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福田幸太郎

 鴉山の麓に近づいてから、警察やマスコミ関係の車両を多く見かけるようになった。騒ぎはますます大きくなっているらしい。もし本当に失踪した八人の行方を突き止めることができれば、一躍時の人になれるかもしれないなと、幸太郎は気分が高揚するのを感じながら、アクセルを踏み込んだ。

 問題の場所は詳しく調べるまでもなくすぐにわかった。前を走るテレビ局のワンボックスカーについて行けばいいだけの話だ。ただ、警察が規制線を張っているため、失踪した八人の靴と身分証明書が見つかったという現場には近づけなかった。仕方なく幸太郎はボルボを停め、周囲を見回す。森林に囲まれた、サッカーコート一面分くらいの広場。その奥で警察が陣取って捜査を進めている。一体、何の目的で切り拓かれた場所なのかわからないが、それ以上に、失踪した八人がどうしてここに立ち寄ったのか、幸太郎にはまったく理解できなかった。人目につかない場所で集団死を遂げる、というのならばお誂え向きだろう。けれど、それを遂行せず、『遺品』らしき物だけを置いて姿を消した意味がわからず、世間的にも謎と関心を呼んでいるらしい。幸太郎はネットで最新情報がないか調べ、事件に進展がないことを確認してから車を降りた。

 周辺には何か話のネタがないかと、腹を空かしたハイエナのようにマスコミ連中がごろごろ待機している。幸太郎は彼らに根こそぎ声を掛けていったものの、目新しい情報は得られなかった。逆に質問されても、鈴木結衣をイジメていた飯島璃子や、遠藤大輔の両親に接触したことは黙っておいた。彼らから得た情報がいずれ、特ダネを掴むきっかけになるかもしれないのだから。

「ダメか……」

 何の手応えもなく、幸太郎はボルボの運転席に戻り肩を落とした。それでも、ここにいれば何か手掛かりが掴めるかもしれないと期待して、煙草を吸いながら少し待ってみることにした。

 外の喧騒から隔離された、静まり返った車内から改めて周囲を見て、失踪した八人がここを訪れたと推測される夜の状況を、幸太郎は想像してみた。百メートルほどの砂利道を隔てた国道にある外灯の光は当然、ここまでは届かないだろう。だとすると、頼りになるのは車のライトと月明りのみ。田舎の月光は明るく感じると聞くが、それでも人口の光源に恵まれなければ、相当に寂しく感じられるだろうと幸太郎は予想した。その中で年齢も境遇もまるで異なる男女八名が集まり、一体何をしていたのか。どこかカルト集団的な雰囲気が感じられなくもない。ネット上でも、UFOの着陸を待っていたのではないか、宇宙人にさらわれたのではないかと疑う声もある。

「くだらない」と口では否定するものの、幸太郎も頭のどこかでは、超自然的な出来事が起こったのではないか、と疑う気持ちはあった。

「さて、どうしようか」灰皿で煙草を揉み消し、両手を頭の後ろに当てて、幸太郎は青空を眺めながら考える。このまま中村純一の住んでいたマンションへ向かおうか。いや待てよ。失踪した八人が集合したという最寄りの駅へ行ってみるのも悪くないと思った。もしかしたら、そこで何か重要な情報が得られるとも限らない。エンジンを掛けて再び国道に戻り、山道を下って麓を目指した。

 そして二十分ほどボルボを走らせ、辿り着いた駅にもマスコミ連中がたむろしていた。普段は利用客は少ないのだろう。駅舎は古びた小屋同然で駅員は常駐していない。ロータリーに設置された外灯は少なく、付近にはコンビニすら建ってない。そこにマスコミのワンボックスカーがひしめく光景は、どこか異様に思えた。

 幸太郎はボルボを停めると、今度はあまり期待せずに聞き込みを開始することにした。事件に進展がなく、暇を持て余したマスコミ関係者たちは、新参者の幸太郎に対して気さくに接してくれた。だがやはり、目新しい情報は得られず、まあ骨折り損は仕方がないかと、幸太郎は内心で苦笑しつつ、できる限りの人に声を掛けて雑談を交わした。

 その後も空振り続きで閉口した幸太郎が、これを最後に何もなければ出発しようと話しかけたのは、個人でネットニュースサイトを運営しているという、色白の肌に無精髭を生やした、まだ学生のように見える若い男だった。ベンチに座り、眉間に皺を寄せてスマートフォンに何かを打ち込んでいたため、話には応じないと思ったけれど、幸太郎が話しかけると、嫌な顔をせずに反応してくれた。湯島学と書かれた名刺をくれた男は、明らかに年上の幸太郎に対しても、

「この事件、どうも妙なんだよね」と、最初からタメ口で話した。だが、どこか人懐っこさのある笑顔のせいか、幸太郎は嫌な気持ちにはならなかった。それに、上下関係の壁がないほうが、重要な情報を話してくれる可能性が高まるような気もした。

「妙って言うと?」幸太郎は湯島の隣に腰かけて訊いた。「そもそも、あんな山奥で失踪したこと自体が妙だけど」

「まあね。でもさ、たとえば自分の身内があんな風に忽然と姿を消したらどうする?」

「どうするって、そりゃ、警察に捜索願を出すさ」

「でしょ? でも、失踪した八人全員、誰も家族が捜索願を出してないんだ」

「え?」幸太郎は一瞬、理解できなかった。そんなはずはない。湯島がガセネタを吹き込もうとしているだけだろう。そう思った。だけど、湯島の顔は至って真面目だった。そして、息子が失踪したというのに、平然とした様子だった大輔の両親のことを思い出した。その情報が本当かどうか、あの二人に確かめて、もし本当なら真意を訊けばよかったと後悔した。

「それは確かな情報なのか?」

「うん。警察にちょっとした伝手があって小耳に挟んだんだ。今、その記事を書いてたとこ」湯島はニュース記事の原稿を打ち込んだ、スマートフォンの画面を見せてくれた。湯島が運営するサイトの名前は名刺に明記してある。こいつは独自の切り口で事件を調査しているようだ。後で記事をチェックしよう。幸太郎はそう考えながら、

「その伝手ってのから、他に何か情報は得てないのか?」勢い込んで訊いた。すると、

「ちょっと待ってよ」湯島はニヤリと笑う。「俺ばっか情報を与えるのはアンフェアでしょ。そっちも何か頂戴よ。等価交換といこう」

 ちぇっ、ちゃっかりしてやがんな、と思う一方、そりゃそうだよな、と幸太郎は心の中で苦笑した。この世界、持ちつ持たれつだ。とはいえ、今得た情報に匹敵するモノを自分は持っていないことに気づき、

「俺はまだ大した情報を持ってないんだけどな」と前置きをした。

「いいよ。とりあえず、何かしら得たわけでしょ?」と言いつつ、湯島は期待してないのか、スマートフォンを手に取って記事づくりを始めた。その姿を眺めながら、さて何を話そうかと、幸太郎は考えた。今のところ会ってきたのは、鈴木結衣と遠藤大輔の関係者だけだ。ひとまず、飯島母娘に会った時の話をすることにした。すると、

「へえ、本当に?」湯島は文字を打ち込む手を止めて、幸太郎に顔を向けてきた。目が輝いている。嫌な予感がして、

「記事にはしないでくれよ」と幸太郎は釘を刺した。「俺が情報をリークしたってバレちゃうから」

「わかってる。でも、飯島璃子って、鈴木結衣をイジメてたグループのリーダー格でしょ。その子のインタビューを取れたって凄いことだと思うけど。ページビュー稼げるよ。ブログなりサイトなり動画をアップするなり、収益化は考えてないの?」

「ああ、特に何も」指摘されて幸太郎は気がついた。事件の真相を明らかにすれば有名になるかもしれないが、その経緯を湯島のように逐一発表すれば、その間にも知名度をアップすることができる。

「もったいないなぁ」湯島は唇を尖らせる。「その情報、買い取るのはダメ? イジメの主犯格が語る鈴木結衣の裏の顔。事件が注目されてる今なら、百万PVくらい稼げるかもしれない。一万円で買い取らせてくれない?」と、スタジャンのポケットから長財布を取り出して札入れに指を入れる。中には一万円札がぎっしり詰まっていた。ネット関連の仕事に幸太郎は疎いが、かなり実入りがいいのだと目を剥いた。その豊富な資金を駆使して、様々な情報を仕入れているのだろうことも容易に想像できた。一万円が妥当な報酬なのかはわからないものの、懐が寂しい幸太郎は、それでスロットが打てる、美味い酒が飲めると、一瞬だけ心がグラついた。けれど、

「ダメだ。相手は中学生なんだから」璃子のことを思い出すと、さすがの幸太郎も良心が痛み、裏切る気にはなれなかった。「勝手に記事にしないって約束してくれ」

「わかったよ。自分で足を運んでみる。でももう会ってくれないだろうな。ほら見てよ」

 湯島がスマートフォンの画面を幸太郎に向ける。そこには、マスコミの包囲網が張られた飯島邸が映っていた。幸太郎が訪れた時とはまるで違い、家から一歩出れば世間の敵意に晒されるような殺伐とした雰囲気が、映像からも伝わってきた。

「ね?」と湯島に同意を求められた幸太郎は頷き、

「実は以前、璃子ちゃんの父親の浮気調査をしたことがあって」と、つい口を滑らせてしまった。

「え、マジ!?」湯島が大声を出したために周囲の視線を集めてしまう。湯島は慌てて声を潜め、「それで、その時の調査結果は?」

「クロだよ。その影響で、璃子ちゃんは男に対して不信感を抱くようになったんじゃないかな」

「そこへきて、自分の彼氏に鈴木結衣がちょっかいを出して激怒。イジメに繋がったってわけか。いいね、やっぱりこのネタ買い取らせてよ」

「ダメだ」

「残念だな」湯島は大袈裟に肩を落とすが、すぐに表情を明るくさせた。「だけど、面白い話をしてくれた。代わりにもう一個、僕からもネタを教えるよ。って言っても、詳細は言えないんだけど」

 湯島のもったいぶった口調に、幸太郎は好奇心を刺激される。それを感じ取った湯島は、優越感に浸るような笑顔を見せ、

「失踪した八人にはある共通点があるんだ」と、今まで以上に注意深く声を潜めた。

「共通点?」幸太郎は眉間に皺を寄せる。まだ鈴木結衣と遠藤大輔の生活エリアしか訪れてないが、この二人だけでも貧と富、まるで住む世界が違っていた。それが八人ともなると、共通点があるとはとても思えない。

「そう。それが、今回の事件の裏で糸を引いてると僕は思うんだ」

「何だ、その共通点てのは?」幸太郎は思考を巡らせ、「スマホゲームの仲間同士とか、そんな類か?」辿り着いたのはそんな推測だった。

「違うし、正解は言えないよ」湯島は得意げに微笑み、「それとさ、八人以外に先導役がいたって目撃情報もある。この駅が集合場所で、八人を迎えにワゴン車がここに来てたって話。何でも、その運転手はニワトリのマスクを被ってたって」

「確かな情報なのか?」

「地元のサラリーマンが見かけたって。八人の人相も合ってる。かなり信憑性は高そうだ」

「ニワトリのマスク?」自殺願望がある八人を運ぶ車のドライバーを務めた謎のニワトリ男。不気味だ。幸太郎は鳥肌が立つのを感じた。

「ほら」と湯島がスマートフォンの画面を見せる。ニュース番組の映像。ちょうど今話していたニワトリ男の目撃情報が伝えられている。女性リポーターの隣に立つ、顔にモザイクのかかった男性が目撃者らしい。男性がフリップを掲げると、そこには頭がニワトリで、ツナギを着た人物の絵が描かれていた。服には矢印付きで『真っ白なツナギ』と但し書きされている。

「何者なんだ?」幸太郎がスマートフォンの画面から目を上げると、

「さあ」湯島は首を傾げたが、事情を知っているらしき笑みが顔中に広がる。

「知ってるんだな。教えてくれ」

「ダメダメ。僕だけの特ダネとして世に出すつもりだからさ」

「さっき言った共通点に関係してるのか?」

「だから教えないって」湯島は笑みを浮かべたまま頭を横に振る。「同じくらい大きなネタを提供してくれるなら考えてもいいけど。いや、ダメだな。こればっかりは教えられない。今、裏を取ってる最中だけど、世間を揺るがすようなニュースになる可能性が高い」

「ますます気になる」

「その分、調査を続けるのはリスクも高そうなんだけど」湯島の表情が少しだけ曇るのを、幸太郎は見逃さなかった。

「リスク? どういうことだ? 命の危険があるってことか?」

「まあ、わからないけど、もしかしたら、相当ヤバいかもしれない。何せ、頭のイカれた連中だからね」湯島の顔からはすっかり笑みが消え、この話題はもう続けないとばかりに肩を竦める。けれど幸太郎は構わず、

「その連中ってのは、失踪した八人も含まれるのか?」と続けた。

「いや、そういう意味じゃないよ」湯島は即座に否定して腕を組み、「どちらかって言うと、被害者なのかもしれないなぁ」難しい顔をしてそんなことを口にした。

「被害者?」意外な言葉に幸太郎は驚く。「ちょっと待て。じゃあ、集団自殺じゃなくて、他殺の可能性もあるってことか?」

「いや、そうじゃないよ」湯島は幸太郎の疑問を追い払うように手を振るも、「だけど、ある意味ではそうなのかもしれないなぁ」と曖昧な独り言を呟き、再び腕を組んで首を傾げ、考え込むような素振りを見せる。

「どういうことだ?」幸太郎は焦れったくなり、湯島の胸倉を掴んで身体を強く揺さぶり、知ってることを洗いざらい吐かせたい衝動に駆られた。そんな気持ちを知ってか知らずか、

「他殺というか、モルモットって言ったほうが近いのかな」湯島はさらに意味深な言葉を付け加えた。

「モルモット?」幸太郎は眉間に皺を寄せて頭を傾げる。「何かの実験の被験者にされたってことか?」

「うーん、まあそんなとこ。いや、それはまだ裏が取れてない情報だから気にしないで」湯島は喋り過ぎたのを後悔するように顔を顰めると、「ああ、もうこんな時間だ。早く記事をアップしなきゃ。悪いけど、もう失礼させてもらうよ。また何か面白いネタを掴んだ時は連絡してよ。こっちも何かあったら教えるからさ」と言いつつスマートフォンに文字を打ち始め、幸太郎のことはもう相手にしなくなった。幸太郎からすれば、興味をそそられる話の展開になっていただけに、もう少し粘りたい気持ちがあったものの、

「悪いけど、一人にして欲しい」と湯島に真面目な口調で言われたため、「じゃあまた」と引くしかなかった。幸太郎が立ち去ろうとすると、

「あ、ちなみにこれからどこに行くの?」湯島はスマートフォンから顔を上げて、眩しそうな表情で見てきた。

「中村純一の生活エリアに行ってみるつもりだ」

「中村純一か」湯島は腕を組み思案顔を浮かべる。

「何だ、何かあるのか?」

「いや、八人の中で一番地味っていうか、印象薄いよね。写真で見ても、ああ自殺しそうだよなって感じだし、見るからにつまらない人生を送ってそうだもん」

「つまり、面白いネタは期待できそうにないって言いたいのか」

「うん、まあはっきり言っちゃうと」湯島は笑うが、幸太郎も実は同じことを考えていた。ネットで検索しても、特に目につく情報は見つからない。自殺理由としてはブラック企業に勤めているから、と推測されているが、小さいながらも一国一城の主として自由気ままに生きてきた幸太郎には、会社の言いなりになった挙句に自殺を選ぶ気持ちがまったく理解できない。ただ、

「まあいいさ。瓢箪から駒って可能性もあるかもしれないしな。こういう仕事をしてると、たまにあるんだ。予期せぬ所で予期せぬ情報を得られることが」という考えがあった。

「それもそうか」別にバカにするでもなく、納得した様子で湯島は頷くと、「じゃあ、期待してる」手を振り、スマートフォンの画面を見て記事作りを再開させた。

 ボルボに戻り、中村が住む街を目指して走り始めた幸太郎は、湯島から得た情報を頭の中で整理してみたが、失踪した八人の共通点は一体何なのか気になって仕方なかった。それから、八人を先導したという、ニワトリのマスクを被った人物や、『モルモット』という言葉も引っ掛かる。この事件は単なる集団自殺ではないのか。そう考えると、少し薄ら寒さを感じ、何か情報を掴めないかと期待して、スマートフォンでニュース番組を流しながら運転を続けたものの、何も得るものがないままに目的の街に到着してしまった。

 今やネット上では、失踪した八人全員分の住所が完全に特定されてしまっていることに、幸太郎はショックを受けた。これでは迂闊にメディアに晒されるような事件など起こせない。個人情報が丸裸にされてしまう恐ろしい時代になったものだと改めて思った。その一方で、情報化社会へと変化したからこそ、昔よりも調査が楽になったと感じもした。

 そのネットで得た情報によって、中村が住むマンションへと苦もなく辿り着くことができた。賃貸サイトで調べたところ、築十五年、八階建てのSRC造。単身者向けの一Kの間取りの部屋しかなく、周辺には徒歩三分圏内にコンビニや飲食店が乱立していて、独身者には利便性がいい場所だ。暮らしやすいだろう。

 だが今は、マンションを取り囲むようにマスコミが押し寄せ、住民はさぞや迷惑を被っているだろうことが容易に想像できた。これも情報化社会の弊害と言えるのだろう。幸太郎は住民に同情しつつも、ここに居たところで何も進展はなさそうだと早々に諦め、路肩にボルボを停めて、ネット上で情報収集をすることにした。そしてスマートフォンを手にした途端、非通知設定で電話が掛かってきた。浮気調査の依頼か、それとも湯島が何かスクープを掴んで自慢するために連絡を寄越したか。タイミング的に何か重大な報せがもたらされるような予感を抱きつつ、通話ボタンを押してスマートフォンを耳にあてがった瞬間、

「ふざけんなよ!」少女の罵声が鼓膜に響き、面食らった幸太郎は慌ててスマートフォンを耳から離し、スピーカーモードに切り替えた。

「何で、うちらのことマスコミに話したんだよ!」少女は激昂した様子で捲し立てる。だが、幸太郎にはその声に聞き覚えがなく、怒られる理由もわからなかった。だから、

「あ、あの、ちょっと、誰かと間違えてない?」と疑った。

「間違えてねえよ。昨日来た探偵だろ」

「昨日?」幸太郎はハッとした。「もしかして、飯島璃子……ちゃん?」

「そうだよ」璃子の鼻息は荒い。「マスコミには話をしないって約束、破っただろ」

「何の話を」してるのか、と訊き終わる前に幸太郎は事情を察した。湯島がスマートフォンに記事を打ち込む姿が脳裏に浮かんだ。「まさか」と呟き呆然としてしまう。

「ママがパパの浮気調査を依頼したこととか、わたしとレンのことだとか、あいつとのいざこざだとか。全部、昨日おじさんに話したことが書いてある。ふざけんなよ、裏切り者! だから大人は嫌いなんだよ!」

 『あいつ』というのは鈴木結衣のことだろう。幸太郎は慌てて言い訳をしようとするも、何と言えばいいかわからなかった。勝手に記事を投稿した湯島に非はあるものの、幸太郎自身も、誰にも話さないと誓った璃子との約束を反故にした事実があるのだから。

「璃子ちゃん、聞いてくれ」

「もう誰も信じられない」という言葉を残して、璃子は通話を切ってしまった。

「まいったな」顔を顰め、幸太郎は罪悪感に胸が少しだけ痛んだものの、その感情はすぐに湯島への怒りへと転化して、湯島が運営するサイトを検索すると、幸太郎が話したことが何から何まで記事にされていたため、すぐさま抗議の電話をかけることにした。すると二コール目で、

「はい?」と寝ぼけたような声が返ってきて、幸太郎の怒りはますます膨れ上がる。怒鳴りたいのをグッと堪え、「あんた、約束破っただろ」声を押し殺して凄むように言った。

「え? あ、ああ!」事態を察した湯島は、瞬間的に眠気が覚めたのか、声のトーンが上がり、「アハハ」と笑って誤魔化そうとする。

「ふざけんなよ、あんた。今、飯島璃子ちゃんからクレームの電話がかかってきた。訴えられでもしたら、絶対にあんたも巻き込んでやるからな」

「悪かったよ」湯島の謝罪には気持ちがこもっていない。あまりに軽薄な口調に、幸太郎はこめかみの辺りがドクドクと脈打つのを感じた。今、湯島が目の前にいたら、殴り飛ばしているかもしれない。そんな気持ちも知らず、「だけどさ、ジャーナリストとしての本能が、事件の裏に潜む真実を伝えたいという欲求が俺を掻き立てて、どうにも我慢できなかったんだ。書かずにいられなかった。ごめんよ」と、湯島は悪びれた様子もなく続けた。

「このクソ野郎!」幸太郎は我慢ならなくなり、ボルボの外にも漏れ聞こえるくらいの大声を出して憤った。「とにかく、書いた記事をすぐに消せ。いいな?」

「ええ!」湯島は嘆きの声を響かせる。「今これ、めちゃくちゃ凄いページビューを稼いでるっていうのに。そりゃないよ」反省の色はまったく感じられない。世間から注目されるなら何でもアリ。モラルも常識も仁義も人情も何もかもありゃしない。最近の風潮を体現するような湯島という人間に対して、幸太郎は心の底から嫌悪感を抱いた。

「早くしろ。いいな」とドスを利かせて命じた。

「わかったわかった。そんなに怒らなくてもいいだろ」

「お前、ふざけんなよ」

「ごめん、悪かったよ」ヘラヘラした笑顔が浮かぶような笑い声混じりの謝罪をすると、「お詫びのしるしに、情報をあげるから許してよ」懐柔でもするような口調で湯島はそう提案してきた。

「情報って?」怒りを忘れ、幸太郎の心は揺れ動く。湯島の情報収集能力は侮れないことを理解しているからだ。「それ相応のネタじゃなきゃ納得しないからな」

「そんなプレッシャーかけないでよ。で、今はどこにいるの? もう中村純一の住む街には着いた?」

「たった今。中村が住むマンションのすぐ近くにいる」

「ああ、そうなんだ。で、マスコミが取り囲んでて、何の手掛かりも掴めそうになく、どうしようかと考えあぐねてる。そんな感じ?」

 まさしくそんな状態だが、素直に認めるのは癪に障り、

「早く情報を言え」と、幸太郎は苛立ちながら催促した。

「そうだな、中村関係のネタで言うなら、そこからすぐ近くにある、フェアリーテイルってメイド喫茶に行ってみればいい」

「メイド喫茶? 中村の行きつけの店なのか?」

「そう。そこで働いてるマホって子を推してて、通い詰めてた」

「よく知ってるな」

「まあね」湯島は得意げに返す。

「で、そのマホって子は何を知ってる?」

「それは自分で調べてよ。曲がりなりにもプロの探偵さんなんでしょ。俺から教えられることはここまで」

「おい、ふざけんな」

「健闘を祈る」ふざけた口調で言うと、湯島は通話を切ってしまった。

「クソッ」幸太郎は悪態をつき、すぐに電話を掛け直そうとしたが、探偵として二十年以上もキャリアを積んでいるのに、湯島のような舐め腐った若造に頼り切って教えを乞うのは癪に障り、通話ボタンを押すのをやめた。

 その代わりにフェアリーテイルをネット検索して、マホというメイドが在籍しているかチェックした。お店のサイトに写真が掲載されていた。真っ黒な髪の毛をツインテールにしていて丸顔。中村のような根暗な男でも笑顔で接してくれそうな優しさが写真からも伝わってくる。幸太郎はスケジュールを調べ、「いた」と思わず声を出してしまう。ちょうど今の時間、マホは勤務していた。タイミングがいい。場所も歩いてすぐの距離だ。ボルボをコインパーキングに停め、店へ向かう。フェアリーテイルは雑居ビルの二階にあった。自動ドアが開くと、

「お帰りなさいませ、ご主人様」と、メイド服を着たキャストが数名、アニメの声優のようなかわいらしい声で出迎えてくれた。下げた頭を上げたところで、マホはいるかと幸太郎は物色すると、サイトに掲載されていた顔写真よりも三割増しで丸顔のマホを見つけた。

「彼女と話があるんだけど」と指差すと、マホは一瞬、驚いた顔をした。初めての客にいきなり指名されるケースは少ないのかもしれない。すぐに笑顔になり、

「では、ご主人様のお給仕は、マホがさせて頂きますね。お席へご案内します」

 席へ着くなり、幸太郎は声を潜めて言った。

「ここに、中村純一って客がよく来てたでしょ」

「え?」メニュー表を渡そうとしたマホの手が止まる。「ちょっとわからないです」すぐに笑顔になるものの、

「知ってるんだ。人から聞いた。今、失踪事件で話題になってる」と、幸太郎は中村の顔の画像をネット検索して、スマートフォンの画面をマホに見せる。「この男。ここの常連だって。マホちゃん目当てで通ってたって」

「他のご主人様のことは何も教えられません」マホの笑顔が引き攣った。目が泳いでいる。明らかに中村を知ってる。幸太郎は確信した。

「いくらだ?」

「え?」

「タダとは言わない。情報料。これでどうだ?」幸太郎が右手の人差指を一本立てると、マホは周囲を気にする素振りを見せるが、両隣の席には誰もおらず、他のメイドたちはそれぞれのご主人様への給仕に勤しんでいて、幸太郎たちには誰も注意を向けていない。それを確認したマホは、

「一万円ってことですか?」地声なのだろう。今までよりも低い声で囁くように訊いた。

「いや……」幸太郎は千円のつもりで言ったのだが、マホの顔が曇るのを見逃さず、ここは折れることにした。「わかった。一万。中村について知ってることを話してくれるか?」

「人から聞いたって言ってましたよね」マホはさらに声を落とす。「それって、湯島って人ですか?」

「そうだ。彼に言ったのと同じことを教えてくれ」

「どうして、その人はわたしから聞いた話を教えてくれなかったんですか」マホは疑いの目で幸太郎を見る。確かに、中村についてマホから聞いた話を、湯島が幸太郎にすればいいだけの話だ。わざわざ店に足を運ぶ手間を掛けることは、彼女からすれば謎だろう。

「俺に対して優越感に浸るためだろ」

「優越感?」

「事件の真相を追う者同士としての。まあ、そんなことはどうでもいい。それにきみだって、俺が来たことで小遣いが増えるわけだろ。同じ話をするだけで」

「そうですね。ただ、ここでするのはちょっと」

「今日は何時に終わるの?」

「あと一時間です」

「わかった。ここで適当に時間を潰してから、どこかで待ち合わせしよう。どこがいい?」

「すぐそこのファミレス」

「よし、わかった」

 交渉成立。幸太郎はパンケーキとコーヒーを注文すると、それをゆっくり時間を掛けて平らげ、マホがバイトを上がる少し前に店を後にした。

「お待たせ」

 指定されたファミレスで待機すること十分あまり。窓際の席に陣取った幸太郎の前に現れたマホは、薄手のパーカーにロングスカートを穿いた、メイド服とはまるで雰囲気の違う姿だった。

「あんまり時間がないから、さっさと話を済ませちゃってもいい?」

 ウェイトレスにアイスコーヒーを注文すると、マホはぞんざいに言った。メイド服を着ていないと喋り方も変わるらしい。

「いいよ」幸太郎は頷き、「きみは中村について何を知ってるんだ?」

「その前に」と、マホは右手を差し出す。幸太郎は黙って財布から一万円札を抜き出して渡した。

「それで、もしかして、失踪した理由を知ってるのか?」

「それはわかんない。けど最近、純君のお姉さんから頼みごとをされた」

「頼みごと? 中村のお姉さんから?」

「そう。でもこれ、絶対に内緒にしてくれる? 湯島って人にもそう言ったはずなのに、バラしてるし」マホは口を尖らせ、お前は大丈夫なのかと問うように幸太郎を上目遣いで見つめる。

「約束する。で?」

「純君に冷たくしてくれって」

「どうして?」

「さあ」マホは肩を竦め、ストローでアイスコーヒーを飲む。「とにかく、冷たくしてくれって」

「それで、そうしたのか?」

「うん。だって、お金くれるって言うから」

「いくら?」

「それは関係ないでしょ」

「あるさ」目的はわからないが、その金額によって、中村の姉の本気度が図れる。幸太郎はそう思い、マホの目を覗き込むようにして訊いた。その視線にたじろぎ、

「十万円」マホは目を逸らしながら答えた。

「十万円か」決して多い額とは言えないが、まだ若いマホにとっては大金だろう。「それで、きみに冷たくされて、中村はどうなった?」

「落ち込んでた。純君、パワハラの上司に悩まされてノイローゼ気味になっててさ、こっちには友達いないみたいだし、わたしだけが唯一の心の拠り所だって、いつも言ってた。だから、わたしが冷たくしたら、相当ショック受けたみたい。どうして急に態度が変わったのか、悪い所があるなら直すから言ってくれって。別に本当に嫌いになったわけじゃないから心苦しくなってさ。お姉さんに十万円返して、もう止めよう。優しくしてあげようって思ってたんだけど、そうする前にあんな事件が起きちゃって」まるで言い訳するような口調に、幸太郎は内心で腹が立った。お金を返そうだなんて絶対に思わなかったに違いないと決めつけた。

「中村のお姉さんの連絡先は?」

「知らない」

「そうか」幸太郎はふと疑問に思った。「その人、本当に中村のお姉さんなのか?」

「え、どうして?」マホは目を丸くする。湯島にはそんな質問はされなかったのだろう。

「ただ、何となくそう思っただけだ」

「姉だって言うから、わたしは何も疑わなかったけど。だって、そんな嘘つく必要ある?」

「だけど普通、姉がそんな依頼をすると思うか?」

「それはそうだけど……」マホは急に寒気を感じたように、両腕を交差させて二の腕を掴み、身を縮める。「じゃあ、何のため?」

「自殺願望を抱かせるため」幸太郎がそう言った瞬間、電気ショックを受けたように、マホの身体はビクッと震え、目を剥いて幸太郎を見つめ返した。「きみだって気づいてたんだろ?」

「関係ないよ、わたしは、そんなの」言葉とは裏腹に、マホは罪悪感を抱いているのか、声を震わせた。

「唯一の心の拠り所がなくなれば、自殺を考えるようになる。そして、失踪事件を起こした。ネットでは、集団自殺だろうって疑う声もある。点と点が線で繋がると思わないか?」幸太郎は落ち着き払った口調で、マホの精神をゆっくり追い詰めるように話す。

「知らないよ、わたしのせいじゃない」自分を納得させるように言うと、「もういいでしょ。これ以上は話すことなんてないし」と立ち上がる。

「待て。中村のお姉さんの顔は似てたか、中村に」

「似てると言えば似てるし、似てないと言えば似てない。男と女の姉弟なんてそんなもんでしょ。わたしだって、お兄ちゃんにはそんな似てないし。もう帰るから。迷惑だから店に来たりしないでよね」

 まるでストーカー扱い。アイスコーヒーを一気に呷ると、マホは礼も言わずに立ち去ってしまった。

 一人取り残された幸太郎は、今の話を頭の中でリピートして考える。果たして、中村純一の姉と名乗った人物は、本当に血縁関係があったのか。マホに冷たく接するように指示した意図は何だったのか。調べようにも手掛かりが何もない。仕方なくプライドを捨て、湯島に訊いてみることにした。スマートフォンで番号を検索して電話をかける。すぐに留守電に繋がってしまう。何度もかけ直してみても同じだった。そこでとりあえず諦め、幸太郎は他の失踪人が住む街へと移動することに決めた。年齢順でいえば、次は二十六歳の川崎愛だ。ネットからの情報によれば、最近は住所不定で全国を転々としていたらしいが、両親が住む実家がある街は、ここからそう遠くない。

「さて、行くか」と、気合を入れ直すために口にすると、幸太郎は重い腰を上げた。


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