シーン 168
今朝はいつもより早くに目が覚めたため、睡眠時間が足りていないという実感がある。
しかし、弱音を吐いている時間はないため、まだ覚醒しきっていない頭に喝を入れてベッドを離れた。
予定通りなら、そろそろセドアとビルが到着する時刻だ。
まだ眠っている他の宿泊客に注意しながら、日の出より早くに宿を出た。
町の周囲は見通しのいい平原に囲まれている。
そのため、亜人や魔物が姿を隠す場所が少ないため、町を警護するハンターたちは高台に設置した見張台から注意していればいい。
平原に立って周囲を見渡すと、町の北側に十数人の人影が見えた。
「…やはり来たか。律儀に時間通りとは、セドアらしいな」
コルグスは無事に役目を果たした部下を見て安心すると同時に、彼が連れてきた仲間の顔ぶれを見て驚いていた。
彼によれば、ドワーフの戦士には二種類のタイプがある。
コルグスのような怪力自慢の戦士と、セドアのように技巧に長けた戦士だ。
両者を見分けるポイントは主に上半身で、二の腕から手首にかけての筋肉に違いがある。
体型もボディービルダーのような逆三角形をしているため、素人が見てもすぐに理解できるほどの違いだ。
また、人間たちが一般的にドワーフと認識しているのは前者らしい。
顔ぶれを分析したコルグスの話では、セドアは意図的にそれぞれの数が半分になるよう仲間を集めてきたようだ。
「…ただいま戻りました」
セドアはコルグスの顔を見て安堵の表情を浮かべた。
対するコルグスも感慨深いと言った顔で彼を見つめている。
「ご苦労だったな。皆の協力にも感謝する」
「…いえ、コルグス様の頼みとあれば、例え死地とわかっていても臆する事はありません」
集団の中で一番の年長者と思われる男が仰々しく敬礼をしている。
ちょうど戦争映画に描かれるような、上官と部下のやり取りとでも言うべきか。
年齢はコルグスよりも少し若い印象だが、ドワーフの詳しい年齢はよくわからない。
「セドア、これまで人間に襲われる事はなかったか?」
「いえ、闇に紛れて移動してきましたので、そのような心配はありませでした。コルグス様はお変わりありませんでしたか?」
「あぁ、外套を纏って顔を隠していれば問題はなさそうだ。お前たちも準備は出来ているのだろう?」
「はい、その点に抜かりはありません」
セドアも敬礼してコルグスに報告した。
この辺りの連絡も滞りなく行われているようだ。
コルグスも仕事が出来る部下を持って鼻高々と言ったところか。
「みんな、遙々ノースフィールドから駆けつけてもらい感謝する。俺がこの作戦の指揮を取るレイジだ。よろしく頼む」
「…お噂は国王とセドアより聞いております」
年長者をはじめ、僕についての大まかな情報は伝わっているらしい。
元々、今回の作戦には“理解のある者”を選定しているため、当然と言えば当然だ。
特に驚いた様子もないため、これ以上詳しく自己紹介をする必要はないだろう。
「あとはビルを待つだけか。…ん?風下から何か来るぞ」
今度は風下、つまり南の方角から複数の気配を感じた。
振り向くと、目線の先には見覚えのある男を先頭に、ウェアウルフの一団がこちらに向かって来るのが見える。
こちらも人数は十人ほどだ。
姿を隠していないため、一目でウェアウルフだとわかった。
しかし、集団の中にエルフの姿は見つからなかった。
「…どうやら間に合ったようだな。すまん、遅くなった」
「いや、ちょうどいい時間だ。…ん?エルフたちの姿が見えないようだけど、どうだった?」
「…見ての通りだ、申し訳ない。ギリギリまで説得を試みては見たが、やはり彼らの意志は固いようだ。本当に申し訳ない」
彼は二度の謝罪と共に深々と頭を下げてきた。
彼なりに努力はしてみたが、思い通りに事が運ばなかったようだ。
僕としても、全てが思い通りになるとは思っていなかったため、彼を責めるつもりは毛頭ない。
それよりも、これだけのウェアウルフが集まるとは思っても見なかった。
「いや、たくさんの仲間を連れてきてくれて感謝しているよ。エルフの事は残念だったが、彼らにも事情があるのはわかっているつもりさ。俺が交渉した時もニコルには断られたからな」
「…期待させてしまい、すまなかった。だが、エルフから仲間を募れなかった代わりに、こんなものを貰ってきた。戦いに役立てて欲しいとの事だ」
そう言うと、王家の紋章が刻まれたコインを取り出した。
これは以前、“沈黙の指輪”の能力を一度だけ打ち消すと言う説明と共に、それぞれ一枚ずつニコルから受け取ったものだ。
ビルは、そんなコインがたくさん詰った革袋を手渡してくれた。
中身までは把握できないが、重さからして百枚近くあるだろうか。
「国中からそのコインをかき集めてもらったんだ。仲間を貸し出せないせめてもの罪滅ぼしにと、ニコルが渡してくれた」
「ニコルが…。アイツ、口は悪いけど、根はいいヤツだよな。ホント、損な性格をしていると思う」
「ふふッ、本人も自覚があるのだろうな。だが、このコインは非常に助かる。これがあれば、一度と言わず何度も能力の封印を防ぐ事ができそうだ」
「あぁ、アイツの気持ちを無駄にしないよう、俺たちは出来るだけの事をして結果を残そう!」
正午。
ポートガリアでの準備が整い、皇帝が所有する超大型の帆船に乗り込んだ。
船の名前は“クリスティーン号”と言うらしい。
名前の由来は、先代皇帝の妻、つまり、皇帝の母親の名前から付けられたようだ。
最大の特徴は、乗船定員が百名まで対応している点だ。
一般的な漁船の定員が五名から十名と言われているため、この船の巨大さは尋常ではない事がわかる。
船室も大小合わせて二十部屋ほどあり、プライバシーも確保されるようだ。
また、元々軍艦として設計されているため、海上での戦闘も考慮されている。
僕らは皇帝の指示でそれぞれの部屋に移動した。
なるべくドワーフやウェアウルフたちと接触するなと言う通達も出ており、デッキやキャビンなどには、皇帝の息がかかったフランベルクのメンバーが配置されている。
これから丸一日掛けて海を渡り、ジャイアントランドを目指す計画だ。
船はゆっくりと港を離れると、波の穏やかな内海から白波が立つ外海へと進んでいった。
「…思ったより揺れるね」
サフラは初めて乗る船に緊張していた。
陸とは違い、船の上はゆっくりと長い周期の揺れが続いているため、慣れないうちは違和感がある。
僕も前世では、高校生の頃に修学旅行で乗ったフェリー以来、この揺れは久しぶりの経験だった。
また、動力がエンジンではないため、船の中は比較的静かで過ごしやすい。
揺れにさえ慣れてしまえば快適な船旅になるだろう。
「さて…ここまで来たら後には引き返せないぞ」
「いよいよジャイアントランドか。さすがの私もどうなるか見当がつかないよ」
ニーナも表情が少し引きつっている。
サフラのように、船の揺れに対する不安は口にしていないが、内心では動揺しているようだ。
それに加えて、行き先が巨人たち国ともなれば尚更だった。
「なぁ、人間がジャイアントランドに上陸した事って過去にあるのか?」
「うーん…私の知る限りでは、一度だけだな。上陸したのは、新天地を求めて航海をする冒険家だったと聞いている」
「冒険家…そいつは生きて帰ってきたのか?」
「あぁ、本人は生きていた。だが、船は酷い有様で、いつ沈没してもおかしくない状況だったそうだ」
「酷い有様って…まさかジャイアントに襲われたのか?」
「それも多少はあるようだが、それが全てではない。出会ってしまったのさ、“悪魔”に」
彼女の言う悪魔は、以前話に聞いた化け物の事だ。
この話は、船乗りの間では伝説として語り継がれているらしく、冒険家を主人公にした民話も残されているらしい。
僕は気が付かなかったが、ポートガリアには彼の功績を讃えた石造も設置されていたようだ。
「でも、出会ったけれど生きて帰って来れたんだよな。悪魔についての情報って残ってないのか?」
「以前にも聞いていると思うが、蛇のような胴体に翼を持った化け物…それだけしか残っていないんだ。それと、炎に弱いという情報くらいかな。うーん…私より彼の方が詳しいんじゃないか?」
ニーナは同室に居るコルグスを見た。
彼の部屋は別に用意されているが、今は情報を共有するために同席している。
彼も船は初めて乗ったようだが、すでに揺れには適応できたようだ。
「情報か。生憎だが、私が知っているのもその程度だ。こうなる事を前もって知っていればミュージアムで詳しく調べていたんだがな…。何とも歯痒い話だ」
コルグスは腕を組んで深く目を閉じた。
詳しく情報を知っていれば対応もわかっただろう。
しかし、そんなものは理想論でしかない。
今は出来る限りの対応で乗り切るしかないだろう。
もちろん、必ず襲われると決まったわけではないため、運を天に任せるしかない。
「でも、弱点についてはわかっているから、対応次第では何とかなりそうだよな」
「イベールという研究者から貰った道具か。確か…燃える水と言っていたな」
「あぁ、火薬よりも爆発力のある薬品だ。でも、事前にどの程度の威力なのか試せなかったから、ぶっつけ本番なんだよな。思い通り成功するといいが…」
「私も実験の様子は見たが、一滴だけで物凄い爆発だったじゃないか。それが一瓶爆発すれば、大惨事になる事は容易に想像できるな」
「間違いないな…」
少しの衝撃で大爆発を起こすニトログリセリンとは違い、火気がなければ爆発する事はない。
使い方も火炎瓶と似ているため、蓋代わりのコルク栓に火を着ければ、着火するまでの時間も確保する事ができる。
あとは、瓶を投げ付ける際のコントロール次第と言ったところか。
それ以外にも、船首に取り付けたグスタフもあるため、これらを上手に活用するしかない。
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