第一章―抹消×新生4
5/11 中盤から文末を訂正しました。
グチャ。グチャ。グチャ。グチャ――壊れたDVDプレイヤーが殺意をもって繰り返す様に、家族として妹として大好きな妹――メイが誤って落下させた故に飛び散った肉塊の映像が網膜で再生され続ける。執拗な映像の繰り返し、耳に留まる粘着音がエンドレスで鼓膜に張り付く。
傍らのテレビからは聞き慣れた学園名や名称が絶えず流れてきて、結希の朧げな意識に得体も知れない“何か”を植え付ける。
その“何か”はとてつもなく恐ろしく、悍ましい感情を沸き立たせ、気がつかないうちに結希は“また”脂汗をかき肩で息をしていた。どこかで感じた事のある恐怖である。
「あ、ダメじゃない! まだ寝てないと!?」
そう金切り声に近い声が、ベッドをソファー代わりに腰を下ろし何時もと手触りが違う頭を抱える結希に雷鳴の如く飛来した。
「……僕は……僕は……」
白衣の天使――結希の年齢からしてみれば、まだそんな比喩には当て嵌まらない若い看護師が意識の錯乱する自分の前にひざまつき介抱しようとしているのが何とか気配で感じた。
「まだ意識がハッキリしないなら寝てないとね。……あれ?」
少年が何かに怯え肩を震わせる姿を見て一旦はベッドに戻そうとその肩に手を置いた瞬間、眉目が跳ね上がり動きを止めた。
――この子、起き上がれるような容態じゃないわよね? 胸部から粉砕骨折してるはずじゃ……、頭だって触れるほど軽傷じゃないわ……。
数多の生死に携わってきた看護師の表情に影が現れ、顔を上げたのは良いが瞳孔が開き気味の結希に恐怖心に近い不信感が芽生えてきていた。
昨日搬送されてから明朝にかけて何時間にも及ぶ大手術を経て、何とか命を取り留めた患者が、たかだか六時間弱で意識を取り戻しましてや起き上がられるまでに回復する訳がない。
「胸は痛くないの? 頭は大丈夫? 足だって骨折してるはずよ?」
肩で息をしているものの、その手術に立ち会っていた看護師が知る大手術の内容とその経過が正しければ、床にしっかり足を着け背中をベッドから離し座っている結希の姿は、医学の域を脱して恐ろしいくらいに回復している事を意味する。
「アドレナリンの過剰分泌? 麻酔がまだ効いてるの?」
それが看護師は信じられない様であり、少し乱暴であるが脂汗浮き出る首筋から胸部までを衣服から解放させた。
「これ見える? 包帯巻かれているの分かるよね? 車で強打され肋骨が砕けて肺や心臓にまで到達したの。……事故の事は覚えてる?」
テーブルに置かれていた手鏡を看護師から渡され、恐る恐るその天井が映る楕円の中を覗き込む。
――嘘だろ……誰だよこれ……。これじゃまるでミイラだ。
包帯の白と紅い血、膿が滲み気色の悪い色をした包帯に覆われた顔面。そこでこれは人間だと確信できる象徴は、瞳孔の開いた黒目がその視界に映る痛々しい人物が自分だと信じられないで動揺する確かに自分の意志と同じ動きをする瞳である。その瞳ですら血走り少し前までその瞳を覆っていたであろう眉付近の包帯は黒ずんだ血と膿で変色している。
「……原型を留めてなかったわ、それでも奇跡的に命に別状はないの。全身もそんな状態なのよ? どんな事故だったか覚えてる? 将来有望な子供をこんな酷い目に合わせた人間を、生命の可能性を信じる私たちも秩序と平和を守る警察の方々も決して許さない。
だからね、辛くても思い出して私たちに犯人の特徴を教えてほしいの」
真実を突き付けられ困惑し手鏡を持つ手が小刻みに震える結希。戦争映画でしか見た事がない痛々しい負傷兵にまさか自分がなってしまうなんて……と絶望を感じる。
「……じこ?」
やっと紡がれた言葉は震えている。
「そう、この事故に昨日君は巻き込まれたの。だから、いまこうして私とお話していること事態有り得ないの、奇跡に近いの。意味分かるよね? “死んでいてもおかしくない事故”だったのよ?」
矢継ぎ早に紡がれる言葉が、意識を戻ししかも起き上がられて話も出来る重傷患者――奇怪事故に遭遇した市内在住の中学生――神寺結希の生命力の強さをこの看護師が疑う良い証拠であった。
その女っ気がない指が、また怪奇事件発生! 注意を呼びかける。とテロップが流れる画面に向けられそれを結希が視線だけでおうと、
「……あ、アアアアアア!! くる! 奴がくるぅぅうぅぅ!!」
まるで断末魔の叫び、結希から発しられた絶叫が部屋に響き渡る。残響が残るほどの叫び声、それはとても“人間”の子供が出せるモノではなく、結希が極限までに精神面で追い詰められているのがそれだけも察知できた。
全てを点けっぱなしのテレビから絶えず流れる奇怪事故情報と看護師の言動と自身の全身に隙間なく巻き付けられた包帯で察したのだ。人間として絶対に怪我を負ってはイケない頭部を強打し陥没させた鈍い音が鼓膜で奏でられた。
自分が何故病院にいるのかも、この耳に纏わりつく液体滴る肉がたたき付けられる粘着音の正体も、結希は思い出した。引き出しに閉まった記憶を引きずり出してしまったから“奴”の姿を網膜に蘇らせ叫ばずにはいられなかった。
両足を固定する石膏で出来たギプスの感触、重厚な重み、動きを制限されたその束縛感が“奴”の残像を結希のおぼろげな脳裏に明瞭な映像で浮き上がらせる。奇怪な笑い方をする鼻っ面を幻視させる。
ばたつかせ床に叩きつけるその骨折しているはずの踵に、あるはずの痛みはなく、鈍く部屋に響き渡るゴッゴッと言う音と発狂した結希の声が交錯する。
「やめなさい! どうしちゃったのよ? 奴ってなんなの? もしかして犯人?」
診断結果では残りの体を支える両腕も肩甲骨から粉砕骨折している。故に暴れられる事など骨が神経に刺さる激痛で不可能なはずだ。ズタズタの神経回路が末端まで起動信号を送れる訳がない。
なのに、重傷患者である結希は健全者が癇癪を起し暴れ狂い絶叫する時と同じように全身で感情を露わし包帯で雁字搦めにされ自分でも誰なのか識別出来ない顔を、毛一本も見えない頭を掻き毟る。
「大丈夫だから、大丈夫だから落ち着いて、ここには関係者以外立ち入りできないからね。来るのは貴方の家族と発見者である菜月ちゃんだけだから。それに、警察の人が病院玄関で警戒していてくれてるから変な人は病院にすら近寄れないわ」
だから“奴”は現れない。何らかの動機で罪を犯した人間・犯人が、その毒牙の被害者が加害者の意志に反して命を取り留めた事を知っても、猟奇的、嗜虐的思考が浮かんでも再度殺害しには来れる訳がないと、看護師は赤子をあやす母と同じ優しい声色で、自身の最悪の末路を想像して取り乱す結希を抱きしめながら言う。
「……菜月……菜月に会いたい……怖いよ……菜月……死にたくない……」
「うううん、か……か、神寺君は治る。今は面会謝絶だけど、あの子はそれでもここに来ているわ、だから様態が落ち着けば直ぐに会える様にしてあげる。だからね、落ち着きなさい」
不透明な意識、不快な粘着音、瞼裏にこびり付く“奴”の幻影が菜月の名を聞き薄らいだ。
二人は同じ日に同じ病院で同じ医師の手で母体から取り上げられた。隣接した保育器で同じ天井を同じ世界を見ていた。
これはもう運命としか言いようがない、入院中の病室も自宅もお隣で、結希は歩行が出来る様になってから母親の目を掻い潜り気が付いたら防人家の庭で、まだヨチヨチ歩きをしている菜月と一緒に遊んでいたのだ。当時を振り返る両家の両親は、共々その風景に驚愕したがこれも何かの縁とその日から両家の交流が始まった。
親の意向で通う事になった幼稚園も小学校も現在の中等部でも全部クラスが一緒であった。何十校も存在する教育施設を二人は自分達の意志とは関係なしに選出され、その通った先でも出会い互いの共通する出生を知り更に打ち解け合うのは容易かった。
その幼少期から運動神経抜群で体育だけではなく、日々の生活でも今の様に活躍していた結希にとって、その活発で楽しかった時間を共に過ごした防人菜月は、使う古された特別なんて陳腐な言葉では表しきれない存在となっていた。これまでの人生を構成する確たる人物は紛れもない彼女なのだ。
彼女が結希の全てを作る存在となっている事は間違いない。神寺結希の存在も史跡も彼女――防人菜月が居てこそ確立される儚くも強固な証明である。唯一の生きた証が歓喜、称賛で満ちる日々の中常に隣にいた防人菜月なのである。
――もしかしたら、僕と菜月は見えない何かで結ばれているのかも知れない。
そんな乙女チックな妄言を独り言で漏らした事が多々ある結希は、その恥ずかしい独り言を言わせた菜月の笑顔、元気な声を、恐怖で腐敗した脳裏、網膜、鼓膜に咲かせ奏で失いかけていた理性を“奴”痕跡で塗りつぶされた心身から引きずり出せた。




