NO. 15 深く暗く、待ちいたり
深く、暗い、太平洋の底の底ににそれはある。深度一万メートル超、マリアナ海溝の底、一切の生命の存在を許さぬチャレンジャー海淵にその施設は建設された。
十重二十重に重ねられた高分子合金と分厚い遮断隔壁が守護しているのは廃棄済み核弾頭、などではない。そこにあるのは、もっとおぞましく、もっと危険で、もっとどうしようもない存在たち。消滅させることのできない厄介者たちがそこには眠っている。
永遠に増殖と分裂、進化を繰り返す根絶不能の生体兵器、一度でも感染者が出れば地上の生物を一週間で死滅させうるウイルス、本来は宇宙瓦礫処理に運用されるはずが地上に牙を剥いた衛星兵器、存在そのものを抹消されたAI兵器群。一度解放されれば世界を滅ぼす絶望がその場所には詰まっているのだ。
その最深部、通常の百倍近い出力の電磁封鎖線の向こうに、厚さ五メートルの隔壁と気化爆弾のその先に、彼女の居室はある。
一度入れば二度とは出られぬ究極の牢獄。押寄せる水圧はあらゆるものを圧殺し、堅牢な防壁はあらゆるものを拒絶する。その場所の名はUAF第十三支部、ディープワン最終処分場。通称”棺桶”。片道切符のその先に求める答えが手薬煉引いて待っている。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
喉が渇く。呼吸がきれて、握った掌は汗で濡れている。これが初めてというわけではない。だというのに、緊張はまるで和らいではくれはしない。彼が来る、この場所に、自分たちにそれだけのことでいても立ってもいられなくなる。こうして、立っているだけで、まるで自分が取り返しようのないミスを犯したようなそんな気分にすらなってくるのだ。
「おい、アンタ」
「…………」
「おーい、聞こえてないのか? 話しかけてんだけど……」
「あ、はい、私ですか?」
二度目の呼びかけで、どうにか自分のことだと認識できた。この調子では、自分の名前すら忘れてしまいそうだ。話しかけてきたのは、この場所に呼び出された同僚の一人。何処か軽薄な印象を受ける金髪の男だ。
この場所、極東支部の中でもほとんど誰も使っていない第五会議室に呼び出された職員は彼女も含めて五人。共通点は全員が、通常兵科ではなくH.E.R.O、つまりは特殊技能兵科に属するというだけ。それ以外には共通点が何もない五人がこの場所には集められていた。
「大丈夫かよ、顔色悪いぜ。えーと、イワクラ? でいいのかな」
「は、はい、体調は問題ありません。ラーキン特技官、なんでしょうか?」
胸の認識票の名前を頼りにそう聞き返す。入隊からまだ一週間足らずのヒカリにとってはほとんどの職員が先輩だ。彼を前にしたときほどではないが、緊張はしている。
「そう畏まることないって、ラーキンでいいよ」
「ど、どうも、ラーキンさん」
「アンタさ、01にあったんだろ? 生身のと時に。一体どんな見た目なんだ? あの予想図と一緒なのか? あの凄いヤツ」
ヒカリの緊張を解すように、そう微笑むとラーキンは本題へとはいる。見れば、残る三人の視線もこちらに集中している。どうやら、ほぼ全員が同じ事を彼女に尋ねたかっらしい。
ヒカリが、市街地での敵性サイボーグとの戦闘の際に01と初めて遭遇したというのは、この支部では語り草になっている。この質問も初めてじゃない。初めてではないが、毎度毎度答えに窮するのが難点だった。
「えっと、その……」
「アタシ、実は女だって噂聞いたんだけど、本当なの?」
「俺は二人いるって噂聞いたけどな。二人で合体して変身するって…………」
残る三人の内、退屈そうに椅子に腰にかけていた髪の長い女性と壁に寄りかかっていたと歳若い男がそう畳み掛けた。当然といえば、当然の疑問だ。
銀色の生体装甲と黒のエナジーラインに緑色の目、風にたなびく真紅のマフラー。01の外見、戦闘時のその姿はあまりにも有名だ。それに対して、彼個人の姿、人間としての彼の風貌を知るものはほとんどいない。
それゆえに彼の姿、彼の正体に関する噂というのはあまりにも多い。一時期ではどれが真相なのか、賭けの対象にされたこともあったくらいだ。もし知っている人間がいるとすれば聞いてみたいというのは、当然の反応だろう。
「私、あの、なんというか――!」
「っ敬礼!」
答えに窮していると、会議室の扉が突然開く。それとほぼ同時に室内にいた全員が佇まいを直して、扉のほうへと向き直る。ノックもなく現われたのは、この支部一番の有名人にして、実力者、滝原一菜統括官だ。
「あー楽にしていいわよ」
「――は」
その一言で引き締めらていた空気が僅かに緩む。若干二十七歳で統括官に就任した彼女は彼らのような若い職員にカリスマめいた人気がある。その人気たるや、人類戦役後半を伝説の01(ゼロイチ)特戦隊共に戦い抜いたという武勇伝や彼女自身の有能さも合間って、極東支部に配属された人員のほぼ全員が彼女の元で働く事を希望するくらいだ。
ここに集った彼らにとってもそれは変わらない。先ほどまで、冗談を言う余裕があったラーキンまでもが緊張を隠せずにいた。
「きちんと五人、全員揃ってるわね。知ってると思うけど、貴方達を呼び出した滝原よ。よろしく」
「は、はあ」
なんとも軽い調子で挨拶する滝原に対して、集められた五人はそうはいかない。こうして呼び出されること自体がそうあることではない上に、呼び出したのが滝原一菜張本人と分かってはなおのこと。それがよきにしろ悪しきにしろ、並大抵のことじゃないのは確かだ。
「直ぐにでも用件を聞きたいって顔してるし、単刀直入に話させてもらうわ。貴方達をここに呼び出したのは、機密扱いの特別任務を担当してもらいたいからよ、五人全員にね」
それこそなんでもないことのように、彼女は重大事を告げた。機密扱いの特別任務、それこそそんな重大な任務を任されるのはゼロシリーズサイボーグを筆頭としたクラスA以上のエージェントだけ。ヒカリのような新人達にそんな任務が回ってくることなど、それこそありえない。
「そんなに警戒しなくてもいいわよ。特別任務っていっても、汚れ仕事をやらせようってわけじゃないから」
彼女達の疑問に先回りして、そう一菜が答えた。機密といえば真っ先に思い浮かぶのが、汚れ仕事か記録には残せない非正規作戦だ。安心しなかったといえば、嘘になるだろう。必要ないと言い切るほど子供ではないが、それはそれと割り切って従事できるほど大人でもない。誰であれ、自身の所属する組織はできるだけ潔癖であって欲しいものだ。
「貴方達に任せたいのは護衛、っていうより付き添いね。ある人とある場所までいってもらいたい、それだけよ」
「――は、はあ、それでどなたの?」
拍子抜けといえば拍子抜け。五日前の襲撃事件に比べれば、機密扱いの護衛任務など大したこととは思えない。精々、支部長のお忍びに付き合うていどの用事だろう、自分たちのような新人が呼び出されるの納得だ。
「直ぐに紹介するわ。入っていいわよ?
「ああ、もういいのか」
一菜がそう呼びかけると、扉の向こうから、一人の男が現われる。年の頃は二十台の中ごろ、東洋人でこれといった特徴のない顔立ち。UAFの制服を着ているものの、一般人とそう違いはない。明日には出会ったことすら忘れてしまいそうな、そんな男だった。少なくとも極秘の護衛が必要な大物にはとてもじゃないがみえない。一般職員の一人だといわれたほうが納得がいく。
「えっと、この人、いや、この方を護衛をすればいいので?」
「そうよ。まあ、直ぐに戦えるようになるから少しの間だけどね」
「へ?」
戦えるようになる、護衛対象を紹介するにしても何かがおかしい。五人の、いや、四人の困惑も当然だ。
「なあ、本当にこの五人で大丈夫なのか?」
「信頼してよ。私が選んだんだから間違い無しよ」
「しかしなあ、少しばかり……」
困惑の原因たる当の本人はそんな事をのたまうとそのまま、黙り込んで、五人を眺めるだけ。
「…………」
その視線に胸を張って堂々と向かい合う。何か文句があるなら受けて立つと、そういわんばかりだ。彼らとて厳しい訓練と合格率一割の最難関試験を通過してH.E.R.Oになったという自負がある。どこの馬の骨とも知れない人物に舐められるような謂れはない。
「……イワクラ?」
「――ぜ、ぜ、ぜ」
そんな五人の内、一人だけは明らかに様子が違う。件の護衛対象、現れてから、ただでさえ緊張気味だったヒカリはもはや卒倒しそうなほど。何かを口にしようとしているのに、緊張のあまり呂律さえ回っていない。
「ぜ?」
「……ぜ、01」
「――え?」
どうにか喉から搾り出したのはたったそれだけ。目の前の存在が一体何者であるか、彼女はようやく口にすることができた。
彼女が何を口にしたか、残る四人は直ぐには理解できなかった。彼らの中にある知識、いや、偶像と目の前の存在の乖離に思考が付いていけなかったのだ。しかし、自然、彼らの視線は一点へと集まる。疑問の答えを求めるように、あるいはそのどうしようもない齟齬を埋めるために。
「…………01だ。少しの間、世話になる」
その視線を正面から受け、動じることなく、逃げることなく、彼は疲れたようにそう答えた。正直なところ、気乗りはしていない。現実と理想が手を取り合うことはない、それは誰よりも彼自身が理解していた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
輸送機の窓から覗く大海原の蒼は余計な喧騒を忘れさせてくれる。静かとはいいがたい輸送機だが、考えを纏めるには充分だ。
緊張しきってガチガチな向かい側の席を何の気なしに眺めながら、出発前の事を思い出す。思えば今回の出張任務は最初からケチがついていた。
まず退院手続きに半日近く掛かり、その次は自分も退院するとか、”棺桶”に同行するとかなんとかごねる雪那を説得しなければならなかった。それが終わったかと思えば、今度は俺に護衛を付けると滝原が言い出した。当然俺は断ったのだが、滝原の言うことにも一理はある。俺一人だと先方に不審に思われるというのは道理だし、退院したとはいえ俺はまだ全快していないのも事実だ。変換核の完全復旧にはもう半日必要。通常戦闘には問題ないが、前回の出力では戦えない。
しかし、復旧を待っている余裕は俺達にはない。それは分かっているのだが、俺に護衛というのはなんともしっくりこない。それに、こうやって奇異の視線を移動中ずっと受けるくらいなら、一人のほうがましだ。少なくとも他人を気にせずに済む。
その肝心の滝原にしても、マスコミ対応で今回は留守番。これに関しては俺の責任が大きい。
今回の襲撃事件を俺の存在が見事に修飾していた。不本意ながら、俺の復帰というのは終戦五周年式典襲撃事件よりもショックが大きかったらしい。惨状を伝える報道と一緒に、何時撮られたのか俺の姿を捉えた映像が一日中テレビでループしている。ネット上では、襲撃者の正体と同じくらいかそれ以上に五年間の俺の動向について様々な噂が飛び交っているし、挙句の果てには襲撃犯は俺で黒幕は滝原だなんていう陰謀論から、宇宙人が外見を真似て兵器を作ったなんていう珍説を語る専門家気取りまで横行する始末だ。我がことながら理解不能だ、噂にしても限度があるだろう。
それに噂に関していえば滝原は言い渋っていたが、身内であるUAF内でも大差ないらしい。事前に了承していた上層部は問題無いが、現場レベルでは大騒ぎ。俺が映っているというだけで、機密扱いのはず映像ログが休憩室で上映され、その映像を外部に流して逮捕された奴までいる。
正直言って考えるだけで気分が悪くなる。偶像化された自分については嫌悪感すら通り越して憎悪すらも沸いてきそうだ。これも力をもった責任だと言われればそこまでだが、徹底的に性に合わない。誰かの期待を背負う余裕も、造られた理想像に殉じる甲斐性も俺には無い。
だが、そうも言ってられない。こうも興味津々と言った視線を三時間以上集中砲火されてれば、文句の一つもあろうと言うものだ。
「――何か用か?」
「い、いえ、なにもありません!」
目の前の隊員、岩倉にそう問い掛けると、飛び上がらんばかりの反応を見せる。あの時の彼女がまさか護衛の一人に選抜されるとは思っても見なかった。滝原が選んだのだろうが、やりにくくて仕方がない。
「あのー、私、質問いいですか?」
「なんだ?」
今度は隣に座っているもう一人が話しかけてくる。何処か間の抜けた印象受ける女。確かソレンソンとかいったか。
「五年間、何処で何してたかって聞いてもいいですか? 私、というか、皆凄く気になって――」
「駄目だ」
「あ、はい、すいません」
取り付く島もなく、一瞥すらせずにそう答える。あまりにも予想通りの質問に笑ってしまいそうだった。答えたくもないし、答えることもできない。この五年間、何を思い、何をしてきたか、その全てに意味があったのか、答えがあるのなら俺が聞きたいくらいだ。
『こちらアルバトロス101、客を輸送中。管制塔、着陸許可を求む』
『こちら管制塔、そちらのコードを確認した。三番ポートに着陸を許可する』
短い通信のやり取りが聞こえてくる。輸送機に揺られること三時間、ようやく目的地に付いたらしい。これでようやく解放される。
『お客さん方、少し揺れるぜ』
パイロット気遣いはありがたいが、無用だ。このタイプの輸送機には数え切れないほど乗り込んでいる、時には飛び降りてすらいるのだから着陸程度たいしたことではない。
少しの衝撃の後、着陸が完了した。大きな駆動音と共にカーゴドアが開き、外の景色が飛び込んできた。
目が眩みそうな青空と燦々と照りつける太陽の下に、飾り気の無い無骨な建造物が聳えている。第十三支部だ、メガフロートの上に建てられた灰色の上部施設は俺が最後に見たときと全く変っていない。
「うーん! いい天気!」
「ここが十三支部……!」
「棺桶ってわりには随分と清々しいな」
思い思いの反応を示す新人達を尻目に、周囲を見渡す。滝原の話では案内役が迎えに来るはずだ。
案内役はすぐに見つかった。人気のない着陸ポートの端に一人佇む金髪の巨漢、これでは見過ごすというほうが無理な話だ。
「あれは……」
その後姿を認めて少し嬉しくなる。滝原め、何が信用できる案内役だ、こいつがここにいるなんて聞いてないぞ。
見覚えのある背中はこちらに背を向けたままで、こっちに気付いた様子は無い。まあ、気付いていても終始あの調子だろう。
近づいてよく見れば、足元にはクーラーボックスと缶コーヒー、ビールじゃないだけマシだ、。手には釣竿が握られ、釣り糸がたれている。どうやら、サボり癖も健在らしい。それにしても勤務時間に釣りとは悪化している、歳食ったら丸くなるもんだろ、普通。
「あーようこそ、お客さん。こんなクソみたいに辺鄙なところまでわざわざご苦労なこっ――てぇ!?」
「よう、エドガー」
声をかけようとして近づいたところで、ようやく俺に気付いたらしく、かつての戦友は大仰に驚いて見せた。大げさなところも全く変わってない。五年前、共に戦ったエドガー・ウェルソンは見た限り俺の知る彼と変わっていない。相変わらず元気そうだ。
「おいおいおい、兄弟! お前が来るなんて聞いてないぜ! 久しぶりじゃねえか、おい」
釣竿を放り出し、ずかずかと歩いてくるエドガーの顔には喜びと驚きが入り混じっている。
「ああ、五年ぶりになるな。元気そうで何よりだ」
「おうよ、おうよ! てめえ、一体今の今まで一体どこで何してやがったんだ」
がっちり握手を交しながら、五年ぶりの再会を喜び合う。サボりはしているが鍛えるのは止めていないらしく、力強さは五年前から変わらない。
「まあ、色々さ、エドガー。お前こそ、どうしてここに?」
言葉を濁しつつ、強引に話題を変える。確か、五年前エドガーは本部付きの特務隊の隊長だったはずだ、それがどうして十三支部にいる。今頃教官職にでもついてるものだと思っていたが……。
「ああ? ここの支部長補佐になったんだ、まあ、左遷されたんだよ。よくある話だろう? 気にすんじゃねえよ」
「――すまん」
本人は何のことはないように答えているが、相当大変だったはずだ。 自分のことに感けて、人の痛みに踏み込んだ自分の卑怯さに嫌気が差した。
「だから、気にすんじゃねえよ。おかげで公然とサボれるんだ、ありがたいもんさ」
「だが――」
「まあ、美人の嫁とかわいいかわいい娘に会えないってのは最悪だがな」
にやりと笑ってそういうと嬉しそうに背中を叩いてくる。そういえばこの男、戦役中に結婚して、娘まで生まれていたんだった。結婚式とついでに出産に立ち会わされたからよく覚えてる。
「え、と、クレアとステラだったか? 二人は元気なのか?」
「二人とも元気いっぱいさ、クレアはますます美人になったし、ステラはかわいくてな! いや、かわいいなんて言葉じゃちんけだな!! 今年で五歳になるんだが、これがまた――」
長くなりそうだな、と思ったところで端末の呼び出し音が鳴り響いた。正直な話、ありがたい。このまま放って置けば日が暮れるまで話し続けていただろう。
『補佐官、ゲストが到着しました』
「知ってる、目の前にいるからな。こっちで連れて行くから、用意しといてくれ」
短いやり取りの後、エドガーはうんざりだといわんばかりの溜息を付く。ただの報告にしちゃえらく遅い。
「信じられるか? ここの連中、俺よりたるんでんだぜ。お、連れがいるのか? 珍しいな」
勤務時間に釣りしてる奴が言えた台詞じゃあないが、弛んでるのは確かだ。俺の護衛として付いてきた新人達にしてもそう。優秀なのは認めるが、どうにも何か欠けている。
「まあいいさ、行こうぜ。アナコンダが待ってる」
気を取り直したエドガーが付いて来いと手招きしている。
奴と会う前にエドガーに会えたのは行幸だった。いい具合に緊張が解けた、奴と向かい合うには最高のコンディションでなければならない。少しでも隙があればそこに滑り込まれて、あっという間に掌の中。やつの前に立つ以上は、戦い以上の覚悟が必要になる。
さあ、魔窟の底に挨拶に行こう。




