マッチ売りの少女
ここは幸せの街。多くの裕福な人達が暮らす、幸福な街。
今夜は雪降る聖なる夜。街は人々の幸せな笑顔と、暖かな家庭の光に包まれています。しかし、そんな一年で最も幸福なその日に1人、薄幸の少女の姿がありました。
「マッチはいりませんか? マッチいかがですか?」
人々が行き交う中を素足の少女が1人、マッチを売ろうと必死に声を枯らしていました、けれども、先ほどからマッチは少しも売れません。幸せな聖夜の夜、人々はマッチ売りの少女に目もくれず、暖かい家庭へと家路を急ぐばかりです。
「ねぇパパ? ちゃんとサンタさん来るかな?」
「あぁとも。お前がいい子にしていれば、サンタさんはきっと来てくれるよ」
小さな女の子とその父親が、笑顔のまま少女の前を通り過ぎます。幼い頃に両親を失ったマッチ売りの少女には、その光景はとても眩しいものでした。
ここは裕福な幸せの街、誰ももうマッチなど必要としていないのです。寒さと人々の幸せそうな笑顔に耐えられなくなった少女は、誰もいない路地裏へ、トボトボと歩いていきました。
「寒いわ…、このままじゃ凍えてしまう…」
少女の吐く白い息、幸せな街を彩る白い雪。その白に今にも、身体の芯まで白く覆いつくされてしまいそうでした。
「……なんで私は独りなの」
冷たく孤独な路地裏で思い出すのは、悲しい過去ばかり。早くに両親を失った少女には、たった1人のおばあさんがいました。
「孫娘や…。私の可愛い孫娘や」
「なぁに? おばあさん」
「私はもう長くは生きられない。もしお前1人になってしまったら、このマッチを売って暮らしなさい…」
「そんな! そんなの嫌よ。私はおばあさんとずっと一緒にいるの! そんな事言わないで」
「おばあさん…」
マッチ売りの少女は、おばあさんの残したマッチを見つめ涙を一粒零します。おばあさんを亡くした少女はもう、この街で独りぼっちなのでした。
「…そうだ、このマッチを使えば」
一本だけ。そう自分に言い聞かせ、おばあさんのマッチを擦りました。
‐シュ
摩擦音の後にマッチの先端は燃え上がり、小さな炎が灯りました。
「…暖かい。これで立派な暖炉があればもっと暖かいのに」
そう少女が言うとどうでしょう。炎の光の輪の中から、火に燃える暖炉が浮かんできました。
「まぁ、暖炉だわ! なんて暖かいの…」
しかし手を伸ばそうとしたその時、炎は燃え尽きてしまいました。
「あ…!」
不思議な事に、炎が消えるとそこにあったはずの暖炉は消え、また凍える風が吹きすさび始めました。
もう1本だけ…、少女はそう呟きマッチの入った籠に手を伸ばしました。
―シュ
再び灯される不思議な炎。その炎の光彩の中には立派なお屋敷が浮かび上がりました。裕福な家族が暮す、幸せそうな家。幸せだった頃の家を思いだし、少女の頬をまた雫が伝います。
「あぁ…。お父さん、お母さん…」
しかしやはり炎が消えてしまえば、また幻の様に消えてしまうのでした。幻が消えてしまえば残るのは喪失感と孤独だけ。少女は一気に数本のマッチを掴むと、全てに火を灯しました。
―シュ!
燃え盛る炎が浮かべるのは、温かな食卓。聖なる夜を家族全員で祝おうと、たくさんのご馳走が並んでいます。温かな湯気と香ばしい香りに、腹ペコの少女は思わず手を伸ばしてしまいそうになるのです。
「なんて美味しそうなの…」
されど、今にも幸せな夕食が始まろうとするその景色でさえも、炎が消えれば跡形もなく無くなってしまうのでした。
―シュ!!
次に少女が灯した炎は、楽しそうな家族の姿を燃やします。娘へのプレゼントを抱えた父親、優しい母親。そして両親と一緒に何不自由なく暮す小さな娘。マッチ売りの少女がなくしてしまった幸せな日々を映し、炎は尚も燃え続けます。
温かな暖炉も、暖かいな食卓も、暖かな家庭も。マッチは次々と明りの中でその姿を照らし、少女に魅せては消えていきました。
「どうして、どうしてみんな無くなってしまうの…!」
マッチ売りの少女は籠からひと束の不思議なマッチを掴むと、次から次へ火を灯していきました。大通りを早足で進む人々の喧騒さえも押し退けて、家を、富を、家族を。なくした幸福に炎を放ち、マッチ売りの少女は歩きます。
「そうだわ! 持っている全てのマッチを点ければ…!」
マッチ売りの少女が残った全てのマッチに火を灯せば、街を舐め取る炎は燃え盛り、更なる幻想を映します。少女は、永久に続く幸せな光景に、また涙を浮かべていました。
翌朝。家も家畜も人さえも、墨と灰へ化した幸福の街。
マッチ売りの少女はただ独り、灰色の街の真ん中で、幸せそうな表情を浮かべ眠っていたのでした。