シーン 181
サフラはホリンズの攻撃をよく耐えている。
鞭で剣撃を受け流し、得意の短剣で隙を見ては突きを入れる場面も見られるようになり、少しずつ反撃に転じるきっかけを作りつつあった。
しかし、元々の実力に大きな差があるため、何か奇跡でも起きなければ彼女に勝ち目はない。
ホリンズは、攻撃のテンポに緩急をつけ、何とか鞭の防御をかいくぐろうとしている。
今はまだ鞭の反応速度が勝っているものの、彼が本気を出せば形勢が逆転するのは時間の問題だろう。
僕は自由に動かせる左手を使い、右手に絡みつく氷を短剣の柄頭で思い切り叩いた。
しかし、普通の氷ではないのか、破壊するどころか傷一つ付ける事ができない。
冷静になって腕の氷を見つめると、不思議な点に気が付いた。
これは一見すれば氷だが、冷たいと感じない言う点だ。
これらの状況から察するに、ニーナと同系統の魔具ではないのだろう。
彼女の場合、何もない空間に氷を出現させるのではなく、周囲の水分を利用して氷を作り出している。
氷と言うからには触ればもちろん冷たい。
それに、長い間氷漬けになっていれば凍傷にもなるだろう。
一体この氷は何で出来ているのか、現時点でそれを計り知る事はできなかった。
それでも、僕は諦めずにこの拘束を取り払おうと手は尽くし、短剣の柄頭で何度も叩き続けた。
「…無駄だよ。さっきキミがその拘束を解いたのはきっと何かの間違いさ。キミは大人しくそこで見ているんだね。お楽しみが終わったらすぐに楽にしてあげるよ」
ホリンズは止む事のない剣撃を加えながら僕を一瞥した。
余裕がある彼とは対照的に、サフラは防戦一方で徐々に体力が奪われている。
それでも鞭が剣撃を受け流している事で、彼女は今のところ幸いに無傷だ。
「クソッ、どうすればいい。何か方法は…」
藁にもすがる思いでポシェットの中に手を入れると、丸い物が手に当たった。
球体からは短く切った導火線のロープが伸びている。
それは、施設を破壊する切り札にと、イベールから受け取ったアサルトボムだ。
アサルトボムは、あの悪魔を倒した可燃性の薬液“イベールスペシャル”と、炸裂弾にも使われる黒色火薬を主な原料にしている。
イベールから受けた説明によれば、ダイナマイトのようなモノで、導火線に着火して使用する。
また、悪魔の頭を粉々にした火炎瓶とは違い、原液を火薬に染み込ませ薄めている事から、火力はいくらか劣るだろう。
それでも、ホリンズの身体を軽々と吹き飛ばした炸裂弾よりは威力が高いはずだ。
いきなり実戦で使うと言う面で、威力については未知数な部分が大きい。
暴発して自滅という最悪のパターンも想像された。
それに、元は彼の計画を潰す切り札として持ち込んだモノだ
しかし、このままホリンズにやられてしまっては元も子もない。
本来予定していた用途とは異なるが、この状況を打破するためには僅かな可能性にも賭けて見るしかなかった。
持っていた短剣をベルトに引っ掛け、片手だけで導火線への着火を試みる。
ポシェットは腰骨の部分にあり、首を捻っても直接見る事はできない。
また、ホリンズに気付かれないためにも、怪しまれずに準備する必要がある。
問題は、片手でアサルトボムと着火用の烈火石を同時に持ち、炎を正確に導火線へ移す事だ。
しかし、手元が少しでも狂えば炎が直接本体に引火して暴発してしまう。
繊細な指さばきと同時に、暴発の恐怖を恐れない大胆さが必要だ。
徐々に劣勢になるサフラを心配しながら、慎重な作業が求められた。
「そろそろ飽きたな。キミの実力はよくわかったよ。相手の動きを瞬時に分析する能力は賞賛に値するね。それに、小さな身体を利用した体捌きもなかなかのものだよ。だけど、非力を完全に補いきれていないね。それだと、僕が少し力を出したら簡単に潰れてしまうよ?」
「…そんな事、アナタに言われなくてもわかっています!」
「あれ?怒ったかい。ほら、集中力が切れかかってるよ?」
ホリンズはサフラが放った短剣を剣で払い、一歩踏み込むとガードが甘くなった彼女の腹部に左手で“掌底打ち”を放った。
これは、格闘技や武道における打撃技の一種で、“掌打”、“掌底”などと略称で呼ばれており、正拳突きやパンチなどと比べ、打撃対象の内部により重いダメージを与える技だ。
技名は、掌の手首に近い肉厚の部分、または付け根の堅い部分で相手を叩く事に由来している。
また、相撲等で使われる突っ張りや張り手も掌底打ちに共通した技だ。
サフラは初めて見る技に対応が遅れ、身体が“くの字”に折れ曲がると、悲鳴をあげて身体が数メートル後方に吹き飛んだ。
その弾みで、何かが外れて部屋の隅に転がっていった。
吹き飛ばされたサフラはグッタリとしてうつ伏せなり、立ち上がる気配はない。
「ほ、ホリンズ!貴様!!」
「あーあ、この程度で幕切れとはね。彼を殺す前座としては楽しめたけど、少し物足りなかったな」
「お前だけは殺す…」
「おやおや、物騒な事を言うね。また冷静さを失って拘束を解くつもりかい?だけど、それは無理だよ。僕は同じ失敗を二度も繰り返さない。感情的になってエーテルを暴走させてもそれは外せないよ」
「…外す必要はない。お前相手に動く必要なんてないからな!俺に勝つつもりなら全力で向かって来い!!」
「ふふ…いいよ、どんな策があるのか知らないけど、その挑発に乗ってあげるよ」
アサルトボムを使って反撃するには、ホリンズが油断している今をおいて他にない。
狙うタイミングは回避行動を取るのが不可能と思われる一瞬だ。
翼を持たない人間は、足場のない空中で自由に動き回る事はできない。
つまり、狙うのは彼が駆け出して両足が地面から離れる瞬間だ。
彼の場合、走っている時に一歩で進む距離は最大で八メートル。
この距離は、前世における女子の走り幅跳び選手が打ち立てた世界記録よりも長い。
ホリンズは蹴り足に力を入れると、床を思い切り蹴って加速した。
「今だッ!」
僕は導火線の根元に炎を引火させると、彼に向かってアサルトボムを投げ付けた。
予定通り空中にいる一瞬を狙ったため、ホリンズは回避行動を取ることが出来ず、ダイナマイトと並みの爆炎に呑み込まれ姿が見えなくなった。
同時に塔を揺るがすほどの衝撃波が伝わり、熱風が襲い掛かると左手で顔を覆った。
爆炎が収束するのを待っていると、僕の身体を拘束していた氷が粉々に砕け散り自由になった。
「…終わったか。今の一撃で生きていたら化け物だよな。そんなことより、サフラッ!」
僕は急いでサフラの元に駆け寄った。
倒れていた身体を起こし胸に耳を当てると、規則正しい心音が聞こえてきた。
どうやら気を失っているだけのようだ。
身体を見渡しても外傷はなく、しばらくすれば意識を取り戻すだろう。
安堵したと同時に、背後で気配を感じた。
「…痛てて。さすがに今のは死んだと思ったよ。まさかあんな爆弾を隠し持っていたとはね。想定外だ」
「ホリンズ!?」
振り向くと爆風で舞い上がった粉塵の向こうに人影が見えた。
二本の足で立っているところ見ると、今の爆発を何らかの理由で耐えたようだ。
「まったく…おかげで最後の一枚が台無しだ。まあ、元々そのためのモノだから仕方ないか」
「お前…まさか!?」
「そう、身代わりのコインだよ。コインは頭さえ無事なら大抵の傷は復元してくれる。キミも知っているだろう?」
「チッ…準備がいいんだな」
「最低限の備えさ。おかげで冷静になれた。ここからは今までの僕じゃないよ。もちろん、手加減はなしよ」
語気こそ変わらないが、ホリンズの殺気で周りの空気がビリビリと震えている。
彼は剣を握り直すと思い切り床を蹴った。
先ほどまでと違うのは纏っている雰囲気だけではない。
速力だけ取り上げても今まで倍程度はあるだろうか。
瞬きをするよりも速く距離を詰めると、剣を横に引いて強烈な一撃を放ってきた。
今まではギリギリでかわせる剣速だったが、今回の速さは別格で避け切れそうにない。
咄嗟にベルトに掛けていた短剣を引き抜き、剣撃を受け止めた。
しかし、あまりにも重い剣圧に、短剣だけでは耐えられず、そのまま身体が後方に吹き飛ばされてしまった。
尻餅をついた僕は、慌てて拳銃で反撃をしながら立ち上がり、サフラを巻き込まないよう距離を取った。
「お前…本当に人間か?」
「おかしな事を言うんだな。その質問に何か意味があるのかい?時間稼ぎだとしたら無駄だよ。キミが何かしようとした瞬間に首を刎ねてやる」
「やはり化け物か…」
この場を生き残るためには、剣の間合いに入らず、能力を使わせない事だ。
それをするにはひたすら銃を撃つしかない。
しかし、ホリンズはここに来て銃弾を避けるのではなく、剣で弾くようになった。
いくら弾を撃っても高速で奔る剣の前には拳銃も無力だ。
同じ手が通用しないなら攻め方を変えるしかない。
意識を集中して拳銃から自動小銃に持ち替えた。
「ん?それは見た事がない銃だな。だけど、どんな手を使っても無駄だよ」
「そんな事…やってみなければわからない!」
ホリンズの間合に入らないよう、フロアの中を走りながら自動小銃を構えた。
この銃を使う場合、両手で抱えるように持たなければいけないため、左手の短剣は使えなくなってしまう。
剣撃を防ぐ手段がなくなってしまうのは考え物だが、悩んでいる暇はなかった。
この銃の利点は連射速度が早く、拳銃よりも貫通力がある点だ。
特に前者の場合、最大で毎分六百発もの弾が発射できる。
また、リロードの必要がないため、性能をフルに発揮しても弾切れや弾が詰る心配もない。
引き金を引き続けて絶えず弾を放つと、さすがのホリンズも剣だけで受けきる事はできなかった。
しかし、絶え間なく銃を撃っても、一発として弾が当たる気配はない。
「何故だ、何故当たらない!」
「無駄さ、もう見切ったよ。初動さ把握すれば造作もない」
「それなら…!」
僕は最後の手段にと、重機関銃を手に取った。
この銃の利点は破壊力に優れる点だ。
あの手強いエントすらも蜂の巣にして殲滅したのは記憶に新しい。
しかし、利点以上に問題点もある。
この銃は長大な銃身を持つため、運用するには三脚を使って固定しなければならない。
オリハルコンの特性で銃そのものの重さを感じないものの、自動小銃のように持ち運ぶには大振りで、どうしても機動力を欠いてしまう。
それでも、この銃から放たれた弾なら、彼に当たらないまでも、持っている剣を破壊する見込みは十分にあるだろう。
「今度はずいぶんと物騒な銃だな。まるで大砲だ」
「余裕で居られるのも今のうちだ!」
「面白いね。以前に比べて随分オリハルコンの扱いが上手になったじゃないか?いいよ、やってごらん。まあ、どの道キミに勝ち目はないけどね」
ホリンズは、いまだに余裕の表情を浮かべ、この戦いそのものを楽しんでいた。
しかし、余裕は必ず隙を生む。
その僅かな隙間を縫って勝利を掴み取るしかない。
ここで決められなければ勝利の可能性は限りなくゼロになる。
勝敗を分かつ一撃になるため、慎重に照準を合わせて引き金を引いた。
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