シーン 31
改稿済み:2012/07/29
何事も平穏無事と言うのは大切だ。
厄介事はない方がいいに決まっている。
だけど、この世界に来てからと言うもの、そう言った希望は叶わなくなってしまったらしい。
これまで、いくつかの厄介事と付き合ってきたせいか、最近は“それ”が起こる前にある前兆が現われるようになった。
それは、首筋に感じる違和感と言う形で体現されている。
今も首筋が敏感に危険を感じ取り、これから起こるであろう“それ”に向けた序章を伝えていた。
僕ら一行は日暮れの前に小さな村で宿を取り、揃って食事を済ませた。
その後、各部屋に戻って水浴びを済ませ「さあ、寝よう」、そんな時だった。
一階の部屋で休んでいたバドックが突然悲鳴を上げ、宿の中は騒然となった。
同時に首筋の違和感は痛みへと変わっていった。
「悲鳴!?…サフラ、起きろ!嫌な気配がする」
「な、何…この嫌な空気…」
宿の外からは、むせかえるような殺気を感じ取った。
まるで肉食獣が獲物を捕まえる前に見せる静かな殺意だ。
しかし、この殺気はゴブリンやオークが発する一方的な悪意ではない。
むしろ、明確な殺意を感じる。
その殺気を放つ気配が一つ、二つ、三つと増えていった。
気が付いた時には、複数の殺気が宿全体を覆い尽くしていた。
「…マズいな。サフラ、身を守る準備だ。必要なら煙袋も使う」
「この気配…やっぱりアレだよね?」
「あぁ、間違いない。まったく…亜人なら心おきなく戦えるのにな…。胸くそ悪いぜ」
まだ敵の姿は確認したわけではないが、これは人間が発する殺気だ。
ニーナやクオルが亜人に向けていたモノとよく似ている。
今は状況が把握できていないので、下手に動き回るのは危険だろう。
こう言う時は冷静に物事の経過を観察する事も必要になる。
特に相手が多勢であれば尚更だ。
「ここから感じる気配だけで五人。いや、もっと居るだろうな」
「少しずつ数が増えてるよ。どうしよう…」
「相手の目的がわからないが、バドックさんの悲鳴から察するにお友達ってワケじゃなさそうだ」
「お兄ちゃん…私、人に刃物を向けたことはないの。戦うの嫌だな…」
「俺だって出来れば人殺しなんてしたくないさ。ただ、こっちの命が危ないって言うなら話は別だ」
「うん…私、ちゃんとできるかな…」
「やるしかないだろ。相手がニーナみたいなヤツらじゃない事を祈ろうぜ」
僕らは気配を殺して廊下に出た。
一階に殺気を感じるものの、まだ二階は安全のようだ。
今の内に同じ階に部屋を取ったラトキフとメイリーンと合流する事にした。
まずは隣の部屋に居るラトキフから。
扉の前で中に呼びかけると、怯えた声のラトキフが出迎えてくれた。
「レ、レイジ、これは一体…」
「何者かに宿が襲撃を受けています。一体、誰がこんな…」
「お兄ちゃん、窓の外に五人、うんん、八人くらい見えるよ」
カーテンの隙間から様子を伺っていたサフラが深い溜め息を漏らした。
相手はそれぞれが武器を持ち、統率された動きで宿を取り囲んでいる。
相手がただの悪漢なら制圧は簡単だろうが、統率された動きをする相手となれば話は別だ。
ゴブリンのように本能に従順で、次の行動を予測しやすい相手なら話は別なのだが。
「仕方ない。向こうの目的や出方がわからない以上、こっちから動くのは危険だ。とりあえずメイリーンさんと合流して作戦を立てよう」
「あぁ、彼女も心配しているはずだ」
メイリーンの部屋は同じフロアの角部屋で、近くには非常階段もある。
非常階段は逃げ出す退路として申し分ないが、敵が潜んでいる可能性もあるので迂闊に近付く事はできない。
僕らは息を潜めながら真っ暗な廊下を移動すると、メイリーンの部屋の前に立った。
バドックの悲鳴のあと、外の敵は増えているが一階は不思議と静まり返っている。
この静寂が一時的なものなのか、それとも嵐の前の静けさなのかはわからない。
手遅れになる前に手を打つ必要がある。
「メイリーンさん、レイジです。入ります!」
一言断って中に入った。
鍵はかかっていなかったので扉はすんなりと開いたものの、室内は真っ暗でメイリーンの姿はなかった。
「居ない?どこに行ったんだ」
「お兄ちゃん、メイリーンさんの武器がないの。もしかしたら、一人で外へ…?」
「その可能性は否定できないな。彼女、腕に自信があるようだったけど、多勢が相手では勝ち目がない」
「は、早く助けに行きましょう。バドックさんもどうなっている事やら…」
バドックの安否については何となくだが把握できている。
さっき廊下を歩いた時、一階から人の気配はしていなかった。
仮にバドックが無事なら応戦しているはずだから、少なからず物音や声が聞こえるはずだ。
それがないと言う事は、すでに亡くなったか、それとも拘束された事になる。
長年バウンティーハンターを生業にしてきたのだから、それなりに腕に覚えはあるはずだ。
同時に、そのバドックを制圧できるほどの敵勢力が攻めて来た事を意味している。
「今は動かない方がいい。この暗闇だ、どこに敵が潜んでいる事か…」
「ラトキフさん、相手に何か心当たりはありませんか?」
「心当たり…そういえば、国中を移動する傭兵団の噂を聞いた事がある」
「傭兵団?」
「えぇ、彼らは戦争を生業する殺人集団です。時には亜人と戦うこともあるが、その本質は人間を殺す事にある。ヤツらは国民の安全を守るハンターとは対極の存在だ」
ラトキフによれば、傭兵団の本職は村々を襲い食料や金品を奪う事だ。
この襲撃もその一つだろうと付け加えた。
「クソッ…相手が人間だと調子が狂うな。何とかして解決策を見つけないと…」
「仮にヤツらが傭兵団だとしても、これ以上の情報は持ち合わせていない。申し訳ないが、契約通り私を守って欲しい」
契約というのは、キャラバンを結成する時に交わした約束の事だ。
キャラバンのリーダーである行商人は、馬車の旅を保障する代わりに、同行者は最優先で行商人を守らなければならない。
他にも細かな契約を交わすケースもあるようだが、今回は無事に帝都へ着くというのが目的であるため、この他の契約はなされていなかった。
「俺から離れなければ守るのは難しくはないはずです。だけど、いざとなれば馬車を捨てる覚悟だけはしておいてください」
「わかった…」
僕らが様子を伺っていると、外で動きがあった。
宿を取り囲むように配備されていた人員が一斉に動き出し、同じ方向へ移動を始めた。
向かったのは食品などを扱う雑貨店だ。
窓から様子を伺うと、一団は躊躇なく店の扉を破り、中からは男性の悲鳴が聞こえた。
どうやら無差別に殺戮を繰り返しているわけではなく、本来の目的である食料の調達を優先しているようだ。
しかし、ここで疑問が残る。
何故、一階にいたバドックだけが襲われ、二階にいる僕らに危害を加えられなかったのかと言う点だ。
「…急に辺りが静かになった。でも、何だこの違和感は…」
僕の首筋はいつにも増して不快感が押し寄せていた。
それは次第にジワリとした痛みに変わっていく。
耐えられないほどの痛みではないが、長く続くなら精神的に参ってしまいそうだ。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「…何でもない。ただ、嫌な予感がする」
「こ、ここは安全なのか?必要なら外に逃げなければ…」
「落ち着いてください、ラトキフさん。とりあえず、今は安全でしょう。どうやら相手も俺たちの事まで把握していないみたいだ」
「そ、そうか…」
しかし、安堵が広がったのはその一瞬までだった。
外では別の悲鳴が上がった。
今度は女性のものだ。
窓から確認しようにも、暗い村の中では、一体何が行われているのかわからない。
少しでも明かりがあればと思うものの、それは同時に僕らの位置を相手に知らせる事にもなる。
もどかしい気持ちと不安が増大していった。
そんな中、一件の民家から煙が上がった。
どうやら襲撃した建物に火を放ったらしい。
鉄筋コンクリート造の建物ならすぐに延焼する事はないが、この世界の建物は木造の簡素な作りなのですぐに炎は広がっていく。
放火された建物はあっという間に炎に包まれ、巨大な松明のように村を照らした。
「あ…あ…あッ…」
それを見てサフラは頭を抱えた。
どうやら自分の村が襲われた記憶を思い出してしまったらしい。
肩を震わせ呼吸が早くなっている。
「サフラ、落ち着け!俺はココに居るぞ」
「はぁ…はぁ…。うん…お兄ちゃん、手…握ってて」
動悸がするのか、サフラは苦しそうに左手で胸を押さえた。
今、僕ができるのは、少しでも彼女の不安を取り除く事だ。
そのためにもこの状況を早く打開しなければならない。
ただ、それが簡単に出来れば苦労はしないが、解決策が見つからない現状では、下手に動く事はできない。
そんな中、一団がまた別の家を襲い始めた。
このままでは再び宿が標的になるのは時間の問題だろう。
これ以上状況が悪くなる前にこちらから動くしかなさそうだ。
「…俺が行く。サフラとラトキフさんはここに居てくれ。サフラ、危険があったら自分で身を守るんだ。お前なら出来る」
「お、お兄ちゃん…」
「ラトキフさん、アナタはコレを。何も持っていないよりはいいでしょう」
腰に差していたマインゴーシュを抜きラトキフに手渡した。
彼が腰に差している短剣よりは頼りになるだろう。
「でも…キミは?」
「コイツがあれば十分です。短剣は飾りみたいなものなんで」
「そうか…。必ず無事で帰って来てくれ」
「えぇ、もちろんそのつもりです」
二人の無事を祈って部屋の外に飛び出した。
二回目の襲撃イベントです。今度の相手は人間。それも初めて、人と戦います。チートのような能力を持った主人公ですが、前回同様簡単に終わらせてしまうのか、それとも…?
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