シーン 73
ある朝、みすぼらしい格好をした少年が訪ねてきた。
髪はボサボサ、服はボロボロ、履いている靴は穴が開いている。
長い間風呂に入っていないのか、顔は薄汚れ少し臭いもした。
見たところサフラより若い印象だが、同じ歳の子に比べて身長は低めだろう。
ちょうど頭の先が僕の胸の高さなので、百六十センチを少し切るくらいだろうか。
顔は整っていて中性的だが、自信を伺わせる表情は引き締まっている。
きっと将来は美青年に成長するだろう。
どこにでも居る顔立ちの僕にしてみれば、彼を羨ましく思わずにはいられなかった。
何より目を引くのは金髪だ。
今はボサボサの頭だが少し手入れをして身なりを整えれば、仮に彼が「貴族だ!」と言われても不思議には思わないだろう。
そう思わせるのは彼が自信に満ちているに他ならない。
「男爵様、どうか僕を召しかかえてください」
そう言って少年は深々と頭を下げた。
僕としてはまだ目覚めて間もなく、頭の回転はいつもに比べて鈍い。
そんな状況で人一人の人生を決めてしまうような決断はできなかった。
だから深く考えるよりも先に返す答えは決まっている。
「どういう考えで訪ねて来たかは知らないが他をあたってくれ」
「な、何故です?」
「何故も何も…いきなり押し掛けて来て「はい、分かりました」とは言えないだろう?」
それを聞いて少年は何故ここへ訪ねて来たのか、どういった考えがあるのか事細かく説明を始めた。
名前は“ペオブレム=ウィルズ”と言うそうだ。
ペオブレムは孤児で、物心ついた頃にはすでに一人だった。
出身はイーストランドにあるブルータルという田舎町。
年齢はサフラより一つ年下の十三歳で、先月誕生日を迎えたばかりらしい。
兄弟や親類縁者もなく、七歳になる頃から交易都市に住む下流貴族の屋敷で使用人をしていたそうだ。
しかし、先日行われた武術大会を目の当たりにし、人生観が一変したという。
その原因は僕がアルマハウドと戦う姿を見て感銘を受けたというものだ。
それから数日間は仕事も手に着かないほど悶々とした日々を送っていたが、決心して仕事を辞め、僅かな情報を頼りに僕を探して帝都まで来たのだと言う。
交易都市から帝都までの移動は全て徒歩だったため、途中に何度か亜人や魔物に襲われたそうだ。
ただ、戦う術は身に付けていないため、何度か危ない状況に陥ったらしい。
それでも、逃げ足だけは早いらしく、何とか無事にたどり着くことが出来たと付け加えた。
「…お前、無茶してると本当に死ぬぞ?」
「僕もそう思います。ですが、これも男爵様を思っての事です。以前仕えていた主様ではこのような無茶はいたしません」
「…それで、俺が断ったらお前はどうするつもりなんだ?」
「召しかかえてもらえるまで諦めたりしません。例え殴られてでも食い下がってみせます」
ペオブレムは力強く言って僕から視線を離そうとはしなかった。
決心して訪ねて来たのだから意志は固いようだ。
仮に何か理由を付けて断ろうにも、半端な理由では引き下がってくれないだろう。
むしろ、根性が座っているだけに言葉通り食い下がって来るはずだ。
「…あれ?レイジ、お客さん?」
玄関先でのやり取りでサフラが様子を見にきた。
出来れば僕一人で対応をしたいと思っていたが、優しさサフラの事だからペオブレムに肩入れをしないとも限らない。
ペオブレムに悟られないよう余計な事は言わないようアイコンタクトを送ったが、サフラはいつもの笑みを浮かべ出るだけだった。
「何だ何だ、ボロボロのお子様じゃないか。四階までよく響く声だったぞ」
ペオブレムの声で目覚めたニーナも現れた。
ニーナはサフラよりも厄介だ。
あまり物事をよく考えずその場の感情で話す事が多い。
出来れば一番出て来て欲しくない人物だった。
下手なことを言われてペオブレムがその気にならないとも限らない。
人生を左右する大事な判断なので軽率な回答をしたくなかった。
「おはようございます。私はペオブレム、男爵様に召しかかえてもらえるようお願いに参りました」
ペオブレムが再び大きな声で二人に自己紹介をした。
ニーナはあまり興味がない様子だが、サフラは自分と歳の近いペオブレムを興味深く眺めた。
「おはようございます、ペオブレムさん。ここでは近所迷惑になりますので、中へどうぞ」
サフラは僕の背中を押してペオブレムを中へ案内した。
いつもなら必ず僕へ確認をするサフラも今日ばかりは積極的だ。
むしろ、四階まで聞こえる大きな声では近所迷惑になりかねない。
近所付き合いもロクにしていないから、ここで波風を立てるのは得策ではないとサフラは考えたらしい。
いくら僕が男爵という地位にあっても、近隣住民への迷惑行為は慎みたいところだ。
仕方なく二階へ案内するとペオブレムは感嘆の声をあげた。
「素晴らしいお屋敷ですね。さすがは男爵様です」
「あまり詮索するつもりはないが、せっかく訪ねてきたのだから話くらいは聞くよ」
「ありがとうございます」
ペオブレムはソファーには座らず床に片膝をついた。
まるで皇帝に謁見する他国からの使者のようだ。
中世をモチーフにした海外の映画でしか見たことのない光景に少し呆気に取られてしまった。
ただ、その姿が様になっていて、身なりさえしっかりしていれば貴族の出身ではと思うほど。
前の貴族の元で六年ほど使用人として身に付けた作法らしい。
「何やってるんだ?」
「使用人たる者、ご主人様の椅子に腰掛けるなど言語道断。このままで結構にございます」
「…そういうわけにはいかないだろ。それに、俺は堅苦しいのが苦手なんだ。例え使用人として雇ったとしても、普通に生活をしてもらうぞ」
「で、では召しかかえていただけると?」
「もしもの話だ。まだそう決めたわけじゃない」
ペオブレムは一瞬期待して笑みを浮かべたが、訂正を聞くと表情が固くなった。
どうやら感情の起伏は大きいらしい。
感情に左右されるのは若さ故だろう。
「とりあえずソファーに座れ。話はそれからだ」
ペオブレムは躊躇しながらも指示に従ってソファーに座った。
肩膝をついて座っていた時に比べ緊張しているようだ。
そんな緊張を悟ったのか、いつもは多くを語らないサフラが口を開いた。
「ペオブレムさんはどうしてレイジの元で働きたいと思ったんですか?」
「お嬢様、僕に敬称は付けなくて結構です。出来れば“ペオブレム”または“ペオ”とお呼びください」
「ペオね、分かった。それなら私もお嬢様はやめて欲しいかな。歳も一つしか変わらないし、それに私にはサフラって名前があるの」
「サフラ様ですか。素晴らしいお名前です」
サラリとお世辞を言って笑みを浮かべた。
僕なら背筋が寒くなるような臭いセリフだが、ペオブレムが言うと不思議と嫌味に聞こえない。
やり取りを見る限り使用人を演じているのではなく、自然と振舞っているように見える。
それを考えれば、今のセリフも本心からだろう。
“無垢な少年の心”とでも言うのだろうか。
僕からはいつの間にか失われてしまった尊い精神だ。
「“様”をつけて呼ぶのもやめて欲しいかな。私はそういうのに慣れてないし、普通に“さん”を付けてくれればいいよ」
「ですが、それでは使用人として申し訳が…」
「大丈夫。私がそう呼んで欲しいから」
ペオブレムの発言を遮るようにサフラが言うと、彼は一呼吸置いて言葉を噛み砕き、納得して大きく頷いた。
それを見てサフラも笑みを浮かべた。
「分かりました、サフラさん。えっと…それと、あちらの方は、男爵様のお姉様でしょうか?」
ペオブレムは視線を移動させ、部屋の隅で椅子に座り退屈そうにしているニーナを見た。
ニーナは本当に興味がないらしい。
いつもサフラにする過度なスキンシップと見比べれば、この温度差は誰が見ても明らかだ。
“可愛いモノは正義”と公言をしているが、ペオブレムが幼く見えても男児は対象外らしい。
「アイツはニーナという。ちなみに姉じゃない」
「では奥様ですか?」
「それも違う。うーん…何というか、仕事仲間…いや、今はサフラの剣術の師匠だな」
「なるほど、サフラさんのお師匠様ですか。お綺麗な方なので驚いてしまいました」
綺麗と言われニーナの眉が少し動いた。
興味はなくとも褒められれば嬉しいのは誰にでも共通したことだ。
「それでだ、ペオは何が望みだ?」
「はい。先ほど申し上げた通り、男爵様にお仕えしたいと思います」
「俺に仕えてどうする?」
「どうする…と申しましても、それが僕の本心ですのでそれ以上は望みません」
「変わってるな、お前」
「はい、以前の主様にもそう言われました」
「仮にだ、お前を使用人として雇った場合、いくらの報酬が必要だ?」
これは聞いておかなければいけない質問だ。
誰かを雇うということは同時に雇用関係が結ばれる。
つまり金銭によって報酬の対価を支払わなければならない。
「えっと、その件に関しましては男爵様がお決めください。男爵様がタダで働かせたいと思えば僕もそれに従います」
「タダで使役されても平気と?」
「はい」
「やっぱり変わってるな。そうだな…お前は俺が断っても食い下がると言ったな」
「言いました」
「なら、断ってもムダだろう。分かった、雇ってやる。ただし条件がある」
「何でしょう?」
「風呂に入り身なりを整えろ」
僕はペオブレムに金貨一枚を手渡した。
これで当面必要な衣服を買い揃えるよう伝える。
「こ、こんな大金いただけません」
「気にするな。それは毎月支払う報酬とは別だ」
「あ、ありがとうございます」
「それともう一つ、“男爵様”はやめてくれ」
協議の結果、彼の事はペオと呼ぶことになった。
ペオが僕を呼ぶ時は敬称に“様”をつける。
本当なら“さん”とつけて欲しいところだが、どうしてもこれだけは譲れないらしい。
僕も呼ばれ慣れていないから最初は違和感があるだろうが、そのうち慣れるだろう。
ペオはすぐに衣服を買いに出かけた。
そして、一時間足らずで買い物を済ませ戻ってきた。
実際、金貨一枚で買える衣類はそれほど多くない。
節約しても四日分くらいだろう。
それでもペオは一週間分のローテーションが可能な数の服を買っている。
話を聞いてみると店主と値段交渉をして安く買ってきたらしい。
ただし、どれもどこかに小さな傷がある“ワケ有り品”を選んでいる。
それでも、傷は目立たないものばかりなので、日常的に着ていても気が付く事はない。
それに、服は着ていれば消耗するのは当たり前なので、それが早いか遅いかの違いだ。
この行動を見ただけでも、ペオは効率よく世の中を渡る術を知っているようだ。
世間の常識や人間心理をよく理解していた。
買い物を終えたペオに風呂に入るよう伝えると、深々と頭を下げて一階へ降りていった。
簡単に風呂の使い方を教えておいたので問題はないだろう。
しばらくするとサッパリした顔のペオが戻ってきた。
やはり最初の印象通り美少年だ。
中性的な顔立ちと濡れた髪が妙に色っぽい。
彼がもし女の子だったら僕のストライクゾーンだろう。
まぁ、彼が男である以上、変な気はまったく起きないのだが。
身なりも動きやすいモノを選んでいるが、決して安物には見えなかった。
“押し掛け女房”ではないですが、“押し掛け使用人”が登場しました。
幼くして世渡り上手な彼が今後どのように主人公たちをサポートしていくのか、作者としても注目したいところです。
※作者にはたぶんショタ属性はありません。(笑)
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