佐藤大輔
色々あって疲れが溜まっているはずなのに、妙に頭が冴えて眠れそうにない。それに、鴉山で集合してからずっと、胸がざわついて、ベッドの上に横になっても眠れずにいた。
その原因はわかってる。遠藤大輔。僕と同じ名前。その由来は、僕とは別人のものと思うけど、有名な野球選手から取られたものだろう。少なくとも僕はそうだ。野球好きの両親が、僕が生まれた当時、甲子園を沸かせたスター選手から拝借して名づけた。
小学校に入学すると、僕の意思とは関係なしに無理矢理、少年野球のチームに加入させられた。ただ残念なことに、野球の才能はからっきしだった。それでも辞めさせてもらうことができず、中学を卒業するまで苦痛の日々が続いた。お陰で野球が大嫌いになった。さすがに両親も僕に才能がないことに気づいて、甲子園出場は諦め、自分の行きたい高校への進学を許してくれた。
それに引き換え、遠藤くんは順調に親の期待通りの野球人生を送ってきたことだろう。顔を見てすぐにわかった。去年の夏、甲子園を沸かせた名門校のエース。たまたま、ニュース番組で見かけて、自分と同じ名前だから記憶に残ってる。正直、羨ましいと思った。この子はこのまま活躍を続けて、ドラフトの目玉になって、人気のプロ野球選手になる。将来安泰。それとは反対に、僕の未来なんて真っ暗だ。
親の敷いたレールを自分の意思で踏み外して進んだ高校も大学でも、僕は結局、情熱を傾けられるものを見つけられなかった。自分にどんな才能があるのかもわからず、運悪く氷河期時代に突入したこともあって、就職活動は連敗続き。最後のほうは気力がなくなって数えることもやめたけど、多分、全部で百社は落ちたと思う。
結果、就職浪人という名の逃げ道を作り、腰掛けのつもりで工場勤務の派遣社員として働き始めた。毎月の手取りは十五万円弱。それでも、実家暮らしを続けていたから生活には困らない。定時上がりで土日祝日は完全に休み。仕事は単調な流れ作業で責任を負う必要もない。ぬるま湯に浸かるような毎日が心地よくて、早い段階から就職活動を投げ出すようになった。工場で正社員登用試験を実施した時にエントリーすればいい。そんな軽い気持ちで過ごして、契約を更新されなければ、地元の別の工場に派遣されて、そこでまた同じような生活を送る。そんなことを続けている内に、あっという間に二十代は過ぎ去り、周りの友人は定職に就いて家庭を築き始めているのに、僕だけが取り残されていった。
三十代になると両親もさすがに僕の境遇を快く思わず、早く就職しろ、孫の顔が見たいとせっつくようになった。仕方がない、と思い腰を上げて就職活動を開始してはみたものの、十年近くろくな職歴がなく、資格も強みになる経験もしていない三十代の男を欲しがる企業はなかった。
三十五歳になった時、理系出身でもないのに、研究開発の助手の契約社員になれた。給料は工場勤務の倍近くになった。同世代の正社員に比べれば低収入だし、ボーナスだってない。けど、ぬるま湯の温度が上がったようで心地よく、いよいよ僕はそこから抜け出せなくなった。正社員になるためのアクションを起こすにはもう、気力も体力も失い、親や近所の白い目にも慣れ切って鈍感になってしまっていた。
それでも、孫の顔が見たい、という親の希望は果たすことができた。勤務先の直属の上司で、一歳上の研究員の女性と結ばれたからだ。男性率の高い理系出身のご多分に漏れず、男性に舐められないようにと、彼女は勝ち気な性格だった。給料だって一般の会社員の平均よりも随分と多く稼いでいた。「わたしが外で働くから、あなたは家のことをやって」という要望を、僕はすんなり受け入れることができた。
三十六歳になってようやく実家を出て、彼女の名義でローンを組んだ新築マンションに移り住み、僕の新たな生活が始まった。結婚から半年足らずで妊娠が発覚したけど、彼女は出産ぎりぎりまで働いて、無事に女の子が生まれると、育休を取らずすぐに職場復帰。僕は家事と育児を担うようになって、それはそれで大変だけど充実した毎日を送っていた。
そんな生活が崩れたのは、妻が新型コロナウィルスに感染してからだ。喘息の持病がある妻は重症に陥り、一時期は生死の境をさまようほどに悪化した。幸い、九死に一生を得たものの、重い後遺症に悩まされることになった。頭に靄がかかったようになり、無気力状態で仕事がままならない。おまけに薄毛の兆候も出て鬱になり、しばらく休職することになった。復帰するまでの期間、会社からは給料の六割が支給されることになったけど、妻の稼ぎに百パーセント依存してきたため、それでは生活費をカバーし切れない。半年経っても妻の体調は戻らず、僕たちは仕方なしにマンションを手放し、賃貸アパートに引っ越すことにした。
新しい住居は、それまで住んでいたマンションの半分ほどの広さしかなく、近所の子どもが泣き喚き、それを叱る母親の怒鳴り声が四六時中響き渡るような劣悪な環境だった。日中も妻はろくに眠ることができず、体調はますます悪くなる一方。ストレスの捌け口を僕に求めるようになり、顔を合わせればすぐに、「あんたと結婚してから、とことん運が尽きた」と詰るようになった。娘は娘で発育が遅く病気がち。僕はそこでようやく、流れに身を任せるままに生きてきた、それまでの人生を振り返って反省し、そのツケが回ってきたのだと解釈するようになった。
それとは反対に妻は、今までの人生、努力を続けてきたのに、今の状況は不当だと憤り、不安定になった心の隙間にスッと入り込んだ、胡散臭い新興宗教にハマるようになった。家計は火の車だというのに、わけのわからないネックレスや健康器具を言われるままに買占めて、それを止めようとする僕には「余計な口出しするなら殺すぞ」と喚き散らす。挙句の果てに「お前が働いて養え」と命じてきた。仕方なしに就職活動をしたところで、四十歳を超えた職歴のない中年男を雇ってくれる会社なんて、そう簡単には見つからない。それでも、格好だけはリクルート活動をしているように見せなければ、妻が癇癪を起すから、わざわざスーツに着替えて外出するようになった。
といっても、昼間から何の予定もないのに時間を潰す手段なんて、無趣味の僕には何も思いつかず、手っ取り早く現実逃避するために酒を飲んだ。酒量は日に日に増した。アルコールが抜けずに蓄積されていくと、生きる気力がなくなっていく。いつしか、死にたいと本気で思うようになった。自分さえ死ねば、生命保険で妻と娘はまともな生活を送っていける。
けれど、自殺したのでは保険は下りない。何とか事故死に見せかけられないかと、足元がおぼつかないほど酔っ払った状態で、駅のホームの縁を歩いてみた。それでも、いざ死ぬとなると恐怖心から足が竦み、線路に落ちる決心はつかなかった。
そんな時、まるでタイミングを計ったように、死神からメッセージが届いた。
『生命保険受給目当ての自殺志願者募る
日時 五月十六日 十九時
集合場所 鴉山駅前ロータリー
方法 毒薬注射など
補足 苦痛なく、事件に巻き込まれて殺害されたように見せかける手段、道具類はこちらでご用意致します。
他、詳細は返信メールにて
死神より』
メッセージの内容は概ねそんな感じだった。僕にはその誘いが、天からの救いに思えた。ほとんど悩まず、すぐに返信メールを送った。死ぬことを決断したことで気持ちが楽になったからか、妻に対して我慢強く接することができるようになった。
そして、五月十六日は妻子ともこれでお別れだと思い、朝からレンタカーを借りて、久しぶりにドライブを満喫した。春日和のいい天気だった。あまりによい思い出を作ってしまうと、二人と別れ難くなってしまう。そう思ったけど、そんな心配は必要なかった。妻は出発の時から帰宅するまで、ずっと不機嫌で、僕と結婚したことをいかに後悔しているか、今まで以上にしつこく並べ立てて詰ってきた。そして、将来が不安だ。いっそのこと家族心中してしまえば楽になるのに、と娘の前でもお構いなしにそんなことを口にした。
もしあの時、妻が優しい言葉の一つでも掛けてくれていれば、僕は死ぬことをやめていたかもしれない。けれど、それとは反対に、妻の態度は僕を死へ向かわせる後押しとなった。
ドライブから家に戻ったのは午後六時。アパートに妻子を送ると、僕は一人レンタカーを返しに行き、その足で電車に乗って鴉山へ向かった。
自分と一緒にあの世へ旅立つのはどんな人たちなんだろう? 死の恐怖よりもその好奇心のほうが強かった。世を憎み、あるいは恨み、生きることに疲れ、希望を失った人たち。きっと仲良くなれる。共感し合える。そう思った。それなのに……。
集合場所で遠藤大輔の姿を見た時、僕は怒りで身体が震えた。なぜ、きみがここにいる? 僕とは違って才能に満ち、神様に愛されてこの世に生まれ落ちた、将来有望のきみみたいな人間が、まだ十代だというのに、なぜ自ら死を選ぶ?
死神の使者だというニワトリ男が現れた時も、遠藤大輔は、僕たち大人が尻込みする中、躊躇なくワゴン車に乗り込む度胸の良さを見せた。その姿がまた、僕を苛立たせた。きみみたいな人間は実社会に必要だし、仮にプロ野球選手への道が絶たれても、社会に出ていくらだって重宝されるだろう。
同じ名前で野球繋がりがあるから、特に遠藤大輔に対して心が揺れ動いたけど、彼とすぐに仲良くなった鈴木結衣なんて、まだ中学生だって言うじゃないか。そんな子どもが死のうだなんて甘すぎる。それだけじゃない。萩原や川崎のような、夜のニオイがする連中は、真面目な人間を騙して搾取するタイプじゃないか。何があったのか知らないけど、死にたいほどの苦しみがあるなら、それはそれまでの人生の跳ね返りなんだから、とことん生き地獄を味わうべきだ。お前らみたいな人間と一緒に死にたくて、俺は死神を頼ったんじゃない。ふざけるな。
それから、集合場所では暗く大人しかった中村と井上。こっちの世界に来てから急に強気になった。理由はわかる。首輪があるお陰で、誰からも暴力を受けなくなったからだ。二人とも、まるで別人になったように活き活きとしてるけど、そんなちょっとしたきっかけで劇的に変われるなら、死を選ぶ前に一歩踏み出して自分の殻を破っていれば、元の世界でも今みたいに力強く生きれたんじゃないのか?
奥川とかいう老人についてはよくわからないけど、どうせ老い先は短いんだ。わざわざ自分から死のうとせず、年金暮らしを楽しんで、お迎えがくるのをのんびり待てばいいものを。何を考えているんだか、僕にはさっぱりわからない。
結局、八人の中で一番に辛酸を舐め、死にたいと願う真っ当な理由があるのは僕だけだ。死神は人選を間違えた。
そんなことを考えていると、窓の外が薄っすら明るくなり始めた。もちろん、朝陽が出てきたわけではない。照明で明るさをコントロールしているのだろうか? この世界がどこなのかも、自分が死んだのかもわからない。だけど、確実に言えることは、妻子と離ればなれになって、久しぶりに自由を感じていることだ。一人でいることがこんなにも解放的な気持ちになれるなんて。妻の小言も、娘のぐずりも耳に入らない。働かなくても食うのに困らず、質素ではあるけど清潔な居住スペースもある。他の七人がどう思っているかは知らないけど、僕にとってここは天国だ。ずっとここにいたい。もうあの汚くて狭いアパート暮らしに戻るのはごめんだ。そう思いながら瞼を閉じる。ここでは何時間寝たって誰にも文句を言われない。最高じゃないか。