シーン 182
狙い澄ました一撃は、空を切ってホリンズに襲い掛かった。
しかし、引き金を引くギリギリまで余裕を見せていた彼は、口元をいやらしく歪めると、向かってくる弾を真っ二つに切り裂き、床に破片が転がって辺りが静かになった。
彼を見ると、持っている剣の刀身が青白く輝いている。
「…保険をかけておいて良かった。一瞬でも判断が遅れていたら危なかったよ」
「お前…今、弾を!?」
「この期に及んでまだ驚くつもりかい?まあ、最後だから、驚いたついでにネタばらしをしようか。僕は全ての弾が見えているわけじゃない。もちろん、一部は見えているモノもあるけどね」
「じゃあ…一体…」
「全てはこの剣の能力さ。世にも珍しい意志を持った剣。ちょうどあの子が持っている鞭と原理は一緒だよ。だけど、根本的に違うのは、先ほどキミを拘束したクリスタルを操る能力も使えると言う事さ。この魔具は他に例を見ない一級品でね。元々はエルフの王家に伝わる神器だったんだ」
「神器…だと?」
「そうさ。最もオリジナルのオリハルコンに近い魔具。中には“命を貪る魔剣”と呼ぶ者を居たかな」
元々、魔具の能力を引き出すには使用者のエーテルに強く依存する。
彼が直接ゴーレムを操った時と、そうでない時の強さを比較すればわかりやすい。
問題は底が見えないエーテルの許容量にある。
先ほどから魔具に頼りきりの戦いをしているが、疲弊している様子は見られない。
「…それが余裕の源か」
「別に教える必要はなかったからね。実力が拮抗している相手に手の内を見せたら負けてしまうだろう?」
「拮抗…か。キツい冗談だな」
「キミだって、その物騒な銃は切り札のつもりだったんだろう?僕に通じないと知った時の顔が全てを物語っていたよ」
ホリンズはゆっくりと近付きながら剣を構えた。
生き残る手段はこれまでと変わらない。
しかし、彼に集中する時間を与えず能力を押さえ込んでも、攻撃が通用しなければ勝つ事はできない。
それに、最高の破壊力を誇る頼りの重機関銃も通用しないとなれば、もはや打つ手はなかった。
「じゃあ、そろそろ終わりにしようか。今まで僕を邪魔してくれてどうもありがとう。そして、永遠にさようなら…」
「くッ!?」
ホリンズの攻撃に備えて重機関銃から拳銃に持ち替え、左手に短剣を手に取った。
次の瞬間、ホリンズは高く飛び上がると、天井を足場にして全体重を乗せた鋭い突きを放ってきた。
彼の体格は一般的な成人男性に比べれば小柄だが、一点に集中した突きは凄まじい貫通力を発生させる。
僕は左手の短剣を差し出して攻撃の軌道を変えると、身体を後退させながら拳銃で応戦した。
しかし、ホリンズはすぐに体勢を立て直すと、体勢を低くして下段から右斜め上に剣を切り上げてきた。
僕は、何とか身体を反応させて防御を試みたものの、勢いに負けた短剣は弾かれて壁際まで吹き飛んでいった。
唯一の防御の手段を失った事で、左側の守りが手薄になり、ホリンズの放った後ろ回し蹴りを鳩尾に受け、身体がくの字に折れ曲がった。
込み上げて来る胃液を吐き出し、全身に言いようのない恐怖が襲ってくる。
首筋に感じるいつもの危険信号は、血管が破裂するのではないかと言うほど限界に達していた。
ホリンズは、膝をつく僕にもう一度前蹴りを入れ、身体を壁際まで吹き飛ばした。
「立てよ。キミの実力はその程度かい?」
「…バカ…言うな…。まだ…終わって…ない…」
口では強がりを言ってみるものの、身体の痛みに耐えられず身体を起こす事ができない。
辛うじてホリンズを睨みつけ、戦意が失われてない事をアピールする。
そんな時、床に落ちていた何かが左手に当たった。
それは、サフラが普段から身に付けていたペンダントだった。
どうやら、ホリンズの掌低打ちを受けた弾みでここまで飛んできたらしい。
僕はすがるようにそれを掴み、強く握り締めると、ペンダントは眩い光を放って拳銃に姿を変えた。
同時に少しだけ身体の痛みが和らぎ、何とか立ち上がる事ができた。
「何!?そのペンダントはまさか…」
「あぁ…ユエさんが持っていたモノだ。伝わってくるぜ!サフラやユエさんの思いが!!」
オリハルコンにはそれまでの所有者の思いを記憶する能力がある。
その思いが左手の拳銃から脳裏に流れ込んできた。
今の僕なら、当時のユエがどんな気持ちでホリンズから離れたのか、それがよくわかった。
脳裏には、彼女が経験したトラウマのイメージが投影された。
それは、エーテルが暴走し、自身がドラゴンの姿に変わった事で、ホリンズや村の者たちは彼女を恐ろしいモノを見るような目で見つめているシーンだ。
彼女は、自身の姿がドラゴンに変質してしまった事、周りの者たちに恐怖を与えてしまった事、住み慣れた村を破壊してしまった事など、いくつかの要因が重なった事で彼らの前から姿を消したのだ。
それが彼らに出来るせめてもの罪滅ぼしだと信じて…。
「嘘だ…信じないぞ…。オリハルコンから人の思いが伝わるなんてありえない!そうか…キミは僕を騙そうと言うんだな。この期に及んで…どこまで僕を侮辱する気だ!!」
「違う!俺はお前を救いたいんだ!!俺もお前と同じ転生者だから。家族を失った悲しみがわかるから。だから、俺の話を聞け!!!」
「うるさい…うるさい、うるさい!僕は間違ってない。僕はいつだって正しいんだ!!」
「そうやって逃げ続けるのか!?これは現実なんだよ!受け入れろ、この大バカヤローッ!!」
「ば、バカヤロウ?どこまで僕を侮辱すれば気が済むんだ。頭にきた。キミがいけないんだ。そう、僕は悪くない。悪くないんだ!」
ホリンズは半狂乱になると、目を剥いて僕に向かってきた。
その姿にいつもの余裕は一切感じられない。
そこにあるのは僕に対する明確な殺意だけだ。
こうなってしまえば誰の言葉も彼の耳には届かない。
唇を噛んで怒りを押さえ込み、両手の拳銃をホリンズに向けて一斉掃射を放った。
しかし、ホリンズは弾を避けようとはせず、そのまま僕に襲いかかってきた。
それは、捨て身の策と言うより、怒りに我を忘れた結果だった。
僕は慌てて左手の拳銃をサーベルに持ち替え、彼の一撃を受け止めると、腹部に前蹴りを放って彼を吹き飛ばした。
彼はそのまま後頭部を床に強く打ちつけて動きが鈍くなった。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「痛い…痛いよ…姉さん。助けて…助けてよ、ユエ姉さん!どこに居るんだよ!!」
ホリンズは持っていた剣を投げ捨てると、自らの肩を抱いて大声で泣き叫び、ユエの名前を呼んだ。
僕が放ったいくつかの弾は彼の身体を貫通し、それぞれ右腕、左足、右脇腹に風穴を開けている。
特に、左脇腹の銃創はこのまま放っておけば命を落としかねない致命傷だ。
また、先ほど“最後のコイン”と言っていたため、傷が回復する事はなかった。
全身を襲う痛みに苦しむホリンズは、まるで幼い子どもに戻ったように駄々をこね、ひたすら泣き叫んでいる。
「これは…幼児退行?そうか、頭を強くぶつけたから…」
「キミは…何故こんな酷い事をするの?僕が何をしたっていうんだッ!」
「待て、今動けば傷口が開くぞ!」
「うるさい!僕に指図するな!!」
ホリンズは落ちていた剣を拾い上げると、防御の姿勢も取らずに飛び掛ってきた。
僕は無意識に左手の剣を前に差し出すと、彼の身体は吸い込まれるように切っ先に突き刺さった。
剣は銃創のある右脇腹から背中にかけて貫通し、傷口からは血しぶきが舞った。
「ほ、ホリンズ!」
「あ、あれ…おかしいな…。こんなはずじゃ…」
「クッ、どうしてこんな…!?」
「ま、待って…今、姉さんの声が…。間違いない…姉さんの声だ。一体…どこから…」
「おい、しっかりしろ!すぐに止血を…」
「うるさいな…今、姉さんの声を聞いているんだ!静かにしてくれよ…」
ホリンズは、脇腹に刺さったままの剣を素手で握り引き抜こうとしている。
しかし、剣を引き抜けば血が噴出すだけだ。
「やめろ!死にたいのか!!」
「…ねぇ、変なんだ…。剣から…姉さんの声が…聞こえるんだ…」
「え!?」
それを聞いて先ほどの体験を思い出した。
オリハルコンには使用者の思いが宿る。
今の彼は、剣を通じてユエの気持ちに触れていた。
「そうか…。これが姉さんの気持ち…だったんだ…。まったく…自分勝手…だよ…」
そう言うと、ホリンズは刺さっていた剣を思い切り抜き取り、辺りに血が散乱した。
それと同時に、彼の表情が苦悶に歪む。
並みの人間なら今の行動でショック死していただろう。
それでも、このまま放っておけば失血死してしまう。
僕は膝をついたホリンズを床に寝かせ、傷口を両手で押さえた。
しかし、手から零れ落ちた大量の血液は、次第に大きな血溜まりを作っていく。
「クソッ、何で止まらないんだ!止まれ、止まれよ!!」
「キミは…一体…何をしているんだい?今まで…僕を…殺そうとしていたじゃないか…。変…だよ…」
「違う、俺はお前を救いたかった!間違った道を歩もうとするお前を見ていられなかったんだ!!」
「間違った道…か。そう…だね…。もっと早く…姉さんの…気持ちを…知っていれば…」
「待て、死ぬな!まだお前はやり直せる。生きてさえいれば、お前の姉さんにだって会えるんだよ!!お互いに誤解したまま死ぬなんて、そんなの不幸だ!!!」
気が付くと視界がぼやけていた。
それが涙によるものだと知ったのは、彼がそっと僕の頬を指で撫でたからだ。
「…まさかキミが…僕のために泣いてくれる…なんて…」
「当たり前だろ!死なれたら困るんだよ!!」
「困る…か…。でも、これは報い…なんだ…。これまで…いっぱい…殺して…きた…から…。だから…僕は…この運命を…受け入れ…る…」
そう言ってホリンズはゆっくりと目を閉じた。
「待て、待てって!…そうだ、あの薬を!!」
僕はポシェットから小豆ほどの大きさの“赤い玉”を取り出した。
これを手渡してくれたヴェロニカの説明によれば、一時的にエーテルを回復させる薬で、名前をエーテルドライブと言う。
しかし、この薬は“身代わりのコイン”のように外傷を癒すのではなく、精神的に受けた傷にのみ作用する。
ただ、僕の経験上、エーテルは生命の生きる力そのものだ。
生きる気力が甦れば、彼も目を覚ますのではないか。
僕はエーテルドライブを無理やり口に押し込んで飲み込ませた。
「…ゴホッ、ゴホッ…キミ…一体…何を…」
「気付いたか?エーテルを回復させる薬を飲ませた」
「エーテルを…?でも…無駄だよ…。もう…身体が…寒いんだ…。血を…失い…過ぎた…。レイジ…頼みが…ある…。僕を…殺せ…」
「お、お前何を!?」
「それが…僕に出来る…償い…だよ…」
「出来るわけないだろ!俺はお前を助けたいんだ。何故わかってくれない!!」
「僕は…どのみち…助からない…。キミに…看取って…欲しいんだ…」
彼の言う通り、この状況では助かる見込みは限りなくゼロだ。
いくらエーテルを回復させたところで、外傷が回復したわけではない。
彼は一時的に回復したエーテルのおかげで、生きる気力を取り戻し、何とか意識だけは保っている。
それでも、肉体的な死が訪れるのは時間の問題だ。
このまま苦しみの中で死を待つのは、人生の幕切れとしてあまりにも辛い事だった。
僕は涙で霞む視界の中で、拳銃を彼の額に向けた。
「…本当に…こうするしかないのか?何か、何か方法が…」
「レイジ…頼む…。僕のために…泣いてくれて…ありがとう…」
「クソッ…クソッ!この…大バカヤローッ!!」
僕は叫びながら引き金を引くと、ホリンズはそのまま息を引き取った。
彼が死ぬ間際に見せた顔は、いつも僕を見下すように浮かべていた笑顔だった。
僕は、何も言わなくなった彼の亡骸を抱え、音もなく泣いた。
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