ファーストコンタクト
大好き。大好き。愛してる。誰よりも、何よりも、君が好き。
この世の誰よりも、君を愛してる。君が僕のそばにいるのなら、何もいらない。富も名誉もその他の人間も、何にもいらない。君がいるから僕の世界は回る。
君のいない世界なんて、世界じゃない。君のいない世界なんていらない。
君が一秒でも僕のそばにいないなら、きっと君のこと殺しちゃうよ?
彼はもう、ずっと外の世界から隔離されてきた。保護者の判断により、学校へ通うことは許されていたが、それ以外で家を出ることは長く禁じられてきた。授業が終わると真っ先に家へ戻る。寄り道は許されない。足りないものは、そばに仕えるロックウェル兄弟に言いつければいいだけで、買い物にも散歩にも行けない。物心ついたときから、そんな生活をしてきたせいで、彼はずっとその生活が当たり前だと思っていた。お付きのロックウェル兄弟と、学校での数少ない友人ナノは根気強く彼に生活のおかしさをこんこんと説くが、どこかしらの感情が少し欠落した彼には、あまり効果がないようだった。
学校の帰り道、ナノはわざとゆったりと歩いた。友人の気遣いに気づくことはない。エミリオはナノの歩調に合わせるだけだ。
「今日も帰るのか」
「うん。心配かけちゃいけないもんね」
「心配ね。あんなのは、ただの束縛じゃないか」
ナノは苦い顔をした。ナノの家族事情も決して良好ではなかったが、エミリオほど露骨なものでもなかった。エミリオを通してロックウェル兄弟とも親交があったし、家族事情がよからずともナノは今の生活に不満を抱くことはない。あるとすれば、隣を歩く友人が、あまりに不憫で、さらに不憫なのは、エミリオ本人がそれに何の疑問も持たないことだった。
「心配の形が束縛ってだけだよ。愛情に変わりはない」
「ふざけた愛情だ」
「ナノ君、あんまり両親のこと、ひどく言わないでほしいな」
エミリオは心から悲しそうな顔をする。別に、エミリオのことを言ったわけではないのに、ナノはなぜか申し訳がなかった。
「すまない。だけど、僕はお前を心配しているんだ」
「うん。わかるよ。でも大丈夫だから、心配しないでほしい」
「あんまり、無理をするなよ」
「もとより、無理なんてしたことないよ」
エミリオは微笑んで言い返す。なるべくゆっくり歩いたつもりなのに、思ったより早く彼の家に着いてしまった。エミリオは一度振り返って、無邪気にナノへ手を振る。ナノも、振り返す。あんなに無邪気に笑う少年が、どうして保護者のわがままで家に閉じこもっていなければならないのか。親友のはずの自分が、どうして親友一人助けることができないのか。自分の無力さが、結局疎ましかった。
親友が悶々と悩んでいるのも知らないエミリオは、大屋敷の書斎にいる保護者に一声かけ、自分の部屋へ向かう。学校で出された課題をさっさと片付け、そのあとはのんびり本でも読むつもりだった。
巨大さだけが取り柄のこの大屋敷に、エミリオは閉じ込められている。学校に行く以外は、絶対に外へ出ることがなかった。課題を終わらせ、本を読む。それ以外にエミリオが自発的にすることはなかったが、不憫に思ったソール・ロックウェルが戯れに銃器の扱いを教えた。その才能は花開いたらしく、教えたソールをも軽く凌駕するほどの腕前だったようだ。
寝室で本を読んでいるエミリオのもとに、ユウヤ・ロックウェルがやって来た。
「リオン、ちょっといいか?」
「うん。どうしたの?」
「実は、庭先の薬草摘むの手伝ってほしいんだけど」
「いいよ。お屋敷の門から外に出なければ問題ないもんね」
「そうだな」
ユウヤはエミリオの主治医としても雇われており、大屋敷の庭を利用して薬草を栽培してもいた。本当は、薬草摘みは表向きで、すきあらば家から出してやろうともくろんでもいた。しかし、どういうわけかこの大屋敷の監視システムは強固で、ユウヤとソール、またナノの力だけではどうにもならなかった。どうにか自由にさせてやりたいと悩むが、当の本人は何も不満がない。というより、不満を抱かせないように歪んだ感情を植えつけられているだけなのだ。
「ねえねえ、どれを摘むの?」
「あ、ああ。そこの花とこっちの草な。指切らないように気をつけろよ」
「んー」
エミリオは楽しそうに言われたとおりの薬草を摘む。庭の花壇には、ほとんど薬草が植えられている。今が採集の時期であり、ユウヤは慣れた手つきで摘み取る。服が土でまみれるのを、ユウヤもエミリオもためらわない。
夕方直前には、作業は終わっていた。エミリオは一息ついて、汗をぬぐう。
「あ、どうしよう。汚れてると心配かけちゃう」
「平気だよ。寝室に戻って着替えれば問題ない。服は洗濯しとくから」
「ありがとう、ユウヤ兄さん」
エミリオはこっそり、こっそりと、保護者に見つからないように寝室へ隠れ戻った。あんなに、本を読む以外に夢中になったのは初めてだった。こんな風に服が汚れるのも気にせず一心に打ち込める何かがあれば、それは楽しいんだろう。そう思って、打ち消した。汚したら、保護者が心配する。エミリオにとって、保護者に心配をかけないようなふるまいをするのが、一番だったのだ。
その日、エミリオが外で薬草摘みをしていたのが発覚し、次の日から学校へすら通えなくなった。その責任を問われたユウヤは解雇の危険もあったが、エミリオが保護者に懇願したことでどうにかそれは免れた。しかし、エミリオをさらに閉じ込める結果となってしまった責任を感じ、ユウヤはその日ずっと、エミリオに謝りっぱなしだった。当のエミリオは、別に気にすることもなかった。心配していたのは、課題をどうやって学校へ出そうかというどうでもよさそうなものだった。
次の日、エミリオはすることもなく寝室でのんびりとしていた。寝室に持ち込んだ本はほとんど読み終えたし、ソールの銃器訓練をやろうにも、ソールがいないので無理だった。庭へは出してもらえるが、そこから外へは完全に出してもらえない。日がこくこくと経ち、ナノを除く学校関係者からは、エミリオはだんだん記憶から消えていった。ナノだけは、大屋敷の門の前に立ち寄って、そこでエミリオと少しばかりではあるが会話をした。
こうして、少しずつ、少しずつ、エミリオは世間から切り離され、死人のように、誰の気にも止まることがなくなった。
ある日、保護者が家を出ていた。エミリオが外に出て怪我をしないようにとの命令で、ロックウェル兄弟が残された。この状態は、エミリオを外へ出すチャンスだった。二人は早速エミリオに外へ出てみないかと提案する。しかしエミリオは頑として首を縦に振らない。
怒鳴り声に近い声で、ソールは問いただす。
「なんでっ! あいつらに心配かけるからとか? そんなこと気にしなくていいんだぞ?」
「だって、別に外が恋しいわけでもないからさ。それに、僕が言いつけを破って二人に迷惑かけるのは嫌だからさ」
エミリオは未だに、ユウヤにかけてしまった「迷惑」を引きずっているようだった。それを気にしなければならないのは、ユウヤであるのに。
「あのさ、こないだのことは、もう気にしなくていいんだ。いや、むしろソレはリオンの台詞だろ」
「でも平気。……あ、それじゃ、本が読みたい。書斎の本はみんな読んじゃって、退屈なんだ。何か、おもしろそうな本、持ってきてくれないかな」
エミリオは、自分の自由に欲を見出さない。この広い牢獄で楽しく暮らすことに思考する。
「僕は家から出ないから、大丈夫。なんなら、鍵でもかけとく?」
ロックウェル兄弟は、自分のことではないのに、胸がぎゅうっと締めつけられる思いだった。他の人間よりはエミリオと親しくなった自負があったから、信頼して外へ出る勇気を出してくれたらと願った。だが叶わなかった。エミリオにとって、一番なのは保護者の安心なのだ。
ソールは耐え切れなくなって、エミリオを抱きしめた。
「わっ、わっ? なになに? どうしたの」
「いや、お前……えらいよ」
「いきなりなんなのさ」
ロックウェル兄弟は、エミリオに頼まれた通り、本を求めて外へ出た。
大屋敷の中に、自分一人だけが取り残されると、エミリオは寂しさではなく退屈を実感した。書斎にあった本の中には、もう一度読もうと思わせるほどの本はなかった。学校も実質退学したようなものだから、課題に悩まされることもない。
庭の薬草でも眺めるかと思い立ち、部屋を出た。
庭へ足を踏み入れた直後、門の向こうで激しい爆音が轟いた。エミリオは一瞬身をすくめた。中に入って避難すべきかと瞬時に判断したが、できなかった。恐怖に襲われ足がすくんだわけではない。
爆風によって砂が巻き上がり、視界が悪くなったがそれも数秒で終わる。その晴れた向こう側に、たった一人だけ、倒れている人間がいたのだ。
避難するどころか、エミリオはそれに近づいた。その者と面識があるわけではない。そこに平穏を乱す輩がいるかも知れない。それなのに、エミリオは彼に吸い寄せられるように、彼に近づいた。
ロックウェルに、ナノに、出ろ出ろとしつこいほど言われても一歩として外へ出なかったのに、その倒れている者に来いと言われてもいないのに、エミリオは、生まれて初めて、自らその門を開いた。
門の外には、この国の人間ではない、自分と同じ年ほどの少年が、血と砂にまみれて仰向けに倒れていた。息はある。まだ死んではいない。左手には、鞘に収められた剣が握られている。艶のある黒髪が、印象的だった。
そっと、手を出す。その髪に触れてみた。
(きれい)
次に、肩に手を置いた。
「だ、大丈夫?」
答える余裕もなく、彼は呼吸する。エミリオは何も考えなかった。外に出てしまったことも、ロックウェルや保護者のことも、爆音のことも、何も。
ただ、どういうわけか、この少年を助けなければ、としか頭になかった。
エミリオは何とかして彼を背負い、屋敷の中へ連れて行った。
「大丈夫? すぐに手当てするから、死んじゃだめだよ」
背負った少年は、重かった。運動は多少しているものの、力のないエミリオにとって、自分の部屋までがずっと遠く感じた。いつも歩き慣れている廊下が、遠く険しかった。
かくして、エミリオは、異国の少年と、出逢ってしまった。
ついに、ついに……ついにやっちゃいました。かねてから書くぞ書くぞと意気込み、かなり時間をかけてじっくりお話を考えていたヤンデレ×ヤンデレもの!
一応ハッピーエンドを目指すつもりです。もとよりこのお話はヤンデレにハッピーエンドはあるのかという疑問から生まれたものであります。最後まで、どうぞごゆっくりおつきあい下さいませ。