ep27:亡命者
作業区の一角。
海中探索のドックに近い一室は、静寂に満ちていた。
生活感のまるでない空間で、壁に埋め込まれた巨大なモニターだけが、深海の映像を音もなく映し出している。
その光が、床に置かれた小さなバッグと、それに手を添えて立ちすくむミオの姿をぼんやりと照らしていた。
「……本気か、ミオ君」
床にいくつか置かれた椅子のひとつに腰掛けたオーランドが、静かに問う。その質問に意味はないことを、お互いわかっていた。
ミオは顔を上げない。
壁のモニターでは、研究データが、外部メモリへとコピーされていく進捗バーだけが動いている。
「私のせいで、皆を危険に晒した。ソルヴェさんも……これ以上は無理よ」
絞り出すような声が、室内に吸い込まれていく。
「君一人の責任ではない。我々が君を受け入れたのだから」
オーランドが諭すが、ミオはかぶりを振った。
「相手は傭兵よ。研究所の社会的な意義も、学術的価値も何も考えない。ここは、中立だからこそ聖域なの」
その言葉は、自分の存在がその聖域を汚しているという自責の念に聞こえた。
「行くあてなどないだろう。航空機も、ここには……」
「ストレージ鉱山に身を隠すか、いっそ海に潜るか……どうにかなるわ」
その声には、覚悟と諦めが乾いた砂のように混じり合っていた。
* * *
ハンガーは、オイルの匂いと機械の熱気が満ちていた。
むき出しのコアが放つ淡い光が、壁に備え付けられた工具のシルエットをぼんやりと浮かび上がらせる。
その中央で、ジェリがホバーの調整に没頭していた。単座のストレージにマザーのコアを接続した機体だ。一応の形にはなっている。
「うーん、やっぱり出力が不安定……でも、このじゃじゃ馬感がたまらないんだよねー!」
楽しげな独り言が、金属音に混じって響く。
背後に人の気配を感じて振り返ると、思いつめた表情のミオが立っていた。
「ジェリ……お願いがあるの」
ここ数日、二人は共に過ごす時間が多かった。
ミオの専門であるチップ技術は先端的で、特に青混じりのコア特性を特殊な武装へ展開する調整は、ジェリには真似できないものだった。
同じように、コアを防護服に転用するという突飛な発想は、ミオの研究意欲を強く刺激した。
互いの技術に惹かれ、打ち解けるのに時間はかからなかった。
ミオが事情を話す。
「ここから、逃げ出して……どこか遠くへ行きたいの。力を貸してほしい」
その言葉に、ジェリは一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐにニッと口角を上げた。
「そういうことなら、任せてよ!」
彼女の視線が、目の前のまだ不完全なホバーへと注がれる。
「こいつ、まだ飛んだことないけど……さらにとっておき。ミオを必ず連れ出してくれる!」
ジェリには分かっていた。ミオの探究心が、血筋というくだらない理由で摘み取られようとしている。
その不運が、ジェリには許せなかった。
* * *
甲板を吹き抜ける夕暮れの風は、潮の香りを運んでくる。
ゼンは独りの哨戒任務を終え、手すりに寄りかかりながら、赤く染まる水平線を眺めていた。
人を撃つという現実。その重さが、まだずしりと圧し掛かっている。折り合いなど、そう簡単につくものではない。
肩の上で、ロスルが静かに口を開いた。
「もし、引き金を引くことに躊躇いがあるなら」
何事かを続けようとしたロスルの言葉は、しかし、不意に途切れた。
何かに気づいたように梟は口を閉ざし、周囲を窺う気配を見せる。
ゼンがその視線の意味を問う前に、背後から静かな声がかかった。
「少し、よろしいでしょうか」
レシオだった。彼はゼンの隣に並び立つと、同じように水平線を見つめた。
「副所長から話は聞きましたか?所内に匿われた要人の、亡命を手伝うことになるかもしれません」
穏やかな声で、彼は切り出した。
「そうなれば、追手と戦う必要はない。あなたはその人物を安全な場所まで送り届けるだけです」
「安全な場所…?」
ゼンの問い返しに、レシオは、さあ、と短く答えた。
「それは彼女の持つ手札次第でしょう。ですが、あなたにとっては、人を撃たずに済むかもしれない道が一つ増えたということです」
穏やかな笑みが、ゼンの心をわずかに揺らす。
「もちろん、進んだ先でどうなるかまではわかりません。まだ時間はあります。考えておいてください」
そう言い残し、レシオは静かに船内へと戻っていった。
* * *
自室のベッドに寝転がり、ゼンは天井を眺める。
壁のモニターには、ジェリが調整しているホバーの設計図が映し出されている。
ドアが勢いよく開き、ジェリが飛び込んできた。
「ゼン、いるー?」
その手には、既に私物がまとめられたバッグが握られている。
「レシオから聞いたよ!亡命の護衛だって!面白くなってきたね!」
興奮気味に捲し立てるジェリに、ゼンは身体を起こして冷静に問う。
亡命者について、彼女は既に詳しいようだ。
「どこへ行くか、だね。……街には戻れないかもしれない」
「わかんない!でも、だからこそ、最高の機体が必要でしょ!」
ジェリはそう叫ぶと、モニターの設計図を操作した。
「見てよ!ミオを乗せて、ゼンが護衛するなら、単座じゃダメ!複座にすると速度が足りない。だから考えたの!」
設計図のシルエットが、彼女の指の動きに合わせて書き換えられていく。
「牽引グライダーをストレージにする。マザーのランク5コアをメイン動力に、私のランク4防護服コアを搭載して、防御フィールドに使うの!これなら二人乗りでも機動性はバッチリだし、いざとなったらジェリちゃんシールドがミオを守るってわけ!」
ロスルが興味深い様子でトコトコとモニターに近づく。
「高ランクのコア二つを併用できるのか?」
「ゼンとライルもホバーを連携させたんでしょ?結局はオペレーションの問題なの。ひと1人分が連携操作にだけ注力すれば、これまでもできなくはないわけ。ロスルをそれだけに特化させても、できると思う。ただ、そこまで複雑な機能をチップに納めるには……」
息巻くジェリの瞳は、これからのまだ見ぬ冒険への期待に、爛々と輝いていた。
二人のいつものやり取りに、ゼンの強張っていた心が少しだけ和らいだ。




