シーン 179
戦いの最中、ホリンズは正面にあった別の隠し扉を開くと、上の階にのみ通じる階段をゆっくり登っていった。
彼はセシルの勝利を確信しているのか、戦いそのものには興味がないようだ。
そんな余裕もあって、僕らの様子を気にする素振りは一切なかった。
彼が冷徹で自分勝手に振る舞う姿に憤りを覚えつつも、心の内に闇を抱えるきっかけとなった、実姉の気持ちを伝えられずにはいられない。
このまま誤解を抱えて間違った道を進む事だけは許せなかった。
皇帝に言わせれば、この気持ちは間違っているかもしれないが、どうしても納得が出来ない部分があった。
「…レイジ、お前の考えている事はわかるつもりだ。この場は我々が預かる。お前はヤツを追え!」
アルマハウドはセシルを見据えたまま僕に告げた。
「しかし、それではお前たちが!?」
「心配するな。二人でも抑える事は十分可能だろう。お前はヤツを倒してこの戦いを終わらせるんだ!」
「ふん…私も低く見られたらものだな。まさか二人で相手をしようとは…。いいだろう、その心意気を買ってやる。父上の命には反するが、ここを通してやらない事もない。レイジ、サフラ、好きに通るがいい。そして、父上の恐ろしさに絶望するがいいさ」
セシルは僕らに向けていた殺気を収めると、ニーナとアルマハウドに集中した。
彼女の言葉を鵜呑みにするなら、このまま脇を抜けてホリンズの背中を追いかければいい。
少し様子を伺ってみたが、彼女は僕に対する興味をなくしているように見える。
「…なんだ、早く行かないのか?」
「生憎、敵の言葉を“はい、そうですか”何て鵜呑みに出来るほど人間が出来ていないんでね」
「ふむ…そう言う事か。私としては、これでもキミの事を多少なりとも評価しているつもりだよ?それに、私は一度口にした事は守る質でね。約束は守ろう」
「だからって、裏切り者の言葉を信じるとでも?」
「別に裏切ったわけじゃないさ。始めから“そのつもり”だったんだよ。仕方ない…ほら、さっさと行け」
そう言うとセシルは構えていた剣を鞘に収めた。
しかし、ニーナとアルマハウドに向けられたら殺気はそのままになっている。
彼女がその気になれば抜刀して攻撃に転じるまで、瞬きをする僅かな時間で事足りるだろう。
どちらにしても、ホリンズを追うなら彼女をやり過ごす他はない。
「私たちを無視して話を進めないで欲しいな。レイジ、キミたちの背中は私が命に代えても必ず守る。そのまま駆け抜けろ!」
「命に代えても…か。私もあまり気が長い質ではない。気が変わらないうちに先へ行くのをオススメするよ」
セシルは二人の動きに注意しながら、脇を通るよう手でジェスチャーをしている。
「…レイジ、ここはニーナさんたちに任せて…ね?」
サフラは僕の服の裾を掴んで上目使いをしている。
彼女自身、不安な気持ちは拭い切れていないものの、僕らが成すべき目的を忘れてはいなかった。
ここは何があっても、無理やりにでも先に進むしかない。
二人を残していくのは心苦しいが、下の階層に残してきた仲間の事もあり、二人だけを特別扱いするわけにもいかなかった。
ならば、心を鬼にして二人の気持ちを無駄にしない事が、今出来る唯一の選択肢とも言える。
悩んだ末に決断してサフラの手を取った。
「…父上は上の階だ。道に迷う事はないだろう」
「いいか、セシル!俺はお前の事を許したわけじゃない。この計画を止めてから決着をつけてやるからな!!」
「…それはお前が生きて居れば、いずれ決着をつける事もできるだろうさ。まあ、生きていればだがね」
僕はサフラと手を繋いだままホリンズが使った隠し扉まで駆け出した。
その間、セシルはまったく興味がないと言った様子で僕らを一瞥すると、脇を完全に通り過ぎたところで剣を抜いた。
「意外だな。貴様が約束を守るとは」
「言っただろう?初めから画策さえしていなければ裏切ったりしないさ。…さて、そろそろ始めようか。第二ラウンドだ」
僕らが階段を登り始めると、背後で激しく剣と剣がぶつかり合う音が聞こえてきた。
後ろ髪を引かれる思いだが、今は二人の無事を祈る事しかできない。
唇を噛みしめ、もどかしい気持ちを紛らわしながら、この先に居るホリンズの背中を追った。
階段は次の階で終わっており、扉を開くとその中にホリンズの姿を見つけた。
彼は壁一面に設置された百インチ以上ある巨大なディスプレイ装置を眺め、そこに映し出された映像に見入っていた。
映像は塔の中を映し出しており、画面が切り替わると下の階の様子が映った。
「ホリンズ!」
「レイジ…そうか、姿が見えないと思ったら、セシルがキミたちを通したのか。まったく…ウチの娘は僕に似て気分屋だな」
「観念しろ。もう逃がさないぞ」
「逃がさない?別に僕は逃げるつもりなんてないさ。それに、僕はムシの居所が悪い。娘の失敗をカバーするのは父親の役目だからね…キミの命を持って晴らさせてもらうよ」
ホリンズはおもむろにローブを脱ぎ捨て、腰に差していたサーベルを手にした。
刀身はミスリル銀特有の輝きを放っている事から、何らかの能力を持った魔具だと推測される。
しかし、能力がわからない以上、迂闊に近付く事はできない。
僕は拳銃を取り出すと、彼に銃口を向けた。
サフラも険しい顔で鞭と短剣を構え戦闘態勢に入った。
「…行くよ」
ホリンズはカミソリのように鋭い視線で僕を睨みつけると、解き放たれた矢のように床を力強く蹴って間合いを詰めてきた。
決して見切れない速さではないため、一歩横に飛び退いて攻撃をかわすと、拳銃で反撃を試みた。
しかし、ホリンズは意図も容易く銃弾を避けると、体勢を立て直してもう一度斬り掛かってきた。
切り替えの速さはニーナやアルマハウドの比ではない。
おそらく、世界中を探しても彼ほど素早く立ち回れる者はいないだろう。
彼の娘であるセシルよりも正確で無駄のない足運びだ。
僕としては、頭で次の攻撃が来ると認識出来ても、身体はなかなかすぐに反応する事は出来なかった。
コンマ数秒の判断が遅れてしまい、彼が真横に払った凶刃が脇腹をかすめた。
僕は拳銃で牽制しながらホリンズから距離を取るため後ろに下がった。
「…へえ、今のを避けるんだ?嫌だな…もっと力を出さなきゃいけないなんて。キミがいけないんだよ?今ので死んでいれば苦しまずに済んだかもしれないのに」
「勝手な事を言うな!俺はこんな所で死ぬわけにはいかないんだ。俺たちの帰りを待っているヤツらのためにな!!」
「なんだい…また家族ごっこの話をしているのか?つくづくキミと言う男は僕の気持ちを逆撫でするのが得意なんだね…」
ホリンズは再び強烈な殺気を放つと、周囲の空気を微かに振るわせた。
おそらく、気の弱い者がこの殺気を当てられれば、恐怖を覚えて立っていられなくなるだろう。
僕自身も出来ることなら逃げ出したいくらいだ。
言葉使いこそ普段と変わらないが、その裏に隠されている副音声の部分には辛辣と憤慨の感情で埋め尽くされている。
ホリンズは僕が瞬きをする一瞬に狙いを定めると、体勢を低くして一気に間合を詰めてきた。
お互いの距離は十メートルほど離れていたが、彼はたったの一歩で僕の目の前までやってきた。
彼は僕の胴を真っ二つにするように、低い位置から右斜め上に剣撃を放った。
その瞬間、すぐ後ろにいたサフラが僕の肩を後ろに引っ張ると、剣は身体の数ミリ手前を通り過ぎた。
「ちッ…邪魔立てしないでくれないか?キミがいくら姉さんの孫だからって、誤って殺しかねない」
「…私は、レイジが死ぬところなんて見たくない!いくら、アナタがおばあちゃんの弟だとしても、私と血の繋がりがある人だとしても!!」
サフラは肩を震わせながらもホリンズを睨んでいる。
「へえ…見れば見るほど姉さんにそっくりだ。ホント…昔を思い出すな」
「お前、そんなにユエさんの事を思っているなら、俺の話を聞いてくれ。それがお前のためにもなるんだ」
「ふん…キミは何様のつもりだい?そんな作り話を信じられるわけがないだろう。第一、僕は何年も姉さんを探し回ったさ!だけど、どうしても見つからなかった。だからこの計画を思いついたんだ。それを邪魔しようとするキミを僕は許さない。絶対にだ」
「だから誤解なんだ。お前もユエさんも。話を聞いてくれ!」
「うるさい!もういい、楽に殺してやろうと思ったが止めだ。楽に死ねると思うなよ」
ホリンズは持っていた剣に意識を集中すると、刀身が青白く輝いた。
次の瞬間、彼の身体も青白く輝き、周りの空気が冷たくなっていった。
「レイジ、これを使って!」
サフラは腰に差していたもう一本の短剣を僕に手渡してきた。
これで剣撃に対処せよと言う事らしい。
短剣の扱いには慣れていないものの、何もないよりはマシだ。
短剣を左手に持って、右手の拳銃をホリンズに向けた。
「…そんな物で防げるほど僕の攻撃は甘くないよ」
ホリンズは剣を真横に一振りすると、刃から冷気を帯びた冷たい風が噴出した。
次の瞬間、身体の表面が徐々に凍結を始め、完全に身動きが取れなくなった。
これはニーナが扱う魔具と同系統の技だ。
離れた場所の相手を凍結させる能力は、相手の動きを完全に封じてしまうため、攻撃を避けると言う概念がなくなってしまう。
その気になれば身体の芯まで凍らせる事も可能なのだろう。
それをしなかったのは、僕を苦しませて殺すと言った言葉が裏付けている。
身体は動かないが意識があると言う状況は、自分が斬られる瞬間をハッキリと自覚する。
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