シーン 153
エルフの里を出てから半日近くが経った。
これまでの行程は予定通りだ。
ニーナは地図を見ながら現在地を確認し、休憩に適した草地を見つけた。
周囲に五百メートルに敵が潜むような岩場や林がないため、不意な襲撃にも対処しやすい。
「よし、ここで休憩だ。サフラ、昼飯の準備を頼む」
「は~い」
間延びした返事とともに昼食の準備が始まった。
昼食と言っても手軽に作れるサンドイッチだ。
ナイフでバゲットに切れ目を入れ、手早く具材を挟んでいく。
全員分のサンドイッチはものの数分で出来あがった。
その間に馬も草をはんで休息を取っている。
そんな時だった。
ビルの耳が聞き慣れない音を感じ取り、全員に警戒を促した。
しかし、音の主は風下から近付いているため、匂いで何者なのか判断は出来ないようだ。
「…聞いた事のない音だ。近いぞ!」
ビルに遅れて僕も気配を感じ取った。
この感覚は以前にも感じたことがある。
同時に地響きのようなものが聞こえてきた。
しかし、不思議と首筋に違和感はない。
それでも、地響きが近付くにつれ、馬が怯えていななき始めた。
僕は馬車の屋根に飛び乗り、気配の主を目視で確認する。
視線の先には、緑色の巨体が特徴の亜人が見えた。
樽のように膨らんだ腹を揺らしながら、取り巻きのゴブリンを十数体引き連れている。
「バレルゴブリンだ!取り巻きのゴブリンが十数体。みんな、戦闘準備だ」
以前戦ったバレルゴブリンより身体が少しスリムだが、それでも体長は三メートル近くある。
口からは涎を垂れ流し、顔が醜く歪んでいた。
また、手には丸太で出来た無骨な棍棒を持っている。
おそらく、バレルゴブリンがそれを振り下ろせば、馬車の荷台を粉砕する威力があるだろう。
取り巻きのゴブリンは短剣や長剣、中には槍を持った者もいる。
動きは統制が取れているため、連携を生かした攻撃には注意が必要だ。
七人の中でいち早く飛び出したのはビルだった。
全身のバネを使って草原を疾走すると、そのまま取り巻きのゴブリンに襲いかかり、先頭を歩いていた一体を鋭い爪で切り裂いた。
続けてサフラとニーナが合流すると、魔具の能力でゴブリンたちを撹乱していく。
僕とセドアは馬車を守る役目を負いつつ、遠距離から狙撃銃で援護射撃をする。
最後に合流したアルマハウドとコルグスは、一直線にバレルゴブリンに襲いかかった。
「デカ物は私に任せろ!」
コルグスはバレルゴブリンに真正面からぶつかり、自慢の斧を横薙ぎにした。
しかし、バレルゴブリンはギリギリのところを斧の一撃を棍棒で受け止めた。
それでも、力に勝るコルグスはさらに腕の筋肉を膨張させると、バレルゴブリンの巨体を吹き飛ばした。
「凄いな、あの巨体が宙を舞ったぞ!さすがコルグスだ」
「…コルグス様の実力のまだ半分も出していない。恐ろしいお方だ」
普段あまり口を開かないセドアが小さくつぶやいた。
その言葉には敬意と畏怖が混在している。
いつも側でコルグスの姿を見ていた彼だから感じる事だ。
再び視線を前線に移すと、戦況が大きく変わろうとしていた。
バレルゴブリンは身体のバランスが良くない。
コルグスの一撃を受けて尻餅をついたまま動けなくなっている。
アルマハウドはその隙を見逃さず、大剣を振りかぶって飛び上がると、バレルゴブリンの頭に強烈な一撃を叩き込んだ。
隙を突かれたバレルゴブリンは、身を守る事が出来ず、頭がトマトのように砕け散り、そのまま絶命した。
残った取り巻きのゴブリンは、指揮系統を失いもはや烏合の衆だ。
一部は背を向けて逃げ出そうとしている。
僕は背を向けたゴブリンに照準を合わせ、無心で引き金を引いた。
後に残ったのは無数の死体だ。
「…ふぅ、終わったな」
「皆さん、見事な腕です。あの化け物たちを瞬殺とは恐れ入りました」
「その分、俺たちは楽できたよな」
それを聞いてセドアは苦笑を浮かべた。
あまり感情を表に出さない彼にしては珍しい事だ。
敵を退けた面々が馬車まで戻ってきた。
バレルゴブリンを仕留めたアルマハウドは、手にした剣にベッタリと血が着いている。
彼はそれを素早く振って血を払うと、剣を鞘に収めた。
「みんな、お疲れさん。さすがだな」
「コルグスさんとアルマハウドさんの連携が良かったよね。ニーナさん、私たちももっと見習わないと!」
「そうだな。能力が戻って戦いの幅も広がったし、試してみたい戦術もある。次はそれを試してみよう」
戦いを終えても興奮が冷めないサフラを除けば、他の面々は落ち着いていた。
過去に戦ったバレルゴブリンは苦戦をした覚えがあるが、今の戦力は当時とは比べ物にならない。
そもそも、ジャイアントより劣るバレルゴブリンが相手だった事を考えれば当たり前の話だ。
これなら、例えドラゴンが相手でも不足はないだろう。
中断していた昼食が終わり、馬車は再び走り出した。
このペースなら明日には帝都に着けるだろう。
単調に流れる景色の中で、御者台のナビゲーター席に座るニーナが口を開いた。
「レイジ、疑問に思ったんだが、我々が帝都に戻る必要はあるのか?」
「ん?どうしたんだよ、急に」
「いや、我々が討つべきホリンズはフォレストメイズにいる。わざわざ帝都に戻る理由がわからなくてな」
ニーナは腕を組んで進行方向を見詰めた。
彼女が指摘する通り、帝都に戻れば時間が掛かってしまう。
もちろん、これにも理由があるのだが、まだみんなには伝えて居なかった事を思い出した。
「悪い、今後の話をしていなかったな。帝都に戻る理由は二つある。一つは消費した物資の調達。もう一つは陛下を通じて貸して貰いたいものがあるんだ」
「最初の理由はわかるが、貸して貰いたいものとは?」
「ずっと前の事だけど、お前が教えてくれた事さ」
「…すまない、何の事だかまったく検討がつかないよ」
「アレだよアレ。鉱山の町で実験してた攻城戦兵器」
「え…?まさか、アレを借りようとしてるのか…」
彼女が驚くのも無理はない。
僕が借りようとしているのは、火薬を使った国家機密級の最新兵器だ。
実際に見た事はないが、以前ニーナが話していた内容が本当なら、“大口径の砲門を備えた移動式の砲台”らしい。
その用途は、堅牢な城壁を破壊するために開発されたもの。
これを使えばホリンズが根城にしている施設を破壊する事ができるかもしれない、そう考えている。
「…キミはバカなのか?」
話を聞き終えたニーナは呆れた顔をしている。
まだ噂でしかない兵器を使うという時点で、彼女には想像もつかないらしい。
「まあ、その辺りは交渉次第だろ?」
「それはそうだが…さすがに話が飛躍しすぎているんじゃないか?第一、使用するには専門の技師が必要だ。そもそも、兵器を守る護衛も必要になる。あまり現実的とは言えないな」
「じゃあ、その技術を学べばどうだ?それに、護衛役はこのメンバーが居れば十分可能だろ」
「学ぶって…簡単に言うが火薬を扱うんだぞ!そんな事が簡単にいくわけ…」
ニーナは話の途中で何かに気付いたようだ。
僕自身、勝算が無いことにこだわったりはしない。
皇帝は僕達に全面的な協力をしてくれると約束をしているため、この要望に応えてもらえる可能性は十分にある。
それらを踏まえた上で、今回の作戦を思いついたわけだ。
「納得してくれたか?」
「…キミは転生者だったな。じゃあ、大砲を扱う技術くらい知っていても不思議ではない…そう思っただけだ」
「自信があるとは断言できないけど、可能性は十分あるさ。理屈が理解できればいいけどな。あとは実際に見て触ってみるだけだ」
「わかった、この件はキミが思うようにすればいい。だが、護衛の件は任せてくれよ?」
バレルゴブリンに襲われて以降、目立った襲撃は起こらなかった。
帝都に近付くほど、ハンターたちが活動するエリアが広がり、亜人や魔物の生息域が極端に狭くなる。
そのため、石畳で舗装された街道に出れば、襲撃の機会は一気に減る。
翌日の昼には、久しぶりの帝都にたどり着いた。
念のため、コルグスとセドア、それにビルは、正体を隠すためにフードの付いた外套を纏わせておく。
あとは、自宅に着いたらそのまま部屋に案内すればいい。
帝都の中は以前の襲撃から復興しつつあった。
ほとんどの瓦礫は撤去され、建物の修復が急ピッチで進んでいる。
資材を積んだ荷馬車が行き交い、左官職人や大工の親方が威勢のいい声をあげながら作業にあたっていた。
順調に復興が進むおかげで、町中を行き交う人の数も増え、地方から集まった行商人が露店を開き、自慢の特産品を販売している。
元の姿に戻るにはもうしばらくかかるだろうが、悲観するような事態はすでに脱していた。
自宅に着くと一階で開店の準備をするマオを見つけた。
相変わらずテキパキと働く姿は感心してしまう。
厨房ではエールが提供する食材の下準備をしていた。
ペオの姿は見えないが、この時間なら二階か中庭で家事をしている頃だろう。
「あッ、レイジ様、おかえりなさいませ」
「ただいま、マオ。留守の間、変わった事はあったかい?」
「そうですね、以前よりお客さんが増えたくらいです」
「本当かい?」
「はい。ペオさんがたくさんお客さんを集めてくれるんですよ」
マオの話を聞く限り、留守の間に変わった事はなかったようだ。
帰る場所があると言う事は、心のよりどころになる。
家を守ってくれた三人に感謝しながら、コルグスたちを家の中に案内した。
コルグスとセドアはこれで二度目だが、初めてのビルはとても緊張しているようだ。
ソファーに座るよう促してもすぐには座らず、耳や鼻を使って周囲に危険がないか確認している。
これは森の中で生活する彼らにとって大切な事らしい。
初めての場所なら尚更のようだ。
「大丈夫だよ。ここは俺の家だし、お前を敵視するようなヤツはいない」
「…そうか。この町はいろいろな音や匂いが溢れている。慣れるまでしばらくかかりそうだ」
「あまり肩に力を入れなくていいから。不便な事があったら言ってくれ。それと、部屋はコルグスたちと相部屋になる。問題はないか?」
「私は構わない」
ソファーでリラックスするコルグスは、髭に手を当てながら応えた。
隣に控えるセドアもコルグスの意見に異論はないようだ。
ビルはそれを見て大きく頷いた。
「じゃあ、俺は馬車を預けて陛下に報告をしてくる。みんなここで休んでいてくれ」
「私も行こう。陛下の御身体が心配だ」
「わかった。サフラ、後の事は任せた」
「うん。気をつけてね」
馬車を厩舎に預け、アルマハウドと二人で宮殿に向かった。
宮殿では門番が僕らを見つけると、いち早く駆けつけ、敬礼をして皇帝に取り次いでくれた。
まだ王の間は復旧していないため、面会は皇帝の自室になる。
宮殿の中は、町の中よりも復旧が進んでいるものの、元の姿に戻るのはしばらくかかりそうだ。
それでも、雨風の侵入を防ぐ簡単な補修はされている。
心なしか、廊下を歩く兵士の数が多いように感じた。
すっかり梅雨ですね。
投稿を始めたのは一月の中頃でしたが、月日が流れるのは早いものです。
ご意見・ご感想・誤字脱字の指摘があればよろしくお願いします。




