異国の旅人
エミリオは、ユウヤに治療された経験がほとんどない。それも、保護者が厳しく監視しているためである。あんなに鋭い目を向けられれば、誰も危険を冒そうと思わない。君子危うきに近寄らず、を、エミリオはきちんと実行していた。
しかし、大屋敷の書斎にある本の中には、応急処置の知識が書かれたものもある。その知識を記憶から引っぱり出して、エミリオは異国の少年に生かした。
傷だらけで、服も汚れていた少年を、エミリオはとりあえず自分のベッドに寝かせた。どの傷も消毒し、きちんとした処置をしたので、恐らく命に関わることはないだろう。血と砂で汚れていた服は脱がせて、ソールのお古をクローゼットの奥から引っぱり出した。自分とはサイズが合わない。服は、ユウヤに頼んで洗ってもらうことにした。
少年の持っていた剣にも、興味を持った。エミリオの祖国・ニーベルング王国にも剣はあるし、礼式として用いられているため、剣を知らないわけではない。ただ、彼の持つ剣は、ニーベルングのものとは違う。
(ちょっと、気になるなあ)
手に持ってみる。結構、重い。彼は、これを手にしながら生活しているのだろうか。鞘から、抜いてみる。
血に濡れ、刃こぼれも激しい刀身が、鈍く光る。さっきまで、エミリオの想像を遙かに超えるような荒い戦闘が繰り広げられていたんだろう。自分の命を、この剣ひとふりで守ってきたのだ。
(すごいな)
世間から離れ、保護者によって社会的に殺されたエミリオには、彼の人生がよくわからない。
だが、接点のないこの少年が倒れているのを見て、どうしても放置しておけなかったのは確かだった。この少年を知っているわけではない。境遇も祖国も違うのだ。そんな人と面識を持つのなんて、保護者が黙っていない。
(……両親?)
ここでようやく、エミリオは保護者を思い出した。傷だらけ血だらけ砂だらけの彼を背負ってここまで運んだために、廊下は血で染められているし、自分もまた、彼の流した血で衣服を汚していた。きっっと、保護者はこれを見て更にエミリオを奥へ閉じ込める。
(なんで、おもいつかなかったのかな)
正直、叱られたり閉じ込められたりしてもどうでもいいのだが、そうするとロックウェル兄弟に責任がいってしまう。それはまずい。あまりによくない。服はこっそり洗えばいいが、とりあえず廊下はなんとかしなくては。
そう思い、すくっと立ち上がる。と、同時に、倒れていた異国の少年が、目を覚ましたようだった。
「……う」
「あ」
エミリオはベッドへ振り向く。その少年と、目が合った。
「お?」
「目、覚めた?」
「あれ……?」
「僕のお屋敷の前で倒れてたの。なんかほっとけなくて、勝手に手当てしちゃったけど、放置の方がよかったかな」
「いや、ありがてえ。助かった」
少年はゆっくり上半身を起こすと、エミリオの後ろに置かれた武器に反応した。
「疾風」
「あの、剣の名前?」
「ああ。しかし、なんで鞘から抜けてんだ?」
彼の表情は驚愕一色だった。自分ではない誰かが抜いたと考えれば、それほど驚くことではないだろう。
「あ、忘れてた。ごめん、気になったから、つい抜いちゃった」
少年はきりっとつり上がった目を見開いて、少年を見つめる。
「抜けたのか?」
「うん。重かったけど」
「んな馬鹿な……」
少年は「嘘だろ」とか「ありえねえ」とか独り言を呟いていた。
「ちょっと部屋を出る。まだ傷は治ってないから、ゆっくり休んでて」
エミリオは鞘に刀身を戻し、廊下に出る。
「うーん、どうしたもんか」
廊下の血を、全部消すにはどうしたらいいんだろう。書斎の本には、そんなのなかった気がする。これがバレたら確実にロックウェル兄弟は社会的に抹殺され、生き地獄を味わうことになる。エミリオの保護者によって。
「ただいまー、……ってどわああぁぁ!? なんっじゃこの血はああああ!?」
「リオン!! いるか!?」
このときばかりは、この二人が早く帰って来てくれて助かったと思った。
「いるよー」
「リオン! あーよかった! 生きてるよな!? 怪我してなよな!?」
「うん。この通り」
この二人は、首にされるとか社会的に報復を受けるとかの心配などまったくしていない。純粋に、エミリオの身を案じているだけだ。
「えーっと、わけは後で話すから、廊下の血を消すの手伝って欲しいな」
その後、ユウヤとソールの尽力により、血に汚れた廊下は元通りになった。二人の苦労に感謝し、エミリオは二人を部屋に連れて行った。そこに、倒れていた異国の少年が、大人しくエミリオのベッドで休んでいた。
「見たところ、千歳の人間だと思うんだが」
ユウヤは少年の黒髪と肌を見て明確に言い当てた。言葉は通じるようで、少年は頷いた。
「しっかし、なんでまたこんなことになったんだあ?」
「うん。僕も知りたいな」
珍しく、エミリオは知りたがる。少年は一言、
「ちょっと、めんどくせー連中に追われてたんだ」
と答えた。
「そっか。……あ、忘れてた」
「あ?」
「名前」
エミリオは淡々とした声で言う。そう言えば、名前も聞かずに過ごしてたんだ。
「昴。藤枝昴」
「すばる? って呼んでいいかな」
少年は黙って頷いた。
「僕はエミリオ・グリニッジ。こっちはソール兄さんとユウヤ兄さん」
「長いからリオンて呼ぶぜ」
呼んでいいか、ではなく、呼ぶ、とな。
「いいよ。兄さん二人にもそう呼ばれてるから」
「兄さんだあ? 似てねえ」
「そりゃそーだ。俺とユウヤはこのお屋敷に雇われてるだけなの」
「じゃなんで兄さん呼び?」
「……考えたこともなかった」
ロックウェル兄弟は、エミリオにとっては兄のような存在だった。兄弟を知らないエミリオは、二人を兄弟だと認識したのだ。
「とにかく、体、よくなるまでここにいて。あ、でも、この部屋から出ないでもらえると助かる」
「なぜに」
「両親に見つかると、いろいろとマズイから」
昴という少年は、その理由を笑うことはせず、厳粛に頷いてくれた。
かくして、エミリオと昴は、互いの名を知ることとなった。
第二話めです。ようやっと自己紹介が終わりました。
これからどうなるのやらと、作者の私もどきどきです。どきどき。




