シーン 7
2012/04/13 改稿。
再び宿を出て本日の食事処を探していると、一軒の酒場から罵声や怒声、それにガラスの割れる音まで聞こえてきた。
酒に酔った客同士が口論をしているらしい。
夕食に限ったことではないが、食事は落ち着いて食べたいため、厄介事は遠慮したい。
路地までハッキリと聞こえてくる声は、一方が低い声の男性、もう一方は女性だと気が付いた。
内容から夫婦やカップル同士の口論というわけではなく、物騒な発言が聞こえてくる。
「このアマ、よくも俺様を侮辱してくれたな!ぶっ殺してやるッ」
「ふふッ、貴様ごときに遅れをとると思うなよ?ゲスが!」
「上等だ、表へ出ろッ!」
男が啖呵を切ると、ケンカを酒の肴にしていた男たちも助長して野次を飛ばし、騒動を起こしていた二人が店の外へ飛び出してきた。
男性の方は中年の大男で、腕にはハンターの紋章を着けている。
食事中のため武器は携帯していないが、素手でも人を簡単に殺せそうだ。
きっと前世の世界ならプロレスラーに転職できそうな立派な体格だった。
ただ、お世辞にも顔はカッコイイと形容できず、残念ながら表舞台でスポットライトを浴びるようなタイプではない。
動物に例えるなら“ブルドック”だろう。
対する女性は僕と同じか少し年上と言った年頃で、黒髪のポニーテールが腰の辺りまで伸びている。
顔も可愛いというより美人で、身長も僕より高くモデルのように体型だ。
筋肉質というわけではないが、柔軟性に富んだしなやかな肉付きは、新体操やバレエをやっていそうな雰囲気がある。
動物に例えるならば猫科だが、身体から微かに滲み出る殺気は、まるで獲物に狙いを澄ました“豹”のようだ。
こちらも武器は所持していないが、男性とまともに組み合えば無事では済まないだろう。
「望み通り表に出てやったぞ。それで、私をどうするって?」
女性は男性を挑発しながら早く仕掛けて来いと手招きをしている。
それを見た男性は顔を赤くして憤り、考えもなしに一直線に駆け出した。
女性は身を低くし素早く足を掛けると、男性は躓いて盛大に砂埃を上げて前のめりに倒れ込んだ。
顔面が思い切り地面に激突したため、一目で痛い転び方だと分かった。
顔を上げた男性は鼻血を出し、怒りのあまり米噛みに青い血管が浮かんだ。
「おやおや、醜い顔がさらに醜くなったぞ?見るに耐えんな」
「貴様…殺してやる」
そういって男性は落ちていた石片を拾い、女性に向けて投げつけた。
至近距離だとはいえ女性は涼しい顔で身を翻すと、石片は後方へ逸れていった。
しかし、逸れた石片が飛んでいった先には僕らがいる。
僕は慌ててサフラの身体を抱き寄せると、石は彼女の居た場所を通り過ぎていった。
対応が遅れていればサフラは怪我をしていただろう。
当たりどころが悪ければ命の危険だってある。
厄介事は嫌いだが、それ以上に理不尽なことを許せるほど、僕は人間が出来ていない。
特にサフラの事となれば話は別だ。
今にも爆発しそうな怒りを何とか押し殺し、サフラを安全なところへ移した。
「サフラ、ちょっと待ってろ」
サフラに断って、そのまま二人の間に割って入った。
「何だ貴様ッ!邪魔する気か」
「若いの。人のケンカに手出だしとは感心しないな?」
「無関係じゃないさ。そこのブサイクなオッサンが俺の連れを危険に晒したんだ。悪いが俺も仲間に混ぜてもらうぜ」
睨みを利かせて男性を見据えた。
対峙してみると男性の大きさがよく分かる。
僕より頭一つ背が高く、肩幅も一回り近く大きい。
ただ、武器を持っていないなら恐れるほどではないだろう。
いざという時は銃を使えばいい。
それに男性は僕の実力を正確に認識していないため油断をしているはずだ。
その証拠にニヤリと口元を歪めて笑っている。
人間は慢心する生き物だと、テレビに出ていた偉い学者を名乗る中年の男性が言っていた。
特に自分よりも弱い者が相手の場合はそれが顕著に現れるらしい。
この男性も例外ではなくそう思っているだろう。
油断をしていればそれだけ虚を突きやすくなる。
「舐めるなよ、小僧がッ!」
やられ役の悪党よろしく、男性は拳を振り上げて迫ってきた。
直線的な動きは初動さえ捉えれば避けるのはさほど難しくはない。
身体を逸らすと、男性の拳は空を切った。
僕は間髪入れずに隙が出来たところへ狙いを澄まし、強く握り締めた拳を鳩尾にえぐり込ませた。
殴った感触はグローブをつけてサドバックを叩いた時のようだ。
ドスンという重たい衝撃と共に、内臓に衝撃が加わる。
思い切り体重を乗せていたため、思っていた以上にクリーンヒットとなった。
男性は口から胃液を吐き、身体を“くの時”に折り曲げて倒れた。
のた打ち回るその様子は、“見苦しい”の一言で、決して同情をしようとは思わない。
自業自得と言うヤツだ。
「アンタ、俺はこれで満足だ。あとは煮るなり焼くなり好きにしてくれ」
すぐ近くで事の成り行きを見守っていた女性に声をかけた。
女性は目を丸くしていたが、それ以上の反応は見られなかった。
これで驚かないということは、彼女も相当腕には自信があるのだろう。
こんな大男とまともにケンカをしようとするのだから、少なくともそれくらいの実力は備えているようだ。
「見たところなかなかの使い手らしい。いや、面白い余興だったよ。何、キミが世間知らずのバカにお灸を据えてくれたんだ、私がわざわざ手を下すこともないだろう?」
女性はすでに男性に対する興味を失い、代わりに僕を珍しい物でも見る目で熱い視線を送ってくる。
女性に見られることに関して言えば悪い気はしないが、まじまじと見られるのは得意ではない。
ただ、注目を集めたことで、周りの通行人が一部始終を目撃し、正当防衛は証明されるはずだ
「…そうか。邪魔をしたな」
「何、気にすることはないよ。私はニーナ。ニーナ=クリステルだ。バウンティーハンターをしている」
「俺はレイジ。見ての通り旅人だ」
「そうか。見慣れない異国の衣装だが、どうやらまだ私にも知らない世界があるらしい。キミほどの腕なら賞金稼ぎかハンターになれそうなものだが。そうか、旅人か」
「転職については検討中…と言っておこう」
「面白い男だ。まあいい、機会があればまた会うこともあるだろう」
「出来れば敵同士で無いことを祈りたい」
少し皮肉を込めて言ったつもりだったが、ニーナに声を上げて笑われてしまった。
一体何が面白かったのかは分からないが、少し話をした中で感じた印象は決して悪くない。
ただ、厄介事に巻き込まれていたところを見ると、あまり人当たりの良い性格ではなさそうだ。
言い換えれば不器用なのだろう。
ニーナはそのまま上機嫌で現場を後にした。
足元には男性がまだ腹を抱えて苦しんでいる。
ただ、一見したところ命に別状はない。
このまま捨て置いても問題ないだろう。
それに、最初に手を出してきたのは男性の方だったので、目撃者もいるのだから正当防衛が成立する。
僕はサフラの元に戻って手を取った。
少し手が震えているのは緊張によるものだろう。
そっと肩を抱き寄せて、彼女の小さな身体を包み込んだ。
「…お帰りなさい、お兄ちゃん」
「ただいま」
サフラが落ち着いたところで店探しを再開した。
空気を読まない腹の虫はグウグウと鳴き叫び、早く食べ物をよこせと催促してくる。
すぐに夕食を食べたいなら、ニーナたちが騒ぎを起こしていた店に入るのが最善だ。
ただ、先ほどの乱闘で店内は荒れ、ちょっとした騒ぎになっていた。
どうやら二人が暴れまわって破壊した食器や料理が床に散乱しているのが原因らしい。
これでは落ち着いて食事が出来ないため、諦めて他を当たることに決め、ほとんど歩かないうちに次の酒場を見つけることができた。
店内は騒ぎとは無縁で、落ち着いた雰囲気がある。
僕らは空いた席に案内され、メニューを見ながら料理を注文した。
注文したのはガーリックトーストとジャーマンポテト、それとソーセージの盛り合わせだ。
メニューを見る限り、北欧系の料理が充実している。
しばらくすると料理が運ばれてきた。
料理が出来る早さから作り置きではと心配になったが、湯気が立っていたため、無用な心配だった。
この世界には便利な電子レンジやオーブントースターの類は存在しない。
温かい料理ということは、作り置きではないことを意味している。
美味しい料理を囲みながら、僕らは今後のことについて話し合った。
ここから帝都までは特に交易も盛んで人通りが多いらしい。
反対に少人数で旅する旅行者は魔物に襲われる確率が高く、細心の注意が必要らしい。
出来ることなら、可能な限りの頭数を集め、行動を共にした方が危険性は小さくなる。
この町にそうした少人数での旅をする人向けの新しいサービスがある。
“臨時キャラバンギルド”と呼ばれる、利用者同士のマッチングを図る機関らしい。
キャラバンギルドの利用者の多くは、金銭的な理由でハンターを雇えない旅人や商人たちだ。
キャラバンを組むルールとして、必ず一名は馬車を持った行商人が参加し、文字通り臨時の商隊を結成する。
つまり旅人が臨時キャラバンに参加すれば、目的地まで馬車付きの旅が出来ると言うことになる。
参加した旅人は亜人や魔物に襲われた際、全力で馬車を守らなければいけない。
そのため、参加者は必ず武器を携行しなければいけないが、旅人というのは護身用のナイフくらいは持ち歩いているため、それほどシビアな制約ではない。
サフラも父親と行商に出掛ける際は臨時キャラバンをよく活用していたらしい。
その方がハンターを雇い入れるよりも安価に済むし、場合によってはより安全なこともある。
臨時キャラバンには単独で行動するバウンティーハンターも顔を出すことがあり、運がよければ心強い仲間と旅をすることが出来るからだ。
旅人は馬車で移動が出来るため、守られる側の商人との間に互恵関係が成立という仕組みだ。
臨時キャラバンを募集するには“臨時キャラバンギルド”という組織を利用しなければならない。
利用の際は最低限の身分証明や名前、戦闘経験などを明記し、それらの情報を元にマッチング作業が行われる。
また、一回につき銅貨五枚の登録料を支払えば利用でき、ハンターギルドと同様に各地で支部を展開しているようだ。
「便利なシステムがあるんだな」
「最初に考えた人は凄いよね。私もキャラバンがなかったら旅なんて出来なかったもん」
「確かに凄いな。それじゃあ、明日になったら一度様子を見に行ってみよう」
「は~い」
僕らが夕食を終えた頃、一人の男性が店に入ってきた。
身なりからして行商人だろうか。
辺りを見渡して誰かを探しているらしい。
そうして僕はその男性と目があった。
いや、あってしまったと言うべきか。
男性は笑顔でこちらに向かって歩いてきた。
冷静に考えれば、見知らぬ男性が笑みを浮かべて近寄ってくるという光景は、少し恐怖すら覚える。
相手が可愛い女の子なら話は別だが、一端の大人が誰か助けを求める際、必ずと言っていいほど厄介事と相場は決まっている。
もちろんこれは僕の経験上なので、そうでない場合もあるとは思うが。
「やあ、キミ、さっきフィガロを倒した旅人だよね?あぁ、すまない。私は行商人をしているジャンセンと言う。いや~素晴らしいカウンターだったよ。見ていて晴れ晴れした気持ちになったよ」
「…それで、何の用なんです?僕らはまだ食事中なんですが」
「アレアレ、警戒されちゃったかな?別に堅苦しい話をしに来たんじゃないんだがね。何、臨時キャラバンのお誘いに来たんだよ」
「ん?臨時キャラバン…そういう事なら話を聞きましょう」
ちょうどキャラバンの話をしていたところだったし、話を聞いて損はないだろう。
断るにしても話を聞いてからでも遅くは無い。
「話が早くて助かるよ。じゃあ、さっそく本題に入らせてもらう。キミに是非、私が主催するキャラバンに参加して欲しいんだ。噂によるとキミは先日、ゴブリンの集団襲撃事件を一人で解決したそうじゃないか。初めは半信半疑だったが、先ほどキミの身のこなしを見て考えを改めたよ」
「それはどうも。でも、あれは一応、オッサンを制圧する程度の力を出したまでです」
「つまり、本当の実力はアレ以上…と?」
「その辺りはどう捉えてもらっても構いません」
軽く値踏みをされているような気がしたため、謙遜をしつつ牽制をしておいた。
「そうですか。実はですね、私は港町のパスティオールから行商で帝都に向かう途中にこの町へ立ち寄ったんですよ。それまでは護衛にとフィガロ、つまりキミが倒したハンターを雇っていたのだけれど、人間性にいろいろと問題があってね。ケンカっ早くてほとほと困り果てていたところなんだ。そんな所へキミは現れた。だから私はキミとのケンカを口実にして彼との契約を破棄し、臨時キャラバンを募集することにしたんだ」
「…なるほど、そういうわけでしたか。確かにあの暴漢は口も悪いが顔も悪い。さぞ苦労したでしょうね」
「分かっていただけますか?いや~全くその通り」
あまり人の事を悪く言うのは良くないが、さすがに同じ感情を共有できる仲なら許さるだろう。
本題から脱線してしまったので話を戻すことにした。
「それで、臨時キャラバンの件ですが、一晩検討させていただきたい。連れも居ますので二人で相談をします。承諾となれば明日、キャラバンギルドの方で声を掛けさせてもらいます」
「そうですか。見ず知らずなのだから、慎重になられるのは当然だ。では、私はこの辺で。他にも目星を付けている冒険者がおりますので。それでは、良いお返事をお待ちしています」
話が済むと男は店を出て行った。
「…お兄ちゃん?」
「…ん?あぁ、何でもない」
去っていった男の後ろ姿を見たまま呆けてしまっていたらしい。
僕らは食事を済ませて宿に戻った。
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