シーン 26
改稿済み:2012/07/25
朝。
宿の客室から外を見ると、作業着姿の男たちがスコップやツルハシを手に歩いていく姿が見えた。
方角からしてトンネルを目指しているのだろう。
予定では今日中に工事が終わるはずだ。
今のところ工事に遅れが出ているという話は聞かない。
そろそろ僕らも出発の準備を整えた方がよさそうだ。
サフラはいつもより少し遅れて目を覚ますと、恒例となったサンドイッチ作りに励んだ。
僕はパンの間に干し肉のスライスを挟み、サフラは表面に蜂蜜をたっぷりと塗って頬張った。
朝食としては質素だが不満はない。
日本人なら朝食にご飯、味噌汁、焼き魚、漬け物が欲しくなるところだが、この世界でそれを求めるのは酷だ。
それでも、機会があれば作って見たいと思うものの、味噌や醤油を作るところから始めなければならない。
すでに酒場のメニューで確認はしているが、この世界にも米はあるようだ。
ただし、日本人が見慣れたジャポニカ米ではなく、細長い形をしたインディカ米だった。
調理法も“炊く”のではなく、生米と野菜を炒めて提供されている。
見た目や中に入っている具材こそ違うが、スペインのパエリアに似た料理だ。
さらに驚いたのは、米は主食ではなく野菜に分類される事。
つまり、サラダとして扱われる。
他にも、味噌や醤油の原料になる大豆も見つけたが、どこか微妙に違った印象だった。
魚については、周りに海がないため滅多に見掛ける事はない。
あったとしても、小型の淡水魚や乾燥した近海魚ばかりだ。
遠洋に棲むマグロのような大型回遊魚については、専門に捕る漁師が少なく、超が付くほどの高級食材になるのだとか。
朝食を食べ終えると、今日はのんびりと過ごす事に決めた。
のんびりと言っても、客室でグダグダと過ごすわけではない。
町に出て買い物をしようというわけだ。
露店が立ち並ぶ通りを歩きながら店を物色していく。
先日は、必要なモノを求めて町の中を彷徨い歩いたが、今日は特にコレといった目的を決めていない。
気になるものがあれば買ってしまおうと言う程度の気持ちだ。
「お兄ちゃん、何か見たいものでもあるの?」
「いや、特に決めてない。便利そうなモノ、ウマそうなモノがあれば買おうかって程度だ。サフラは何か欲しいものあるか?」
「うーん、今のところ欲しい物はないけど、美味しいものがあったら食べたいよね」
「だよな。何か名物でもあればいいんだが…」
などと話し合って町を散策していると、一軒の露店から美味しそうな匂いが漂ってきた。
覗いてみると、何かの肉を焼いた串焼きの店だとわかる。
店主に聞いてみたところ、この町では珍しいスパイスを使った牛肉の串焼きらしい。
スパイスと言うのだから、きっと辛いのだろうと思ったが、珍しいと言われれば食べたみたくなってしまう。
怖いもの見たさの精神と食欲を誘う匂いに説得され、店主に声を掛けた。
「これを二つ貰おう」
「毎度ッ!」
商品を受け取って代金を払うと、さっそく店先で一口食べてみた。
口に含んだ感想は、よく焼けた肉というくらいで、特に辛いだの甘いだのと言う違いはない。
しかし、肉をかみ締めていくと、次第に口の中にコショウのような辛さが広がり、遅れてサンショウの香りがした。
サフラによれば、これらの香辛料は主にイーストランドが原産で、ウエストランドでは希少なモノらしい。
希少な理由は二つあり、生産に適した農地の問題と輸送コストの問題がある。
特に、コショウは肉料理によく使われる代表的なスパイスだと言うのは前世から変わらない。
そのほとんどは、商売熱心なとある上流貴族が買占めているため、庶民の口に入る頃には多額の税金が掛かってしまう。
どちらにしても、稀少と聞けばありがたい気持ちになるのは不思議だ。
「どうした?難しい顔して」
「…とっても辛い」
「アレ…?辛いの苦手だっけ?」
「うん…実はそう」
「何だ、辛いのが苦手なら先に言えばいいのに」
「だって…お兄ちゃんと一緒のもが食べたかったんだもん」
少し涙目になりながら二口目を口に含んだ。
苦手なら食べなければいいのにとは思ったが、本人が止めようとしないので黙ってみている事にした。
しかし、辛さを我慢して表情がどんどん曇っていく。
「あ、あのな、無理に食べなくてもいいんだぞ?」
「だ、大丈夫…だと…思う」
結局、サフラは無理をして全部食べきった。
この辺りの根性は感心してしまう。
僕は彼女の労をねぎらって水の入った革袋を差し出した。
「水、飲むだろ?」
「うん…ありがとう」
サフラはそれを受け取ると、そのまま一気に喉を潤した。
相当無理をしていたのだろう。
次回からはなるべく辛い物を候補から外した方がよさそうだ。
「…うぅ、まだ舌がヒリヒリする」
「大丈夫か?確か、辛い物には牛乳が合うんだったよな。舌がヒリヒリするなら、水を飲むよりそちの方がよく効くみたいだぞ」
「牛乳?何で?」
「うーん、俺も専門家じゃないから詳しく知らないけど、牛乳の乳脂肪が舌にある味蕾をコーティングするから…だったはずだ。実際に試したことがあるから間違いないと思うぞ」
「ニュウシボウ?ミライ?」
サフラの頭にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見える。
僕も普段ほとんど使わない単語だが、これでも一応前世は大学生だった。
「乳脂肪は牛乳の成分で、味蕾は舌が味を感じるセンサーだ」
「そうなんだ。お兄ちゃんって何でも知ってるんだね」
「何でもは知らないさ。それに、この世界の常識には疎い方だぞ?」
「じゃあ、お兄ちゃんが知らない事は私が出来る限り教えてあげるね」
「あぁ、よろしく頼む」
別の露店を目指して再び歩みを進めた。
次に目に止まったのはアクセサリーを売る露店だ。
指輪やネックレスなどオーソドックスな物から、宝石の原石まで置いてある。
その中の一つを手にとってサフラに手渡してみた。
「コレなんてどうだ?似合うんじゃないか?」
「コレ何?凄く綺麗」
「ミサンガだ。この宝石はなんだろうな?」
手に取ったのは、琥珀色の宝石をあしらった組み紐のアクセサリーだ。
店主によれば宝石はイエロートパーズらしい。
「黄色の石は縁起がいいよな」
「そうなの?」
「あぁ、日本じゃあ、黄色は金運、変化、成りたい自分になるとかって意味があってさ。特に金運を意識して財布を黄色にする人も居るくらいだ」
「そうなんだ。うーん、金運は興味ないけど、成りたい自分になれるってイイよね」
「気に入ったなら買ってやるぞ?」
「いいの?」
「あぁ、だけど大切にするんだぞ?」
「はーい」
店主に代金を支払い、ミサンガを受け取ると、サフラはそれを右の足首に巻いた。
出会った頃の彼女ならプレゼントを遠慮するところだが、これも短剣を手に入れた時に変わった新しい一面なのだろう。
身に付けたミサンガを見て笑みを浮かべる彼女を見て、僕も思わず笑顔になった。
「よし、次行こうぜ、次」
「はーい」
あてもなく町の中を歩いていると、ニーナの後ろ姿を見つけた。
しかし、彼女は急いでいる様子で、そのまま雑踏に紛れて見失ってしまった。
特に用があったというわけではないが、あれほど長い間一緒に居ただけに、少し寂しい気もする。
サフラはニーナに気づいていなかったようで、露店に目を奪われていた。
「…うーん、こうして町の中を歩いてみると結構広いよな」
「そうだね。私の住んでたところとは大違いだよ」
「そうだ、一つ気になるところがあるんだ。寄ってもいいか?」
「いいよ?でも、どこに行くの?」
「ちょっとな。着いてこればわかるさ」
サフラの手を引き、僕らはある場所を目指した。
目指したのは、町の一画にある火薬の専門店だ。
基本的に、鉄鉱石を採掘する鉱夫御用達の店だが、一般向けへの販売も一部の商品に限って行われている。
僕が気になっているのは、黒色火薬を使った商品だ。
「着いたぞ」
「ここ?」
「あぁ、中に入ってみよう」
中に入ると黒く煤けた店内に、ネグロイドのような長身の男性がカウンターの向こうに立っていた。
この世界にも肌の色が黒い人種はいるようだ。
「いらっしゃい。どんな御用で?」
「少し商品を見せてもらいたい」
「えっと…鉱夫ってわけじゃなさそうだね。販売できる商品は限られるが、いいかい?」
「えぇ、見せて貰える商品だけでいいですよ」
「では、少々お待ちを」
店員は商品を取りに店の奥へと消えた。
僕らは彼が戻ってくるまでの間、店の中にある商品を眺め、時間を潰す事にした。
しかし、鉱夫御用達の店というだけあり、スコップやツルハシなどの商品が大半を占めている。
どうやら火薬を利用した道具は店内に陳列していないようだ。
少しの火気でも爆発する恐れがあるため、当たり前の対応と言えばそれまでだが。
しばらくすると、男性が置くから木箱に入った商品を持ってきた。
「今ある商品はこれだけだよ」
「これは?」
「鉱夫が使う発破装置の簡易版さ」
「なるほど…こういう商品が売ってるのか」
「何に使うの?」
「うーん、出来れば敵に襲われた時に使えないかと思ってな」
構想としては、これを使ってゴブリンやオークを一網打尽にしようという計画だ。
特に、バレルゴブリンと戦った時の様な集団戦で大いに活躍するだろう。
これをうまく使いこなす事ができれば、今後の立ち回り方も変わってくるはずだ。
実際に目にしたソレは、思っていたよりも小型で携帯に便利そうな形をしている。
大きさはテニスのボールよりも少し小さい球体だ。
工夫さすれば、腰のポシェットに三つ四つは入れられるだろうか。
ご意見・ご感想・誤字脱字の指摘があればよろしくお願いします。