の存在理由だ。
だから、会ってみたいといった言葉に嘘はない。もし、その01が伝え聞くほどの存在ならば、それは決して人間ではない。彼女と同じく、人の姿をした概念だ。ならば、幾星霜繰り返したかも知れぬ孤独もようやく終わるかもしれない。
だから、今は待とう。そう大した時間ではない、選別が終わるその日こそ、彼らの悲願が成就するその日なのだから。




