川崎愛
ただでさえワケがわからない状況に苛立つのに、陰キャの中村や井上が反抗的な態度を見せて腹が立つ。けど、黄色いエリアの真ん中に置かれた白い箱。あれが何か、一人で見に行くと、中村が言い出したのには驚いた。どんな危険が潜んでるかわかったもんじゃないのに。わたしには絶対に無理。もう井上や中村に見抜かれ始めちゃってるけど、本当は臆病者だから。
小さい頃からそうだった。そうなったのは親のせい。両親はわたしが物心ついた時にはもう、変な宗教にはまってた。それに無理矢理付き合わされたわたしは、悪魔祓いとかいう名目で、一ヶ月に一度は必ず、知らない大人たちがいる前で裸にされて、頭からバケツいっぱいの水を何度も浴びせられた。夏ならまだしも真冬は辛かった。心臓が停まるんじゃないか、死ぬんじゃないかと不安になったことは一度や二度じゃない。
両親はわたしに、この世には悪魔がいる。不幸をもたらす悪魔をこうして追い払ってくれる教祖様に感謝しなさいと教えた。今だったらバカらしいと思うけど、子どものわたしは簡単に洗脳された。それが解けたはずの今だって、意識の奥で恐怖心を抱いているのを感じる。世の中のあらゆることには悪魔が潜んでいると。だから慎重に行動しなければいけない。
そのくせ、いやその反動からか、親に逆らえるようになった思春期の頃から、わたしの生活はめちゃくちゃになった。世間のあらゆることに反抗してやろうって思うようになった。本当に悪魔が潜んでるのか見てやろうって意識がどこかにあったのかもしれない。でもそんなことができたのは、一緒に行動してくれる友達や彼氏がいたから。一人では何もできない。それは自覚してる。一人でファミレスに入るのだって抵抗がある。
わたしが親を反面教師にして学んだ唯一のことは、宗教にはハマるな、ということだ。別に何を信じようが個人の自由だけど、そこにお金のやり取りが発生するのが理解できない。両親は悪魔除けの効果があるお守りだのブレスレットだのをしょっちゅう買わされて、借金で首が回らなくなった。わたしはそんな人生はごめんだ。無駄な物には一切、お金を使わないことに決めた。
けど、十六歳の時に年齢を偽ってキャバクラで働き始めて、それまでとは桁の違うお金を手にするようになってから、金銭感覚が完全に狂った。いくら遊びに散在しても、日払いですぐに大金を稼げる。欲しい物がある時は、金持ちの客におねだりすれば、苦労せずに手に入る。だからわたしは、いくらお金を注ぎ込んでも簡単には手に入らない物を欲しがるようになった。
ホストクラブに最初に足を運んだのも十六歳の時だった。ブサイクな客の相手をするのに疲れて、最初は目の保養のつもりで、道端で客引きしてたホストについて行った。初回二時間飲み放題二千円の安さだったけど、それなりに楽しめた。それでもハマるほどではない。まあ、こんなものかなって程度だった。
けど、それがいけなかった。軽い気持ちで二回目に足を運んだ時、運命の男と出会ってしまった。いや、正確に言えば、運命の男と勘違いさせられた、ろくでもないクズ男と。とにかくもう、それからはその男を振り向かせるために、毎日のようにお店に足を運んだ。ずぶずぶにのめり込んでいった。お金があればあるだけ、その男を楽しませるために使った。両親が宗教に溺れたのと一緒だ。人は盲目的に信じた物に人生を狂わされてしまう。
気づいた時には、もう手遅れだった。キャバクラの給料だけじゃツケが払えず、風俗店で働くようになっても、今度はそのストレスで余計に浪費が酷くなった。
いつしか死にたいと思うようになった。いや、自殺願望は昔からあった。手首のためらい傷は何本もある。けど、田舎だったら豪邸が建てられるほどの大金を費やしても、クズ男にとって、わたしはただ金を運んでくる便利な女だと悟った瞬間、本気で死にたいと思うようになった。せめてもの仕返しでツケを払わずに夜逃げしてやった。
幼い頃、散々苦労させられた両親への復讐に、久しぶりに会ってお金をせびった。二人は宗旨替えしたらしく、新しくハマってる宗教の素晴らしさを熱心に伝えようとしたけど、わたしは当然、聞く耳をもたなかった。「悪魔に身も心も食いつくされたから、じきに死ぬつもり」帰り際にそう言ってやった。その言葉が両親の心にどう響いたかはわからない。顔も見ずにそのまま立ち去ったから。
それからは、死に場所を求めて全国を転々とした。東尋坊や華厳の滝。行き先は自殺の名所と呼ばれる場所ばかりだった。そういう所へ行けば、自然に死ぬ決心がつくと思ったけど、実際は違った。うら寂しい雰囲気が漂う場所ばかりで、逆に死ぬのが怖くなった。だけど、自殺するのを先延ばしにしても、お金が尽きたらどうせ生きてはいけない。どうしよう。いっそのこと誰かに殺してもらえれば楽なのに。そう考えていた矢先だったから、『死神』からの集団自殺の案内メールは天からの救いのように思えた。これで何も考えることなく楽に死ねる。それがうれしかった。
それなのに。ここは一体どこなの? わたしたちは死んだのか、それともまだ生きているのかもわからない。
「おい、どうした!」昔付き合ってたクズホストに少しだけ雰囲気が似てる萩原が、黄色いエリアで立ち尽くす中村に声を掛けた。臆病なことを隠すために虚勢を張るところ。萩原の言動が自分の映し鏡を見ているようで、一緒にいる時間が長くなればなるほど嫌いになっていきそうだ。
萩原の声が聞こえないのか、それともわざと無視をしてるのか、中村は何も返事をしないまま白い箱を黙って見てる。
「中村くん?」早く何か情報をくれとばかりに、サラリーマンの佐藤大輔が声をかけた。「何か異常でも?」
「ちょっと待ってください」中村はわたしたちに背中を向けたままそう答える。白い箱の正体は一体、何なんだろう? 気になる。中村、早く戻ってきて報告しろ。わたしも焦れったくなってきて呼び掛けようとした瞬間、
「何だこれ!?」
中村が急に大声を上げながら後ろに倒れ、その場に尻もちをついた。白い箱の中には爆弾か、あるいはもっと危険な物でも入っているんじゃないかと思って、その場に居る全員の腰が引けた。緊張感が一気に増した。
「お、お、おい、メガネくん?」萩原が情けない悲鳴のような声を上げる。けどきっと、今わたしも声を出したら、とんでもなく無様な状態になるに違いない。得体の知れない物が置いてある場所へ、たった一人で近づいて行った中村の勇気を密かに尊敬する。そう思っていると、
「中村くん?」もう一人の根暗キャラの井上彩子が、中村のほうへ走り出した。それに続いて他の人たちも、お互いに顔を見合わせながら、ゆっくりした足取りで歩き出した。取り残されたのは、わたしと萩原だけ。まずい。この先、このメンバーで集団生活が続くなら、そのうち必ず、わたしたちは臆病者のレッテルを貼られる。学生時代とは反対に、陰キャどもにパシリにされるかもしれない。そんなのわたしはごめんだ。
「お、おい、お前も行くのかよ。置いてかないでくれよ」萩原の泣き言を無視して、わたしも駆け出した。皆はもうすでに中村を取り囲んでる。
「どうしたの、何があった?」わたしが後ろから声を掛けると、皆が一斉に振り返った。どの顔にも拍子抜けしたような表情が貼り付いているけど、すぐにそのワケがわかった。中村の目の前にある白い箱の中には爆弾なんて入ってなくて、食料らしき物が入っていた。と言っても、真空パックされた固形タイプの栄養補助食品ばかりだ。それと二リットル程度の水がボトルに入ってるだけ。
「どうした?」わたしの後ろから萩原が怯えた声を出す。
「ワンデイって、これが一日分の食料と飲み物ってこと?」佐藤が誰にともなく訊いた。
白い箱は四箱ずつ二段に分けられて積まれ、中村の箱が積まれたほうではなく、もう一段のほうの一番上の箱の上面には、『Ayako Inoue』というローマ字と『1Day』の文字が印字されている。箱には開け口がどこにも見つからなくて、
「あんた、どうやって開けたの?」わたしが訊くと、中村は目を丸くさせて振り向き、
「箱の上に手のひらを翳したら、上面だけが一瞬で消えた」目の前でマジックを見せられて、驚きと興奮を隠せずにいるような調子で言った。
「本当にそんなことが?」奥川の爺さんが疑う傍から、
「やってみます」井上が自分の名前の書かれた箱の前に立った。そのまま臆することなく箱の上面に手のひらを翳した瞬間、
「あっ!」
全員が一斉に驚きの声を発した。中村が言った通り、箱の上面は蒸発するように一瞬で消えてしまった。中村が驚いて尻もちをついたのも無理はない。たった一人ぼっちでこんな不思議な現象を見たら、わたしだって後ろに倒れていたと思う。
「これって、自分の名前が書いてある箱以外は開かないってことかな?」一番年下の鈴木結衣が見上げて訊いても、坊主頭の遠藤大輔は何も答えず、無表情で箱を見つめてる。
「こんな技術、あり得ない」佐藤が呟き、「いや、自分は理系出身で研究職をしてるんだけど、こんな革命的な技術があったら、絶対に話題になってるはずだよ」決めつけるように言った。
「確かに、こんな不思議な物が開発されたなら、話題になってもいいはずだ」奥川が便乗して言う。
「とにかく、皆、自分の分の箱を開けてみよう。もしかしたら、食料以外の物が入ってる箱があるかもしれない」
佐藤の提案に皆は無言で従い、それぞれの名前が記された箱を手に取って、上面に手のひらを翳した。わたしも自分の箱に同じことをすると、その中には真空パックされた固形タイプの栄養補助食品と水入りのボトルが入っていた。他の皆も同じ。
「これを食ってろってことか」萩原が怒ったように言う。「これじゃ、まるで囚人か家畜みたいじゃねえか」と、箱が落ちてきた上空を睨むように見つめる。他の皆も見上げたけど、青い空に薄い雲が流れる景色以外は何も見えない。
「これ、本当に飲み食いしても大丈夫なのか?」箱の中に視線を戻した萩原がそう口にすると、その場が静まり返った。
「大丈夫じゃなきゃ」わたしは箱の中を見つめながら、独り言のように呟く。「わたしたち、ここで餓死するしかないじゃん。まだ死んでなかったら、だけど」
「もし死んでなかったら、ここはどこなんですか?」結衣が初めてわたしに話しかけてきた。「わたしたち、どうしてこんな場所にいるんですか?」
「わたしに訊かれたって、知らないよ、そんなこと」
「ともかく」佐藤が口を挟む。「軽い空腹を感じてるのは確かです。喉の渇きも。皆さんはどうですか?」
わたしたちはお互いに顔を見合わせ、それぞれの身体の状況を口々に言う。わたし自身は不安のせいか、空腹はちっとも感じてないけど、水入りのボトルを見て思い出したかのように水分が欲しくなった。
「で、誰からいく?」俺はごめんだからな、という口調で萩原が皆を見回す。わたしだって毒味なんてしたくない。
「ここは公平にじゃんけんで決めるのはどうだろう?」佐藤の提案に頷くしかないといった雰囲気が漂う。突然、井上が笑い出した。
「何、どうした?」わたしは睨みつけつつ警戒した。頭がおかしくなったのかと思った。
「だって」井上は口元に笑みを浮かべたまま、「ここにいる全員、死にたくて集まったわけでしょ。今は生きてるのか死んでるのかよくわからないけど、たとえ生きているとして、これを食べて死のうが別に関係ないのに。むしろ本望なはずなのに。どうしてそんなに怖がってるの?」そう言って、前髪を左右に分けると、思いがけずハッとするほど大きくきれいな目をしていた。何が彼女をそこまで変化させたのかはわからないけど、ワゴン車に乗っていた時とはまるで別人。重たい枷から解放されたみたいに、清々とした顔をしている。
「だったら、お前が最初に食え、飲め」バカにされたのが悔しいのか、萩原は顔を険しくさせる。井上にそこまで言われても最初の毒味役を買って出ないのが、臆病なこの男らしい。ますます無責任だったクズのホストに似てるように思えてくる。
「いいよ、全然」強がってるわけではなく、井上は平然と答えると、「じゃあ、まずはこれから」真空パックされた固形タイプの栄養補助食品を手に取り、すぐさま開封しようとした。その瞬間、
「ちょ、ちょっと待って」萩原が両手の手のひらを井上に向けて制止した。「もしかしたら、爆弾かもしれないだろ。毒ガスって可能性もある。もっと慎重に行動しようぜ」
「どこまで心配性なの」井上は嘲笑う。「じゃあ、わたし一人をここに残して、皆は向こうに避難する?」
萩原にもさすがにプライドがあるのか、「そうする」とは言えないものの、この場から逃げ出したくて仕方なさそうな様子が手に取るようにわかる。
「別にいいよ、逃げたきゃ逃げれば。わたしは一人だって構わない。そんなの慣れてるから」井上の言葉に力がこもる。どういう人生を歩んできたのか知らないけど、この女もわたしに負けず劣らずの苦労続きだったに違いないと思った。
「僕は残りますよ」と、強い口調で言い出したのは中村だった。自分の箱の中から真空パックを取り出して、「一緒に食べます。彩子さんだけに危険を冒させるつもりはないですよ」と微笑むと、井上も微笑み返した。この二人といい、結衣と大輔といい、早くもカップルが生れつつあるのが、わたしには癪に障った。残りの男はクズとおじさんとおじいさん。女性陣の中でわたしだけ貧乏くじを引かされるみたいだ。だから、
「わたしもここに残る」と言い出したら、驚いた顔で中村や井上に見られた。わたしは急に恥ずかしくなって、「悪い?」と凄みつつ、自分の箱の中からボトルを手に取った。
「わたしも」結衣はそう言うと、「わたしたちも、ここに残るよね?」隣に立つ大輔の腕をそっと掴んだ。大輔は返事をしないで、ただ呆然と自分の箱の中身を見つめてる。この子は中村や井上とは逆に、こっちの世界に来てからすっかり威勢がなくなった。
残った男三人は、お互いの腹を探るような顔をして交互に見つめ合う。老人の奥川はまだしも、佐藤と萩原の臆病さは、見ていて段々と腹が立ってきた。
「ちんたらしてるなら、もう開けちゃうから」井上が脅すように真空パックのギザギザの開け口に指を添えると、佐藤と萩原の顔が青ざめた。
「悪いけど、僕には妻子がいるから避難させてもらうよ」無意識なのだろう。佐藤は安楽死を選んだくせにそんなことを言って、駆け足で黄色いエリアから出て行く。こんな無責任な夫がいなくなって、奥さんは今頃、手を叩いてよろこんでいるかもしれない。そういえば、わたしが姿を消したことで、両親はどう思っているだろう? まさか本当に死を選ぶとは思わず、悲しんでくれているのだろうか。今までの自分たちの行いを後悔してはいるのだろうか。少し気になった。
「ちょっ、俺も」萩原が慌てて佐藤を追い、わたしのほうを振り向いたかと思うと、「お前、正気かよ」と呆れるように言った。わたしに対して勝手に仲間意識を抱いていたらしい。
「ヘタレ」冷たく言ってやると、萩原の顔が一瞬、凍り付いたように固まって、悔しそうに何か呟くと、顔を反らしてそのまま駆け去って行った。その無様な後ろ姿を見ながら、わたしは首輪の存在を思い出した。電気が流れるかと思ったけど、何も反応はなかった。今のは悪口にカウントされなかったらしい。安心した。
「死ぬことへの恐怖心はもはやないのですが」奥川が申し訳なさそうな顔をして言う。「死に至らない大ケガを負ってしまうのが怖いので、申し訳ありませんが、わたしも退散させてもらいます」
奥川も去って行き、残ったわたしたちはお互いの顔を見交わした。『大ケガ』という言葉が空中を漂う。その可能性について考えてみた。自分の腕をつねれば痛みが走る。このことによって夢ではないことがわかる。仮に真空パックやボトルが爆発して大ケガを負ったらどうなるのだろう? カプセルの向こうは見渡す限りの白い砂漠が広がっている。病院なんてありはしないし、医者も看護師もいない。ただ、このまま食料にありつけなければ、それはそれでジワジワと苦しむことになる。
「わたしはこのまま続けるつもりだけど」井上が真っ先に口を開いた。人間、こうも短時間で激変してしまうのかというくらい、背筋が伸びて堂々としている。「怖いなら向こうへ行ってても構わない。それを臆病だとか逃げだとか思わないから」別に挑発してきたわけではないけど、わざわざわたしのほうを見て言うのが気に食わなかった。
「あんたにそんなこと言われる筋合いはない」ボトルのキャップに手を添えながら、わたしは井上を睨んだ。「あんたこそ怖いんじゃないの、本当は」
井上は反論せず、ただフッと微笑んだだけだった。それから他の連中に対して、どうするの? と訊くような視線を送った。誰もその場から動かない。
「一斉のせっで開けましょう」中村の言葉に皆は無言で頷き、それぞれが手に持つ真空パック、ボトルを、なるべく身体から離れるように腕いっぱい伸ばす。わたしはボトルのキャップを掴む指に力を込めた。
「いきますよ」中村が合図を出し、全員が息を合わせて、
「一斉のせっ!」
掛け声と同時に、わたしはおっかなびっくりボトルのキャップを回して、息を呑んだ。その場だけでなく、砂漠を含めたこの世界全体の時間の流れが、一瞬だけ止まったように感じられた。
静寂。それを破る爆発音はしなかった。鼻を刺激するような異臭も漂ってはこない。
「とりあえず、セーフ」中村が微笑むと、つられて皆も微笑んだ。わたしも自然に頬が緩んだ。強がっててもやっぱり恐怖心はあった。井上も安堵した表情になってる。けど、まだ安心はできない。
「口に入れて何も異常がないか確認しなきゃ、何も意味はない」それまでむっつり黙っていた大輔が、つまらなそうな顔をして呟いた。生にも死にも興味がないような顔だ。
わたしはボトルの飲み口に鼻を近づけてみた。無臭。多分、ただの水だ。
「おい、どうなった?」黄色いエリアの外から声を掛けてくる萩原を全員が無視した。
「じゃあまた、一斉のせっで、それぞれ手にしている物を口に入れましょうか」中村の提案に反対意見はない。もう皆、覚悟は決まっていた。
「いきますよ」と中村。全員が頷き合い、「一斉のせっ!」と声を出して、それぞれが手にしている物を口に運んだ。わたしはボトルの中身を少しだけ口の中に含んだ。
「水だ!」うれしさが込み上げて、つい大きな声を出してしまった。今までの人生で、こんなにも水が美味しいと思ったことはない。
「問題ない」栄養補助食品を食べながら、井上が笑顔を見せる。他の皆も問題なく食べたり飲んだりしている。
わたしたちが無事であることを確認して、萩原と佐藤、奥川の三人が、逃げ出したことを少し恥じるような顔をしながら戻ってきた。それでもまだ萩原は、
「俺のだけ毒入りとかないよな?」と怯えながら、ちまちまとボトルに口をつけて、安全だと知るとがぶがぶと飲み始めた。「酒とか煙草はないのかよ」と箱の中を漁って文句を言うけど、それに関してはわたしも同じ気持ちだった。酒はまだ我慢できても、煙草がないのは辛い。
「一日に一回、この箱が落ちてくるということでしょうか」栄養補助食品を食べながら、奥川が上を向いた。
「そういうことでしょうね」と佐藤。
「何のためだろう?」中村は空を見て首を傾げると、今度はカプセルの向こう側へ視線を向け、「誰か一緒に砂漠地帯を調べに行ってみませんか?」と提案した。未知の地を探検する恐怖心よりも、好奇心が勝ったような活き活きとした表情。駅前で最初に会った時の暗い顔と比べると、まるで別人に見える。この世界の空気が中村を活性化させているみたいだ。正直、羨ましい。わたしはこんなワケのわからない所、さっさと逃げ出したい。ただ、元の世界に戻ったところでお金も住む場所もない。どん詰まりの人生を続けなければならない。それも御免だった。そう考えているのはわたしだけではないようで、
「こんなとこ、いつまでもいたくない」大輔が吐き捨てるように言うと、
「わたしは嫌。戻ったら学校でイジメられる」結衣が俯きながらそう口にした。
「僕も戻りたくないな」中村が思い出したように呟く。その瞬間だけ、暗い表情に戻ったけど、「だけど、ここがどんな場所なのか知るのは悪くないと思います」と、すぐに表情は明るくなる。
「食料もあることだしね」と井上。「わたしは一緒に行く。他には? 手を上げて」挙手しながら全員の顔を見回すも、わたしは即答できなかった。砂漠地帯こそ何が起こるかわからない。何が潜んでいるかわかったもんじゃない。
「とりあえず、せっかく食料も手に入ったわけですから、休憩してから決めませんか」奥川の意見に異論は出なかった。各自の箱を手にして、それぞれのカプセルに一旦戻ることになった。
「イジメられてたのか?」真っ先に歩き出した大輔が、隣に駆け寄ってきた結衣に声を掛けた。
「うん」結衣は元気なく頷いて、「わたし、貧乏だったから」無理に笑顔を見せた。ああ、あの子も同じなんだ。何となくその雰囲気は感じていた。最近の若い子は『親ガチャ』って表現するみたいだけど、わたしも親ガチャに失敗して大損した。人生は不平等だ。もし来世なんてものが存在するなら、今度は絶対に金持ちの家に生まれたい。もしかしたらここは、来世で何に生まれ変わるかを決める試験場みたいな場所なのかもしれない。そんなくだらないことを考えていると、
「あっ!」
大輔が突然、驚きの声を発したかと思うと、栄養補助食品やボトルを地面に落とした。それに気を取られた結衣もすぐに、「えっ!?」と悲鳴のような声を上げ、箱に入っていた物を地面に落としてしまう。二人が立ち止まった場所は、黄色いエリアから出て、白い砂が敷き詰められたエリアにちょうど両足が入ったところだった。
「どうしたの?」とすぐに声を掛け、二人に駆け寄って行ったのは井上だった。わたしもその後に続き大輔と結衣の前に回り込もうと黄色いエリアから出た瞬間、白い箱の感触がなくなって、中に入っていた物が地面に落ちた。見下ろすと、手には白い砂が載っている。井上にも同じことが起きていて、大輔と結衣の手のひらにも白い砂が載っていた。
「どうしました?」と、後から駆けてきた全員の箱が同じように砂に変わってしまい、驚きの声が連鎖した。
「一瞬で砂になった」目を丸くさせて自分の手元を見ていた井上が顔を上げてわたしを見る。「箱が入ってた卵型の入れ物みたいに、一瞬で砂になった」
「どういう素材なんだろう?」自称、研究員の佐藤が首を傾げる。「仕組みがまったくわからない」
「もしかして」わたしは苦笑いを浮かべながら言った。「わたしたち全員、宇宙人に連れ去られたりなんかして。ここで飼われてるんじゃない?」冗談のつもりだった。けど、誰も笑わない。それどころか、
「その可能性もあるかもしれませんね」奥川が真面目な顔をして同意すると、他の皆は黙り込んでしまった。
「ちょっと」わたしは皆の顔を見回して、「ただの冗談だって。宇宙人なんているわけないじゃん」無理に明るく振る舞った。
「どうしてそんなことが言える?」言い返してきたのは意外にも萩原だった。「俺、中坊の頃、すっげえ田舎に住んでてさ。夏の夕暮れ時にダチと一緒に薄暗い田んぼ道をチャリで走ってたら見たんだ。遠くの空を横一直線に飛ぶ物体を」
「飛行機でしょ、田舎者」わたしが笑い飛ばそうとしても、他の皆は話の先を促すように、真剣な顔で萩原を見てる。
「あれは飛行機なんかじゃなかった」萩原は大袈裟なほど大きく頭を横に振って、わたしを真正面から見つめた。「飛行機なら光が点滅するだろ? だけど、あの時の飛行物体は緑色に光ったままだった。それからパッと瞬間的に消えた。飛行機じゃない。絶対に違う」
「気のせいに決まってる。雲に隠れて見えなくなっただけでしょ」否定しながらも、わたしは怖くなってきた。食料が落ちてくるということは、恐らく誰かしらこの世界の外に存在しているということだ。誰が、何のためにこんな所へわたしたちを?
「死神」まるで、心の中のわたしの問いに答えるように、その名前を口にしたのは大輔だった。「死神が上から見てるんだ。で、必要のない人間から殺していく」何の感情も込めずに言うものだから、それが真実であるかのように思えて、わたしは全身に鳥肌が立つのを感じた。
「どこかで観察してるなら」中村は周囲を見回しながら、盗聴を恐れるように声を潜めた。「外へ通じる出入口が必ず存在するはず」
「そもそも、我々がここにいるということは、絶対に出入口はあるはずなんですよ」佐藤がもっともなことを言い、わたしたちは空元気を出して笑い合った。
「問題は、その出入口がどこにあるか」井上が皆を現実に引き戻す。「上か、あるいは砂漠の果てか」と、白い箱が落ちてきた天井から砂漠の果てへと視線を巡らす。
「食料や水がこの先も供給されるとは限らない。ここから天井を探る手立てはないから、まずは砂漠の果てがあるのかどうか、行ける所まで行ってみましょう」
中村の提案に反対意見はなかった。
「二名ずつペアを組んで、四方向に分かれて探索するのはどうです?」と中村が続け、これにも誰も反対しなかった。
「じゃあ、どうします?」佐藤が皆の顔を見回す。「どういう組み合わせにしますか?」
「わたしは」結衣が大輔の腕に寄り添う。「大輔くんとがいい」大輔は無言だった。顔には相変わらず何の感情もない。
「それでいいと思う」井上は賛成すると、「じゃあ、わたしは中村さん」と指名した。
「僕ですか?」中村は驚いて自分の顔を指差し、「ぜひ」と笑顔になった。何だか気に食わない。勝手に話が進んでいく。残ったのはわたしと萩原、佐藤、奥川の四人だった。頼りない男ばかりだ。
「おい」萩原が囁いてくる。「さっきのヘタレ発言は大目に見てやるから、俺とペアを組もうぜ」あまり気の進まないオファーだったけど、佐藤は一緒にいて退屈そうだし、奥川は途中で倒れて足手まといになりそうだ。消去法で仕方なく承諾することにした。
「いいよ」わたしが返事をした時点で自動的に四つのチーム分けができた。それぞれが進む方向を適当に決めると、
「善は急げ。食料も水もあるので、明るいうちに出発しましょうか」佐藤が合図を出し、全員が地面に落ちた栄養補助食品をポケットに詰め込み、水が入ったボトルを手に持って、それぞれのペア毎に歩き始めた。
「あいつら調子に乗ってるよな」カプセルとカプセルの間まで来たところで、萩原は後ろを振り返り、わたしたちとは正反対の砂漠地帯へと踏み込んで行く中村&井上ペアに睨みを利かせながら言った。わたしはそれを無視して、途方もなく続く白い砂漠地帯を絶望の思いで眺めた。小さい頃、貧乏でゲームや漫画本を買ってもらえなかったから、視力には自信がある。その目を細めて見る限り、地の果てがどこにあるのか、まったく見当がつかなかった。