NO. 14 この世界のために
「…………い、いつから其処に」
「五分前からよ、何回もノックした。誰かさんたちはイチャつくので忙しくて聞こえてなかったみたいだけどね」
からかっている様な、何処か拗ねているような、それでいて楽しんでもいるようなそんな声。というか、 五分前ならこの一連のやり取りの最初からだろう。流石に気恥ずかしい、いや、別段何かやましいことがあるわけじゃないんだが…………。
「い、イチャついてなんかないわよ! か、勘違いしないで!!」
「えー? 見詰め合ってたのにー? それに手まで握ってるし…………」
「みみ、み、見詰め合ってなんかないわよ! だ、誰が兄さんなんかと……」
「……滝原、あまり雪那を刺激するな。病み上がりなんだ、傷が開いたらどうする」
こういうやり取りも懐かしい。打てば響くというかなんというか、雪那の反応は本当に分かり安くて面白い。微笑ましいし、見てて飽きないが、ほどほどで止めないと、俺が被害を受けることになる。大体それがいつものパターンだ。
「ま、喧嘩してるよりイチャついてるほうがいいわ」
「だから、イチャついてない!」
「はいはい。そーですね」
ぶっきらぼうにそう言いながらも、滝原はどこか楽しそうに見える。楽しそうに見えるが、かなり草臥れてもいる。気だるそうな足取りでベットに近づいてくると、そのまま空いてる椅子に崩れ落ちてしまう。どうやら立っているも億劫らしい。
「はあ」
深く息を息を付き、頭を抱え込む。まさしく疲労困憊。こんな滝原を見るのは初めてかもしれない。
「大丈――」
「大丈夫じゃない」
即答だった。見た目以上に重症らしい。
「また審問会? それともマスコミ対応?」
雪那が聞いた、あまりの様子にさっきまでの事も忘れて気を遣わざるをえない。俺よりもベッドで寝てないといけないのは滝原だろう。
「マスコミ対応」
あーと、雪那が同情めいた声を上げる。納得ではある、経験はないが記者会見やら囲い込みやら、見るからに大変そうだ。しかも質が悪いのは、大体こういう場合は同じことの繰り返しだという事。滝原の苦労は察するに余りある。
しかも、今回の場合は襲撃の一件だけじゃない。もう一つ問題があるはずだ。
「――俺のことだろう?」
「…………ええ。流石に隠し切れなかったわ」
大方想像はつく。五年間行方不明だったヤツが突然式典会場に現れて、戦っていた。噂の元というより、都市伝説が大手を振って現れたようなものだ、反応するなというほうが無理がある。
「すまん」
「貴方が謝ることじゃない。元からあの式典で晴れ晴れ登場って計画だったんだし、単に二つ重なっちゃったってだけ。まあ、組み合わせとしては最悪だけど…………」
滝原はそういってくれるが、そう簡単には納得できない。せめてものこと、俺があの場であの紛い物を仕留めておくべきだった。
「あの後どうなった?」
聞くべき事を聞かなければならない。あの後どうなったのか俺にはさっぱり分かっていない。どれだけを守れて、どれだけを守れなかったか俺には知っておく責任がある。
「……貴方のおかげであの場にいた部隊の半分は助かったわ。残り半分は……」
「……そうか、半分だけか」
あの場にいたのはおそらく五十人前後、その半分、一個小隊程度の人数を俺は救った。そういえば聞こえはいいが、半分の人間を救えなかった。事実はそうだ。無駄にはしない、これまでもこれからも決して彼らをただの数字にはしないのが俺の責任だ。
「連中は? 追跡は?」
「追跡はできなかった。だいたい転移回廊を使われた時点で、こっちの追跡は無意味だしね。レギオンに使われてた技術も既存の発展型ばかりで技術面での追跡も不可能。貴方の聴覚記憶の声紋追跡でも該当はなし。手掛かりはゼロだったんだけど…………」
言葉に詰まった滝原が、雪那のほうを伺う。雪那が頷くと滝原は意を決したように続きを話し始めた。お方の予想はついている。
「貴方が倒した奴等、使われていたのは貴方たちと同じ技術や発展型だった。、ナノカーボン骨格、エナジーライン、生体装甲、変換核。永久炉以外はほとんど完璧な貴方達だった」
「そうか、やっぱりか」
仮にも殺し合った相手だ。連中のことは連中以上に理解している。同じ技術が使われていること、俺たちを真似て造られたことなど戦っているときから分かっていた。
それでも、改めてその事実を理解すると、怒りと嫌悪感が心を焼く。今すぐ奴らを殺せと、あの紛い物を八つ裂きにして彼女の無念を晴らせと、総声がささやく。彼女の意思も思いも願いも、何一つ知らない奴が、形だけとはいえ、俺達の姿を真似ることなど絶対に許されない。
けれども今、その衝動は沈めておく。力には使うべき場所と、使うべき時がある。今はまだ、そうじゃない。
「……”組織”の残党だな」
「ええ、それも今までにないほどの規模のね」
案の定と言ったところか、あの男の言動から予想は付いていたが、その証拠があのサイボーグどもだ。俺達を再現できるとしたら”組織”しかありえない。
いや、そんな理屈などなくても、心のどこかで敵は奴等だと最初から確信していた。何もかもが五年前と同じ、俺達の敵は何時だって一つだった。
「でも、分かったのはそこまで。五年間もばれずに潜伏し続けてたことはあるわね、尻尾どころか影さえ見えないわ」
「つまり、八方塞ってことね。できることといえば、何時転移で襲ってくるわからない敵を待ってることだけ。十年前に逆戻りね」
状況は最悪、いつものことだが今回戦えるのは俺だけだ。十年前や五年前のように全員が揃っているわけじゃない。とてもじゃないが守りきれない。
「――でもないわ、一つだけ、一つだけだけど手がかりはある」
「――?」
だが、滝原は不敵に笑った。五年前でもそうだったが、こういうときの彼女は誰よりも頼りになる。この後は大体無理をさせられるが、それも今はドンと来いだ。戦士として、01というサイボーグとして、俺自身として奴らとの決着はつける。
「永久炉よ、あれだけは組織でも復元不能だから……ブラックボックスの鍵を知ってるのはもうこの世界に二人だけ。一人はもういない、もう一人は……」
「……なるほど」
物憂げに呟いた雪那と違い、声を出せなかった。分かっていたことだ、彼女はもう何処にもいない、それは誰よりも俺が理解している、いや、理解していなければならなかったことだ。俺はそれから目を逸らしていただけ。
アイツしかいない、それが事実だ。彼女ではなく、あの女。誰よりもそれを理解している、アイツならばありえる、いや、アイツしかありえない。それに気付いていながら逃げていた。誰よりも俺を理解しているであろうアイツと向き合うのが恐ろしい、ただそれだけで逃げていたのだ。
「――どこにいる」
「……”棺桶”よ」
俺の質問には雪那が答えた。答えを聞いた瞬間、少なからぬ驚きが俺を打ちのめした。アイツが大人しく捕まるはずがない、ましてや、棺桶に入るなど絶対にありえなかったことだ。アイツには、死ぬか、生きるしかない。自由を奪われて我慢するような質じゃないし、生かしておく理由もないはず。それが”棺桶”とは……正直なところ予想外だった
「五年前、兄さんがいなくなって直ぐに私が捕まえた。ほとんど自首みたいなもんよ、できるもんなら捕まえてみろってね。まあ、抵抗はしたけど……」
あーあの時は酷かったわね、と相槌を打つ滝原もうんざりとした調子を隠そうともしない。それだけでどういう抵抗をしたのか簡単に予想がつく。
しかし、自首か。納得できるといえば納得できる。自意識過剰のようだが、ヤツにとっては俺がいない世界は価値がない。それで大方、面倒になって嫌がらせついでに”棺桶”に入ったのだろう。せせら笑う声まで容易に想像できる。
「もし、永久炉を作れるとしたらそれはサーペントしかいない。解式を教えられるのも、サーペントだけ。だから、話を聞く必要がある、どれだけ不本意でもね」
「――わかった」
やはり最後は奴へと戻る。五年前いや、人類戦役と同じだ。組織とUAF、瑠璃華と彼等、俺とヤツ、すべてがコインの裏表、片割れがある限り片割れもまた残り続ける。俺がこうして戻った以上、ヤツが戻るのも当然なのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
闇の中で五つの蒼白い光が、陽炎のように揺らめいている。そのぼんやりとした明りが彼の姿を照らし出した。か細い身体は今にも倒れてしまいそうなほどに無様に震えている、その顔には明確な恐怖の色。それまで彼を支えていた自信は根底から打ち崩され、どうしようもない不安と恐怖だけが残されていた。
「――では君はわざわざ失敗の報告に来たというわけかね?」
壮年の男の声が、どこからか響いてくる。不機嫌さを隠すことすらなく、その語気には怒りさえも滲んでいる。
「い、いえ、決してそのようなことは……」
白衣の男が上擦った声で答える。青ざめた顔に玉のような汗が浮かんでいた。一つ答えを間違えば、それで終わり。彼らの機嫌を少しでも損ねれば、その場で殺される。
「ならば、どういうことだ? 虎の子の戦力を投入したにもかかわらず、幹部どもにはまんまと逃げられ、挙句の果てには彼奴を仕留めきれなかったというのに、失敗ではないと?」
「…………ひょ、評価試験としては十分だったと自負しております、さらにーー」
「評価試験? 10のかね? 何を今更! 何のために莫大な金と労力を費やし、あれとの接触の場を設けたのか、君とて忘れたわけではあるまい!! それが何の成果もあげられず、おめおめ逃げ帰るとは…………!」
怒鳴り声が彼の言葉をかき消す。反論の余地はない、彼等にとってこの目の前の男は所詮駒の一つ。駒の事情など知ったことではないのだ。
「し、しかしあの01に対して一定の成果をあげ、極東支部にもかなりの損害を……」
「その程度は当たり前だと言っておるのだ! あの男の打倒は通過点に過ぎん! 何時までも自分が特別だと感知してもらっては困るな、博士!」
震えた声を再び怒号が遮った。この場に集った彼等には、弁明を聴くつもりなど最初からなかった。
周囲の光もそれに倣うように勢いを強め、少しずつ彼を追い詰めていく。もはや罪状は決している、いくら弁明を重ねても所詮は付け焼刃。彼の末路は既に決していた、この場で行われているのはただの八つ当たり。行き場のない怒りを、彼にぶつけているにすぎない。
その上、弁明の声を上げようにも彼には声を出すことすらできなかった。一秒ごとに迫ってくる熱を持たない炎に怯え、竦み、震えるしかなかった。
彼の恐怖を楽しむように、炎は揺れる。彼の後釜は既に決まっている、理論を形にしてしまった時点で彼は替えの利く存在になってしまった。
「弁明はもうないようだな? では諸君、裁定を――」
威厳のある声が、周囲の光にそう呼びかける。決まりきった判決を出すために、決が採られる。失敗に待つ結末は一つ、苦痛だけだ。
裁定が決し、裁きが下される。その直前――、
「――そこまでだ」
地の底から響く地鳴りのような一声が、彼らの怒りを凍りつかせた。燃え盛っていた炎が気圧されて、引き下がる。その声の主はたった一言でその場の全てを捻じ伏せてみせた。
「こ、これは、ど、どうして貴方がここに……!?」
「――貴殿らこそ何をしている」
取り乱しきった声がその人物を迎え入れた。先ほどまで怒りを発していた炎たちはすっかり勢いを失い、目の前の存在へとひれ伏している。
巌のような身体を黒鉄色の鎧が覆い、フードの下の顔をうかがい知ることはできない。しかし、その男は身に纏う雰囲気だけでありとあらゆるものを圧倒するほどの威厳と自信を秘めていた。
「――な、何ともうされましても……」
「貴殿らには総帥より与えられた役目があるはず、それを放り出し、ここで一体何をしているのかと問うておるのだ」
一声一声がまるで重力のように圧しかかる、こうして言葉を交わしているだけで捻り潰されてしまいそうな、そんな予感さえ感じられた。
「こ、今回の失敗の追及を……」
「誰がそのような事を命じた? それとも、こんなお遊びが総帥の御遺命に優先するとでも?」
「――ヒッ」
刹那、この空間に心臓を鷲掴みにされるような怒気が満ちる。言葉一つ発するだけでも、憚れるような、深く、凄まじい怒りだった。
小さな悲鳴の後、長い沈黙が続く。誰もが口を噤み、ただ只管に怯えている。彼の言動一つでこの場にいる全員の生死が決まるのだから、それも当然。彼が指一つ動かせば、その瞬間に、ここは虐殺の現場になる。
「――博士、器の様子は?」
沈黙を破ったのは、鎧の男自身だった。凍て付くような怒りは僅かだが和らいでいる。
「は、はい、現在は実戦データをフィードバックして、精神回路のバグ処理を行っております。01に付けられた負傷も全て修復をすませており、永久炉の調整も滞りなく完了。次こそは必ずは本懐を…………」
「そうか、ならばよい。あの御方の玉体は全ての要、その時が来るまで、万が一は許されぬ。そして次なる失敗もまた然りだ、よいな?」
「こ、心得ております」
穏やかでありながら有無を言わせぬ圧力。次に失敗すればどうなるかなど火を見るより明らかだった。
「――此度の失敗の処遇は総帥の名においてこの私が預かる。何か異論があるかね?」
その一言はこれまでにないほど圧力を放っていた。問いかけの形をとっているものの、イエス以外の回答を彼は求めていない。
「わ、わかりました……」
不服さと怒りを押し殺した声が響いた。本来なら失敗を犯した新参者に罰を与えるはずが、この男によって立場が逆転していた。
だが、その屈辱よりもこの男に逆らうことのほうが遥かに恐ろしい。かの総帥の三人の護衛軍、その最後の生き残りたるこの男と彼らでは余りに立場が違いすぎる。
「――では、私は行く。蒼穹に処理せねばならぬ案件がある故な。貴殿らの使命を果たしたまえ。我らの世界のために」
「我らの世界のために」
思惑を異にしながらも、六つの声が重なり、同時に炎が消えていく。そうして、何も無い闇に彼だけが残された。その闇こそが、これから進むべき場所だとそう告げるように。




