シーン 171
悪魔は船の左舷と船首の中ほどにいる。
グスタフで狙うには、砲身を回転させれば問題はないが、出来る限り引きつけて撃ちたいところだ。
距離が遠くなれば命中精度や威力が大きく低下する。
特に、船上は予期せぬ横波を受けてバランスを崩す事もあるため、地上に比べて信頼性に欠ける部分は否めない。
それに、今回は初めて実戦で使用するため、狙い通りに運用出来るのか怪しいところだ。
僕はグスタフの砲門を悪魔に向け、右手を挙げてニーナに合図を送った。
ニーナは剣に意識を集中すると、次の瞬間には流氷のような厚さが一メートル近くある氷塊が出現し、それが悪魔を中心に半径十メートルほどに広がった。
氷の大きさは、大人数人が上に乗ることが出来るほどだ。
同時に、甲板にいたハンターたちが歓声をあげた。
昨晩は暗闇でよく見えなかったため、彼女の能力を初めて目にする者も少なくない。
ニーナは役目を終えると、その場にへたり込んでしまった。
昨晩よりもさらに広範囲を凍結させたため、立っていられないほど疲弊したらしい。
サフラは動けなくなった彼女に肩を貸し、安全なところまで移動していった。
彼女の行為を無駄にしないよう、烈火石で導火線に火をつける。
一瞬の間を置き、轟音と共に放たれた砲弾は、氷塊を粉々に砕きながら身動きがとれない悪魔を直撃した。
しかし、砲弾が頭に命中したものの、悪魔は大人しくなるどころか暴れ出してしまった。
「みんな、何かに掴まれーッ!」
咄嗟に叫んで注意を促したが、悪魔が引き起こした横波で船体が大きく傾き、甲板にいた数人のハンターが海に投げ出されてしまった。
救命胴衣をつけていないため、一度海に落ちてしまえば助かる見込みはない。
救助に向かおうにも、悪魔が巨大な口を広げて襲い掛かり、ハンターたちは一瞬のうちに呑み込まれてしまった。
「クソッ…バレルゴブリンの時と同じだ!アイツ、痛みで我を忘れてるんだ」
サフラに支えられたニーナが毒づいた。
以前、トンネルの中で戦ったバレルゴブリンも、首に受けた傷が原因で怒り狂い、我を忘れて大暴れした。
あの時は、天井が崩落するほどの被害があり、数日間通行止めになるという事態に発展した。
今回は、海の上と言う事もあり、悪魔が暴れるたびに横波が発生して船体が大きく傾いた。
何かに掴まっていなければ簡単に海に投げ出されてしまう。
それでも、悪魔の動きはジワリジワリと緩慢になり、やがてピタリと動きが止まり、口を大きく開けて目を見開いた。
どうやら痛みに耐え切れず脳震盪のような状態に陥ったらしい。
「レイジ、今だ!ヤツの口に“アレ”を放り込め!!」
甲板から戦況を見守っていたコルグスの叫び声が聞こえた。
彼の言う“アレ”とは、このために用意していたイベールスペシャルの事だ。
今なら動きが止まっているため、口の中に放り込む事くらい造作もない。
考えるよりも早く身体が動き、蓋になっているコルクに火を付けると、口に向かって投げ付け、拳銃を使って口の中に飛び込んだ瓶を破壊した。
すると、口の中で飛び散った薬液が炎に引火し、高さ五メートル以上の火柱と共に、熱風を伴った爆裂音が襲った。
頭は熱風を爆発で砕け散り、辺りには肉の焼け爛れた匂いが漂い、残された身体はそのまま海底へと沈み見えなくなった。
「…や、やった!男爵が悪魔を仕留めたぞーッ!!」
「凄い、凄すぎる…」
「英雄だ…彼は英雄だぞ!」
「い、一体どうなっているんだ…瓶を投げたと思ったら急に爆発したぞ!?」
「凄い…あの方について行けば勝てる、勝てるぞ!」
船内のあちらこちらから歓声とどよめきが聞こえてきた。
歓声をあげているのはハンターたちがほとんどで、驚いて居るのはドワーフやウェアウルフたちだ。
僕自身、イベールが作った火炎瓶の威力には驚いている。
むしろ、あんなものを至近距離で使えば、こちらも無事では済まない威力だ。
この調子では、僕が命名した“アサルトボム”の方も危険な代物だろう。
取り扱いには十分注意が必要だ。
「驚いた…あれがイベールの作った道具か。さすがは国で随一の研究者だ」
戦闘が終結した余韻に浸っていると、僕の元に皇帝が駆けつけてくれた。
傍らにはアルマハウドの姿もある。
「さすがに私も驚きました。まさかあれほどとは…」
「だが、あの化け物を退ける事ができた。そなたのおかげだ」
「ですが、仲間が数人やられました…。私がもっとシッカリしていれば…」
「気を落とす事はない。あれほどの化け物だ、船が沈没しても不思議ではなかった。それに、ここに集った仲間は死を覚悟した者ばかりだ。彼らの事は残念だったが、落ち込んでいる暇はないぞ?」
皇帝は気丈に答えた。
決して亡くなった仲間たちの事を気にしていないわけではないが、落ち込んでいても何の解決にもならない。
俯いている時間があるのなら、少しでも前へ進めて言うことだ。
それがこの戦いで亡くなった仲間の弔いでもある。
僕は海に散った仲間に黙祷を捧げると、皇帝とアルマハウドも海を眺めて彼らの死を悼んだ。
悪魔を退けて以来、航海は順調だった。
この辺りの海域は悪魔が支配していたため、船を襲うような海洋生物は現われなかった。
そして、時刻が昼にさしかかろうとした頃、進行方向に大陸の姿が見えてきた。
「ジャイアントランドだ!総員、上陸の準備だ!!」
船長は船員たちに指示を飛ばした。
ジャイアントランドには船を接岸する港がないため、上陸には小型の手漕ぎボートを使う。
上陸のために用意されたボートは全部で二十台あり、その中には食料や物資を専門に運ぶものもある。
皇帝も一緒に上陸するつもりらしく、最後までアルマハウドと揉めている姿を見た。
いくら司令塔として参加するとは言え、ジャイアントが徘徊する島に上陸するのは自殺行為と言っても過言ではない。
それでも、間近で戦況を見守る事が務めだと主張したため、アルマハウドは渋々それを了承した。
「…お前も大変だな」
「わかってくれるか…。だが、これも私の務めだ。そのためにこの地位を希望したのだから」
「わかってるよ。ただ、お前の力を必要としているのは俺も同じだ。必要があれば力を貸して欲しい。頼めるか?」
「極力善処しよう。だが、私の本分は陛下に従うことだ。陛下が火の中へ飛び込めと言えば、私は躊躇せずそうするよ」
「そうだったな。わかった、お前はお前の役目をまっとうしてくれ」
アルマハウドは力強く頷いてくれた。
今の時点は彼が一緒に同行してくれるのか怪しいところだ。
それでも、無理に連れて行く事はできない。
彼が同行するか否かは皇帝の判断に委ねられる事になった。
「いよいよだね。準備はいい?」
船室に戻るとすでに準備を済ませたサフラが待っていた。
いつでも戦えるよう、腰に武器を携えている。
頭には僕がプレゼントした髪飾りをつけていた。
「俺の方は問題ない。そういえば、ニーナはどうした?アイツ、精神的に疲れてるはずだろう?」
「ニーナさんは…えっと…風に当たりたいって。きっと、私たちに気を使ってくれたんだと思う」
「気を使うって…。アイツ、そう言うところは繊細なんだよな。今さら気を使う必要はないと思うけどさ」
「私は…感謝してるよ?だって、二人きりになれる最後のチャンスかもしれないし」
そう言うとサフラは僕の胸に飛び込んできた。
彼女はそのまま腕を腰に回し、力強く抱きしめてきた。
よく見ると彼女の肩が小刻みに揺れているのが見える。
緊張と不安に押しつぶされそうになっている事がすぐにわかった。
僕だって不安に思っているのだから、彼女がそう感じても不思議ではない。
不安が少しでも和らぐよう、肩を抱いて彼女を優しく包み込んだ。
「…怖いよな。だけど、俺たちは進まなきゃいけない。帰りを待ってるヤツらのためにも、俺たちのためにもな」
「うん。レイジ、ありがとね」
サフラは決意に満ちた表情になり、力強く頷いた。
そして、僕は彼女に優しく口づけをすると、満面の笑みを浮かべてくれた。
「あー…、うーん…、何だ…。邪魔をして悪いが、そろそろ時間だ」
『わッ!?』
背後から突然ニーナの声が聞こえ、二人揃って驚いてしまった。
対するニーナは少し呆れた表情で僕らを見ている。
いつから見られていたのかまったく見当がつかない。
「そんなに驚く事はないだろう…。そりゃ…私だって…仲間に入れて欲しいが…し、仕方ないだろう!」
ニーナは顔を真っ赤にした。
昨晩以来、彼女の女らしさが目立つようになったのは、おそらく気のせいではないだろう。
本人も自覚しているのか、特に演じている様子はない。
自然体だとすれば驚くべき変化だ。
「ば、バカ言うなって!?だ、だよな、サフラ?」
「う、うん…」
「おやおや…すっかり夫婦漫才じゃないか。息もピッタリのようだし、見せ付けられたお姉さんはどうすればいいのやら…」
「ど、どうもしなくていいよ!それより、お前の方は準備できてるのか?」
「もちろんだ。今、ドワーフたちにも声を掛けてきた。彼らも相当やる気になっているようだ」
「そうか。ビルたちはどうだろうな?準備できているといいが」
「それなら問題はない。彼らは特に武器を使わないからな。装備も我々より身軽だ」
「なるほど…じゃあ、問題はなさそうだな」
僕らは準備を終えてボートに乗り換えた。
上陸するのは船から二百メートルほど離れた砂浜だ。
母船を離れたボートは一直線に砂浜を目指し、ジャイアントランドに上陸を果たした。
「聞いてくれ、ここを拠点にしようと思う。万が一、敵に襲われるような事があればボートで船に戻り体勢を立て直してくれ」
僕が代表してみんなに声を掛けた。
皇帝ほど影響力が及ばないと思っていたが、悪魔を倒したことで僕の株価は急上昇したらしく、見つめる仲間たちの視線には熱いモノを感じる。
最終確認のために、一度確認を取ってみたが異論はあがらなかった。
今日は砂浜に陣を張り、明日の朝から侵攻をかける計画だ。
その間に、周囲の状況を確認しなければならない。
そもそも、ホリンズがどこに潜伏しているのかわからないため、調査が必要だった。
万が一、彼らが洞窟や地下の施設に隠れているとすれば、見つけるのは容易な事ではないだろう。
出来れば島を一望できるような高いところから様子を伺いたい。
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