シーン 62
改稿済み:2012/08/24
商談はすぐに終わった。
契約の内容も一つ一つ確認したが不備はないようだ。
書類の中には、物件の“ワケあり”な部分を口外してはいけないと言う文言もあったが、大丈夫だと伝えるとマルスも納得してくれた。
ちなみに、“ワケあり”の部分を口外すると、違約金として金貨五百枚を支払わなければならない。
最後に、お金を手渡し書類にサインをした。
「ありがとうございます。これにて売買契約は成立いたしました」
「こちらこそ礼を言うよ。それと、契約内容によると、今日から生活できるんだったね」
「さようです。何か必要な物はございますか?」
「それは生活を始めてからかな。当面は食材があれば大丈夫だと思いますよ」
「さようですか。それと、家具は設置してありますが、ご覧になった通り布団や調理器具などの生活に必要な小物はございませんので、別途ご準備ください」
簡単な注意事項を受け、最後に鍵を手渡され外へ出た。
「いよいよだな」
「うん。楽しみだね」
「まずは宿をチェックアウトして荷物を運び込もうか」
人波を縫って町の中を移動する。
今回の買い物で、財布の中身が大半なくなってしまった。
それでも、出費に見合う買い物だったため、問題はないだろう。
宿から荷物を運び込んで引っ越し作業が終わった。
「サフラ、家の中を探検しないか?」
「うん」
嬉しそうなところを見ると、楽しみにしていたようだ。
初めてのモノは知的好奇心をくすぐる。
僕らは一階から順に見て回った。
「まずは一階だが…確か、店舗にしてもよかったんだよな?」
「そう言ってたね」
一階の広さは十二畳ほどだ。
仮に、前世なら車を駐車するガレージと言ったところか。
マルスが説明した通り、店舗として利用するにも、設備を揃えなければならない。
ここを飲食店とした場合、厨房を増設しなくてはいけないため、一度に入れる客は十名全戸と言ったところだろう。
また、物販の店なら商品棚を設置するだけなので、飲食店よりも出店コストは低い。
どのように利用するのかについては、今後の課題としておこう。
店舗として利用しなければ、物置に使ってもいい。
「そう言えば、一階にお風呂があったよね」
浴室は一階の建物の北側にある。
上水設備はないが、地下に下水道管が埋設されているようだ。
そのため、入浴後の残り湯は浴槽の栓を開けて流せばいい。
問題は水の管理だ。
利用できる水は中庭にある井戸になるため、桶で一杯ずつ汲み上げて運ぶしかない。
満水になるまで何度も運ぶのは骨が折れる作業だ。
「水の管理がイマイチだな…。蛇口はないのかね?」
「…ジャグチ?」
「ん?あぁ、サフラは知らないのか。捻ると水が出る栓だ。日本にはそんな設備があったんだよ」
「ほぇ?それ…魔法?」
「いや、魔法じゃないが…」
この世界に来て、水の有り難さを実感している。
水を手に入れるためには、桶を使って井戸から汲むか川の水を使うかのどちからだ。
現代社会の常識が抜けない僕の場合は、川の水を直接飲むのは勇気がいる。
よほど源流に近い清水なら話は別だが、町の中を流れる川では衛生状態が気になって仕方がない。
また、井戸についても毎年の飲み水検査をしているわけではないため、転生当初は食中りにならないかとヒヤヒヤしていた。
しかし、これまで腹を下すような腹痛に襲われた事は一度もない。
毒にも耐える身体に生まれ変わったのが原因か、それとも本当に安全な水だったのかはわからないが、サフラも平気なところを見ると、おそらく後者なのだろう。
「少し工夫が必要だな。まあ、アイデアは浮かんでから楽しみにしてな」
続いて裏庭に出た。
ここには井戸とトイレがあり、これまでに利用した宿と同じ作りだ。
サフラによれば、水周りの設備は裏庭に隠すのが常識だと教えてくれた。
庭の周りは、高い板塀で囲まれているため、外から覗かれる心配はない。
しかし、隣接する建物の二階以上であれば見下ろせてしまうため、まったく見えないと言う事はない。
裏庭と言う場所は、敷地内であってもあまりプライベートな空間ではないと言う印象を受けた。
続いて二階に向かう。
二階は基本的に日中の多くを過ごす場所だ。
キッチンとリビングがあり、高級そうなソファーも置かれている。
ちなみに、ここへ越して来て最初に荷物を運び込んだ場所だ。
「普段はここで過ごす事になるな。一応、最低限の家具は揃ってるから、後は小物だな」
「あとで買いに行かなきゃね」
続いて三階へと移動する。
こちらは、寝室とウォークインクローゼットの二部屋構成だ。
寝室は十畳ほどあり、キングサイズのベッドが置かれている。
マルスの言っていた通り、布団などの寝具がないため、これも買いに行く必要があった。
ウォークインクローゼットは二畳ほどだが、二人で使うには十分だろう。
最後に四階へ移動する。
四階は十畳あるワンフロアで、自由にレイアウトして使うらしい。
基本的には、倉庫のように使う事になりそうだ。
普段使わない物を収納すれば、二階と三階を広く使う事ができる。
「さすがに二人で暮らすにはデカイな」
「でも、小さいよりいいよね」
大は小を…と言うヤツだ。
広くて苦労をするのは掃除くらいのものだろう。
日本の家とは違い、室内でも靴を履いて生活する。
掃除にはモップを使い、水拭きをすればいいだろう。
全ての部屋を見終わり二階に移動した。
「さて…と。残るは買い物だな」
「そろそろ暗くなるから急がなくちゃね」
窓の外を見ると、風景が微かにオレンジ色の夕焼けだった。
間もなく夜の帳が降りる頃だ。
買い物は迅速に、必要な物を優先する必要がある。
「先に寝具だな。次に食材と調理道具だ」
「そう言えば、さっき寝具店の前を通ったよね」
先ほど、宿から新居への移動中に寝具店を見つけた。
まずはそこへ向かう事にする。
「主人、すまないが寝具を見せてくれないか?」
目的の店に入り、カウンターにいた店員に声をかけた。
カウンターに立っていたのは中年の男性で、他に従業員は見当たらなかった。
「いらっしゃいませ。どのようなモノをお探しですか?ん?アナタはもしや、レイジ男爵ではありませんか!?」
急に名前を呼ばれ、思わず驚きが表情に出るところだった。
「あぁ、そうだが?」
「やはりそうでしたか。実は私も先日の大会を見に行っておりまして、男爵様の戦いぶりに胸を熱くした一人でございます」
「そうでしたか。いや、男爵は堅苦しいので、レイジと呼んでいただければ助かります」
「いえいえ、私など一介の庶民にございます。それでは恐れおおい…」
「気にする必要はないですよ。呼び捨てが無理なら、“さん”を付けて呼んでください」
「かしこまりました。それではレイジさん、いかがいたしましょうか?」
店主は改まって営業スマイルを浮かべた。
こういった切り替えの早さはさすが商人と言ったところか。
一応、男爵と言う立場だが、権力をかざして威張るつもりはない。
普段通りを心がけて商談を進めた。
「実は先ほど家を買い、寝具を一式揃えたいと思っています。主人のオススメで揃えていただきたい」
「一式でございますね。そちらのお嬢さんの分もご用意した方がよろしいでしょうか?」
店主は僕の後ろに居たサフラを見つけて笑みを浮かべた。
こうした気遣いが出来るのも商人としては大切なスキルだ。
「えぇ、よろしく頼みます。あと、ベッドはキングサイズなので注意してください」
「かしこまりました。では、さっそく準備いたします。それと、よろしければご自宅まで配達いたしましょうか?」
「そうしてもらえると助かります」
家の場所を告げて店を後にした。
店主によれば、一時間ほどで準備を済ませて配達してくられるらしい。
それまでに残りの買い物を済ませようと思う。
食事は外で食べてもいいが、今後はできる限り自分たちで準備できればと思っている。
サフラも女の子だから料理を手伝ってくれるだろう。
露店で食材を買い求め、生活用品を扱う雑貨店に入った。
「いらっしゃいませ」
応対したのは中年の女性だ。
家庭の主婦と言った印象があり、料理の知識もありそうだった。
「調理道具を一式揃えたいんですが、オススメのもので揃えてもらえませんか?」
「一式でございますね。食器はいかがいたしましょう?」
「そちらもおまかせでお願いします」
準備にしばらくかかるとの事だったので、店の中を見て回りながら帰りを待った。
「お掃除の道具とかも必要だよね?」
「そうだな。気になる物とか必要な物があれば一緒に買って帰ろう」
生活に必要な物を思い浮かべながら商品を見回った。
タオルや櫛など、身だしなみを整える小物を中心に、二人で必要な物をカウンターに積み上げた。
そんな事をしていると、カウンターを離れていた先ほどの女性が戻ってきた。
「お待たせいたしました。商品はこちらの箱に全て用意させていただきました」
「すまない。それと、こちらの品も買います」
「ありがとうございます」
無事に買い物が終了した。
しかし、一度にたくさん買いすぎたため、荷物の量が一度に持ち帰れないほどに膨れ上がった。
雑貨を買う前に食材も買っているため、少なくとも二往復くらいは必要だろう。
「…さすがに一度に持ち帰れないな」
「それでしたら、荷車はいかかでしょうか?」
「そんな物もあるんですか?」
「店内にはおいておりませんが、すぐにご用意できますよ」
「じゃあ、それもついでにください」
奥から運ばれてきたのは二輪の台車だった。
フレームから車輪まで全て木製で味のある作りだ。
細部を見ると少し荒削りだが、専門の職人が一台一台手作りしている。
買った物を荷台に載せて新居を目指した。
帰った頃には注文しておいた寝具も届くはずだ。
荷物を室内に運び込んでいると、寝具店の店主が荷車で商品を運んできた。
「ご注文の品をお届けにあがりました」
「ありがとう」
さっそく荷物の搬入を開始した。
あまり遅くなっては夜になってしまうため、作業は迅速かつ冷静に行わなければならない。
特に、布団は大きくて運ぶのに苦労をする。
店主に手伝ってもらい、何とか三階に運び込むことができた。
「助かったよ。これはお代とチップです。受け取ってください」
代金と共に手間賃を手渡した。
しかし、店主は料金の中にサービスとして含まれているからと、素直に受け取ってはくれなかった。
その代わり、礼儀正しい礼の言葉をもらった。
人柄のいい店主は、こちらも付き合っていて気持ちがいい。
今後も必要があれば店主に頼む事にしよう。
「ふう…買い物だけでも大変だな」
「少し疲れちゃったね」
「それにしては嬉しそうだな?」
「久しぶりのお買い物だったからね。いろいろ選ぶのは楽しかったよ?」
「そうか。それは良かった。他にも生活をしていく中で気付く物があれば買いに行こうな」
女性は男性より買い物好きな人が多い印象だ。
母親も大の買い物好きで、週末には市内のショッピングセンターで気に入った服を買うのが趣味だった。
幼い頃から荷物持ちで何度か買い物に付き合ったが、母が買い物をしている待ち時間は退屈だったのをよく覚えている。
しかし、その帰りに、フードコートで食べたソフトクリームの味は今でも忘れられない。
もう、あの日々には戻れないのだと思うと、少し気持ちが落ち込んでしまった。
「レイジ…泣いてるの?」
「ん!?あ、あくびをしたら…つい…って、おい!!」
弁解しようとしたら突然サフラが抱き付いてきた。
どうやら彼女なりの優しさらしい。
「…泣きたい時は、泣いてもいいの」
サフラは僕の胸の中で小さく呟いた。
おそらく、彼女は人の心の中を見透かす力を持っているのだろう。
彼女に隠し事は通用しないらしい。
何も言わずに肩を抱き寄せた。
思えば彼女も両親を亡くしてまだ日が浅い。
これまでに、いろいろな戦いや出会いあったせいで忘れていたが、サフラはまだ十四歳の少女だ。
まだ親に甘えたい年頃だろうが、彼女が頼れるのは僕しかいない。
こんな時こそ僕がしっかりしなければ、そう思った。
買い物って選んでる時は楽しいですね。ただ、誰かが買い物をしていて自分だけ待っているというのはなかなか辛いものがあります…。
それにしても、総石造りの豪邸が金貨六百枚ということは、金貨一枚が一万円の想定なので六百万円という計算です。口止め料込みとは言え、安すぎましたかね?w
まぁ、主人公たちはイイ買い物をしたということでしょう。(たぶん)
ご意見・ご感想・誤字脱字の指摘等があればよろしくお願いします。