シーン 71
僕らはあれから何回かの戦闘を繰り返し、一夜を馬車の中で過ごしようやく帝都に帰ってきた。
この三日間歩き詰めの馬に感謝しつつ、背中を撫でてやる。
徒歩の移動に比べて飛躍的な進歩だ。
世界中どこへでもとまではいかないかもしれないが、時間さえあればこの調子で旅ができるだろう。
サフラと御者を代わってからずっと手綱を握っていたが、かなり操作の技術が向上した。
身体で覚える感覚は歳をとってもなかなか忘れないと聞くから、これで胸を張って馬車の操作ができると公言できる。
その間にサフラも身体を休めることができたのか、帝都に着いた頃にはすっかり元気になっていつもの笑みを浮かべていた。
ニーナも元気になっていたのでもう心配はないだろう。
三日間に及んだグリプトンの討伐は最後にギルドへ報告して終了だ。
ギルドでは僕らの帰りをギルドマスターが直々に出迎え、同時に戦果を聞いて喜ばれた。
僕一人だったら危ない相手だったと伝えると、さすがのギルドマスターも驚きを隠せず眉をひそめた。
ギルド側も僕一人では苦戦するほどの怪物とは思ってもいなかったようだ。
「長旅でお疲れでしょう。すぐに報酬を用意いたします。今しばらくお待ちください」
ギルドマスターは深々と頭を下げて奥へと消えていった。
しばらくすると別の職員が報奨金を持って現れた。
想像していたよりも多額の報奨金に驚きはしたが、男爵の地位と危険手当を含めた金額らしい。
貰えるモノはありがたく頂いておくことにする。
ギルドを出て馬車を厩舎へ預けに向かう。
長旅の疲れが溜まっているだろうから、厩務員にはその旨をしっかりと伝えた。
「三日ぶりの我が家だね」
「そうだな。ようやく落ち着けるな」
「いや~新居が楽しみだ」
「…お前も来るのかよ!」
「ダメなのか?」
厩舎を出て自宅に帰ろうとしたが、ニーナは解散するつもりはないらしい。
言葉通り家へ来ようとしているようだ。
断る理由もないが、あえて誘う理由もない。
どちらかと言えば風呂に入ってすぐにでも眠りたい気分だ。
だから答えは一つに決まっていた。
「今日のところは帰れよ」
「何だ、冷たいじゃないか?お姉さんは悲しいよ」
ニーナは後ろを向き両手で顔を覆った。
「嘘泣きは止めろ。バレてるぞ」
「…ちッ、やはりキャラじゃない事はするもんじゃないな」
「分かってるなら初めからやるなよ…」
少し頭痛がした。
「それでだ、本当にお邪魔してはいけないのか?」
「どうしてもって言うなら断る理由はないが…」
「ならお邪魔しよう!」
結局、ニーナの勢いに負けて了承をしてしまった。
サフラもニーナが家に遊びに来るという事が新鮮なのか、何も言わずに笑みを浮かべた。
富裕層の多い路地を抜け三日ぶりの我が家に到着すると、いつもは冷静なニーナもさすがに声をあげて驚いた。
家と言っても四階建てともなれば中小規模の商業ビルと同じ大きさだ。
町中で店を営業する店舗よりも大きく、二人暮らしと言うのも驚きに拍車をかけたらしい。
「…話には聞いていたが、これほどとは。やはりキミはただ者ではないな」
「この家もいろいろあったんだ。まぁ、とりあえず中へ入れよ。夕食くらいは用意してやるから」
「そうだな。では遠慮なく」
部屋の中は三日間離れて居たが出発時と変わりはなかった。
これからこうして家を空ける機会も増えるだろうが、戸締まりを徹底しておけば平気のようだ。
現代ならこの規模の建物であれば防犯カメラや警備会社の利用も考えなければいけないが、そこまで過剰なセキュリティーは必要ないと見ていいだろう。
ニーナはリビングを隅々まで見て回り、ソファーに腰掛けた。
何の断りもなく座ったところを見ると、自分の家のように振る舞っているらしい。
確かに「遠慮なく」と言って部屋に入ったのだから、あえて一つ一つ確認するのも手間になる。
別に隠すようなものは何もないから下手に詮索されるよりはいいだろう。
「レイジ、この家に使用人は居ないのか?」
「…え?」
「だから使用人だ。身の回りの世話をしてくれる執事やメイドだよ」
「いや、居ないが?」
答えるとニーナは意外そうな顔をした。
「…何だよ、その顔は」
「キミは仮にも爵位持ちの男爵だろう?言ってみれば貴族様なわけだ。貴族と言うのは普通、家事を使用人に任せるものなんだよ」
この世界の常識ではそうなるらしい。
貴族の正しい在り方について一切知識がないため、それを聞いて逆に驚いてしまった。
サフラにも聞いてみたが貴族は使用人を雇うものと言うことを知っていた。
「…知らなかった」
「なんだ、知らなかったのか?異国から旅をしてここへ来たと聞いていたが、キミの住んでいたニホンとは常識にズレがあるらしいな」
「そうなるな。俺の家は元々両親が共働きだったし、家事のほとんどは俺がやっていたんだ。その習慣もあるから使用人を雇う何て考えは思いもよらなかったぞ」
「なるほどな。まぁ、これは常識だから覚えておくといい。それと、今回のように長い間家を空ける機会が増えるだろうから、使用人を雇う事をおすすめするよ」
ニーナによれば使用人を雇う方法は二種類あるようだ。
一つは執事やメイドが所属する“使用人組合”を利用する方法。
使用人組合は国中から使用人を志す者が、雇い主を見つけやすくするために作られた組織で、加盟する組合員のほとんどが地方の貧しい農村部からやってきた若者だという。
ハンターギルドとは違い、使用人組合は帝都にしか存在しないのだとか。
理由としては帝都に貴族や富裕層が集中するため、地方では働き口の需要が極端に少ないからだという。
もう一つは“奴隷”を買う方法。
奴隷は諸事情により“平民身分”から“奴隷身分”になった人々のことで、その多くが罪人で構成される。
ただし、中には経済的理由で“人身売買”の対象として売り払われるケースもあるようだ。
ニーナによれば後者の奴隷を買い、使用人として育てるという方法になるらしい。
また、罪人の奴隷の中には腕の立つ猛者も居るため、ボディーガードや傭兵として雇うケースもあるようだ。
「使用人組合はいいとして、奴隷なんていうのがあるんだな」
「何だ、奴隷も知らなかったのか?」
「あぁ、日本じゃ人身売買は禁止されていたからな」
「禁止か。それでは口減らしにも困っただろうに…」
「いや、国が最低限の生活を保障してくれる制度があったから、そんな必要はなかったんだよ。まぁ、昔の話さ」
ニーナの話を聞く限りこの世界には“人権”という概念は存在しないらしい。
あるのは“力”と“金”の二極だ。
分かりやすいといえばそれまでだが、実力のない者はどう足掻いても底辺の生活を抜け出すことはできない。
反対に貴族は貴族であることを強要されるため、平民のように国の中を自由に旅することはできず、四六時中使用人に見張られながら生活をする者もいる。
どちらが幸せかという議論を始めれば答えはでないだろうが、思いようによって現実を受け入れるしかない。
僕はどちらかと言えば貴族と平民両方の性質を持っている。
成り上がりの貴族にはよくある話のようで、アルマハウドも僕と似た考えを持っていたから、貴族という地位に満足せず、日々ハンターとして国中を渡り歩いている。
「それよりレイジ、私は腹が減った」
真顔でそう言われると少しは遠慮という言葉の意味を理解して欲しいと思う。
僕にしてみればニーナは姉のような立場のつもりだから、少しくらい無理難題を言われても応えてやりたいと思うのは不思議だった。
きっと、前世で姉が居たらこんな気持ちになっていたのだろう。
サフラはサフラで妹のような存在なのだから、今の状況を整理すると長女のニーナ、長男の僕、次女のサフラという関係になるのだろうか。
余計なことを考えながらも夕食の準備を急いだ。
今日のメニューはサフラが希望したご飯に合う料理を作ろうと思う。
まずは土鍋でご飯を炊く。
これはサフラも一度見ているから、残りの作業は任せることにした。
次にフライパンで卵料理を作る。
料理と言っても卵焼きだ。
これも昔はよく自分で手作りして、翌日の父親が持っていく弁当の中に入れていた。
丸いフライパンでの調理は始めてだが、慎重に形を整えて皿に盛り付ける。
続けて野菜炒めを作った。
ただ単に野菜だけを炒めるだけでは芸がないため、保存用に取っておいた干し肉を一口大に切り、一緒に炒めていく。
最後に玉ねぎを使ったオニオンスープを加えて食卓に並べた。
「ニーナ、出来たぞ」
「あぁ、すまな…な、何だこれは?」
礼を言いかけたニーナは食卓に並んだ料理を見て動きを止めた。
どれも僕の自信作だが、ニーナもサフラも見たことがない料理ばかりのようだ。
「日本で食べてた料理だよ。ウマイから食ってみな」
「バゲットがないようだが…」
「主食は米だ。そういえばこっちは米食といえばサラダなんだよな」
「あ、あぁ…そうだが…これを食べろというのか?まぁ、おいしそうな匂いはしているが…」
「文句があるなら無理に食わなくてもいいんだぞ?」
警戒するニーナをよそに僕は先に食べ始めた。
サフラもそれに続き、ようやくニーナの手が動く。
恐る恐る口へ運んだ野菜炒めを食べ、よく咀嚼すると手が止まった。
「ウマイ!」
「だろ?たくさん作ったから遠慮するなよ」
今回は少し濃い味付けにしてある。
疲れているときは濃い味のモノが食べたくなるから、食欲をそそられて気が付いた頃には皿が空になっていた。
見事に食べつくされた皿を見ると気持ちがいい。
苦労をして作った甲斐があるというものだ。
きっと料理人はこの感覚が味わいたくて調理をしている人も少なくないのだろう、そんな気持ちになった。
「どうやら満足したみたいだな」
「あぁ、最初はバケットがなくて驚いたが、ご飯というのはいいものだな。噛めば噛むほど甘みが出て美味しかったぞ」
「私も白いご飯は初めて食べたけど、こっちも美味しいね」
「前はチャーハンだったからな。普通は白飯なんだ」
「この味…店を出してみたらどうだ?」
いつになく神妙な面持ちでニーナが口を開いた。
「いくらなんでも大袈裟だろ。自分たちの分を用意するのに手一杯さ」
「もったいないな。やり方次第で商売になると思うんだがな」
「商売…か。まぁ、機会があれば考えてみるが、期待はするなよ?」
「そうだな。キミが使用人を雇って、彼らに教えて経営するという手もある。それこそ、やり方次第だよ」
脳裏に“経営”の文字が浮かんだ。
自宅の一階を店舗に利用できることを考えれば、まったく出来ないという話ではない。
問題は料理人を雇い入れ、この味を覚えて提供できるレベルに昇華させることが出来るかだ。
僕には人に教えるという技術は向いていないタイプだと思っているが、それこそやる気になれば出来なくはない。
今すぐに答えを出す問題でもないが、これも今後の課題の一つにしておこう。
今回のキーワードをあえて挙げるなら“使用人”かな?
と、言うことで、近いうちにこのフラグは回収される予定です。(たぶん)
ご意見・ご感想・誤字脱字の指摘等があればよろしくお願いします。