シーン 36
改稿済み:2012/07/29
朝。
昨晩は周囲への警戒を切らさなかったおかげで、ほとんど眠る事ができなかった。
実を言えば、眠れなかった原因はそれだけではない。
初めて犯した殺人が悪夢として蘇り、その度にうなされて目が覚めた。
しかし、隣で眠っていたサフラは一晩中起きる事はなく、安心した様子で規則正しい寝息を立てていた。
心配を掛けないように肩を寄せ合ったのは正解だったらしい。
隣で眠る天使が居てくれたおかげで、僕は僕のままで居られたような気がする。
僕はサフラを起こさない、背中を預けていた壁から身体を起こした。
時刻はまだ午前の六時くらいだろうか。
時計がないから正確な時間はわからないが、時間を気にしたところで何かが変わるわけでもない。
早く起きたのにはわけがある。
今日は今回の首謀者二名と部下の一名をハンターギルドに引き渡さなければいけない。
三名を連行するには馬車が必要だが、テューポンが使っていたものをそのまま使えばいいだろう。
手綱さばきには自信がないが、車のようにバックや縦列駐車などの高度なテクニックが必要ないのが救いだ。
それに、いざとなればテューポンに手綱を持たせて後ろで見張ればいい。
サフラを起こして早速行動を開始した。
まずは馬車の回収だ。
馬は厩舎で休んでいるため、それを迎えに行かなければならない。
途中、遺体の横を通るのは正直堪えた。
中には脳漿をぶちまけている遺体もあり、ホルモンの類が苦手な僕には見るに耐えない。
きっと今日も悪夢にうなされるだろう。
サフラも僕と同じ気持ちらしく、両手で目を塞いでいる。
何とか厩舎にたどり着いた頃には、二人揃って顔色が青くなっていた。
「…大丈夫か?」
「うん…何とか…」
「亜人なら平気なんだけどな…」
「人とは違うからね…。私、まだ心臓がドキドキする…」
サフラは両手で胸を押さえ、何とか気持ちを落ち着けようとしている。
僕も胃液が逆流する不快な感覚があるものの、今は気持ちを強く持って乗り切るしかない。
「サフラってさ、馬の扱いは出来たりするか?」
「出来るよ。お父さんに教えてもらったからね」
「じゃあ、御者頼めるか?」
「うん。やってみるね」
サフラは手際よく飼い葉と水を用意して馬に与えた。
その間に馬具の準備をしながら馬車の点検をする。
特にトラブルなどは見つからなかったので、餌を食べ終えるのを見届けて厩舎をあとにした。
落ちている遺体に注意しながら馬車を進める。
この馬車は、一頭で幌が付いた四輪の荷台を引く標準的な乗り物だ。
荷台は数人の大人が乗っても平気なほど広いため、一度にたくさんの荷物を運ぶのに重宝する。
さらに、荷台を引く馬の数を増やせば、運べる量も増えるようだ。
しかし、駆け出しの行商人であればこの程度でも十分仕事になる。
前世で言うところの軽トラックに相当する乗り物だろうか。
僕らはまず広場でグッタリとしているエキドナを見つけた。
かなり衰弱はしているものの息はあるようだ。
しかし、弾が貫通した箇所を見たが傷口がなくなっていた。
服に穴が残っているところを見ると、彼女もまた身代わりのコインを持っていたのだろう。
僕は井戸から水を汲み、桶で頭から水を浴びせ目を覚ませてやる事にした。
「起きろ。死んではいないんだろう?」
「…貴様、こんな事をして…ただで済むと思うなよ…」
疲れ果てているのか、昨日までの勢いはない。
むしろ、虚ろな瞳には焦点が定まっていなかった。
「これからお前たちをハンターギルドに引き渡す。わかったら黙って馬車に乗れ」
「ギルド…律儀だねぇアンタ。ここで殺してしまえば話は済むって言うのに」
「それが望みなら今すぐ殺してやる。だが、俺たちは殺しがしたいわけじゃない。だから俺たちの正当性をギルドに認めてもらうためにお前たちを連行するんだ」
「…なるほど。これだけ私の仲間を殺しておきながら、自分は悪くない、そう言いたいんだね…」
「気持ちの問題だ。お前の仲間を殺した事実は変わらない。だがな、正当防衛だと認めてもらえれば、このモヤモヤした気持ちが少しは治まるんだよ」
嘘は言っていない。
このまま何もなかったと自身に言い聞かせて、旅を続ける事もできるが、それではこのモヤモヤした気持ちが治まる事はないだろう。
ケジメをつけると言う意味で、これはどうしてもやっておかなければならない儀式のようなものだ。
「…今、お前たちって言ったね。…他に誰が居るんだい?」
「テューポンと名前も知らない部下の男だ。これからそいつらを迎えに行く」
「あの人が生きているのかい…そうかい、わかったよ。そこをどいとくれ、邪魔だよ」
エキドナは縛られたまま器用に身体を起こし、その足で自ら馬車に乗り込んで行った。
それを見届けると、今度は部下の男を隠した物陰へと向かった。
こちらはただ気絶をさせただけなので、特に外傷はない。
武器も奪い無力化しているので、短剣をチラつかせて反抗心を削いでから馬車に押し込んだ。
男は馬車の中でエキドナの姿を見つけて声をあげたが、僕が一喝すると黙って腰を降ろした。
次は宿の二階に放置していたテューポンを回収する。
昨日は首筋に蹴りを入れて手足を縛っておいたが、あのまま死ぬ事はないだろう。
サフラに二人を見張るよう言って、テューポンの元へと向かった。
本来なら今の時間は、旅人たちが旅支度を整えてチェックアウトをする頃だが、今は誰の気配も無い。
遊園地にあるお化け屋敷のように静まり返った廊下を通り、階段を駆け上って二階へ向かう。
ここで、用心にと左手に短剣を握った。
しかし、テューポンが倒れていた部屋に着くと、そこに姿はなく、代わりに微かな血痕が点々と続いているのを見つけた。
傷を与えた覚えは無かったが、壁に顔面をぶつけた時に鼻血を出したのだろう。
どうやら縛られたままの状態で部屋を抜け出し、どこかに姿を隠したようだ。
仕方なく血痕を頼りに足取りを追った。
血痕は一階へと続いていた。
そして、その先で倒れているテューポンを発見した。
手は後ろに縛られたままで、ピクリとも動かない。
死んでいるのではと心配になったが、微かに寝息が聞こえている。
どうやらここで力尽きて眠ってしまったようだ。
眠っているようだが、突然起き上がって反撃されないとも限らない。
しかし、縛っておいた結び目が解けないよう、何重にも結んでおいたため、心配には及ばなかった。
意識を確認するため、足先で身体を揺すってみたが反応はなかった。
「…起きろ、お前を連行する」
僕は眠っているテューポンの尻に蹴りを入れ、手荒な朝の挨拶をする。
痛みに驚いた彼は、慌てて身体を反転させた。
しかし、両手を後ろ手で縛られているため、すぐにバランスを崩して横に倒れてしまった。
「き、貴様、やはり私を殺しに来たのか!」
「違う。お前たちをハンターギルドへ引き渡し、俺たちの正当性を認めさせるコマになってもらう」
「…そういうことか。しかし、私を生かしておいたことを後悔することになるぞ?」
「何とでも言え。ただし、少しでも反抗的な態度を見せれば望み通り心臓を一突きにしてやるからな」
極めて冷静に、しかし、冷徹さを忘れないように、短剣を鼻先に突きつけた。
その気になればこのまま殺す事も出来る。
僕の覚悟が本気だと悟ったテューポンはすぐに無言になって指示に従った。
馬車に戻るとサフラの様子がおかしい事に気が付いた。
聞いてみると先ほど馬車に乗せた部下の男が反抗的な態度を取ったらしく、制圧するために短剣の柄頭で頭部を殴打したようだ。
「…それでアイツはのびてるわけか。サフラ、お前は正しい事をしたんだ。気に病む事はないぞ?」
「…うん。私は大丈夫だったんだけどね、あのまま殺してしまいそうになった自分が怖かったの」
「なるほど…。まあ、悩むならそうなった時にすればいいさ。今はそうなってはいない。これが事実だろ?」
サフラを納得させテューポンを馬車に押し込んだ。
これで役者が揃った事になる。
あとはギルドへ出向いて状況を説明した後、彼らを引き渡せばいい。
サフラによれば、ここより半日ほど歩いたところに町があるようだ。
馬車の速度なら正午を迎える前にたどり着くだろう。
僕は右手に銃と左手に短剣を構え、三人を見張りながらの移動となった。
後ろ向きで馬車に乗るのは少し身体に堪えるが、大切な事なのでやめる事はできない。
三人も僕に隙が無い事を察し、反抗的な態度は見せなかった。
次の町に着くまでの間エキドナに気になった事を質問してみる事にした。
「エキドナ、一つ聞きたいことがある。お前、昨日撃たれた傷はどうした?」
「フン、そんなことを聞いてどうするんだい?」
「いいから正直に答えろ。女だからって反抗すれば容赦しない」
短剣をチラつかせると、彼女は萎縮して肩を震わせた。
やはり脅すなら銃よりも刃物の方が恐怖を伝えやすい。
「…きっと、エルフから奪った銀貨だろうね。身代わりの魔法が掛けられた珍しい品だと聞いているよ」
「お前もそれを持っていたのか。なるほど、合点がいった」
「…そうか、お前も銀貨を持っていたのか。死んだと思っていたが、なるほど…」
「あぁ、撃たれた時はさすがに死んだと思ったがな」
テューポンは苦虫を噛み潰したような顔をした。
「勉強になったよ。今度から二度殺すことにしよう」
「…私はアンタを狙った事を後悔しているよ。まったく…こんな若造にいいようにされて、死んだ方がマシだったよ」
「殺して欲しいのならこの場で殺す事も可能だ。まあ、この状態で街道に捨て置けば亜人に嬲り殺さるだろうな」
「…アンタ、顔に似合わず残酷なことを思いつくんだね。私らよりよほど悪党じゃないか」
「お前たちと一緒にするな。世の中、力のあるものが正義、そういう事だ」
死人に口なしとはよく言ったものだ。
実際、死人は何も語らないし何も伝えられない。
死んでしまえば肉の塊になって土に還るしかないのだから。
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