シーン 68
僕らは目的地の“帰らずの森”へ着実に進んでいる。
ただ、あと一時間ほどで日没になるため、野営地を見つけ馬を休ませなければならない。
ニーナは出発前に買った地図を取り出した。
何かの植物から採った粗い繊維のためか、ゴワゴワとして肌触りが悪い紙だが、書かれている内容が読めれば問題はない。
サフラによればこういった質の悪い紙は広く一般的に出回っているようだ。
同じ紙でも書類や本などに使われる真っ白な上質紙は、作るのに手間が掛かるため高価になるのだとか。
横から地図を覗き込むと、この近くに小川が流れているようだ。
野営では水の確保が問題になるため、水辺でキャンプを張れば水を探す手間も省ける。
地図を頼りに進むと小川にぶつかった。
「今日のキャンプ地はここでいいよな」
「問題ないだろ」
「いいと思うよ?」
サフラは近くの林から薪を集め、僕は河原の石を集めてかまどを作る。
ニーナは投げナイフの腕を生かし、林の奥から野ウサギを仕留めて帰ってきた。
今晩のディナーになるらしい。
食べた事はないが自然の恵みに感謝する。
野営の準備が整った頃には辺りが暗くなっていた。
僕らは焚き火を囲みながら明日の事について確認した。
「…それでだ、目的地まではあと半日くらいなんだよな?」
「そのつもりだったんだがな、思っていたより早く着きそうだ。アイツが頑張ってくれたおかげだよ」
ニーナは丸くなって休む馬を見た。
さすがに帝都を出てから歩き詰めで疲れたらしい。
改めて馬車の有り難さを実感する。
「まぁ、これだけ早く移動できたのは敵と遭遇した時の対処の早さが一番大きかったと思う。私の知る限り、これほどスムーズな移動は“フランベルク”の精鋭部隊に匹敵すると言ってもいい」
「皇帝の直轄部隊か。エリート揃いと聞くが、普段は何をやってるんだ?」
大会の優勝を機に入隊を要請されたが断ったのはつい最近の事だ。
断った理由については自由が奪われることを嫌ったからだが、決して興味がなかったわけではない。
「基本的には皇帝の警護さ。あとは、皇帝の指示があれば各地へ派遣されて仕事をするらしい。まぁ、皇帝が直接指示できるハンターと考えていいだろう」
「エリート集団なんだろ?過去に大会で優勝したような猛者揃いなんだよな」
「いや、必ずしもそうではない。実際、フランベルクのリーダーをやっているのは元ハンターの女だが大会では優勝していないからな。私の憧れでもある人だ」
「女がリーダー?強いのか?」
「あぁ、恐ろしく強いと聞く。きっと、あのアルマハウドよりもな」
「アルマハウドより?本当かよ」
アルマハウドの恐ろしさはこの身をもって体験している。
実際、もう一度戦えと言われれば丁重にお断りをしたい。
今度戦えば銃の対策をしっかりとしてくるだろうから、以前よりやりにくくなるのは必死だ。
「あくまでも噂だ。ただ、私が信頼している筋から得た情報だからな、あながち嘘ではないと思うぞ」
「アルマハウドを超える女…か。まさかゴリラみたいな女じゃないよな?」
「ゴリ…ラ?なんだそれは?」
ニーナは不思議そうな顔をした。
隣にいるサフラも首をかしげているのを見ると、どうやらこの世界にゴリラはいないらしい。
ここはあえて知っている亜人で例えておくべきだったようだ。
一つ咳払いをして訂正する。
「あー…日本にいた動物だ。どうやらこちらには居ないみたいだな」
「ふむ、ニホンというところは不思議な生き物がいるらしい。まぁ、そのゴリラという生き物がどの程度の怪物なのかは知らないが、細身の女だと聞いたことがある」
「細身?じゃあ、どんな戦い方をするんだ?」
「そこまでは分からない。一応、国家機密というヤツさ。国中で一番強いとも言われているが、彼女の姿を見たものは少ない」
「そうなのか。まぁ、そんな化け物みたいなヤツが居るなら皇帝も安心だろうな。俺を無理に引き込もうとしなかったのもそのためか」
「それはどうだろうな。皇帝自身の真意は分からないが、一応入隊は任意でとなっているが、断られることは前提になっていないんだろう」
先ごろ行われた大会はフランベルクの入隊を夢見て各地から猛者が集まる争われる選考会と言ってもいい。
優勝すれば爵位も得られ、比較的安定した生活を送ることができる。
感覚としては学校を卒業して世界的超大企業に入社し、いきなり役員か取締役にでもなったくらいの凄さ…と言うところか。
とにかく一般人から一目を置かれる存在になることは間違いない。
それは僕も感じていることだ。
勲章を胸につけて歩くだけで周りの視線を一手に集めてしまう。
注目されるのにはまだ慣れていないが、それに見合うだけの効力もある。
家を買ったときの対応もそうだし、買った後でもそうだ。
「そのリーダーの女、気になるな」
「やめておけ。いくらレイジだろうと敵う相手ではないさ」
「別に戦いたいというわけじゃない。興味本位…というやつさ」
「興味…ね。まぁ、その気持ちは分からなくはないよ」
「私も会ってみたいな、その女の人」
黙って話を聞いていたサフラも興味があるようだ。
僕としては彼女の素性を知りたいと思っている。
もしかすれば転生者ということも考えられるからだ。
機会があれば会うこともあるだろう。
僕らは火の番を代わりながら馬車の中で夜を明かした。
翌朝。
朝日が昇りきる前に行動を開始する。
出発前に地図で目的地を確認すると、これより半日ほどの距離らしい。
亜人や魔物の邪魔がなければ昼前には着けるだろう。
「レイジ、そういえば使っていた鞭はどうした?」
馬車の中で僕の装備を見てニーナが疑問の声を上げた。
昨日から一緒だったが、今朝になって気が付いたらしい。
「あぁ、あれはサフラが使うことになってる。大会では借りていたんだ」
「ほぉ…サフラちゃんがねぇ。それはきっと、彼女、化けるぞ?」
「だろうな。俺よりも扱いに長けてる。銃なしで戦ったら負けるかもな」
「かもな、じゃないだろ。きっと、サフラちゃんの勝ちだ」
言われても否定はできない。
それだけサフラの持つ潜在能力は未知な部分が多いからだ。
特に短剣だけで戦うスタイルから、防御にも使える鞭を使いこなせば鬼に金棒だろう。
攻守が揃った相手ほど戦い難いものはない。
それが味方であれば心強いとも言える。
しばらく進むとオークの一団が現われた。
ニーナによればこの近くに小規模のコミュニティーがあるらしく、定期的に移動しては通行人を襲っているという。
人間に害をなす相手なのだから躊躇うことなく蹴散らすことにした。
オークの数は全部で六体。
その中に集団を統括するリーダーが居るのは一目で分かった。
「レイジ、真ん中のデカいヤツだ!」
「分かってる!」
僕は素早く拳銃でリーダーの頭を撃ち抜く。
ニーナとサフラはそれぞれ各個撃破でオークを屠っていった。
実際にかかった時間は対象を確認したところから数えても数分。
並みのハンターで組んだチームなら倒すのには倍以上の時間がかかるらしい。
「我々にはオークも赤子同然か」
「その中にお前も含まれてるからな?」
「そうだったな。こんなヤツらが町に現われれば大騒ぎなんだろうが…キミたちと一緒に居ると常識外れというか何というか…」
「これでも一応、大会の優勝者、それと準決勝まで進出したお前、それに天才少女のサフラだからな。オークに手間取っているようじゃ、この先に待つ化け物は倒せないだろうさ」
ニーナの実力も十分に人並みを外れている。
僕が人間離れしているのは転生者だからだが、それを差し引いてもニーナは強い。
それに劣らない働きをするサフラも戦況を優位に運べる要因だった。
サフラの実力はきっと並みのハンターを軽く超えているだろう。
太陽が真上に差し掛かった頃、僕らは目的地へたどり着いた。
地図で見ると帝都よりも広大な森林が広がっている。
元々、この森では良質の薬草が採れる場所として有名だった。
ところが、依頼のあった化け物の目撃情報で出入りする人が少なくなり、最近では物好きで近付く猟師の隠れた穴場になっていたようだ。
襲われたのもちょうど猟師だと聞いている。
注意しながら森の中をゆっくりと進んでいく。
昼間なのに薄暗いのは高い木々が日差しを遮っているからだ。
途中、森の中を移動する気配を感じた。
ニーナもその気配には気付いていたが、どうやら人間に危害を加えない野生動物らしい。
森の中は食料が豊富なため、草食動物とそれを襲う肉食動物が集まりやすい環境のようだ。
それとは別に亜人や魔物もここを棲みかにしているらしく、あまり油断は出来ないと付け加えられた。
森を進むと木々が伐採されて広場になった場所にたどり着いた。
地図によるとここが森の中心地らしい。
これまで化け物の気配は感じなかったため、目的の亀はもっと置くにいるのだろう。
「気配を探ったが近くに敵はいないらしい。馬車を置いて奥へ進もう」
「賛成だ。念のために亜人避けの香炉を焚いておこう」
ニーナのアドバイスで亜人避けの香炉を設置した。
これで不意な亜人の襲撃から馬車を守ることができる。
魔物や野生動物の対処には焚き火が有効らしい。
動物は炎を嫌う習性があるから、香炉を使うよりも効果的なのだとか。
移動に準備が整うと森の奥へ分け入った。
広場を出てすぐ、鼻を突く異臭を感じ取る。
酢のような匂いは森の奥から風に乗って運ばれているようだ。
「この匂い…化け物が吐くという酸なのか?」
「分からない。とりあえず、この匂いの先に化け物がいるっていうことなんだろうな。気を引き締めていくしかない」
少し進むと前方に小高い岩山が見えた。
森の中ということを考えれば明らかに不自然だ。
よく見ると少しずつ移動をしているように見えた。
「…ヤツか!」
「デカイ!想像以上だ」
距離は十数メートルほど離れているが、これまで遭遇した亜人や魔物と比べても巨大だと分かる。
一見すれば情報の通り岩山だ。
「気付かれるぞ!気をつけろ」
二人に注意を飛ばすと素早く銃を構えた。
巨大な身体を考えれば拳銃で相手をするには無理がある。
相手に気付かれる前に念じて“M500”に持ち替えた。
化け物は二つの首を別々に動かして獲物を探しているようだ。
腹を空かせているのか機嫌が悪そうに見える。
木の陰に隠れながら相手の様子を伺った。
頭が二つあるという特徴を除けば、見たところ巨大な陸亀だ。
ちょうど、ガラパゴスゾウガメに似て足は太く、甲羅は装甲車のように分厚い。
「レイジ、このままヤツが進めば馬車が危ない。ここで食い止めるしかないぞ」
「仕方ない…気付かれないよう頭を狙う。二人は戦える準備をしておくんだ。周りへの注意も怠るなよ」
戦うといっても相手が巨大過ぎてまともに戦うことは難しい。
どちらかと言えば、不意に現われる亜人や魔物に対する対処だ。
これから相手ににする化け物は地上から甲羅の頂点までの高さは実に四メートルほど。
頭から尻尾の先までは六メートル近くになるだろうか。
しきりに獲物を探して動き回る頭は照準が定め難い。
攻撃のチャンスは一度が限界だろう。
精神を統一して照準を頭に合わせた。
発砲音と同時に左側の頭に命中。
弾は貫通して後方へと消えて行った。
「やったか!」
「いや…まだだ!止まらない!!」
頭を撃たれたのに亀は歩みを止めなかった。
むしろ、今の攻撃でこちらの位置がバレてしまい、残ったもう一方の頭が僕らを見つけた。
化け物は頭を大きく振ると、胃の内容物を吐き出すよう、勢いよく息を噴く。
「避けろ!」
咄嗟に息がかからない場所に二人を抱え移動した。
振り向くと先ほど僕らが居た場所は強酸を浴びた草木がドロドロに溶けている。
直撃すれば骨まで溶かされていただろう。
「す、すまない…助かった」
「あの息…有機物なら何でも溶かすらしい。浴びればひとたまりもないぞ」
「レイジ…どうする?」
「作戦通りやる。手伝ってくれ」
昨晩、二人で確認した作戦を実行することにした。
まず、僕がヤツを引き付けて、その間にニーナが冷気を操って動きを封じる。
特に危険な口さえ塞いでしまえば脅威はかなり減るだろう。
あとは踏み潰されない距離を保ちながら頭を撃ちぬいて終わりだ。
僕は二人から離れて亀の注意を逸らした。
その間に何発か弾を放ったが、甲羅を貫通するほどのダメージは与えられなかった。
やはり残った頭を潰すほかに倒す術はないだろう。
亀はまた頭を振って酸を吐く姿勢を取った。
この間は身体の動きが止まるらしい。
動きが止まったところへ何度か銃撃を試みたが、やはり致命傷には至らなかった。
「ニーナ、まだか!」
「レイジ、焦らないで。ニーナさんも一生懸命やってるから」
二人に視線を送るとニーナは精神統一をして剣に念を込めていた。
巨大な相手の動きを封じるのだから大会で見せた技よりも長いタメが必要らしい。
その間に酸の息をかわし、再び注意を引き付ける。
すると、ニーナの剣が輝いて亀の頭が凍りついた。
どうやら作戦が成功したらしい。
動きが鈍くなった頭に向け、銃口を向ける。
「終わりだ!」
発砲音が鳴り響くと凍った頭を弾が貫通していった。
同時に、巨体は制御を失って崩れ落ちていく。
残ったのは酢のように鼻を突く刺激臭と強酸を浴びてドロドロに溶けた木々。
僕は怪物が動かなくなったのを確認し、“M500”を“M1911”に戻すとホルダーに収めた。
本編では語られていなかった設定を公開すると、今回相手にした亀は獲物を噛み砕く歯を持っていませんでした。その代わりに、酸を吐いて獲物をドロドロに溶かし、それを啜ることで栄養を摂取…と。
絵にするとかなりインパクトがありますが、映像化の予定はないので大丈夫でしょう。(苦笑)
二つあった頭もそれぞれが独立していたので、片方が失われてもしばらく動くことが出来ました。
また、痛みなどは共有していましたが、身体の制御はどちらかが残っていれば平気だったようです。
ちなみに名前については次回をご覧ください。
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