シーン 129
移動の時間を短縮するため、昼食は揺れる馬車の中で食べる事になった。
パンを頬張りながら、ニーナと交代で馬を歩かせ続ける。
本来なら、昼食時くらいは馬を休ませた方がいい。
ただ、この馬は、丸一日飲まず食わずでも活動出来るタフな身体を持っている。
あまり急がせなければこのまま歩かせても平気だろう。
「…レイジ、陛下から預かってきたものがある。交渉に必要な物だそうだ」
アルマハウドは荷物の中から手紙を取り出した。
表面には達筆な文字で僕の名前が書かれている。
裏面を見ると律儀に蝋で封がしてあった。
「これ、開けていいのか?」
「あぁ、中を見ればわかるようになっているそうだ」
確認を取って封を開けると、中には僕に宛てた手紙と書類が入っていた。
手紙には書類に関する説明が添えられている。
手紙の内容は、和解に向けた人間側の取り組みと今後の課題、それとホリンズの脅威についてだ。
「なるほど…これが陛下の考えか。この取り組みってところが陛下らしいな」
「陛下は昔から義理堅い性格でな。常に国のことを心配しているんだ」
「つまり、これを相手に見せて誠意を示し、和解に役立てろと言う事か」
「そう言う事だ。私は陛下の“眼”も兼ねている。お前が交渉するありのままの姿を報告するつもりだ」
「わかった。期待に添えるよう努力するよ」
今回の交渉には、人間とドワーフの未来が掛かっていると言っても過言ではない。
身が引き締まる思いで、受け取った手紙に目を通した。
書いてある内容を見ても特に不備は見当たらない。
取り組みの項目には、ドワーフに対する“負のイメージ”を皇帝が率先して払拭していく旨が書かれている。
他に気になったのは、ホリンズの動向についてだ。
皇帝は帝都襲撃の首謀者をホリンズと断定している。
理由は、セシルの執務室に残された小さなメモ用紙だ。
そこには、彼女がホリンズと交信した際、具体的な襲撃方法やこちらの戦力が事細かく記されていた。
そして、メモの内容と前回の襲撃が完全に一致したため、皇帝がそう判断したようだ。
皇帝はそれを踏まえた上で、今回の和解交渉を急いでいる。
手紙に書かれたシナリオによれば、現在の戦力ではホリンズを打ち負かす事が出来ないと想定している。
そのため、強大な力を持つホリンズを出し抜くためには、より柔軟な発想が求められる。
その一つがドワーフの共同戦線だ。
対立する両者が互いに協力する事で、ホリンズに立ち向かおうと考えている。
具体的には、それぞれの種族の中から精鋭を集め、“専門の討伐部隊”を作ると記されていた。
そのため、今回の交渉が持つ意味は極めて重要だ。
「…陛下の考えている事は壮大だが、本当に実現出来るのか、問題はそこだろうな」
アルマハウドは眼を閉じたまま口を真一文字に結んだ。
問題に挙げたのは、人間とドワーフの温度差だった。
特にこの交渉で鍵になるのは、ホリンズに対する敵意の大きさ。
すでに人間側はホリンズを“打倒すべき敵”と認識している。
それに対し、ドワーフ側も同じくらい危機感を持っていなければ、対等な立場で意見を共有する事は出来ない。
つまり、その部分が交渉の行方を左右するだろうと指摘している。
「…あまり難しく考えないでね?」
僕らの話を聞いていたサフラが心配そうな顔をしている。
彼女にしてみれば、自分の祖母の弟が関わっているため、無関係とは言い切れない。
血の繋がりがある以上、気にするなという方が間違っている。
それでも、彼女は自分の心配よりも僕の身を案じてくれた。
だから、そんな彼女を心配させないよう、不安は顔に出さないよう心掛けた。
「大丈夫、やれるだけの事をするまでだ。今回でダメでも、粘り強く話し合っていくつもりだから」
「うん。私も協力するね」
サフラの優しい気持ちに触れて、少し心が軽くなった気がする。
感謝の気持ちを込め、彼女の頭をポンポンと撫でてやると、眼を細くして笑ってくれた。
「…仲がいいのだな」
「家族だからな。俺が思うに、家族ってのはそうものだろう?」
「家族…か。残念だが、私にはそういった繋がりはなくなってしまったんだ。だから、今後もそう言った関係が築けるか、まったく検討もつかないよ」
「繋がりがなくなったって…まさか…」
「察しの通りだ。私の母親は魔物に殺された。父親は戦争で命を落とした。だから、私は戦いを、殺し合いを憎む。だが、振り返ってみれば、これまでの人生はその憎んだモノによって形作られている。まったく、皮肉な話だよ」
そう言って閉じていた瞼を開き、黙って僕らを眺めた。
その瞳はまるで助けを求める弱者のようにも見える。
いくら肉体的な強さを求めても、精神的な強さまで養えるとは限らない。
彼はそれを身に染みて理解していた。
だから、彼は戦うとき、心が壊れないよう無心で剣を振るう。
その姿は、戦う事をプログラムされたロボットのようだ。
「アルマハウド、お前は何のために戦う?」
「おかしな事を聞くんだな。何のためか…それはもちろん生き延びるためだ。これ以上の理由を私は知らない」
「生き延びるためか。確かにその通りだな。死にたくないから相手を殺す…そういう事だろう」
「お前だって戦う理由は同じだろう?」
「…いや、そればかりじゃない。俺が戦うのは“守る”ためだ。それは自分の命でもあるし、家族や仲間の場合もある。これが戦う理由だ」
「守る…か。やはり、私とお前とでは生きる道が違うのだな」
アルマハウドは再び眼を深く閉じた。
そして、すぐに瞼を開くと、何か思いついたのか、一つ大きな溜め息を吐いた。
「…どうしたんだよ?」
「私の父親がいつも口にしていた言葉を思い出したんだ。まったく、何故今まで忘れていたんだろうな」
「言葉?」
「あぁ、“戦うとは守る事”。お前が言っていた言葉と同じだ」
「…アルマハウドさん、少し肩の力が抜けましたね」
「そうだな。初心を思い出したんだ。戦いとは、ただ奪い合うだけのモノではない。誰かに必要とされるために振るう剣もある。つまり、答えなど初めからなかったのかもしれないな」
答えのない問いを繰り返しても、決して答えは見えてこない。
それでも、少し視点を変えてもう一度眺めてみると、別のものが見えてくる事がある。
それは、答えでもあったり、別の問題であったりもする。
僕はそう考えるうちに、いつの頃からか、戦う意味というものを深く考えなくなった。
代わりに、大切なモノを見つけ、それを必死で守る毎日だ。
この感情は前世にはなかったもの。
似たような感覚はあったが、やはり別物だと気が付く。
前世の僕は鍵っ子として育った。
家族と接する時間は、他の同級生たちより少なかったかもしれない。
それでも、両親と話す時間を何より大切にしていた。
だから、顔を合わせればいつも笑顔を心掛け、寂しい気持ちを紛らわした。
その結果、家族の関わり方についてよく考えた。
それが今の生活にも生きている。
サフラはそんな僕の気持ちを察してか、寄り添って肩に首を預けた。
一見無防備にも思えるその姿は、僕を信頼しているから出来る事だ。
僕も彼女の安心した顔は、一時の清涼剤としてとても重宝している。
この顔が悲しみに染まらないよう、僕は頑張るだけだ。
「レイジ、ちょっと来てくれ!」
突然、御者台のニーナが僕の名前を呼んだ。
何かトラブルがあったらしい。
急いで御者台に移動すると、ニーナは前方を指で示した。
その先を辿ると、数名の人影が見える。
人影は地面に目を凝らし、辺りを見渡していた。
「こんなところにドワーフ?」
「彼ら、何かを探しているようだな」
「理由がわからない以上、あまり刺激したくはない。出来るだけゆっくり近付いてくれ」
「わかった」
ニーナは馬の歩調に気をつけながら、ゆっくりと人影の方に近付いていった。
むしろ、道は進行方向にしか伸びていない。
分岐のないドボォイという場所はそういうものだ。
「おい、貴様ら、止まれ!」
人影との距離まで十数メートルというところで、若いドワーフの男が声をかけてきた。
機嫌が悪いのか、強い口調で僕達を睨んでいる。
「…邪魔立てしてすまない。ここを通して貰えないか?」
「貴様ら…人間だな!どうやってここに入った!?」
「どうやってて、許可を得て入口か堂々と入ったんだが?」
「入口からだと?バカな、ここは人間が入っていい場所ではないんだぞ」
男は理由も聞かず苛立ちを露にした。
一つ間違えば斬りかかって来ても不思議ではない。
そんな姿を見て、中年のドワーフが駆け寄ってきた。
見ると、胸には勲章が輝いている。
どうやら、彼の上司のようだ。
「カゼリ、貴様何をしている!」
「た、隊長、大変です、人間がドボォイの中に!?」
カゼリと呼ばれた若い男は恐縮しながら上司を見ている。
その姿には先ほどまでの威勢はどこにもない。
「ん?馬車に乗った人間。まさか…」
「私はレイジ。ここへはちゃんと許可を得て入った。悪いが、通してくれないか?」
「レイジ…まさか、コルグス様のご友人の!?」
「あぁ、コルグスは元気か?」
「やはりそうでしたか。部下の非礼お詫びいたします」
そう言って隊長と呼ばれた男は深々と頭を下げた。
隣にいたカゼリも、それに習って頭を下げている。
僕は馬車を降りて事情を話すことにした。
「王とコルスグに用があって来ました。あなた方は何を?」
「えぇ、先日ここで事件がありまして、その調査です」
「まさか、魔物が侵入したというアレですか?」
「ご存知でしたか!?はい、その通りです。どこでそれを?」
「入口を守っていたあなた方の仲間に聞きました。幸い被害は軽微と聞きましたが?」
「はい。町への侵入はありませんでした。しかし、どうして魔物が侵入したのか、それを調べていたところです」
隊長は侵入した魔物について教えてくれた。
その特徴はホリンズが作り出したマンティコアと良く似ている。
すでに死体は処理されているため、実際に確認する事はできないが、おそらく間違いはなさそうだ。
「…マンティコア、ですか?」
「あぁ、キメラと呼ばれる合成獣だ。人間と同じ知能を持った狡猾な魔物だよ」
「人間と同じ知能…確かに、侵入した魔物は人語を操ったと報告を受けています」
「なるほど。では、やはり侵入した魔物はマンティコアと見て間違いはないでしょう。侵入したのは一匹だけですか?」
「そうです。しかし、あまりに突然な事で、入口を守っていた仲間のうち、数名が殺されました」
ここでもホリンズの影がチラついた。
ただ、この事件はこれで終わったようには思えない。
むしろ、侵入したマンティコアは斥候だったのではないだろうか。
だとすれば、敵の本隊が迫っている可能性も否定できない。
サウスフォレストからノースフィールドまでは移動に時間がかかる。
隊長にその旨を伝えると、酷く驚いた顔をした。
これが杞憂であると信じたい。
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