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第一章―抹消×新生7

 額の熱はまだ消えない。それどころか全身が額に共鳴するかの様に再度熱くなる。


 その影響で結希の身体は羽が生えたように軽く、階段を一段踏めばソコから六段目の段に着地し、次の段もその次の段も軽々と軽快に飛ばし窓の無い人口の光だけが照らす非常階段を最上部まで上る。


 早く彼らに会いたかった。こんな非現実的な出来事を終わらせる術を知るであろう、年を感じる声をする男性に一刻でも早く助けてもらいたい。


――きっと彼なら僕を救ってくれるんだ。普通の生活に戻してくれるに違いないんだ。


「どこ? どこにいるんですか?」


 久しぶりとも思える風が頬を擽る感触、結希は石膏が剥がれ始め拘束力を失うギプスを鳴らしながら誰もいない屋上に出た。四方を金網のフェンスに囲まれコンクリートが剥き出しの無骨な屋上。他に目立つ物は設置されていない寂れた空間が、黒塗の空の下で陽射しに照らされている。


 そこには人っ子一人いない。狐に化かされた気分がこみ上げ、結希の瞼に涙がこみ上げてくる。


「何をボケッとしておる! どけ!」

「うわ、うううぐうう……」


 期待を打ち砕かれ失意にくれ様とした結希が、直立状態のまま軽々と真横に五メートル吹き飛ばされた。気が緩んでいたせいか声すらまともに出せない衝撃でその場に蹲る。


 ガキーン。直ぐ近くで甲高い金属音が響く。


「な、」


 硬質の金属製品が激しくぶつかり合った音が聞こえ数秒前まで自分が突っ立っていた搭屋の前を見上げると、そこでは現実世界に不釣り合いな恰好をした白髪の人物が“奴”と大鎌に脚と刀をもってして対峙していた。搭屋内から伸びる大鎌と日本刀に似た刀が鍔迫り合いをして火花を散らす。


「こんな年端もいかぬわっぱをいたぶって何が楽しいというんじゃ。下賤だと知能を持ち合わせないのか、恥を知れ!」


 結希からは横顔しか見えない男が鼓膜を震撼させる程の怒号を発する。

 純粋な殺意がその双眸に込められている。化け物である“奴”以上に誰もが逃げ出しそうな眼光をその瞳に宿しているのだ。


「……キ……マ……」


 声からして先ほど結希を窮地から救ってくれた人物だと分かるが、その容姿と迫力を目の当たりにすると、どちらが悪人か瞬時には判断しがたい光景だった。本当に救世主は彼なのか。もう一つの声の主らしき人影は見えない。


「遅い」


 そう短く言葉を発した男は、搭屋の中から二回目の攻撃をしようとした“奴”が片言の人語を呟くと同時に、空いているもう一方の漆喰が艶めく手甲を装着した手で錆びた大鎌を掴みそれに付随する本体を屋上へ引きずり出す。


「……ソウテンの……騎士……」

「ふ、お前まで皮肉な呼び方をするもんじゃな。百戦錬磨の大魔王と呼ばれた方がまだ諦めがつくと言うモノを」


 全長二メートルを超え体重と言う概念自体存在するか不明の“奴”を意とも簡単に広さだけはある屋上に引っ張り出した“ソウテンの騎士”と呼ばれる男。だが、それを彼自身は良しとしない様で口元を自嘲気味に歪め傷だらけの全身を一瞥してから“魔王”と自身を評した。


 そうなのだ。眼前の攻防をただ傍観する事しか出来ない結希の前で、戦局を優勢に進める男は“魔王”と比喩されても可笑しくない風格をしている。若者が好きなRPGにて悪役の親玉として登場する、全世界の破滅を目論む“魔王”に酷似している。だから、結希は混乱して言葉も出せないで尻餅を付いたままなのだ。


「不用意な笑みは、裏を返せば恐怖心を悟られたくないから。お前は知らんようじゃな。この鎌で何人のシント候補である無力な現界人を殺めたのじゃろな。ふ、その罪は重いぞ」


 その魔王は、刀身が陽射しで眩く輝く刀一本で結希が恐怖で何も出来なく、ただ逃げていた“奴”と互角以上に戦っている。中肉中背の体系で得体が知れない“奴”を軽々とフェンス際まで気迫で押し込んでいく。そして上段で刀を構えた。


 そんな彼の飾りっ気がなく、黒一色で統一された身なりは極限までに磨き上げられ幽玄さを持っていた。魔王だからこそ着飾る必要がないのかも知れない。戦いで出来た傷をそのまま残す所を見ると、彼こそが過去の経験を戒めとし忘れない本当の騎士と呼ばれる心意気を持つ存在なのかも知れない。


「さて、終いとさせてもらうかの」


 漆黒のマントなのか黒衣なのか分からない男が身に纏う布が大きく靡く。すると内側から蒼い閃光が眩いばかりに溢れてきて結希は慌てて目を閉じた。否、閉じなければ失明する程の強い光だった。


「……ソウテン……ウラ……ム……」

「ふっ、それはお門違いだ愚か者。――だが、あの世があるならば、次はまともに生まれてこれる事をワシも祈ろう……」


 強烈な蒼い閃光で目が開けられない。瞼の血管までも蒼く透ける程の閃光が周囲を包む。


 そんな中で一喝が聞こえたと思えば、次に紡がれた語気は悲しげであり、彼がどんな表情で何をしようとしているのか結希には分からないが、やっと“奴”との命がけの狩りの終焉を意味する祈祷の言葉が聞こえてきた。


「我が(あるじ)よ、哀れな外れ者に安らぎを与え、新たな光を授けよ――」


 呪文のような意味深な言葉が詠唱されると一際光は強くなり、


「さらば、永遠の宿敵」

「――」


 鎧が上下する音が聞こえると、一つの気配が音も無く虚無に消えた。


「もう大丈夫じゃ、もう大丈夫じゃよ」

「あいつは? 貴方は、ま、魔王様? 本物ですか?」


 必死に頭を抱え蹲っている結希の前に戦いを終えた彼が立つ。そして、外見も言動も正真正銘の魔王が、その出で立ちとは裏腹な優しい声でわざわざ片膝を地面に付けそう言った。それに結希は子供らしい返答をしたのだ。


「ふっはははははっ、魔王様が退治してやったわいだから安心するのじゃ」

「そっか、やっぱり魔王様って強いんだ――あれは何? 青い火の玉?」

「お、あれか、あれはヨウコンの魂みたいなモノじゃよ」


 田舎の温厚な祖父に慰められた時に感じた心地よいモノを、魔王様――初老の彼からも感じた結希は安心した表情する。味のある彼の声には、見た目からは想像もつかない慈愛で溢れていると、結希は幼心からそう思った。


 そこで、裾が何本にも裂け中腹にも何か所も穴が開いたマントを風に靡かせる彼の背後に、青白い炎がユラユラと浮かんでいるのに気が付いた。まるで鬼火が燃えている様だ。


「ヨウコン? の魂?」

「あの狐の化け物の遺した記憶、とワシは思っておる。ほれ、熱くないから覗き込んでみるのじゃ」


 漆喰で出来た手甲で守られた手を差し出されたので、それを掴み立ち上がった結希は、空中で風が有るにも関わらずその場に留まり燃え続ける“奴”の魂、記憶と思われる青い火の玉を言われるがまま覗き込む。


「あ、僕だ! これって昨日の帰り? 菜月が走り出した直後くらいだよね?」

「いかにも」


 そこに映るのは夕焼けに染まる歩道で誰かの後姿を見送る結希を側面から、距離的に車道の中心から監視する何者かの視界であった。


「こうして獲物が独りになるのを待っているのじゃ」

「じゃあ、これはやっぱりあいつの記憶なんだ」


 順応力が比較的高い結希は、自分の姿を映し出す熱を一切感じない火の玉を食い入る様に見つめる。不思議な物体を目の前にしても、もはや驚く中学三年生ではない。二度死にかけて幼馴染に存在を忘れられたのだ。もう神寺結希は簡単な事では驚かない。


「この先は見ん方が良いと思うが」と、言葉と同時に結希を気遣う為に彼が手を炎の前に出すが、それを結希が制した。

「良いんです、自分に何があったのか確かめたいんです。僕がどうなっちゃったのか、この目で確かめないと納得いかないから」


 ――ふむ、あんな酷い目に遭遇しても尚、それ以上に綺麗な目をするのか。惜しい子を“守れなかった”。


 本能であろう。結希は自分の運命を受け入れようと必死に昨日から今まで起きた出来事を映像で脳に叩き込む。その自分の脳が潰れる瞬間も、大好きだった菜月に蛮人扱いされる己の姿をも網膜に焼き付けようとするのだ。


 その姿に魔王様が涙を憚る仕草をする。本当の悲劇はこれからである事を魔王様は知り、哀れな童子は知らないのだ。ただそれだけの違いで、二人の表情には雲泥の差があったのだった――。


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